処方箋はいつも酷薄

年に数回、身体に無数の水晶が生えてきたような、水晶に刺されたような錯覚をすることがある。我が身が微弱な光を帯びるような、身体中の痛みが囁くような法悦に数秒間包まれる。
俺の次の仕事は、聖痕職人がいいなあ。刺しまくる。アカシックレコードに聖人を追記しまくる。

メンタルがヤバイ時に新たなトラブルがあって、病院へ。自分の状況を誰かに話すと、我ながらヤバいなあと思う。先生にとにかく休むこと、と強く言われた。そうかもしれないと思った。お金がなくなるのと、頭がおかしくなるのが恐い。不安に依存している。休まなきゃなと思う

お金がないのに、仕事をすぐに辞めてしまう。小説の締め切りも近い。頭が、バグっていたけれど、頑張らなければと思いつつできなかった。この先が不安で苦痛でたまらない。砂漠で一人マラソン。幻覚が、砂漠に咲く花があるんだって自分を騙すのにも限界がある。

 でも、小説を書く位しか能力が無い。それが、自分の為の物でお金になる代物ではないとしても、書くしかない。どうにかでっち上げられたなら、きっと、少しは俺は素直に生きていられるような気がするから。

 

ちょっとしたことで数時間寝てしまい、変な時間に起きてしまうのがつらい。いろんな『貯め』がないのに、浪費している感覚。機械の身体になりたい。機械の身体になって、水晶の龍と代々木公園でひなたぼっこしたい。

 時間が足りないのに、薬のせいで過眠がつらい。毎日十時間以上寝ている気がする。本もろくに読んでいない。でも、色々飲んでいるから、明らかに精神状態は安定している。ちょっとしたことでパニックになっていたけれど、まだましになっている。その代わりなのか、無駄遣いが増えている。一度に数千円、位だけど、金が無いのにそういう出費が何度も重なるとシャレにならない。

 働かねばならない。でも、今は小説をある程度形にしなければ。やるしかない。やれなかったら、もう、駄目になる。

 

 

どうでもいい雑記、備忘録等

 

『誰も知らないラファエッロ』読む。同時代の巨匠、ミケランジェロダヴィンチとは別の魅力を持つラファエッロの人生と作品を丁寧に解説。性格が良く女好きだった、らしく、収められているエロティックな画は初めで見た。しかし彼の画は調和と品がある。堀江敏幸の短いエッセイも上品で良い。

映画『彼の見つめる先に』見る。主人公の高校男子は目が見えない。嫌なことはあるけれど、両親や幼なじみの女の子はとても優しい。そんな彼は、魅力的な転校生の男の子と出会う。思春期特有の戸惑いやぎこちなさがありながらも、シンプルな構成の優しい映画だった。転校生がベルセバの曲を教えるの好き

鈴木清順監督『夢二』また見る。室生犀星が、夢二の絵なんてあれは春画みたいな物ではないかと言っていて、俺も大体そうだと思う。この映画の主演の沢田研二の屑色男ッぷりがまらなく良い。彼が歌っていた歌謡曲の世界と地続きのようだ。魅力的な女性も出るが、俺にとっては沢田研二やんちゃ映画

ゴッホの花の画好きすぎる。花も花の画も大好きだ。ルドゥーテの薔薇のような、技巧の生み出す美も素晴らしいと思うが、ゴッホの描く花のみずみずしさや、しおれた感じが本当に好き。生きた、自然の花や安物の花をばっと集めて描き出したような感じがする。

森山大道の1990年写真集『サン・ルゥへの手紙』見る。新宿、的ないかがわしさや猥雑な雰囲気というよりも、寂れた、枯れた街の景色が映し出されているように感じられた。街の、世界の中で剥がれて、老いていくいく物たちを、彼はめざとくとらえるのだ。

写真集で好きな写真を選ぶと、大抵植物、動物、マネキン、複雑な形の街の看板や街灯。というのが多い。人の写真も好きだけど、なんとなく臆してしまう。大好きなアジェの写真も、人のはまあまあ。でも、人を写す写真家で好きなのも多い。人が撮れる写真家は、人が恐くないのかな、好奇心が勝るのかな

ドキュメンタリー映画『アニマル・ベイビーズ動物園で生まれた赤ちゃん』見る。動物の赤ちゃんかわいい。お母さん虎と信頼関係がある飼育員が、子どもを産んだばかりの母虎を撫でたり、赤ちゃんを撫でたりしていたのに驚いた。一応長い棒は持ってるけど。動物が仲良くしてるのを見るの好き。

何も出来ずに時間と金を食い潰す。でも、今日は少し文章が書けた。乱雑な部屋にある、バーン=ジョーンズの『フラジオレットを吹く天使』を見ていたおかげだ。フラジオレットは、鳥のさえずりのような可愛らしい高音が出る楽器。大抵生活が駄目になっているが、たまに天使や小鳥のことを考えるのだ。

森茉莉 贅沢貧乏暮らし』また読む。彼女のエッセイと食事の再現が載った楽しい一冊。お櫃に入った筍ご飯、バタを溶かして作るオムレツ、買ったらあるだけ食べてしまうチョコレート。幸福な記憶と結びつく、日常の、しかし彼女の感性で彩られた食事。おもちゃやお菓子を眺めるような幸福がある。

幼稚園児の色、と言うのは、自分の中では空色と桃色のことで、そういえばダンボの配色がそうだった。小さい頃に見たダンボの映画は、恐かった。今見ても恐いかもしれない。サーカスは華やかで、何だか分からないが恐ろしい。きっとそれが魅力的だなあと思う。

ホンマタカシ『東京の子供』また読む。カメラの前の子供たちは、自由だ。不機嫌そうだったり、甘えてみたり、ぼんやりしていたり、不思議そうにしていたり。自然な子供たちの表情だが、彩度が高くて安定した画面に収まると、作為的なファッションカタログのような魅力も合わせもつ。子供はいつも不思議

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夜まで、吐き気睡眠時々読書。嫌になる日いつもの日。だけど、夜に少し文が書けた。それだけで借金の利子を払ったような安堵感が生まれる。単純な俺。グールドのリトルバッハブックを流していた。グールドの中でも一番聞きやすいアルバムかもしれない。優しくて丁寧で熱っぽい

20g400円という、ちょっと高い値段だったが、love cocoaアールグレイチョコレート買う。パッケージが控え目で品がある感じ。封を開けると紅茶の香り。口に入れると、茶葉を口に含んだような芳香と、ミルクチョコレートの甘さを感じる。しっかりした味があるのに、後味すっきり。とても美味しい

加藤泰監督『みな殺しの霊歌』見る。時効を迎えようとしている殺人犯の男。彼は五人のマダム達を次々に殺す。彼女たちは、男と顔見知りの、純朴な青年を集団レイプしていたのだ。モノクロ、ローアングル、クローズアップの画面は艶めかしくも居心地が悪く、迫力がある→

少し説明不足だったり演出過剰な感があるのだが、主演の佐藤允、いかつい顔の男前が、メロドラマな脚本の台詞を口にする。滑稽で痛ましく素晴らしい。連続殺人事件の不明瞭さや理不尽さを上手く表現しているかのようだ。曲者で自己中心的なマダム達に対して、倍賞千恵子の白百合のような美しさが光る。

大島渚監督『太陽の墓場』見る。戦後大阪あいりん地区が舞台。貧困、売血、犯罪。薄汚れて汗がにじむ男女。ルンペン集め、なんて単語初めて聞いた。泥臭い貧民の生き様と簡単にまとめられない、不快感や力強さがある。うんざりするような映像の魅力がある。

小倉遊亀『卓上の風景』読む。果実や花々の静物画が収められている一冊。画家の性格の良さが画に表れているような、穏やかで柔らかい筆致。見ている方も、どこかを飾る植物を目にしたように心が和む。

以前ギャラリーで数万円から数百万まで、有名作品が投げ売りされていた。企業の受付にあってもおかしくない小倉遊亀静物画と、自室に飾っていてもおぞましいベルメールのグロテスクなエッチングがどちらも七万前後だった。両極端な作品に似た値段がついているのを見ると、不思議な気持ちになった。

雨のあと

永井荷風の小説の題名『つゆのあとさき』を思い出す。うまい題名だと思う。『ひかげのはな』とかも好きな題名だが、彼は小説の題名をつけるのが苦手だと目にした気がする。

ドキュメンタリー映画葛西臨海水族園の世界』見る。題名そのままの内容で、それがとても良かった。奇をてらわずに対象を見せて解説が入るから、とても分かりやすいしのんびり見られる。アップで動きを見られるのは、映像の長所だ。小学校の教材にも良さそう。

鈴木清順監督『河内カルメン』見る。多くの男と関係を持ちながら、逞しく成長し、生きる女性の姿を描く。生々しく、主人公が辛い立場に置かれる展開が見られる。しかし、モノクロなのに鮮やかな画面。清順なのにとても分かりやすい話。主役の野川由美子の美しさとお人好しで強い生き様が大きな魅力。

『世界で一番美しいタトゥー図鑑』見る。世界で活躍する44人の作品を紹介。題名に負けないクオリティの高い作品たち。美術、カルチャーへの傾倒から生み出される作品。彼らは何故カンバスではなく、皮膚を選んだのか。彼らの美意識や生活、フェティッシュを思う。新しいタトゥーを彫ってもらいたいな

『かわいい印象派』読む。日本で印象派が人気なのは、美術の知識なしに見たら分かるからと思っていたが、かわいいからっていうのも大きなポイントか。また、しばしば印象派の画家は日本画から影響を受けている。シンプルな構図構成で主題を目立たせるのだ。人々への暖かい眼差しや光は、輝かしく結実

『地獄絵』よむ。冒頭の武田泰淳の言葉

あたり一面、地獄がみちみちていたから、地球上どこへ行っても宗教の無い場所はなかった。地獄からの救い。それを求める人間が、宗教を生み出した。これを言いかえれば、地獄をふりすててしまえば、この世に宗教は存在できなくなる予感がする『私の中の地獄』

海野弘監修『オリエンタル・ファンタジー』また読む。アラビアンナイトルバイヤート等、西洋の人々が持つ異国への憧れ。様々な解釈。子供向けから官能的な物まで。俺は制作者のしらない国々への憧れ、という物が好きだからとても楽しく読めた。鮮やかで豊かな夢の世界が作られている。

川端康成ノーベル賞受賞記念講演の文章『美しい日本の私』また読む。多くの引用は、彼の文学と美意識を表す。雪月花の頃友を思う、仏界入り易し魔界入り難し、 けれども自然の美しいのは、僕の末期の眼に映るから、活ける花は一輪の蕾に露を含ませる等々。ニヒリズムではなく、見つめる虚無。

横浜 そごう ミレー・印象派展見る。おっさんになってから、印象派の絵画を素直に見られるようになった。このチケットにもなっている作品は、実物はとても良かった。躍動感がある。他には貧しい人に施しをする母子の画の服の赤と青。温もりが表現されていて美しかった。

 ミレーの画は特に感動した記憶はなかったのだが、チケットにもなっている作品の実物は農民の労働の時間のような空気感と神々しさがあった。赤い肌と服の青がとても良かった。同様に女の子がほどこしをあたえる図の画でも赤と青が効果的に使われていた。

慈愛 という作品名で、左端の戸口に物乞い、中央には赤い上着の母親が、青いローブの娘に施しの為のパンを与えるというような構図だ。その題名のような、キリスト教にも通じる他者愛、ぬくもりが表現されている神秘性と美しさがあった。

定期的に、美しい蝶の標本が欲しくなる。特にオーロラモルフォが欲しくなる。きらきらと光る青は魅惑的だ。ヤドクガエルも素敵だが、飼育は難しそうだから、蛙は作り物でもいい。たまに蝶の標本に囲まれた景色を夢想する。シャルル・バルバラ、或いはヘッセの小説を想起しつつ

『世界の美しい飛んでる鳥』読む。美しい鳥の姿はもちろんだが、飛んでいる=翼の形、羽の広げ方を見られるのがとても良い。大小様々な鳥が収められているので、絵をかくひとの参考にも良さそう。羽根を広げた鳥たちは、上等の扇のような華やかさだ。

金が無いので、日々金の心配をしている。なのに、高い服が好きだった。すぐに諦めたけど。
ジャコメッティの彫刻みたいな体つきだったのに、肉がついてきて、似合う服が変わった気がする。好きだった物が手に入らないのも、似合わなくなるのも悲しいけど、目を背け続けるのもかっこ悪い。

2019セリーヌの、エディ・スリマンのロックな洋服見かえしていて、あーこれが着たかったと思ったし、ヴィトンはかわいいから好きだなって思ってたけど、今見てもやっぱり品があってキュートで素敵だった。俺が目を背けていても、皆ずっと輝いているんだ。ちゃんとしなきゃなって、たまには思う。

裁かるるジャンヌ』が見たくなって、その映画を見て涙を流すアンナ・カリーナが出ている映画『女と男のいる舗道』また見る。女優を目指す女性が、娼婦になり、ヒモ男を養い、最後は誤射で死ぬ。酷い内容だが、カリーナが、ゴダールが見るカリーナがとても愛らしくって、最高だ。

財宝をため込むドラゴン、というのは昔のファンタジーの設定ではたまに見かけた気がする。とてもカッコイイ。欲深きドラゴン、良い。ドラゴンに宝石の餌をあげるような大人になりたい。

渋谷Bunkamuraで絵画セールしてた。リーウーファンの、ペイルブルーの雲のやうな作品『点』欲しい。150万だけど! 他には藤田嗣治の、猫を抱いた赤頭巾の少女 
が良かった。値段16万!安い! 安い? 死後に製作されて画家のサインではなく財団のハンコだかららしい。欲しいけど買えない

美術館や画廊で抽象画を見ると、すごく満たされたり、なんだこのらくがきはと思うことがある。単純な構成の作品に、感動したりどうでもいいと思える事を不思議だし幸福だと思う。一見誰でも作れるような物は、簡単には作れない。抽象画、値段がつく感動する、という不思議をダイレクトに感じるからか。

通勤電車で脳が死んでいて、悪魔城ドラキュラと沙羅曼陀のサントラ聞いて現実逃避していたら、ガンプラ作りたくなった。でも、俺が知っているガンダムは、小さい頃に夢中になったSDガンダムだけ。円卓の騎士?ナイトガンダム物語みたいなのが特に好きだった。20円でカードダスやりたすぎる

青山ブックセンター行く。色んな外国の雑誌が見られるので良い気分転換になる。VOGUEの表紙を飾った一冊、らしき物があり、手に取ると9000円位。棚に戻す。ティルマンスの写真集見て、少しだけほっとする。家にあるのに、中平卓真とマリオ・ジャコメッリ少しだけ見る。中平卓馬最高すぎる

中平卓馬の良さを考えると、色々浮かんでまとめられないのだが、素人写真のような親密さと写真家としての対象との距離感と抜群の構図、センスの良さが全部あるような気がする。良い作品は、どれかを持っている。でも、全部持ってるのは多分中平卓馬だけ。だから、俺にとって一番すごい写真家だ。

榮太郎の黒飴なめてラムレーズンどらやきも食べてもうおれ榮太郎になりたい。チームしゃちほこ聞いた後でポータブルロック聞くと野宮真希の声がとても若くかわいくしゃちほこカヴァーして欲しいと思った。それか、パリスマッチのミズノマリとデュエットして欲しい。二人の声とても良い良い良い

琳派の本を読んでいて、自分は派手なの大好きなのに、有名な作品以外はそこまで惹かれないのはなぜだろうと考える。全体を見ると琳派というのが尾形光琳とあまり関係なくなっているからだろうか。琳派の作品をよく見ていないからだろうか。

金子信久監修『かわいい江戸の絵画史』読む。日本絵画の中のかわいらしさにスポットを当てた一冊応挙、若冲、蘆雪、国芳らの絵などが収められている。当時の庶民、町人にも愛される分かりやすい、かわいい絵画。シンプル、デフォルメ、或いはリアルに対象の愛らしさを捉える。蘆雪の虎図襖、最高すぎる

海野弘監修『ヨーロッパの幻想美術 世紀末デカダンスファム・ファタール』読む。瞳に映らない世界をカンバスに再現する芸術家達の作品を、変身、両性具有、デカダンス、等様々な切り口で紹介。見応え抜群。中でも、アラステアの作品が本当に好きだし最高。異様な書き込みなのに空間性と退廃を感じる

 

観客のいない綱渡り芸人

色々悩んでいて、もう少し頑張ろうもう少し頑張ろうとしていたが、仕事を辞めた。突然やめる俺は悪いが、とても許せないことがたまっていて、さすがに限界だった。ふつう、の人なら我慢したり流したりできるんだろうけれど、駄目なんだ、俺。

だめなんだほんと

このいろいろとヤバイ年末年始、職探しは大変で、色々頑張っても手ごたえは無くて落ち込む。ずっと、仕事を探して金を探して心配をして、そんな日々。薬や他人で誤魔化して生きる人生。

 と、自己卑下してしまうのも何度目か。厭世観が、古びて似合いの外套の様に、俺の肌にぴたりと合うのだ。

 なのに、たまに前向きにもなる。数十分や数時間で気分が変わるのが我ながら恐ろしく、おそろしく疲れる。先のことなんて分からない。観客のいない綱渡り芸人をいつまで続ければいいのだろう。

 ずっと、きっとそうだ。だから、かっこつけられますように、美しいものを前にしてたじろぎませんように。マッチの火のような自分の幸福を、大切にできますように。

これからの生活が不安定で、色々うまく行ってなくて、気持ちがぐらぐらしまくっていた。でも、ハレルヤコーラスを聞いて、ちょっとだけ脳味噌デフラグ、クリーンアップ。自分の不幸や不安を願うより、他人や神様の幸福について考えられるような人間になりたいな

 

クリスマスには虚しい、哀しい思い出ばかりなのだが、街のクリスマスグッズや盛り上がりはかわいくて大好きだ。クリスマス(冬)の話も。幸福の王子、マッチ売りの少女、コオリオニ(漫画)。読んでいると、とても辛くて美しくて泣いてしまう。どんな人にもきっと、蠟燭の火のような幸福があるのかな

これらの作品がとても大好きなのは、愛(を求める)の物語だからだと思う。必死で愛を求めたり、探したり尽くしたり。それが哀しい結末であっても、登場人物達は、ツリーやステンドグラスや蠟燭の光のように、痛いくらいに輝いている。手に入らないとしても、彼らの美しさは本物だ。一時の幻でも、本物だ

漫画版の『銀河鉄道の夜』読む。宮沢賢治の話は、優しさの為に、多くの物をなげうってしまう。読んでいて思わず泣いてしまう。彼の他の本も読み返したいけど、今はそんな時期ではない気がする。彼の童話はきっと、明日を生きる力がある人が読む方が良い。俺は目の前の事を片付けながら動物の幻想を追う

ジャッキー・モリス『ソロモンの白いキツネ』読む。シアトルで暮らす12歳の少年ソル。幼くして母を亡くし、父は忙しい。学校では黒い髪と瞳でいじめられる。そんな彼は、波止場で白いキツネを発見して……
子供向けの児童書だと思うが、祖母、親や子どもの寂しさ悩みの歴史がきちんと語られている

キツネを北の自然に帰そうと車を走らせるのだが、父が息子に狐の名前を尋ねる。息子、ソルは「ぼくのキツネじゃないんだよ。飼いならされなり、しない野生の動物なんだから、名前はいらない。少なくとも、ぼくがつけるような名前じゃだめだ」と返し、父は母がつけたソロモンという名前は正しいというのだ

ルドンのカタログ『ルドン ひらかれた夢』読む。ルドンに向けられる神秘や幻想という形容を自分なりに定義してみると、それは人造だと思う。生々しさや力強さや恐怖というよりも、ルドンの画には新生物に出会ったような驚きがある。作り物の、物語、生命。誰かが出会った、めまいに出会える

ディック・ブルーナのデザイン』読む。彼の言葉「デザインはシンプルであることが一番大事。完璧であるだけではなく、できるだけシンプルを心がける。そうすれば見る人がいっぱい想像できるのです。これが私の哲学」あーマジでかっこいい。この本では初期の彼の手がけたデザインも沢山収録されて

いて、60年代ヌーヴェルバーグの映画のポスター(実際に60年代に制作された)みたいなのもあって、すごく好みだ。シンプルというスタイルが、見るものに豊かなイマジネーションを届けてくれる。御本人も、とってもキュートな人で素敵。

何気なく買った、シャーリーテンプル2012秋冬の載ってる雑誌読んだら、めっちゃかわいい。キュートで元気で上品な感じ。子供服って、成長してサイズ変わるし耐久性も求められるから、安いの買い換えるのが主流らしいのだが、その真逆の高くて良いものをって作り手の精神がいいなー。かわいい

気になってはいたけれど、読まずにいた『ポーの一族 春の夢』読む。あの頃、の世界をどうしても求めている自分を抑えながら読んでいて、自分の想像上の 身勝手なポーの一族 とは違っていたけれど、彷徨う彼ら、宿命と共に生きる姿はやはり美しかった。アランがいいとこなしなのが、個人的にはツボ

『魅惑のアンティックカメオ』読む。優れた技術の西洋絵画は、そこまで好みではない。だけど、なぜかカメオが大好きだ。もしかしたら、神話や偉人のモチーフだけを掘り出すことにより、受け手に空想の余地があるからだろうか。カメオにはアメシストやエメラルドのもあったが、やはり白いのが好き。

体調悪いのに漫画版の正岡子規『病床六尺』読む。原文は耐えられないと思ったが、漫画版も読みやすくてよい。病人、病気は全て異なるが、多分皆視野狭窄でエゴイズムに支配されて気分に振り回され、何より、辛いのだ。でも、何かが救いになる。その人にとっての創造、創作で人間性を取り戻すのだろうか

高峰秀子『台所のオーケストラ』また読む。大女優高峰の、お気軽レシピ集。優しい文章からは、彼女の食への好奇心と愛する夫への献身が伝わってくる。生活の基本は、美味しいものを食べること。というか、食べ物とか見るものの良さを感じ取ることって大事だな。俺は出来ていないけど、この本は優しい。

ルノワールの犬と猫 印象派の動物たち』読む。二十代の頃は、刺激的な作品が好きだったが、三十過ぎて、やっと印象派の良さが分かってきたかもしれない。人々の生活の豊かな表情と、動物の姿が重なる。飾らない姿、生き生きとした姿。見ていると親愛が伝わってくる

ヴァレリー詩集『コロナ(冠の意味)/コロニラ』読む。晩年のヴァレリーが最後の恋人に当てた手紙に同封された詩。紆余曲折あり、死後に一冊の本として出版された。文学的価値があるとはいえ、恋文を盗み見ているようなもので、俗っぽさもある。けれど、優美で流麗な文の流れにはっとする。問題作。

エロール・ル・カイン絵『1993年のクリスマス』読む。世界中にプレゼントを送るサンタさん。だけど最近はどうもやりにくい。駐車違反で取り調べ、本物のサンタか証明を求められる、麻薬密輸の疑いで足止め……ちょっとブラックなコメディ。子供向けではないかもしれないが、ル・カインの絵は素晴らしい

泉鏡花『月夜遊女』読む。漁師が鮟鱇を届けに行く途中で、中の肝を密かに抜いてしまおうとする。そして、中から出てきたのは妖しい美女で……泉鏡花のいつもの美女怪奇幻想物語なのだが、やはりその文章の美しさにうっとりする。似たような話でも、彼が書く文はいつも美しくてぎょっとしてしまうのだ

天野可淡『復活譚』写真 片岡佐吉 
読む。球体関節人形の中でも、彼女の作品が1番怖い。アンナ・カヴァンの小説を思わせるような、不安へのオブセッションを感じる。人形達は安定しない。小さな身体に閉じ込められた不安。それを見つめる時ふと、気持ちが楽になるのは、彼女たちに呼応しているからか

渋谷Bunkamuraギャラリー ベルナール・ビュフェ回顧展行く。正直、あんまり好みの画家ではないのだが、行って良かった! 細い線の画の記憶しか無いが、実際の彼の画は、年代で変化、進化していて、その歴史を見られるのが良かった。ポスターの画も、当たり前だが実物の方がずっと良かった

偉そうな言い方だが、画風がへんかしながら、後年になるにつれて、明らかに画が良くなっていくのを見られるのは楽しかった。回顧展の良いところ!特に、花という題の橙のキンセンカを描いた具象画が、彼のらしくはないが、生き生きとした花で良かった

銀座の鳩居堂で、来年の干支の土鈴を買う。前までは、店に入ると和紙の匂いがして、幸福だった。今はマスクのせいかよく分からない。
大した買い物はしてないけれど、いつ行っても、店員さんは丁寧な対応。あ、ここも手提げ無料だった。数円だけど、店の好感度上がるから皆すればいいのに

銀座エルメスで短編映画三本見る。移民や金銭的、精神的等不安定な人々の生き様、触れ合いが描かれている。そんな彼らの小さな嘘、幸福。
三本で一時間という短さで、ここで終わり?みたいな感想も浮かぶが、現実生活も都合の良いオチがつくわけではない。映画の登場人物達も、一時の触れ合いや幸福

の繰り返しで生活を送っているのだ。マッチ売りの少女のごとき、或いは綱渡り芸人のような生き様。辛さも幸福も、きっといなくなったりはしない。見つけられるように、手を伸ばせるように。誰もが持つ処世術を、投げ出さないように。

 

 

 

植田正治の写真集を何冊か読んでいた。砂丘シリーズ(?)は勿論素敵なのだが、ちびっ子達のなんだか不機嫌だったりニヤニヤしてたりぼーっとしていたり、子供の生き生きとした表情をとらえるのも上手いなあ。構図へのこだわりと共に、人、被写体への愛情と好奇心を感じる

初期の詩を中心としてまとめられた、『萩原朔太郎詩集』読む。初期の方が、ユーモラスであったり自然や動物の姿をみずみずしくとらえたものが多いようだ。それでいて、そこにも倦怠や死や腐敗や寄る辺なさが内包されている。彼の言葉は、ひんやりとして美しくて、ぞっとする。

萩原朔太郎 詩集・散文詩集『宿命』読む。後期に発表されたものをまとめられたらしいのだが、そのせいか、陰鬱退廃貧困怠惰が幾重にも重なり、彩る。情熱の自殺、或いは剥製の硝子玉の眼球のごとき、閃きと野生とを感じる。死と生命が詩人を鼓舞するのは、哀しい美しさのようだ。

ちひろアンデルセン』読む。ちひろの絵本は小さい頃から読んでいた。でも、大好きという訳ではなかった。アンデルセンも読んでいたが、彼の作品は好きだ。多分、哀しい結末が多いからか。ちひろの絵は、優しい。だから、マッチ売りの少女の絵を見て胸が締め付けられた。短い、暖かい夢を、俺も見る

海野弘解説『ポスター芸術の歴史』読む。ポスターは、人々にメッセージを伝えるように作られている。つまり、シンプルでインパクトがあった方が望ましいだろう。そんなポスターの中でも、イラストレーションとしても優れているポスターが多く収められている。はっと目を惹く作品が多く楽しい

カレル・チャペック1937年の戯曲『白い病』。戦争目前の世界で、謎の奇病が蔓延。死をもたらす疫病の特効薬を、町医者が作る。彼は戦争の放棄を条件に、万人に薬を与えたいと言うが……今だから、というわけではなく、とても読みやすく優れた作品。意見の違う誰かを悪者にして排除するのは、本当に愚か

『なんたってドーナツ 美味しくて不思議な41の話』早川茉莉編、読む。作家やエッセイスト達の、ドーナツについての短い話。久しぶりに植草甚一武田百合子の名前を見る。ドーナツって気軽なお菓子だけど、人によっては特別な物だったり家庭の味だったり。それぞれの記憶に触れるのは楽しい。

 あまり本を読めなかった。なにより、小説が書けていない。仕事もない金もない。とても焦るし、かなり最悪な状況かもしれない。一日の内に何度も何度も落ち込む。ぐっと、気を入れなおしてどうにか立て直そうとする。

 自殺のニュース、困っている人たちの話題が目に入る。彼らに優しくなんてできない。自分に余裕がなければ、人には優しくできない。でも、たまには誰かに優しくできますように。平気なふりをしていたら、たまにはそんな錯覚もできる時があるから。

 綱渡り芸人が、誇らしげに、誰もいない観客席に向かって微笑めますように。

手を離して

人生が、スカスカな気がする。それは、小説が書けていないから。イメージが浮遊していて、それを形にするのに難儀して、色々な言葉や文章をつくりかけて、あるべき形に立ち往生しているような。

 単純に、書きたい、という熱情が朧になっているような。

 やっぱな、二十代だと空元気でどうにかなっていたことも、三十代だと、ちょっときついな。騙し騙し誤魔化し誤魔化しの人生。俺が見たきらきらしたものは、経験は白昼夢のような錯覚か幻想のような気がしてくる。

 人が、作品が与えてくれたそれらは、ある時ふっと薄れ、霧散し、しかし俺の中に何かを残しているのだ。残された何かの幻を、偏執的に追い続けているのだ。

 形のない物を追い続けて、我が身と精神を苛み、おかしくなるのか。ずっと、寝ていたいけれどそんなことができるわけがない。ともかく、仕方がない。誰かや誰かの作品が欲しいんだ。

サントリー美術館 日本美術の裏の裏 見る。屏風絵、焼き物、蒔絵、等々。見応えのある、空間や余白を感じる日本の美術作品が集められている。全部写真オッケー!嬉しい!個人的に一番なのは、雪舟。写真では絶対に捉えられない繊細で調和した濃淡が本当に凄すぎる。

 たまたまだけれど、本で山下裕二が三十代で生で見て雪舟のすごさに気付いた、ということを言っていて、俺も全く同じ体験をしたのだ。何の気なしに、それなりに美術には詳しいと思っていたが、雪舟の「実物」をみてあまりの凄さにうちのめされた。こんな作品、他に誰が描けるんだって。主張も調和も全部ある。ケチをつけるところがない、という恐ろしさ。欲しいなあ。無理だけど。でも、欲しい位好きになれるって、いいことだ。手に入らないのにな。

 俺の人生、欲しいのはいっつも、手に入らないんだ。

器、陶磁器って不思議だな。俺は美術の作品はそこそこ見てきたので、自分の中の判断基準がなんとなくある。器についてのそれはだいぶぐらつく。なんとなく、高い安いは分かるが、好き嫌いが揺らぐ。じっと見ていると、別の景色が見える。美術なら、好き嫌いははっきりしてるのに。

 小説が手詰まりで、そのせいかめっちゃくちゃ陶芸したい。金の関係で絶対無理だけど。金のせいであきらめるって、ほんとださいな。でも、俺はどうにか生き延びて、本を読んで小説を書くのでせいいっぱいなんだ。

 とはいえ、何か作らなきゃ。作りたい。上手い下手出来不出来とかすぐ考えちゃう。そんなんじゃないのに。音が出るとか色が出る、それだけで楽しいんだって分かっているはずなのに。

 疲れていて、休みたいけれど休むのが怖くなってグダグダ。このダサイ負の連鎖止めなきゃな。

 雑記

高峰秀子のエッセイを集めた一冊、『高峰秀子の反骨』読む。単行本未収録のエッセイを集めたものらしいのだが、市川崑の『東京オリンピック』への不当な発言への怒りの文は読んだ記憶が。って、多分この本読んだんだ……というか、その文が特に素晴らしい。彼女の文章が好きなのは、誠実さと作り上げてきた強さが伝わるからだろうか。

十数年ぶりに、映画『アイドルを探せ』見る。盗んだダイヤを楽器店のギターに隠す。自首して取り返そうとしたら、五本のギターはスター歌手が買い取ってしまった!ドタバタコメディなのだが、久しぶりに見返したらえらく出来が良い!

敵役の口の悪い女の子は、キュートな悪女。主人公とそのパートナーは、最初は険悪なのに、気づけば恋に落ちている。おまけに実名でスターが登場して歌う!画面もセンスが良いしほんと素敵だ。シルヴィ・バルタンはもちろん、ラストのアズナブールの歌が染みる。

『ニッポンの奇天烈な絵画』読む。白隠若冲国芳、瀟白、山雪、芳年等々。有名どころが揃っており、見応えがある。教会により発展した西洋絵画のように、教化目的で描かれる残虐な九相図や地獄の鬼もいるが、民衆の俗根性を満たす残酷絵もまた恐ろしい。また、滑稽な絵やアニメに通じる表現もあり、

こういうのって、豊かって言えるような気がする。残虐さも滑稽もスタイリッシュもユーモラスも、楽しめたらなって思う。

ルノワール監督『フレンチ・カンカン』また見る。衣服の華やかさ、ロマンチックでほろ苦い人間模様、どこをとっても絵画のように美しい構図、素晴らしい音楽。この時代の品とユーモアがつまった美しい映画。エンターテイメントは人の心を豊かにする。

 元々素敵な映画だと思って再び見たんだけど、やっぱすごい。トラブルもロマンスも茶目っ気も、最後のシーンの圧倒的な映像と音楽の美しさで了解してしまう。圧倒される。

泉鏡花『海神別荘 他二篇』読む。豪華で幻想的で残酷な戯曲。身震いしてしまうようなうつくしさの骨子を作り上げているのは、鏡花の筆力と恐ろしい運命を受け入れる眼差しか。表題作はメロドラマの極北といった感があり、読み手は残酷と美の親和性に弄ばれる。

植田正治の没後、未整理のネガの束が発見された。その中から夫人の写真を中心としてまとめられた一冊『僕のアルバム』
二人は結婚式の日までお互いの顔も知らずにいた。
とのことで、数十年前の日本の習慣には驚いてしまうが、この写真を見れば、二人が幸せならいいじゃない、という気持ちになる。

萩原朔太郎作 金井田英津子画 『猫町』読む。薬物が見せる幻覚か、日常に潜む景色か、詩人の見る夢なのか。金井田のえがとても良い。彼女の文学に添えた画はどれも良いが、中でも一番かもって位好き。

 

 

 

アブー・ヌワース『アラブ飲酒詩選』読む。現世の最高の快楽は酒だとした、8,9世紀の詩人。平易でユーモラスな作風。
飲酒をとがめる人よ、いつ君は愚かになったのか?
礼拝と断食を形式主義として批判。世間の慣習から反抗した人は、老年真逆の詩を詠んだというが、はたして。

 

穴だらけな空疎な身体。楽しみなんて時折通り過ぎるだけで、常に何かをしていない、何かができていない、何かが駄目になるかもしれないって思っていて、気分が悪い。

 きつく握った、苛み、から手を離さなきゃな。不安に依存するのは愚かなことだって分かっているはずなのに。それがなれているから、心地いいんだ。でも、何か作りたいし、小説、書きたいんだ。

中年なんだ。毛皮か花園がなくっちゃ、生きられないよマジで

気分ぐらぐら。数十分先のことが、自分の精神がどうなってるのか分からない。取り繕うのとやっつけ仕事はそれなりに得意だけれど、いつ駄目になるんだろうって思いながらの労働は、とても不安定できつい。でも、足を踏み外したら、足の裏に生えている綱から飛び降りたら、楽だけれど、もう、立ち直れないかもしれない。

 恐怖が俺をゆさぶり、俺の足を前に前に動かしている。

 電車を降りるとき、ふと隣にいたスポーティな格好の青年の指先が、昔の青山のコムデギャルソンの壁のような鮮やかなオレンジ色をしている事に気がついた。きれいだ。彼の首の後ろには、数字が三つ並んでいた。見えない場所にタトゥーを入れている俺は、見える場所に入れている彼の気合いが眩しかった

 真実を目にしたら、きっと気が狂う。誰だって、誰だってそうさ。太陽は直視できない。でも、俺は自分のタトゥーは、結構好きなんだ。好きなんだ。自分のこと、一部分でも一面でも、好きだって言ったほうがいい。ある一面の真実。

渋谷Bunkamuraミュージアム「東京好奇心」見る。百人?だか、とにかく若手もベテランも国内外の写真家が捉えた日本、東京。知らない人の作品ばかりだったが、見応えがあった。やっぱりプリントで見ると違うのだ。森山大道の新宿の路地裏にいる猫を写した写真の黒は、比喩ではなく、艶めかしく

てらてらと光っているのだ。他にも構図は優れているなあ、といったファッション写真広告写真、という印象の作品も、プリントの鮮やかさと展示されたスケールの大きさで、ぐっとリアルに感じられる。会場のカタログでは、どうだろうって感じのでも、実物をみたら生々しさに感動するのだ。

三井記念美術館敦煌写経と永楽陶磁 見る。写経はさっぱり分からなかった! さっと見るだけで、もう満足だ。でも、派手な陶磁器が多くて楽しい。朱色に金の意匠や、翡翠色の緑、瑠璃や金泥。華やかな器たち。俺の好みの派手な意匠の物が多くて、意外というか、楽しかった。

 展示を後にして、売店でとても良い小鉢に出会った……一目見て欲しくなってしまったのだ。普段はそんなことは考えない。だって、俺はとても酷い生活をしていて、良い食器を揃えようなんて思考はない。

 でも、その小さなお茶碗というか、小鉢は、とても魅力的だったのだ。薄柳の肌に、赤子の頬の色が乗っかっていて、とても上品だ。値段は、数千円。小鉢と考えると、普段の俺なら絶対に出さないのだが、それは「作品」だった。欲しかったんだ。買っちゃった。

 調べると、坂倉正紘という方が作ったらしい。萩焼きで、落ち着いて上品な色合いがとても素敵だ。青菜のおひたしなんかが映えそう。普段は作家の人が作った器を買うことがないから、美術館での出会いに感謝。

 情けないことに、俺はしょっちゅうお金に困っているんだ。いつも収入が途絶える恐怖と戦っている。だから、限られたお金は有効に使わねばと思っているし、ついお金を使えなくなるんだ。

 でも、買ってよかった。多分、今買わなければ二度と買えないものだったから。数千円で悩むなよ俺、ダサいぜまじ。でも、買ったから買えたからよかった。

 欲しいものを買う、そんな当たり前のことで、好きな物を好きだって言うことで、きっといい方向に行くって信じて。

 雑記。

夏目漱石 画・金井田英津子夢十夜』読む。俺のベッドの周りには未読の本が何十冊も散らかっている。よりにもよって、自分で見た悪い夢を勢いに任せて書き散らした後に、漱石のとても美しい夢の短編を読むなんて。たまたまなのに、妙な心持ちになる。

真・女神転生if…のコミック、作・柳澤一明のを久しぶりに読む。初めて読んだのは高校か大学の頃か?
今のポップペルソナ路線も好きだが、初期、罪罰までのペルソナ(とif)のダーク・ジュブナイル感ほんと好き。久しぶりに読んだコミックは、一巻しかないのに原作を上手く消化していて

テンポ良く、ハードな展開も不穏なラストもよく、すきでまた買って読んだのだが、記憶の中よりもさらに出来が良かった。
昔、1999年辺りって、終末感やらインターネットの普及とかが、独特のほの暗い魅力を作り上げていた。悪夢に、悪魔に憧れる。便利な時代の新しい悪夢はどこだろう?

A・A・ミルン作 E・H・シェパード絵『クマのプーさんとぼく』読む。ミルンの子供のための第二詩集で、『クリストファー・ロビンのうた』の続編のような一冊。前作同様とても素敵だ。わがままで好奇心旺盛で何でも楽しいし不安だしわくわく。そんな子供の未知ばかりの日々を思い出させてくれる。

文 泉鏡花 画 中川学『朱日記』読む。不確かな語り部の言葉から広がるのは、茱萸の実、赤い毛の猿の群れ、裸に赤ガッパを着た巨大な坊主。この世のものとは思えぬ少年と女性。広がる妄想と火の手。中川学の画はモノクロと赤で描かれ、その迫力に「わっ」と慄く。

four tetのangel echoesほんと好きで折に触れて聞きたくなる。すごくきれいなアンビエントなのに、聞いてると何故だか不安になってくる。ゴダールのフォーエヴァー・モーツァルトの、許されずに延々と反復させられるみたいに、大好きなのに、苦しい。でも魅了されている

 

この作品が、漱石の中で一番好きかもしれない。漱石の冷徹さ、冷静さが幻想に豊かな輪郭を与えてくれるのだ。金井田の画が、とても良い。学校の教材に漱石のこの小説と共に載って欲しいレベルで良い。漱石の小説の影となり日向となり、彼女の絵はシュルレアリスムの最良の部分のようだ。

ローベルト・ヴァルザー詩 パウル・クレー画『日々はひとつの響き』読む。あまり有名ではないが、スーザン・ソンタグらが評価した詩人の文とクレーの画のコラボレーションをした一冊。俺には詩の良さがあまり。クレーはとても好きなのだが……優しい詩なのだが、クレーのはもっと哀しみも怖さもあると

内田百閒作 金井田英津子画『冥途』読む。内田百閒の奇妙で怖くなる短編に金井田が絵を添える。彼女の絵がとても合っている。グロテスクではなく、人間や自然は、よく見ると怖いものなのだ。特に短編の件(くだん)は、恐ろしさと滑稽さがあり、文も画もとても良い。

井伏鱒二 金井田英津子『画本 厄除け詩集』読む。井伏鱒二は好きでそこそこ読んだつもりだったが、詩は初めて。目を通すと、短くユーモラスで穏やかな観察眼で、彼の文章に近い物を感じた。収められている詩の数が少ないのは残念。

平野甲賀『きょうかたるきのうのこと』読む。グラフィックデザイナー、装丁家の著者が書いてきたエッセイ集。彼のデザイン、書体はすっきりしているのにインパクトがある。これは中々出来ることではないと思う。文は、著名人との交友や発言が多く、とてもエネルギッシュな方だと感じた。

水木しげる悪魔くん魔界大百科』読む。水木しげるが妖怪ではなく、世界の悪魔や秘術を紹介する。悪魔と言えば、大好きな女神転生悪魔絵師金子一馬のイラストが頭に浮かぶ。原典、昔の人の妄想を形にした物を、絵師がアレンジを加える。誰かがかいた、[見た]悪魔の姿を沢山見られるのは喜びだ

 

高峰秀子『巴里ひとりある記』再読。幼い頃から親の都合で働き続け、気づけば20年以上働き大女優になっていた彼女の、逃避行の様な留学記。後年の文章に比べると、かなり若くて素直な文章。でも、時折強さや哀しさが顔を出す。彼女は辛さを乗り越える強さがあるのだ。

 色々と問題はつきないけど、やって行こうって思えるのは、美術館に行ったからか。しょうせつを少し、書けたからか。

 素直に生きるっていつもこんなんだ。でも、それなしに前に進めないから。

 器だけじゃなくて、タトゥーも、もっと入れたい。中年なんだ。毛皮か花園がなくっちゃ、生きられないよマジで

 

中年が見た夢の話

もの凄く、嫌な夢を見た。以下長文。

中学の時の顔見知り程度のクラスメイトと再会して、その日の数時間後に電話で場所を決めて会う約束をした。彼は何故かとてもうれしがっていて、俺も嬉しくなった。代官山で時間を潰していて、とても高い場所でスマホiPodを落としてしまった。学校で落とした➡

らしいのだが、どうやっても落としたらしき場所には辿り着けず、約束をしたクラスメイトにも電話が出来なくてとてもあせり、街を歩き回る。その時、町の路上で写真の展示をしていた、絶縁した元親友と再会した。夢の中なのに、十年以上たった親友の顔が分かったことに俺は驚く。友人とは酷い別れ方をしたのだ➡

俺とその友人は、大学時代の親友だった。有人が少なく、気難しい俺だが、彼は親友といえる存在だった。お互い物作りをしていて、俺は彼の作品と優しい人柄が「友達」として大好きだった。辛辣な俺だが、彼は荒削りだが才能があると思っていた。俺も彼も、自分が思ったような華々しい成功を得られないことに内心不満だった。➡

そんなの、若い芸術家(志望)ならみんなそうだ。俺は元々すれていたので、人に分かってもらえなくても、作品が作れたらわりと平気だったが、彼はそうではなかった。大学卒業後に会った彼は変わっていた。詳細は書けないが、俺はとてもショックを受けた。でも、変わってたのは美術業界でのし上がる➡

功名心だけで、それ以外はちょっと無神経で優しい彼のままだった。その時の俺は、幼稚で潔癖で、彼の変化とある行為が許せなかった。そこまでして有名になりたいのかと、彼が嬉々として話す内容に耳が痛かった。芸術家は、作品を作れれば他には何もいらない。そんなことが綺麗事だって、二十代の➡

俺でも分かっていたはずなのに。親友との仲はギクシャクして、俺は池袋のジョナサンで彼を呼び出して、何で俺が怒っているか、彼を傷つけないように説明をした。でも、わかり合えなかった。俺は辛くて、千円札を机に出して店を出た。俺みたいに口が達者ではない彼は何も言えず➡

さめて固まったパスタを前にうなだれていた。別れ際にちらりと見た、彼がうなだれ傷ついている姿は、今もはっきりと記憶している。それ以来、彼とは音信不通だ。
その彼と、夢で十年以上ぶりに再会した。俺は戸惑ったが、夢の彼は笑顔だった。写真の展示をしていて、少しだけ話した。当時のことなんて➡

口に出さず。俺がスマホiPodを探していることを告げると、彼は手伝ってくれると言ってくれた。とても嬉しかった。彼と仲直り出来た気がした。親友の隣には、小柄で仲良さげにしている男性がいた。三人で歩いていると、その人が何か口ごもっていて、俺はピンときて「仲良しだね。付き合ってるんだ」

と言った。彼らは「あれーばれたかー」みたいにおどけて、ほっとしているようだった。大学の元親友は、異性愛者。俺は恋の相談を受けたこともあった。親友から恋の相談を受けて、少しだけ嫉妬する。ゲイ(俺)ならよくある話、でも俺は覚めていて、彼の恋の成功を願っていた。それなのに、夢の元親友➡

バイセクシュアル?ゲイ?になって、恋人が出来ていたことにとても胸が痛くなった。でも、俺は彼を傷つけ友情を壊したのだ。自分の胸の痛みは、汚い感情だと思った。三十代になった俺らは、それなりに、傷つけ合わないような会話をしてまちを歩いていた。気づけば、俺は代官山ではなく池袋にいた➡

元親友がバスに乗って代官山へ行こう(そんなバスは実際はない)と言って、バス停で待っていたのだが、その彼がどこかに行ってしまい、彼の恋人と二人きりになった。その瞬間、彼の恋人は豹変した。「お前は俺の大切な人を傷つけた。許せない」と悪意を向けられた。それは事実だが「何で急に彼を➡

嫌いになったのか理由を言え、とキツく言われた。でも言えっこなかった。俺の告白が元親友の名誉を傷つけるおそれがあったから。その時、俺は走り出し、元親友がいるトイレの個室にたどり着いた。彼は大泣きしていた。彼は何か言っていたけれど、別れのファミレスの時みたく、話しはかみ合わず➡

要領を得なかった。その時に俺は、彼の容姿に「老い」を見たのだ。俺らは二十代ではない。おっさんだ。泣いて傷ついた友人に心を痛めながら、造形の老いについて冷静に注目する自分は、芸術家気質で、人でなしだと思った。俺はまた、彼を傷つけ慰めることもできなかった。➡

彼と別れて、池袋の街を歩くと風俗店が並ぶ通りがあり、誰でもいいからセックスがしたいなあと思いつつ、スマホを探していた。辺りは暗くなっていた。約束をしたクラスメイトに理由を話して謝りたかった。だけど池袋から代官山はいつまでたっても歩いて辿り着けない。夢の中の俺は、代官山と池袋は➡

隣の駅だと思い込んでいた。何度もきゅうな坂を上り、ヘトヘトだった。そして、どうやら代官山に到着したらしい時に目が覚めた。
最悪の気分だった。でも、元親友が今回の事では傷ついていない事実に気づいて、ほっとした。きっと、彼は俺とのことなんて忘れている。二度目➡

に傷つけた事実がただの夢だったのだと思ったら、涙が出た。
今の俺は、かなり酷い不安定な生活を続けている。色々と状況は悪化しており、二十代の空元気ではどうしようもないことに直面しながらも、俺には空元気と芸術位しかないのだ。ただ、はっきりと分かるのは、自分が小説➡

をかく力は、明らかに上達したと言うことだ。十年以上続けているのだ。当たり前だが、それは小さな救いになる。
でも、俺はもう親友とは会えないしあの頃の友情は戻らないのだ。それは、やはり辛い。つらいけれど、芸術があると生きていける。俺は芸術至上主義ではない➡

でも、芸術は現実にないものをみせてくれるのだ。めまいと錯覚を与えてくれるのだ。二十代も今も、頼りが処方箋と芸術。でもさ、それだけでは足りないんだ。足りないのにいきていけちゃうんだ。


小さい頃から、神様がいたらいいなって思っていた。自分に救いをもたらさない、残酷さすら生温い➡


神話の中の人間なんてゴミくずとすら思わない、傲慢で絶対の存在がいたらいいなって。そりゃ、優しい救いの神様がいたら嬉しいけれど、小さい頃からそんなのはいないと、根拠なき確信を抱いていた。
どこにもいない、でも大好きな神様。貴方のことを考えると、少しだけ気分が楽になるんです➡

頻繁に、貴方のことを考えて、神様的な絶対者に憧れる登場人物を描きました。絶対者に憧れる人は、大抵不幸になりました。でも、憧れは愛情は友情は、たまに美しいものだと思います。俺の作る小説の一部分は、光が反射した硝子やガソリンのようにきらきらしている事でしょう➡

まあ、それは大抵の作品はそう言うものだと思います。感受性や経験や知性は、目にうつしたものの輝きを捉える事ができるし、出来映えはともかく、作品は誰かにとっては輝かしいものですから。でも、神様、俺は貴方に近しい輝きを持った小説を書いてみたい。そんな不可能な➡

夢物語を糸にして綱を編み、観客のいない綱渡り芸人を続けています。大体毎日、綱から飛び降りたいと思っています。でも、それをしないのは愚かにも傲慢にも自分は永遠に若く、老いるときに死ぬのだと思っているからかもしれません。そういう強がりを自分に言い聞かせ➡

かまさま、貴方や元親友への愛情なんてものは持っていないんだよって、輝きに目を背けて小説を書くことで、錯覚ができているのかもしれません。辛いのに、俺は色んな人や作品に愛情のような一方的で気持ち悪い恋文のような感謝を抱いているのです。げんなりする。気持ち悪い。でも、俺は若いから。

泥の中から病巣も花園も

 気持ちがとても沈んでいた。やりたいことは分からないのに、不安ばかりが増える。毎日、数十分、数時間ごとに気持ちがぐらついて辛い。生きていてこんなのばかりなんだって、改めて感じると、もう、駄目だ。

 薬を飲んで寝る。こういう誤魔化しで、目隠しで、どうにかなるのか。ただ、頭と体が駄目になっていくのを見て行くだけなのか。でも、抗いたいんだ。そうじゃなきゃ、死んでいるのよりも哀れ。

 

 

静嘉堂文庫美術館で能面見る。能を見たのは中学生ぶり。服と同様、人が身につけて初めて真価を見せる物だと思うが、現物をゆっくり見られて良かった。初期のプリミティブなデザインが特に好み。解説と共にじっと見ると、能面(若い男役の)にも色気というか、品があるように見えるから不思議だ

恐ろしい姿をした面も、一つの面でいくつかの配役を兼ねる(場合もある)らしい。鬼にも物の怪にも神にも精霊にも変化する、それを受け止める面。それに演じるひとが介在するとなると、シンプルな意匠の方が映えるのだろうか。駅から遠い(スマホナビありで徒歩30分。帰りは15分)けど、行って良かった。

てかさ、やっぱり現物は生々しさがあってさ、それはどんな高性能のカメラでも動画でも伝わらない。俺が現地のオーロラの美しさを知らないような感じ。剥落やヒビ、というのが大好きなんだ。年代を経た物が持つ魅力。千年以上前の美しさを感じられる幸福。

 会場は狭く、展示の数も少なかったが、そのおかげで三周もできた。じっと、能面を見ると、その微妙な色遣いに官能を感じた。一番初めに展示されていた、伎楽面というのがとても良かった。七世紀、中国から日本に伝えられた仮面劇。元々仮面が好きなのだが、人のような肌をしているかのようだった。存在感があった。生々しさがあった。剥落さえ人間の老いの証の様に見えたのだ。

 こういう作品を見られて感じられると、自分が生きていて良かったと思えるんだ。少しの間だけ。少しの間だけだけれど。

 でもすぐに気持ちは落ちて、数日後の休みに何とか青山ブックセンターに。いっつも、高い外国のファッション誌や写真集を立ち読みする。本当は買ってお店に貢献したいんだけどね。欲しいのは高いんだ。それに図書館で借りて読んでない本が、他にも読んでない本がたまっているんだ

 ふと、棚から手にしたラリークラークの第一写真集TULSAを手にする。初期のラリークラーク大好き。どうしようもない空気がある。どこにもいけない駄目な若者たち。

 値段は4500円位で、あれ、俺が買った時はその半額位だったよな、とアマゾンで検索すると、半額位で今も買えた。そして、おれがその写真集を購入したのは十年前だと表示されていた。

 十年前の俺と、今の俺はほとんど変わっていない。でも、年老いて、色々と駄目になって行っている。二十代の頃はなんとかなるっておもっていたけど、なんとかならかった。でも、生きているんだ。

 ただ、二十代の時よりも色んな表現、芸術への理解、感応は広がった。小説も今書いている方が好きだ。俺は俺が書いている小説が好き。それだけで、今生きている動機になる。でも、これはヒロイックで大袈裟なことではなくて、その位自分には持ち合わせや頼りになる物がないって。それだけのことだ。残念。

 

映画『プロメア』見る。前にみたキルラキルが面白かったから、期待していたのだが、期待以上に面白かった。ド派手でぐりぐり動くアニメーションに王道ストーリーが熱い。ゆらめき広がる炎、四角形が増殖する氷の表現の対比が良い。後半はそれらが混じり合いエネルギー体みたいにもなるし、

見ていて飽きないんだな。最新のアニメの力ってパワフルだって思えて楽しかった。ただ、レビューを見ると、この監督の作品のファンからは賛よりの賛否両論みたいだった。普段あまりアニメ見ないから、熱心なアニメファンの不満は見ていて興味深かった。俺も自分の好きなのにはつい色々言いたくなるんだ

 

 

ずっと見たかった、映画『狂つた一頁』見る。1926年の映画なので、どうしても仕方が無いとは分かるのだけれど、色々気になってしまう。構図もライディングもかなり……モノクロ映画大好きなんだ。俺はモノクロのハイコントラストなのが大好き。でも、仕方ないけど、ぼやけるしチラチラするし

画面も締まりが無い構図が多い。でもね、面白かったんだよなー。特にラスト10分の車、白い花(外の情景)お面(能面?)とか、たまに、はっとするような表情を見せる女性。優れた作品だと思うが、(年代的に仕方ないけど)ボケボケな画面だから手放しで褒められない。でも、見られて良かった。

A・A・ミルン作 E・H・シェパード絵『クリストファー・ロビンのうた』読む。有名なプーさんの作者が、自分の息子に向けて書いた詩集。とても良い。リズム感のある文章と好奇心旺盛な子供の視線があって、子供でも大人でも楽しめる。挿絵もとても良いしこの本に合っている

『レオナルド・ダヴィンチの童話』読む。ダヴィンチはスゴイと思うが、特に好きという訳ではなかった。でも、籠に掴まった小鳥に自由がないと毒を運ぶ親、炎に惹かれて身を焦がし死ぬ蝶、岸辺の百合に恋した水は百合を溺れさせる、等々ユーモラスなのもあるがハードで自然の光景に引き込まれる

童話っているのは、世間や自然の豊かさや厳しさ残酷さを伝えるものかもしれない。それを考えるとダヴィンチの童話はとても良くできていると思った。

ダイの大冒険の新しいアニメ見る。懐かしさと共に新しい画面が楽しい。アニメに詳しくないしたまにしか見ないので、技術の進化に驚く。一部3Dモデルみたいなのが主流なのだろうか。公式で見られたから、アイドルマスターのジュピターの話を見たら、30分で見せ場詰め込んでいてとても面白かった

少し前のアニメ(映画?)だと思うが、ライブシーンの演出も良かった。でも、ライブシーン、キャラが歌って踊るのって手描きで描くのはもう金銭的に現実的ではないのだろう。アニメに詳しくない俺は、ジブリやディズニー映画のアニメーションが好きだ。それはお金と時間をかけているからか、

キャラクターがちょこちょこ余計な動きをするのだ。それが見ていて目を奪われるし楽しいのだ。ヌルヌル動くってやつ?でも、お金か時間がないと余計な動きを与えるのは難しいはずだ。見る方としては知らない、或いは生き生きと「動く」のを見るのが楽しいのだ。

ふらりと入った古書店で、棚に並んだ上田敏海潮音』の値段見たら、初版六万五千なり。こんな高いんか!ちなみに同じ店に文庫版あってこっちは二百円。プレミア古書の世界は分からん。マラルメの本もあって、こちらは一万五千なり。うわ!安い!ってなるか!俺の目玉三千個売らなきゃ買えない

植田正治写真の作法』読む70,80年代にカメラ雑誌に書かれたエッセイをと集めた一冊。長く続けているカメラマンといったら曲者のイメージがあるが、丁寧で腰が低い文章!それでいて野心は捨てていないし自身をアマチュアと言いアマチュア=挑戦者の諸君へ呼びかける文は熱く今読んでも読み応えがある

 

藝術新潮編集部 編『萩尾望都 作画のひみつ』読む。原稿やクロッキーが見られるのが嬉しい。絵の繊細さは勿論、インタビューにて彼女が「読みやすい漫画」を描こうとしているのがよく分かる。細かい描写でも、よく見ると全体が調和していて理解出来るのだ。後、初期の瞳の円形白抜き表現好き。

 

 

タイムラインにポロックの名前が出てきて、少し懐かしい気持ちになる。抽象画で一番有名なのは彼だろうか。有名な作家の作品は画集や展示に出会える機会が生まれる。でも、資金難で、ニューマンは高額で身請けされた。サイ・トゥオンブリはまた見たい。クリフォード・スティルは現物を見たことがないな

 好き、な気持ちが、感受性が摩耗して、不安ばかりが病巣が花園になるならば、俺はもう駄目なのかなあと思う。まあ、だましだましやっていっているんだきっと、みんなたぶんそれなりにきっと。

 最近は小説を書いていないから、それも精神的に沈んでいる原因だと思う。でも、力がないと残酷や輝きを精緻に捕えようとする気すらおきない。

 こういうどうでもいい言葉を吐き出すことで、少しずつ泥の中を泳いでいけたらな。いいんんだけどな。

冬の入り口で少し

夜、少し窓を開けるとひんやりした空気が部屋に入ってきて、吸い込むと真夜中の温度。そのまま寝てしまって、目覚めると布団をかけているのに程よく肌寒く、異国の温度。毛皮が欲しい。毛皮を着て、寒い風を全身で受け止めたい。

 後二ヵ月で今年が終わると思うと、何だか何もしていなかったような気がしてしまう。コロナ騒動と、新しい職探しでかなり負担が大きかった。それでも、一応自分の小説を書き終え、新しい小説もちょいちょい書いていることを考えると、自分なりにできてはいるのか、とも思う

 俺は色々と問題やら不安やらが多く、常に自分のあれがこれがそれが出来ていない、と考えてしまう性格で、その判断が正しいとしても、あまり自分を苦しめて疲れてやる気がなくなるというループは止めなければと思う。

 あと、どの位頑張れるのか、と頻繁に思う。早く楽になりたい。そんな思いを振り払うのは、外に出るのがいい。何も解決しなくても変わらなくても、音楽を聞きながら歩いている時間は幸福なのだから

久しぶりにDir en grey聞いたらめっちゃ上がる。90年代V系の密室暗黒血鎖翼退廃薔薇天使とても健康に良い。プラスティックトゥリーや黒夢やラファエルとか今も好き。大袈裟で攻撃的で装飾過剰は人に幸福をもたらす。

ラファエル聞くと失われた天使が補充される(?)
天使力高いバンドは他にいるのかな。是非、ミカエル ウリエル ガブリエル。メタトロンサンダルフォン君たちは神様の奴隷なんて辞めて、哀れな子羊の為にお化粧バンドデビューして欲しい

雑記

 

泉鏡花作 金井田英津子画『絵本の春』読む。泉鏡花が語る、日々の生活に潜む怪異、幽冥。魅惑的で怖ろしい瞬間に瞬間に立ち会ったと思ったときには、それらは奇術のように姿を消してしまうのだ。金井田英津子氏は知らなかったのだが、鉱物のような静けさを持った画でとても良かった。手軽に楽しむ怪奇

 泉鏡花は本当にいいなあ。でも、読むと体力が持って行かれるので、さくっと読める短編はとてもありがたい。泉鏡花は、二十代の頃食わず嫌いしていたんだよなあ……もったいないことをした。って、今も読んでいない作家リストが沢山……それを消化する作業を思うと楽しくもうんざりする。

一生、読んでいないリストを積み上げ続けるのか。

 

いしいしんじ『みさきっちょ』読む。著者が三浦半島のさきっちょ、港町、三崎で暮らした記録。三崎の人達が、街を生活を楽しんでいるのが分かるから、読んでいて豊かな気分になった。どうしようもない人も、どうしようもないことも受け入れる寛容さ。生活と出会いは人を強く、優しくする。

 昔いしいしんじ町田康が本を出していた。いしいしんじ町田康も、人がいいなあと思ったんだ。これは誉め言葉だ。彼らの真面目さ素直さはっちゃけっぷりが、人をひきつけるし、いろんな出来事に参加するんだ。

 ただ、俺はむやみやたらに神経質でぐらぐらふわふわいらいらしていて、そういう人の文章やら作品やらが一番好きなんだ。今生きている映画監督で言うと、ゴダールとかハネケみたいな。めんどくさいジジイの作品が胸に刺さる。

 本を読むのだって、一応交流ではあるけれど、誰かとの交流を気軽にしている(ように見える)というのは、すごいなあと思う。自分にはできない、と思い込んでいること。

 根性ひん曲がったおじさんたちの作品が好きだけれど、健康的に生きて正常な判断力で作品について考えたり作ったりしたい。困難だけれども。

映画『25名画の秘密』見る。有名な絵画を数分で、早めのテンポで紹介。一部を強調したり、題材を消したり浮かび上がらせたり、映像で見るべき点や主題についてレクチャー。高校の美術の授業の前に数分間流せばいいのでは?と思った。日本のそれとは違い、余韻より効率!な感じで好みは分かれそう

『ドイツ菓子図鑑』読む。お菓子のレシピと写真が載っているが、図鑑ということで、お菓子の由来も記載。

ドイツのフレンチトーストはアルメリッター 貧乏な騎士

ゲッターシュパイゼ 神々の食物 と言う名前でシンプルなゼリー


リーベスクノッヘン 直訳は愛の骨で エクレア 読んでいて楽しい

八雲立つ出雲』読む。写真を植田正治、文章を古代史研究家の上田正昭が書く。神秘的な写真も素晴らしいが、神話と現実を通じる道を開く文章もまた良い
海からきて海へ去る神々が出雲神話には語られている。夜見(黄泉)のくににいたる入口は海辺に求められている。神が訪れるのも人が死んで赴くのも海

 

ドキュメンタリー映画グレン・グールド エクスタシス』見る。クラシックに詳しくないのだが、集中したい時は、グールドのバッハをかけっぱなしにしている。彼が歌いながら鍵盤の上で手を踊らせる姿を、映像として見られたのは嬉しい。学生の頃は、彼のCDを聞いて唸り声が入っていて恐いと思った

年をとり、色々聞いてそれなりに音楽には詳しくなったが、クラシックは鬼門だった。名前が覚えられないし、飽きてしまうのだ。そんな集中力のない俺が大好きになったのが、バッハ、そしてグールド。彼に関する本は沢山出ているが、読んでいない。クラシックの知識も情熱も欠けている。いつか読むのかな

高峰秀子 松山善三 著『旅は道づれツタンカーメン』読む。女優とシナリオライターの夫婦の、旅行記。軽快な掛け合いが楽しい。エジプト、ということで生死や生まれ変わりやら猥雑な町等に二人は思いを馳せる。対照的な所もあるが、二人は互いに強い敬意を抱いているのが伝わり安定感があるのだ

 

筒美京平の訃報を聞く。悲しい。
スーファミいただきストリート2は、全曲筒美京平作曲なのだ。ものすごく豪華だなあ。そして、捨て曲なんてなくて、何度聞いても飽きない。とびきりポップでちょっぴり切ない彼の曲は、日本人好みの楽曲のような気がする。

 冬の入り口で少し戸惑う。毛皮のことを体温のことを思って触ってやりすごしていかなければ。