その位の人としての心はこぼさないように。

小説を書き終えた。これから校正や推敲が待っているので、まだまだ終わりではないのだが。でも、一応は終わらせた。でも、それが何になると言うのだろうか。書いているうちは勿論書きたいから書いているし、それなりに楽しんでいたり高揚したりする瞬間がある。

 でも、俺の作った物は泥の中にゆっくりと沈むだけだ。そして俺は作品を書き上げるといつも途方に暮れる。誰かにとっては価値がない物でも、俺に都は汚泥の中の硝子片のようなきらめきだから。それさえ、幻さえ見られないなら、俺は生きていることに不安定になり過ぎて、どうにか誤魔化し、寝続ける。死んでるのと変わらない。

 それには自由に外出できない等の、現在の状況も最悪で、一応、収束には向かっているが、こっから日銭稼ぎをすることを考えると、頭が痛い。最近はまた過眠が酷い。何かから逃れたいけれど逃れられない。解決したいことは、俺の手では不可能に近い。それでも、当然人生は続く。無理やり空元気を出してどうにかするのも限界ではないか、と二十代の終わり頃から思っていて、しかしそれを続けている。

 皆、悪魔になれずに息絶える。でも、誰かの作品を読むと、自分に感受性があるような気がしてくる。少しの間だけかもしれない。でも、それでいいのかな。俺には覚悟が足りないのかな。

 本を読むのって、かなり体力精神力を使う場合が多いと思う。だから体力も集中力もない怠け者の俺が、よくつづけているなあと思うことがあるが、何もない人にも、本を開けばほら、人間と怪物と天使と、たまゆらの共犯者。

 雑記。

 ボリス・ヴィアン『心臓抜き』再読。題名最高。過去を持たない精神病医の見る異常な世界、探求。
だが、それ系のは、ウニカ・チュルン、アンナ・カヴァンバロウズといった強者がいるので。
風景描写や会話の軽やかさや面白さを味わうのだ。

ジャン・ジュネ詩集再読。彼の小説を傲岸な詩集とするなら、この詩集は幻想的短編小説か散文のようだ。男を悪徳を死を犯罪を性器を肉慾を、天使や神や花々で飾り、惜しみない賛美や愛の雨を降らせる。
愚かで薄汚く、きらきらした臥所或いは墓標。大好きだ。

日曜日の朝に
the velvet undergroundnico
sunday morning聞くと、死んでるのか生きてるのか、地獄の入口にいるのか煉獄を散歩しているのか、ホンワカふわふわした気持ちになる。

二曲目の僕は待ち人はヴァネッサ・パラディがカヴァーしていて、下手くそで最高にキュート

めっちゃ久しぶりに、漫画読む。原作SHOOWA漫画奥嶋ひろまさ『同棲ヤンキー赤松セブン2巻』めっちゃ面白かった! 迫力あるケンカやヤバイ展開あるし、ぎこちなくってくすぐったい触れ合いも、直球エロもある。読み応えすごい。次の単行本も楽しみ!

カフカカフカ寓話集』読む。彼の名前で想起する、終わりが見えない有名な作品ではなく、一ページの作品から、短編まで様々な物を集めた、ボーナストラックのような作品集。題材には動物や神話がちらほら。陰鬱さというよりも、奇妙な世界の観察、描写をしているような作品が並ぶ。

ゴダールの『勝手にしやがれ』のパンフ見る。表紙だけで、高校の時に戻れる。悪い役のベルモンドと少年のように愛らしいジーン・セバーグのコンビは最高。インタヴューでゴダールは、この作品の成功について複雑な心境を語っているが、
ギャング映画にあっては、男は死なければならない。って流石!

 だるくて虚しい日々が変わることはないだろう。だから、錯覚できますように。手に取る硝子片、それだけできらきらしているんだって、その位の人としての心はこぼさないように。

殺して花束を

物凄く嫌な思いをして、こんな誰も見ない雑記でさえ、詳細を書きたくない位。何日も、今もその悪罵や汚い言葉が俺の身体から消えない。今日、色々と思い出して何度も涙がこぼれていた。きっと、一生消えない。なんて、俺が単に泣き虫なだけ。

 俺みたいに、色々な物がなく、下衆な文学とかが好きな人種は、滓の様に溜まった汚泥を、浄化したり忘れられないまま生きるのだろう。そして、日々溜まる毒を消化できず、俺みたいなうちの誰かは、その汚泥の毒が回り、つまらない犯罪や狂気や自死に手を染めるのだろう。

 そんなの馬鹿らしいし、馬鹿だと思うんだけれどね。馬鹿だよでも哀しいな。薬やアルコールを飲んで寝るしかない。その余裕さえなくなったら、なんて怖いから考えない。

 一応東京でも収束の傾向にあるのは喜ばしいことだ。図書館や本屋や古本屋や美術館に行けない日々の虚しさ!!!

 色んな人が職や店を失ったり、見つけられなかったり。俺も人の心配をしているような、余裕がある人間ではないけれど、きちんとした理由もなく攻撃的になったり、他人を蹴落としたり騙したりするような人間にはならないように。そうおもえたら、まだましだ、でも、何もかも嫌になったらなっちゃうのかななんちゃって。

 中断していた小説をコンスタントに書き続けている。いつもの少年青年中年が苦しみ悲しみたまに微笑む厭な話。中でも胸糞悪いシーンを書くのは、自分でも本当にうんざりする。しかし、書かねばならないのだ。誰の為?俺の為? そんなの知らないし、どうでもいいけれども。

 雑記。

 

ネルヴァル『暁の女王と精霊の王の物語』読む。狂気から回復して、憧れの東方へと旅に出たネルヴァルの、芳醇な幻想恋愛譚。恋の駆け引きと言うよりも、神話、精霊、建築、自然、文化に関しての記述が多く、壮観。豊かなイマジネーションが作り上げた世界の中で、俺も旅行者気分だ。

何度も何時間も眠り続けた。色んなことから逃れたいと願うも、目が覚めたら夜になっているだけ。ほぼ、誰も読まない本を読み、ほぼ、誰にも読まれない小説を書く人生。げんなりする。しかし、俺を慰め豊かにしてくれるのもまた、本なのだ。愚か者の為の阿片窟。本当に嫌になるのに、読む本を探す

ユルスナールの『流れる水のように』再読。これに収録されている『無名の男』という作品がとても好きだ。教養に乏しい、しかし賢明で考えなしな男の、澄んだ瞳の野生。極めて自然な、自死のごとき幕引き。
彼女は本当に描写が的確で冷静で、詩情と知性も持ち合わせていて、まるで俺は城に招待される気分だ。

Chet Baker聞きながら、小声で歌う。
let get lost
i fall in love too easily
but not for me

簡単な英語だから、俺だって歌える。てか、歌うってすごく健康に良い。それに、色男の歌声も。
嘘でもほんとでも、恋も失恋も悲劇も甘く軽々しく密やかに、心にしまって、時折、一人見つめ返す。

ボルヘス『不死の人』再読。いつもの、夢、神話、固有名詞、物語が入り混じる、ボルヘスと共に歩む冒険短編集。引用や物語豊さと共に、物語の中に、決して永遠には到達しない、十全さに触れてはならない。という意志を感じる。なのに、それを求めてしまうのだ。完成された、かのような円環の夢を見る

『天空の秘宝 チベット密教美術展』の図版編と解説編の二冊セットのカタログを見る。俺の乏しい仏教の知識でも、解説は丁寧で、豊富だ。何より、迫力のある作品が並ぶ。俺には信仰が無いし、死んだら終わりと思っているが、信仰がある人が作り上げる作品は、奇妙で不可思議で、どこか、神々しいのだ。

内藤ルネの本を読み返していた。師である中原淳一に憧れ、自身も、その才能で可愛らしい絵で雑誌を飾った。美しさを大切にする人、そういう人の精神や作品を見ると、花々を見るように、心が豊かになる。
著者の人生は順風満帆ではない。でも、彼は負けずに歩み続けた。
かわいい、美しいはいつでも正義

シェイクスピア十二夜』読む。互いに相手は死んだと思い込む双子。しかも妹は兄そっくりの男装をする。公爵の恋物語、人違いの喜劇。洒落た台詞やテンポの良い展開で、凄く面白かった。舞台で見たいな、なんて珍しいことを思った。でも、舞台は気軽には見られないんだよなー

tortoiseのファーストアルバム、繰り返し聞いてる。外国人のアルバムなら一番!レベルで大好き過ぎる。
穏やかでありながらもロック。何よりも、少ない音でこんなにも豊かな表現ができるのかという驚き、心地良さ。高校の頃から、何年経ってもずっと大好き。

夜になって、澱んだ気分で外に出て、フジファブリックのパッション・フルーツを聞いたら、とたんにフワフワで最高。志村がいないなんて信じられない、面識もない。でも、彼らは最高。数分間極楽

 家にいて様々なことが禁止されていて、それでかなりストレスや不安やらがたまっているが、本を読んだり文章を書く時間がとれるのはいいことだ、と無理やりいい方へ考えようとする。

 というか、本当に、素晴らしい小説を読んだり、俺の男が嫌な目にあう、誰かを埋葬する小説を「書く」というだけで、それだけで救われた気持ちになるのだ。それが、何にもならないとしても。

好きになってしまったから仕方がない

終わらない。東京に住んでいて、住宅街の近くなので、商店街がどの時間帯も人が多い。夜しか気軽に買い物できない。夜は薬局やお菓子屋とか百均がしまっているのがつらい。

 夜は夜で、散歩の楽しみはある。でも、さすがにそろそろきつくなってきた。寝て、読書。或いは腐るだけの日々。外に出て何かを吸収しなくっちゃ。新しい本を手にしなくっちゃ。通販は好きだけど、時間がかかるし、現物見たいんだ。本だな、本がたくさん並んでいるのを見たいんだ。

 とはいえ、色々再読して、改めてその本のことを知る機会を得られたのは、良いことだ。マイナスがあまりにも大きいけれど、そればかりに目を向けて体調を崩すよりかはまだ、読書の時間を。

 

雑記。

高峰秀子の対談集『いっぴきの虫』読む。相手が、東山魁夷松下幸之助森繁久彌市川崑……。だが、女優高峰は一歩引きながらも、相手と対峙して怯まない。
木村伊兵衛との対話の際、白をバックに写真を撮ったエピソードから、晩年の成瀬も同じことを言っていたなんて、高峰しか書けないなあ

マリヴォー『愛と偶然の戯れ』読む。初めて会う許婚者を密かに観察すべく、それぞれ召使いに扮した男女。召使いに扮した上流階級の人間も、その身代わりになった下男下女も、恋に落ちてしまう、喜劇。登場人物の喜怒哀楽が激しく、口が悪くテンポが良く楽しい。18世紀の作品なので、身分差が上手く機能

j・g・フレーザー『火の起源の神話』読む。世界の火の発生に関する物語が収められている。神様や動物からもらったり盗んだりする話もあるが、摩擦で火を起こす、雷が木に落ちて火事になり、そこで火を発見した。と、バラエティ豊か。火は、人類にとって必要だから、話が多いのか。俺はプロメテウス好き

白洲正子『花にもの思う春』再読。俺は和歌に明るくない。だけど、彼女の文章は、品と芯があり、心地良く読みやすい。

紀貫之の句

桜花散りぬる風のなごりには水なき空に波ぞ立ちける

現実にはあるはずもない大空の波立ちを、現に白く波立っているように詠んでいるからこそ美しいのです

ガンアクションをテーマにしたtrpgガンドッグ・リプレイ ストレイ・ドッグ』昔の国産だけど、アメリカのアクション映画みたいな雰囲気でワクワク。カーチェイス、銃撃戦、爆発する船から脱出! 主人公が元軍人バツ一ちょいヘタレ33才。珍しいし、好み!

辻惟雄『奇想の図譜』再読。彼の本は全部面白い。それは、奇妙なものに素直に感動し、解説もしてくれるから。若冲白隠北斎……といった有名所から、日本人の意匠に関する「あそび」「かざり」について語る楽しい一冊

歌物語『オーカッサンとニコレット』読む。韻文と散文が交差する、作者不明13世紀フランスの作品。王子と女奴隷の可憐な恋。旧字体と古めかしい訳だが、シンプルな筋だからわりと読みやすい。品がある。天国を拒否して恋人となら地獄でも、と言うのは、中世では大胆。若さと愛のロマンチックな作品。

sweet poolクリアした。世界観も、キャラも好み!基本皆病んでる中、某キャラのたくましさにぐっときた。ただ、ストーリーがかなり短い!あれ?もう終わり?あの設定は?
とか、もうちょい絡みが見たかったとか……
選択肢もあってないような感じ。
良作なだけに、そこだけは残念

ジャン・コクトー『おかしな家族』読む。文とデッサンの童話。俺はコクトーの小説も詩も映画も好きだけど、絵はイマイチ……と思っている。中身は、太陽と月は結婚して子供を作るが育児放棄。犬の先生は駄犬で解雇、星を教育係にして、はいよし!

って、こんな童話やだ!笑 皮肉はきいてるけどさ

マルコ・フェレーリ監督『ひきしお』パンフ読む。島で暮らす男と犬。そこに流れ着いた女。女は嫉妬から犬を殺し、女自身が犬になる。原始的な楽園生活。だけど、二人の楽園にも終わりが来る。二人とも所詮現代人なのだ。ドヌーヴや海の美しさと、甘い倦怠。楽園なんてないのだという切なさが残る

夜になったから、やっと外に出られる。今日届いたserphの別名義と tomgggの曲聴きながら暗闇歩くとめっちや楽しい。serphの別名義は電子フォークロアダンスフロア、って感じで、まじ上がる!tomgggは安定のお菓子の世界で癒される。夜と音楽は相性最高。でも、昼間も歩きながら聞きたいな

朝から廃墟のことを考えてた。人は何で廃墟に惹かれるのだろうか? 不在の光景の中に、生活感を見つけるから? 甘いディストピアへの憧れ? 

それはそうと、魔神転生2のジャケ、狂う位好き。ゲームや音楽も大好きだが、瓦礫と廃墟の中、逆光に照らされる悪魔使いなんて最高すぎる

ロウ・イエ監督『二重生活』見る。一人っ子政策があった頃の中国の話。不倫、暴力、殺人。泥沼。ただ、屑色男も子供には優しかったり、女性達もいじらしくも残酷だったり、複雑な心理を上手く描いてる。不鮮明で薄暗い画面や寄りも生々しくて良い。でも、ミヒャエル・ハネケみたく疲れる笑(褒め言葉)

ポーの短編集と廃墟写真家サイモン・マースデンの『ポーの黒夢城』読む。やっぱりポーの短編は面白いなー。廃墟写真も、雰囲気合っていて良い。ポーの怪奇小説の魅力は、危険と魅惑とを詩的表現で、破滅へと誘ってくれる所にあると思う。
禁じられた小旅行へいざ。

アポリネール詩集再読。口説き文句と皮肉。何より軽やかで、子供のような愛や鋭敏な哀愁を感じさせる。
若くして凶弾に倒れた彼は、何を思いこの詩を書いたのだろう

わびしい監視兵

ところで 僕の心臓よ
なんでそんなにときめくか
塹壕の中のわびしい監視兵
夜と死を見つめ続けるためですわ

 

バタイユ『空の青み』再読。猥雑と死が骨子。性に禁止もタブーもないのだという考え(現代人)の俺には、サド的な性描写の退屈さ(おぞましさなんて、あるのだろうか?)を感じるが、女性への淫売聖女オブセッションはその病が深いと言う点で興味深い。猥雑を求め浴びなければ生きられないなんて!

金子光晴『どくろ杯』再読。三十代の放蕩を七十代の自身で綴る。同じ所にとどまれず、無軌道なその日暮らし。結婚して子をもうけるが、その子を置いて、妻と金も保障もない中国への旅へ。遊人であっても、冷静な描写、自らをも刺す冷酷な眼差し。しぶとさと、豊かな詩情。名作。

 

 何もない日は、本を一、二冊読めているような気がする。幾ら本が好きとはいえ、やっぱ何か新しいことをしなきゃ駄目になる。書きかけの小説で手をつけてないものがあり、ずっと気になっているのだが、色々感じて、刺激を受けてから続きを書きたいんだ。でも、今は難しい。

 色んな人の悲しみや不安や無念、或いは罵声や怒りが流れて行っている。それ自体を否定することはできないけれど、俺は何がしたいって、きっと、好きな物を見て、触れて、感じて、表現したいんだ。そういうシンプルな感情。素直な感情に目を向けると、少しだけ心が落ち着く。

 元々過敏なのが、今回のことで悪化したり、意外としぶとい自分にきづいたり。今回のこととは別に、定期的に、あ、もう駄目なんじゃないか、という思いがよぎる。でも、悲しみも喜びもひきずるくせに長くは続かない、難儀な性格なのだ俺。

 自分ができることもしたいことも好きなことも、学生の頃から変わってなくて、俺の話を喜んで聞いてくれる人なんて、大学教授位しかいなかった。百年前、数十年前の詩と小説が一番好き。今の時代に、必要とされていないとしても。好きになってしまったから仕方がないのだ。

取り出せない硝子や水晶や屑宝石

誕生日を迎えた。いつもなら、少しだけお洒落をして、普段かいたくても買えない、とはいってもたかだか数千円の本とかを買うのが習慣になっていた。でも、今だと難しいかもしれない。店自体が閉まっているし。

 というより、もう俺はいい歳で、色々と摩耗してしまったというか、単純な話で、騙し騙しやっていくのも終わりにしたいなあという思いが頭をよぎる。希死念慮離人症が手をとってワルツ。

 でも、俺の人生を豊かにするのは俺しかできないことなのだ。当たり前の話。幾ら、これから先が終わりのない沼の中であっても。

 雑記。

夜になって、調子が戻ってきて、森本美由紀の画集二冊読む。高校の頃に買ってから、今でも大切な本。ピチカートやバルドーのDVDのジャケもこの人
過剰な装飾が好きな俺だけど、彼女のイラストで引き算の美学を知った

本屋で沢山本が並んだ中で、すっきりと目立つのが良い、


というような発言は、今も胸にある。

色々あると、ストレスマックスになる。そんな時は、獣になりきって思い切り唸り声をあげるのがよい。当然、すさまじい音がでるので、タオルを噛んでさらに布団で顔を覆う(それでも音出る注意)。頭を揺らしながら吠えると気持ちいい。
俺がヤバいのではなく、たしか
演劇の練習の本に書いてあったのだ

夜になったから、やっと外に出られる。日光浴びたいけど、仕方ない。

注文してた『世界の美しいハチドリ』が届いていた。読んだことあるのに、手に取って色とりどりのハチドリを見ると、心が解ける。
毎日、綺麗なものを見て、考えること。時には難しくても、それが豊かってことだと思う

ピエール・ルイス『ビリチスの歌』再読。ギリシャの詩人を想定した、艶めく愛と死。鈴木信太郎の名訳

キプリスの小鳥、鶺鴒よ、萌え出る妾たちの欲望に、合わせて歌を唄っておくれ、乙女の肉体は瑞々しく、地面のやうに花に覆われる。妾たちのあらゆる夢に 夜は近づき みなひそやかにそれを語らふ

 読書自体は、家にこもっているのだから、色々とできている。昔の本を再読して、色々忘れていたり、覚えている感動に再開したり。

 読書によって自分が数々の輝きを知らないことを、また、それらを見つけることができることを再確認するのだ。誇張ではなく、それが俺を生き延びさせてくれている。

 芸術に生かされている、なんて大層な話というよりも、ぴかぴかきらきらするんだ。錯覚できるんだ。自分の内に、沢山の硝子や水晶や屑宝石があるような、そんな気分になれるんだ。

 正直、いい年して変わらなぬ浮草生活も、社会や人との不和も、もう沢山だ。でも、俺の人生は続くから、豊かにしなければ。本を人を知ってしまったんだから。

 良い一年になりますように、ではなく、しなくっちゃ。元気なふりして片づけるか、満足して死ねますように。

日本人てのはマゾヒストなんですよ。生まれつきそうなんです

妙な気分が続いている。不調とやや不調をいったりきたり。でも、たまに元気。これから先のことを考えても仕方がない。ひとつ、良いことを上げるなら、読書がかなりできていることだ。

 俺は色んな物がないけれど、本は家に山ほどあるのだ。再読する本も、昔は分からなかった、感じ取れなかったことに気付けたり。自由に動けなかったり店が閉まったり、この先の生活のことを思うと低級地獄でしかないけれど、誰かの書いた書物は、いつでも輝かしいのだ。

雑記。

ふと魔が差して、アニメ版の、小説『ロミオの青い空』を読んで、分かっているのに例のシーンで号泣。アニメ版は小さい頃見たっきり、みたいけど見たくない。

グールドを聴きながら、ノヴァーリスの『夜の讃歌』読み返す。信仰の輝き、真夜中を神秘を礼讃する美しい詩句。長くなるので、可愛らしい部分の引用。

星の世界は溶けて
黄金の生命の酒と化し、
我らはそれを飲み味わい
明星となるでしょう。

気分がのらなくて、なにもできない日。夜になって、人気のない町を少し歩く。

ALI PROJECTの、メゾン ド ボンボニエール(砂糖菓子入れ)を小声で口ずさむと、気分はお菓子の国へ。夜って、歌って素敵だな。一瞬で別の世界に連れてってくれる

千の甘い仕合わせを
仕舞うための
わたしボンボニエール

イリーナの帽子、中国現代文学選集
を読む。箱の中に薄い六冊の冊子が入っていて、六人の作家のアンソロジー。収められている小説は、さらりと読めるのから、文化大革命や犬食の話題が出るものまで幅広い。試みは良いと思うが、値段2000円だと気軽には……って、本自体高くなってるからな

トルクァート・タッソ『愛神の戯れ 牧歌劇 アミンタ』読む。十六世紀のイタリアの詩人の描く牧歌劇。
神話って、その多くが強引で突飛で意味が分からないけれど、魅力的だ。この話も筋はシンプルだが、読み進めると、その詩的な美しさにはっとする。昔の人の方が、自然と神々をより愛していたのかな

ずっと、家からあまり出ない生活してると、身体がうずうずしてくる。虎になってガルガルしたいマジで。虎は毎日虎で羨ましい。俺なんて文字の奴隷だ。文なんて好きじゃないのに。好きじゃないのに明日も文字に触れるんだ腹立つガルガル。ガルしたいマジで。

山月記』の主人公は虎になれたなんて最高やんけ!人の心捨てても良いじゃん!また拾える確率もあるかもだし。人の心も大切だけど、人食い虎も大切。
てか、そこで友人が虎殺して、毛皮をはいで、それをまといながら暮らしたら胸キュンblじゃないかな。

エルヴェ・ギベール『召使と私』再読。ユーモラスで身勝手な愛。奇妙なsm小説。召使の台詞が面白い

召使いは日本人にしますね。だって日本人は我々よりも卑屈な性格をしていますから(略)ありとあらゆる仕方で虐待して愉しんでやるんです。日本人てのはマゾヒストなんですよ。生まれつきそうなんです

ヴァチカン美術館のカタログ読む。
楽奏天使 は、とてもロマンチックですき

黒像式オルペ なる陶器は、獅子からスフィンクスまで描かれていて欲しい。

どの神話上の人物か、判別出来ないほど、破損が大きいトルソー。その欠損が魅惑的

真の十字架の聖遺物筺用ケース、って名前ヤバい。欲しい

ほぼ毎日、朝から晩まで、気分と体調はぐらぐら。だけど、夜中は安定していることが多い。理由は分からないけど、夜は落ちつく。

ロバート・メープルソープの写真集ぱらぱらとめくる。彼の写真は好きなのが多いけど、このパティ・スミスの写真(ファーストアルバムの)良すぎる!恋人だから、撮れたのかも、なんて。

箱の中の干菓子は梅雨の気配

画像1

 

少しのお菓子で、気分が華やぐ。きれいなもの、かわいいものはいつでも俺に優しい。

トリュフォーの『日曜日が待ち遠しい!』のパンフ読む。山田宏一も寄稿。俺は彼の映画への愛情と敬意のある文が大好きだ。きっと、トリュフォーもそう。
「映画を撮ることは、私にとって、少年時代の数々の夢を実現することです」と語る彼。小学校もきちんと出ていない不良少年の夢を、俺も見てるんだ

ジュネ原作ファスビンダー監督『ケレル』の小冊子を読む。様々な人が寄稿しているが、響かない物ばかり。サルトルバタイユの文だってそうだ。俺は、ジュネを偏愛しているから、何もかもが気に入らないのだ。ジュネについて、犯罪者として男色家として語らないなら、何を語ればいいのだろう。

 俺はジュネについて書かれるほとんどの批評が気に入らないんだ。それは、詩を無理に解剖するような無粋を感じる。彼は男と犯罪と裏切りが好き。その上、夢のように、詩的言語で描くんだ。それで十分だ。迷って酔って賛美の声を上げるだけで十分だ。

 泉鏡花『外科室・海城発電』読む。外科室という短編の、手術の様子が凄まじ(一目ぼれした医者と患者。麻酔なし手術!という狂気)

唯見れば雪の寒紅梅、血汐は胸よりつと流れて、さと白衣を染むるとともに、夫人の顔は旧の如く、いと蒼白くなりけるが、果せるかな自若として、足の指をも動かさざりき

殺しの凄まじさは、マルグリット・ユルスナール『東方奇譚』の描写を想起する。才ある老画家を憎む王の台詞

「死刑囚の血は汝の画布に描かれた柘榴ほど紅くないし、農村では虫が稲田を感嘆する妨げとなる。生身の女の躰は、肉屋の鉤につるされた屍肉のように、余に嫌悪をもよおさせる」

また、献身的な弟子が処刑されるのを眺める老画家。絶望しながらも、血の染みは美しい!

「兵士の一人が刀を振り上げ、玲(弟子)の首が切られた花のように胴を離れた。下役人どもが屍を運び去った後で、汪佛(絵師)は絶望しながらも、弟子の血が緑の石畳につけた美しい真紅のしみを感嘆して眺めた」

ボルヘスの『砂の本』再読。訳者あとがきにもあるが、エッセーや短編小説がわかちがたく、それがまた、魅力的である。彼の主要なテーマ。夢と夢のような話と本の話。表題作は、砂の本という、終わりがない、無限の本を手に入れてしまった男の苦しみ。ふと、バベルの図書館を想起する

 本は、他にも読んでいて、自分が読書家と錯覚しそうだ。だが、様々な美しい言葉を、文章を目にすると、そろそろ俺も何か書きたくなってくる。少し前に一作書き終えて、それっきり。

 暇つぶしのファンタジー小説はかいているが、それは思い付きを並べているだけで、小説とは言えないだろう。でも、気楽に書けて楽しい。書くのって楽しいな。ただ、俺が本当に書きたい、書いているのは、時代遅れの純文学、読みにくいなにか(自分ではそうは思っていないけれど)、なのだけれども。

 ほんと、どうでもいいのだが、数年ぶり!に漫画のキャラを書いた。一回も書いたことないし、ボールペン一発書き。出来上がって、ちょっとして、ああ、微妙だな、下手だなあ……って分かる。なのにさ、楽しかったんだ、すけべ過ぎるマタギ

画像2

 高校の頃は、漫画家になりたかった。すぐにその夢は忘れたけど。でも、好きな画を描くのって楽しいな。俺はすぐ上手い下手にこだわるけれど、楽しいな。無心ですけべなマタギを書いてた笑

 球体関節人形教室や甲秀樹の絵画教室に通いたいな、ってたまに頭によぎる。でも、金銭的に絶対に無理なんだ。今、生きるので精いっぱい。それを考えると情けなくなる。

 ずっと読まれない、読みにくい、人が苦しむ小説を書き続けている俺。苦行かな? でも、それが割と好きなんだ。でも、他にも楽しみを。どんな状況でも、楽しみを探して。

いつもどおり、狂気で正常

日に日に事態は悪化しているようだ。俺もこの先の生活、マジでシャレにならないぞって思っているし、俺以外の人達だってそうだと思う。

ただ、毎日ネットで流れてくる、人々の悪意、不満、不安。それらは仕方がないことだけれど、俺みたいな過剰反応する人間は、少し冷静になって距離をとるべきだ。勿論、適切な生活は良いことだが、一人で不安に依存したり、「過剰に」攻撃的になるのはよくない。

 今は我慢して、待つしかない。少し、自分に優しく。できたら、見知らぬ誰かに対しても。

 どうでもいい雑記。

朝、ジェーン・バーキンの本を読むと、元気をもらえる。自分に自信がなくて、シンプルで、とびきりチャーミングで、愛を求め、与える女性。セルジュの創ったyesterday yes a day は本当に好きな曲。

ゲンスブールまたは出口なしの愛』はとてもいい本。小西康陽が絶賛していて、高校の頃買った。

パズルゲームを新しくやる。
今度のは、猫の家を修復する系。
テーブルを作ってやると、パートナーの猫に

⚪⚪(本名)も、友だちを連れてきていいよ。あっ、⚪⚪に友達いたっけ……変なこと聞いてごめんね

と煽られる。キモオタの名言『こんな思いをするなら花や草に生まれたかった』が浮かび死亡

昔、GBAロックマンエグゼで、最初に「苦手科目」に冗談で「人間」と入力、パートナーのロックマンに、

⚪⚪(本名)君今日は人間を頑張ろう

⚪⚪君、インターネットもいいけど
人間もね。

今日は人間をちゃんとやったかな?

と大好きなプログラムに煽られ続け、自分が人間か自信がなくなって中断。

金平糖の入った硝子瓶を揺らしていたら、ふと、男の子二人の姿が浮かび言うんだ『星くずがお喋りしてる。聞こえる?』

好きな本や映画を見ていると、よく、こんな風に別の物語の場面が浮かぶ。

俺はそういう欠片を集めて編集して、物語を作っている気がする。表現者は他人になれる、幸福を知ってる

今更、映画の、劇場版シティーハンターを見る。ベタでコミカルだけど、シリアスなシーンではクールに決める。小さい頃見たワクワクそのままの、とても良い映画だった。数々の名曲を丁度良いシーンで流すのはずるいなー。マジぐっとくる。サントラ欲しくなっちゃう。って、曲は持ってるけどね。

めちゃハマったグンマーファンタジーの作者のスマホゲー、
dream stairs
こっちもハマった。一人用クトゥルフTRPG。昔のゲームのような、シビアな難易度の死にゲーだけど、引き継ぎ要素があるから親切。シレンみたく、あ!死んだ!くそ!またプレイしてやる!のループ。san値削られる幸福

映画『永遠に僕のもの』見る。実際にあった事件がモデル。美少年による大量殺人、犯罪映画。でも、見たらマイルドな青春映画だった。主演の男の子の可愛らしさが良い。あと、相棒の台詞

世界は泥棒と芸術家のものだ

というのが十代の傲慢さが出ていて青臭く良い。可愛い男の子みたい人向け映画かも。

スマホゲーは悪。俺は一日中悪魔を殺すことばかり考えてる。スマホゲー制作者はサタンの手先。俺は更生するため、神父様の本を読んだりエロ同人を買ったり、善行を積むことによって、転生して来世はリサとガスパールになりたい。

リサとガスパールの絵本は夫婦で作画を分けて共同作業。素敵ですね。

ボルヘスの『伝奇集』再読。バベルの図書館という短編がとても好きだ。幻想の中の、円環を成す無限の図書館。 以下引用。

 

 

永遠の旅人がそこを横切ったとすると、彼は数世紀後に、同じ書物が同じ無秩序さで繰り返し現れることを確認する(中略)この粋な希望のおかげで、私の孤独も華やぐのである

 

ミュッセの『二人の愛人』読む。年上の愛人のあいだを行ったり来たりするロマンチストで幼稚な若者。彼らを、過剰で芳醇な語り口で描く。どこか皮肉めいた、悲喜劇的な眼差しがいい。ミュッセは『戯れに恋はすまじ』といい、題名が素晴らしい!

ふと、友人と剥製屋に行ったことを思い出す。店中には、動物の死体だったもの達が行儀よく並んでいる。独特の獣臭さと薬品臭が酷く、五分もいられなかった。でも、剥製屋って、奇妙で面白い。また行きたいが、俺はその友人と絶縁して、店の場所も分からない。俺に残されたのは薬品と獣臭の記憶だけ。

シャルル・バルバラ『蝶を飼う男』ボードレールの友人でポーに傾倒。陰惨で無常でユーモラスで詩的な美しさ。最高。凄く好みだ。

不遇の演奏家の、幻想の中の賛美は
「花の驟雨の下で気を失いそうだった」

蛙の描写は、「お腹はミルクのように白く、そして、緑色の背中、いや全く、あの薄青緑色で眼にとても優しい、新芽のあの柔らかい緑色の背中をしていた」

訳者の亀谷氏の丁寧な解説で理解が深まる。

ネタバレになるから読み飛ばして欲しいのだが、『ロマンゾフ』は単なる義賊ではなく、死罪を覚悟して贋金づくりに手を染め、理想社会を作り上げようと志していたのでは という指摘はなるほどと思った。

 

 

ネタバレおわり。

ただ、この作者の本、日本では二冊しか手に入らないらしい。いや、「読めた」ことに感謝だ。ほんとに。

 ほんとに、色んな人々、幅広い意味の、表現者の人々のおかげで、救われている。自分の将来が暗くても、誰かに感謝できるなら、感動できるなら、いつもどおり、狂気で正常。

飴細工の馬車に乗って

どんどん状況は悪化している。とても気が滅入る。それは俺だけではないけれど。みんな不満がたまっているのを感じる。ささいなことで、ストレスがたまることがしばしば。理不尽さに耐えられる気持ちの余裕がない。

 外に出て仕事を探したり遊んだりできない日々が続くのが、終わりが見えないのが辛い。

 元々メンタルが弱い上、就業が難しく、外出で気晴らしもできない。症状が悪化したり、なんとか気分を良くしようと、読書や映画に視線を向けたり。でも、やっぱりふらふら外を歩きたいな。別に買い物なんてしなくてもいい。音楽を聞きながら街を歩くのが、俺は大好きなんだ。

 いつものどうでもいい雑記を。

家でバッハばっか聞いてないで、外歩いて、イヤホンでbaker brothers の cance and fly 聞いたら、ソウルフルな声と演奏で元気貰える。単純な俺。次はアルファベット順でBauhaus のsanity assassin流れる。こっちもパワー出るけど、方向性逆だな笑

メガテンソシャゲ、惰性で続けていて、俺にとって、何が足りないのか考えてみた。それはメンバー同士で思想の違いからの殺し合いしてないからだ! メガテン必須イベントじゃんかー仲良かった仲間との殺し合い。超燃えるのに。でも、ソシャゲでその展開は無理だよな。悲しい。女神転生5早く出てくれ!

リルケの詩集を読み返していて、ロマンチックメランコリックな一群の輝きは、今の俺の気分に合っていて気が休まる。引用したいけど、文字数オーバーになるからな。

去年、日本橋高島屋で行われていた展示をまとめた本『資生堂のスタイル展』の本を読む。化粧品には無縁の男だが、花椿の冊子や山口小夜子を起用したポスターや山名文夫のデザインはエレガントで好きだ。会場では一部撮影可能だった
硝子瓶の化粧品って、すごくかわいいな。

エルヴェ・ギベール『犬たち』再読。エロティックと言うよりも、ポルノ小説で、説明不足だったり過剰だったり。でも、わりとこの小説が好きだ。犬、かしづく者、服従する者の姿がシステマティックに描かれていて、そのイマージュの中で読者である俺も子犬のワルツのように楽しむのだ。

フェデリコ・ゼーリ『わたしの好きなクリスマスの絵』読む。聖夜にひらく小さな宝石箱 という文書が寄せられていて、可愛らしい。
美術史家が知識と信仰の眼差しで、暖かく絵画を紹介している。幸福な絵画たち。50ページと少しの、素敵な小品。

トリュフォーの『大人は判ってくれない・あこがれ』を見る。高校の時に見てから、トリュフォーの中でも一番好きな映画。とても好きな映画について語るのは難しい。様々なものが好きで、しかしどこか冷静なのだ。自分の一部分に、呼応しているんだ。『あこがれ』は、甘酸っぱくて、身勝手で、輝かしい

アポリネールの『若きドン・ジュアンの手柄ばなし』読む。題名通りの、エロティックな小説。若い、貞操観念が無い少年が性を知り、好奇心と欲望のままに貪っていく様を描く。性交描写の頻出があっても、そこまで退屈しないのは、主人公の獣のような爽やかさと、詩人の筆致によるものだろうか。

『もしも?の図鑑 ドラゴンの飼い方』を読む。ドラゴンだけではなく、世界中の有名な幻獣、妖怪、モンスター等が紹介されている。幻想の生き物を実際に飼うとしたら何に注意したらいいだろう。それに対して具体例や豊富な図版で案内してくれる。想像力を刺激される楽しい一冊。

めちゃめちゃ懐かしくって、『ちびくろさんぼ』も注文してた。コミカルでちょっぴりスリリングで、大好きだった。つーか、虎かわいい。あと、虎がクルクル回ってバターになるって発想!すごいな!俺も見習いたい。とりあえず、虎かエシレのバター欲しいが、今世では無理かなー(来世などない)

デレク・ジャーマン監督『カラヴァッジオ』をまた見る。皆大好き、官能暴力男色悪徳たくさん。それとは対照的な、夜空を見る幼子に老婆が
「星は貧しい者のダイヤだよ」
と告げたり、病床のカラヴァッジオを献身的に介護する青年も美しい。絵画を意識したおさまりの良い構図も好き。大好きな映画

掃除したてたら、マイリトルポニーのレインボーダッシュ発見。アニメ見たことないし全然知らないのに可愛いから買った。

以前、ユニコーンやペガサス系を求めて中野ブロードウェイへ行くと、妙にリアルなサイケデリック馬が沢山いた。リアル系極彩色馬。アメリカのかわいい……わかるようなわからないような……カワイイの感覚は国によって違うからなー

最近少しだけ痩せた気がする。大学生の頃、身長190近くでガリガリで陰気な俺は、知らない人にエヴァンゲリオンとかナウシカ巨神兵とか影で言われていた。腑に落ちない。でも今はやっぱりエヴァになりたい!ゲンドウに褒められたい!そして、タイトなジーンズに闘うバディをねじ込みたい。

溝口健二原作『大阪物語』見る。極貧で夜逃げをした一家が、後に大阪で財を成すが……若い市川雷蔵かわいい。中村鴈治郎の浅ましい俗物守銭奴の演技が良い。ただ、監督は別なので、溝口映画だと思ってみると、緊張感に欠ける構図や間延びを感じる。その分、分かりやすく、悪い映画ではないのだけれど。

安物の天使を割った。だが、この姿もまた、良いものだ。人は、俺は、しばしば好きなモノの欠点や欠損を愛するから。

カミュの『異邦人』のムルソーの台詞

もちろん、私は深くママンを愛していたが、しかし、それは何も意味していない。健康な人は誰でも、多少とも、愛する人の死を期待するものだ。

 

 一応、おれなりに前向きにしようとしているのだけれど、毎日のニュースやら自分の置かれた状況、それを改善できないのがとても辛い。楽しむよりも、耐えることばかりみたいに感じてしまう。

 だが、状況がどうなるにせよ、生命があるうちは、それが豊かであればいいなと思う。マイナス思考や気が滅入るのもうんざりするのも仕方がない。でも、その後で、どうにか這い上がらなければと思う。

 俺は色々とよろしくない。でも、きらきらしたもの、沢山知っているのだ。嫌なことに意識を向けるのは悪い癖。飴細工のような、脆い夢の世界に逃げ出せるように、努力を。