刺青も花も買えない人生

短期派遣あるあるなのだが、大量に採用して、人がぼろぼろ辞めていく。

たまたま俺と数名は面倒な仕事の担当になった。それなのにきちんと教えてくれないのと質問に対して回答すると言っていてしない、でもミスの報告はどんどん上がるという状況。俺以外の人もかなり困っていたが、俺は躁鬱の症状がかなり悪くなって、お金の為に働かなきゃいけないのに、辞める相談をした。

 担当者の人はきちんと話を聞いてくれた。その後、別の人から真面目にやってくれているから、面倒な仕事抜きでつづけてくれと打診があった。

 相談した時はすぐにでも辞めたいと話していたが、面倒な仕事を免除してくれるなら月末までは頑張らせていただきます、と告げた。

 結果、その仕事は免除されなかった。どういうやりとりがあったのか分からないが、ああ、やっぱりそんなもんだなと思った。

 でも、ストレスや不安や怒りやら、仕事やら別の人間関係とかで、休みにかなりの金額をギャンブルにかけて、溶かした。

 つかってはいけないお金だった。自分でも引いた。一人暮らしをしてから今までで、一番金銭的にも精神的にもヤバイ。

 家でずっと寝ていたい。やる気が出ない。ふとした時に不安や衝動に襲われる。ここまで落ちているのに、まだギャンブルがやりたくなるという愚かさ。

 ただ、一番辛いのは、小説が書けていないことかもしれない。書きたいモチーフがないわけではないし、創作意欲がゼロになったわけでもない。でも、これからの不安と共に何を書いても手ごたえがないのがきつくなってきた。

 普通の生活が、最低限の生活すらおくれない状況。そんな時に自分だけの小説を書く余裕がない。

 愚かで、辛い。ギャンブルで負けたことに関して後悔はあるが、ずっと、自分以外には必要とされない小説を書いて来たことには全く後悔していない。でも、書けないとな。からっぽ以下だ。生きる理由が薄れていく。

 好きな物を見て触れて読んで、自分でも何かを作ることが、自分の人生の慰みであり光であったのに。

 何もできないし、生活すら困難だと、本当に終わりにした方がいいのかと悩む。でも、食いしばっている。この先のことは分からない。辛い。

 

雑記

【電子版】八敷、墨を刺す(R18)コオリオニ番外編同人誌

買う。

普段電子書籍を買わないので、買うのに一時間近くかかった笑。内容はとてもとても良かった。紙の本で欲しくなった!!
本編のサイドストーリーとしても、単品としても楽しめる。ネタバレになってしまうからぼかしてしか書けないが、登場人物のすれ違いや、通じ合っているのがほんと胸に来る。

 普段同人誌はほぼ買わない。でも、梶本レイカの商業で出ているのは全部持っていて、登場人物の激しい愛情表現とスレ違いや愚かでかっこいい生きざまがとても好きなのだ。

なかでも『コオリオニ』は本当にすきな作品で、誇張ではなく何度も読んで十回以上泣いた。主役級の三人の物語が、我が身の如く胸に刺さる。過剰すぎる愛情と憎しみ。愚かな輝き。

 この同人誌の番外編もとても良かった。愛のすれ違いが胸にくるんだ。美しい化け物になる、ピュアで悪意の欠落した翔ちゃん。彼に惹かれながらも微妙に距離をとってしまう佐伯さん。

 俺はこの二人の関係性がとても好きだが、翔ちゃんを幸せにできるのは、やっぱり鬼戸なんだなあと思う。(気持ち悪い個人的感想)

 あと、やっぱタトゥーを入れられている悪人って大好きだ。てか法律で悪人になりたいなら、全員タトゥー必須にしてほしい。 

初めてタトゥーを入れたときの事を思い出した。本当はいかついのを入れたかったが、かなりの金がかかるから別の柄で妥協した。その時は二十代で今よりもさらに短気で無職で、しかし今よりも金があったし、自分にうぬぼれていた。タトゥーを入れられて、痛みはあったが、やがてなれた

何時間も彫られていると、それなりに体力を消耗する(大きい柄は時間あたり幾らみたいな店が多い)。でも、その疲労が心地良かった。完成近くになって、有線?からニルヴァーナが流れてきてとても気分が上がった。男なら皆カートに憧れる。格好よく自殺したいよな。

タトゥーを入れて少しだけ生活が変わった。自分の身体を少し好きになった。
俺はカートの歳をだいぶ過ぎたのに、自殺出来ずに生きている。長生きするのもそれなりにかっこいいと思うけど、たまにあの時に死んでおきたかったとか中学生のようなことを思う。ヤバいね。ヤバさの治療に刺青もっと欲しいな

 でもね、金がないんだ。中年でタトゥー入れるならさ、金に余裕ないと無理だよな

 

 冥婚 は気になるモチーフだ。でも、中国の奇妙でごく一部でおこなわれている風習であるから、資料もなさそうだし俺には書けない。でも、適当な妄想は広がった。

 冥婚bl妄想の続き。灰になった二人はピアノが弾けて、連弾をしている様子を見て、叔父が隠していた二人の恋心に気づく。その後数十年、
攻めは甘やかされた華僑で、優秀で何でも出来たが、小さい頃の夢のピアニストにはなれなかった。受けは貧しい農村大家族。自分が金を稼げない事がコンプレックス 

大都市で攻めがすられた財布を、たまたま受けが取り返し、交友が始まる。自分と違ってきれいな指で、生活や性格に余裕のある彼に、受けは惹かれていく。攻めの人生は順調だが、受けは何をやっても上手く行かず、家族の為に麻薬の密輸に手を染め、成功して大金を得る。初めて家族に褒められ

大都市で攻めがすられた財布を、たまたま受けが取り返し、交友が始まる。自分と違ってきれいな指で、生活や性格に余裕のある彼に、受けは惹かれていく。攻めの人生は順調だが、受けは何をやっても上手く行かず、家族の為に麻薬の密輸に手を染め、成功して大金を得る。初めて家族に褒められ

(マフィア、ヤクザ)という新しい、薄っぺらな家族を得た事に気づき、自嘲の大笑い。誰かのためではなく、欲しい物を手に入れようと決めるが、色んな物が彼には石ころに見える。一方順風満帆だった有能な攻めは、仮⭕通貨で大失敗をして大きな借金を抱える。しかし現実を見ることができない

しかし支払の電話や金策に追われて頭がおかしくなってくるし、家の中の物を売り払う。そんな時、昔買ったしょぼい電子ピアノを見つける。値段がつかなかった物だったが、一応音は出る。本当はピアニストになりたかったと現実逃避をしながら、親に従い大学で経済を学ぶのではなく、音大に行きたかった

なあ等と昔を懐かしみつつピアノを弾いてみる。若い頃馬鹿にしていたショパンやサティが、なぜか美しいと思えてきて、グランドピアノで弾きたいな、生活を立て直していいピアノで音を出したいと夢見る。しかし働くのではなく闇金金策をして仮⭕通貨。失敗をして、どうしようもなくなりボコられ

いるときに、チンピラの兄貴分である受けと数年ぶりに再会。人払いをして、二人きりに。暇つぶしに、攻めの転落ストーリーを聞いていたが、突然、昔の感情を思い出す。彼が、彼の美しい指が欲しい。冥婚をした親族の愚かさを想起し恍惚。

君の指を灰にして食べたいよ
その後で、連弾しない?

 

 その場の勢いで書いた妄想ではなく、形にしたいなあ、でも日本でこれを落とし込むのは薄っぺらくなりそうだなあ。難しい。でも、妄想できて楽しかった。

名取洋之助 報道写真とグラフィック・デザインの開拓者』読む。米『LIFE』で活躍、日本の雑誌でも編集者として敏腕を振るう。かなり厳しい人らしく、気に入らないと土門拳のプリントを破り捨てたそう。芸術写真にも嫌悪。しかし、彼の写真は明朗でセンスが良い。彼の歴史に触れられる良書。

『知られざるアメリカの女性挿絵画家 ヴァージニア ステレット』読む。31才で亡くなったという、彼女のイラストをまとめた一冊。その都合上収録数が少ないのがとても残念。だが、彼女の絵は日本画アールヌーボーやらの影響を感じる素敵な物ばかり。彼女のイラストを纏めてくれた監修の海野弘に感謝

千 宗屋『茶 利休と今をつなぐ』読む。茶道に通じてないし経験もないのに、利休についてはとても気になる存在だ。利休についての本は山ほど出版されている。本書は通俗的な、作り上げられた利休神話へ苦言を呈しつつも、茶道の魅力について語っている。利休について、真剣に語る人は素敵だ。

それはどこか、仏教やキリスト教に通じる気がする。偉大な存在が亡くなっていたとして、弟子とかがまとめた本は本人の考えとは差異があるだろう。本当のことは本人しか分からないけど、残されたものの大きさから、何かを感じ取ることはできる。門外漢のおれにとっても、一生の宿題になりそうだ。

監修・解説『366日物語のある絵画』読む。その名の通り、とても読み応えのある一冊。著者は物語絵の歴史を、絵画が宗教や観念から解放されたルネサンスからはじめる、と語っている。宗教的な大きな物語から、世俗的、個人的なイメージのはばたきへ。美も物語も変化し、広がる。その歴史に触れられる。

 

 十年近く前にも、人生の危機があった。それ以来、今が一番人生としてまずい状況下にある。あの時は二十代だから耐えられたのかな。三十代も後半戦になってきた今は、もう駄目なのかなとよく考えてしまう。

 ずっと耐えてきてうまくいかなくって。そんなの皆人生で当たり前の話なんだけれど、俺はもしかしたら人よりとても過剰に苦しいとか嬉しいとか叫んでいる。それで、普通の人が乗り切れるようなことで一人でパニックになって、それが続いたまま、幕が下りようとしているんだ。

 死ぬ前にしたいことってなんだろう。もう少しまともな、下手なりに画を描いてみるのと、きちんとした本を出したいな。自分でかいた、思い入れのある小説があるから。

 でも、同人誌ではなく、装丁とかにこだわったら何十万かかるのだろう?

 自分以外に一、二冊売れるか? みたいな自己満足の為にそんなことをする意義って。

 でも、数十万、ギャンブルで溶かしてなかったらあったんだよな笑

 失ったお金は取り戻せないし、もっと深みにはまって、本格的借金地獄になるのかな。数十万だか数百万を苦に自殺するなら馬鹿みたいだな。 でも、追い詰められた人は、そういう風に脚をふみはずしてしまうのかな。

 この先の光はみえない。だが、今は薬に依存して歯を食いしばっている。

『僕はくたばりたくない』とか『どうにかなる日々』って俺に言って

少し早いけれど、母に誕生日の花やケーキや本やらを渡す。
正直、今メンタルも金銭状態もボロボロで、助けて欲しいって叫びたくなる。でも、誰かに贈り物をするとこちらも元気をもらえるのだ。その人が喜んでくれると、さらに嬉しい。また誰かに何かをあげられたらいいな。ありがとう。

 俺は色々とよろしくなかったので、家族仲はかなり悪い時やそれなりの時もあった。今の俺は、家族全員の幸福をそれなりに素直に思えるようになってきていた。

 嫌な思い出は残っている。でも、それよりも恩や家族からの優しさの方がずっと大きいのだ。これはあくまで俺の場合。もっと言うと「今の」俺の場合。家族や友人恋人だった人を許せなくてもいいと思うのだ。

 だが、もし、その人たちに何かをあげられたら、その人の幸福を思うことが出来たらなと思うのだ。

 そうしたら、俺のがらんどうの身体に灯がともる。

森山大道『Nへの手紙』読む。この写真集は亡き親友、中平卓馬に宛てた写真による私信だという。体調を崩して神奈川の自宅に戻った森山は湘南の景色を撮りながら、中平とのかつての日々を思う。俺は大好きな二人の写真家の友情を思う。ここにあるのは、少し温かい視線のような気がした。とても良い一冊

 最近出た森山大道の本の中でも一番好きな「写真」が収められていた。その上、俺が一番大好きな写真家、中平卓馬への思いが込められてるというから、二人のファンの俺にとっても胸に来る一冊だ。

 少し、嫉妬した。才能のある親友を持てるってどれだけ幸福なことなんだろう。

 最近は金の不安もあるが、小説が書けていない。つらい。俺にはなにもないのに、身体は老いてくる。単純に、日々が辛い。何も無いってつらいな。何かがあるって、思い込んでいたし、いるし、小説やら美術やら好きな物は今も変わらないけれど。でも、精神的に駄目なのかなと何度も繰り返し思ってきていて、その沈んだ思いが滓のように溜まってきている。

 ボリス・ヴィアンではないが、僕はくたばりたくない けれど、楽になりたい。小説だけ書いて、たまに絵も描いて一人で暮らしていきたいけれど、そんなことは無理だってことだ。

 人と一緒に仕事をしていると体調が悪くなって、創作どころではなくなってくる。それを苦しみながらもみんなどうにか折り合いをつけてるんだ。そうは思うけれど、もう、駄目なのかなって思う頻度が多くなりすぎていて。

 でも、まだ書きたいんだよな。くたばるのはその後がいいな

雑記

 

昔の『芸術新潮』の富岡鉄斎特集読む。そこまで好みという訳ではなく、詳しくもなかった。専業画家ではない鉄斎。歳をとるほどに作品も増え筆も冴え、70代初個展89で没する時まで描き続けている姿に感服。老年になっても己の意志を貫くことはどれだけ大変なのか。ユーモラスな作品も多く、実物見たいな

冥婚 という単語だけでも何故かとても惹かれてしまう。勿論犯罪を正当化したいわけではないのだが、これをテーマにしたノンフィクションでもフィクションでも読んでみたいなー。自分で書くには資料無いし結婚やお金に関する思いが弱いし書けない。死者との恋や結婚って惹かれてしまうテーマだなあ。

blおじさんなのですぐ頭に浮かぶ。当時特に異端視されていた同性愛を死後に叶える(親族の秘めた思いを叶える為に、死者の伯父が男同士の冥婚をして、大問題になる)その後、たまたま知りあいになった件の二人の親族が友人になる。冥婚を嗤うインテリと、彼に惹かれる純朴労働者の本が読みたい(書けよ

インテリは昔ピアニストになりたかったが挫折。それ以外順風満帆な生活を送るが仮⭕通貨で大失敗して負債を抱えるがプライド高く認められない。純朴労働者はうまく行かずにマフィアになって成功。落ちぶれたインテリと再会して、彼の指の一部を燃やして灰にしたの食べる代わりに借金返済すると提案bl

『大正昭和美人図鑑』読む。気軽な読み物かと思いきや、豊富な写真と共に当時の芸能界の厳しい差別やスキャンダルの歴史も書かれてあるし、読み応え抜群。川端康成三島由紀夫の憧れの人も見られる。その時代の嬌態、エロス、定番ポーズも知ることができる。見るにしても資料としても良い一冊。

『女の子の憧れを描いたファッションイラストレーター 森本美由紀』読む。彼女の絵との出会いは高校の頃。大好きなピチカート・ファイヴやバルドーのDVD。俺にとって日本で一番スタイリッシュな、引き算のキュートなイラストを生み出す大好きな人。その画業がつまった素敵な本。作品はいつまでも残る

十数年、読もうと思っていたのに読まなかった『市川春子作品集 1 2』をようやく読んだ。とてもとても面白かった。読みたい見たいやりたいのに、何年もみて見ぬふりをして、してないのが多くて自己嫌悪に陥ることもしばしば。でも、知らない素晴らしい物が沢山あるってのは幸福なことだ。

 多分ここ数年で一番お金に困っている。その上、歳だけ取って小説も書けていないのだからメンタルが最悪なのは仕方がないことだ。

 そんな風に思うと、まあ、僕はくたばりたくない とかどうにかなる日々 みたいに思えたらって、20代の無鉄砲な気持ちで。それでいいんだって。

没落下等遊民記

使ってはいけないお金を溶かした最悪の年末で、しかしギャンブルがやめられずに最後だ、とかけた一万円が、奇跡的に当たり続けた。今月の生活費はどうにかなるし、負けた分はそっくりかえってきた。奇跡? 安っぽい奇跡だな! しかしその下らない奇跡で救われた。愚かな俺。

 でも、とにかく少しはまともな思考ができるようになってきた。あまりにも追い詰められていると、或いは自分を追いつめていると視野狭窄になる。歯止めがきかない。分かっているのに止められない。

 でも、とにかく外に出た。元旦の昼は思っていたよりも暖かくて、厚着をしていたから冷たい風が心地良かった。IPODから聞こえるチェット・ベイカーの甘い声が優しい。

愚かな恋を繰り返す男。彼が歌うから、或いは歌の中だから美しく映るのか。

 俺が描く小説には、たいてい愚かで熱情のある男が出てくる。作者の俺としては、生活は安定している方がいいのだが、俺も似たり寄ったりの愚かな繰り返し。

 でも、馬鹿でも愚かでも惨めでも、本を読んでいられる精神状態ならいいな。そういう風に自分を立て直さなくっちゃな。

 あといつまで書けるのか読めるのかって、強迫観念が一日に何度も俺の新蔵を柔く抱いてくる。

 前向きになるためには、前を向くためには好きな物に触れる、好きな物を書くしかない。低調ばかりの状態だけれど、それでも虚ろもまたたきも俺の友達ってことにして。

 

雑記

S・エリザベス『オカルトの美術 現代の神秘にまつわるヴィジュアル資料集』読む。オカルト、という単語には魅力もあるし警戒してしまう。だが、見えない物を見ようとして、作品にする意志に惹かれる。この本は有名な作品だけではなく2015,6年辺りの新しい作品が多くてかなり良い。

シェリダン戯曲『悪口学校』読む。道徳を説くが偽善家の兄財産を売って放蕩三昧の弟。インド帰りの叔父は本心を試そうと、身分を偽り近づく……本国でシェイクスピアと人気を競うほど上演されていた作品らしく、雄弁な曲者達が語る先の気になる風刺喜劇。舞台で見られたらもっと楽しめただろうなあ。

のばらあいこ『寄越す犬、めくる夜5』読む。1巻を読んでめっちゃ先が気になる面白さで、この5巻で完結まで約八年。バッドエンド濃厚な展開ばかりで、どうなるのかずっと気になっていた。ネタバレのため内容は言えないが、良かった。辛かった。好きな作品の完結は嬉しくて寂しい。先生お疲れ様でした。

 久しぶりに漫画の新刊を買った。この作品はとても好きだったので、何年も出るのを待っていた。完結して嬉しくって寂しい。ちょいネタバレになるが、きちんと彼らのその後の生活を書いてくれていて良かった。ラストの笑顔も胸に来た。辛さを抱えたまま、しかし生き続けることはできるんだって、彼らが教えてくれた。ドロドロのラストが好きだし、バッドエンド濃厚だと思っていたけれど良い意味で裏切られた。物語の中の彼らが頑張っている。それは本当に素敵な事なんだ。

 思えば漫画を買わないようになってしまっていた。置きばしょもあるし、見たい漫画を買っていたらきりがない金が無いのもある。それでも のばらあいこ たなと 梶本レイカ 草間さかえ 丸木戸マキ 朝田ねむい 野田彩子 等はチェックしている。BLの先生ばかりやんけ! 

 あ、あいまいみーは萌え漫画(?)で唯一全巻買っていた。というか、萌え系の漫画をほぼ買わない。だがあいまいみーはガチで笑えたギャグマンガだった。あー自分はギャグマンガで笑えたんだーって、そんな単純なことを思い出すことができた。

 でも数か月前最終巻が出てしまい、悲しくて買っていなかった。でも注文した。近々届くだろう。

少年漫画は巻数が多いからね!! 読みたいけどさ。ゴールデンカムイボールルームへようこそ 揃えたい……金がないのに欲しいものが多すぎて金の心配ばかりするのが情けない。

 ドゥシャン・カーライ絵『不思議の国のアリス』読む。大型本で定価5000円!これは大人向けだ。アリスって何だかんだで魅力的に描かれる事が多いが、カーライのアリスは普通の女の子のような描かれ方。だからこそ奇妙な世界との対比が効果的なのかも。画がとても魅力的なので、画だけのが見たい位。

 アリス=かわいい、或いは怖くて魅力的というのが定番だけれど、カーライのアリスはどこにでもいる女の子が奇妙な世界に迷い込んだと言った描かれ方で、新鮮で楽しめた。イラストの中のかわいいものは大好きだけれど、飾り気のない少年少女の魅力に気づかされた。

ユーゴー『死刑囚最後の日』読む。19世紀、若き日のユーゴー死刑廃止を目指して書き上げた一冊。饒舌で冗長な熱弁ではあるが、文が丁寧で読みやすい。ただ、考え方が異なる現代人の俺が読むと、作者(主人公)の叫びに共感するのは難しかった。政治的なのや人々に訴える小説は苦手。

花と蝶の表紙が素敵で中を調べずに買った『マリア・シビラ・メーリアン作品集』中身は16,7世紀、紙が貴重な時代、南米で昆虫の観察をしていた昆虫学者の描いた絵画(記録)だった。幼虫や蛾やら、個人的にあまり好みではない物もあるが、だからこそ新鮮!美しい物も違うのも記録する熱意と技術に感服。

映画『黒いオルフェ』十数年ぶりに見る。好きな映画なのにずっと見ていなかった。見直して忘れていたシーンばかりだったが、見覚えのある場面で妙な高揚に襲われた。この映画は変わらずに素晴らしく、俺は良くも悪くもガキのまま変わることがない。ただ、映画の中のブラジルは、夢のように輝いている

 当時アントニオ・カルロス・ジョビンは知っていたが、ルイス・ボンファは知らなくってCDを買った。昔は狂ったように中古のCDを買いあさっていた。ネットなんてないし、ジャケットも解説も大切だ。情報に飢えていた。今は簡単に曲がきけてありがたいけれど、音楽への情熱は薄れてしまったかもしれない。良いとか悪いとかではないけれど、たまに、昔の熱情を懐かしく思う。オッサンになったって、それだけのことだ。

マルセル・カミュ監督の他の映画を見てみたくって、検索をしたけれど、日本で見られそうなのはこの一作だけらしい。十数年前も似たような落胆を覚えたような気がする。

 好きなのに手に入らない物は山ほどある。手元にあるのに消化できないものも山ほどある。

 いつまで俺は働けるのか、メンタルがまともでいられるのか、本を読めるのか書けるのか。

 そんなプレッシャーに押しつぶされ、ギャンブルや薬(きちんとした処方箋が出ています)に逃避したり、頭が回らずに疲労や焦燥に依存することがしばしば。

 それでもさ、俺は誰かの作品が、自分が書くのが好きなんだ。好きなこと、できるだけ長くしていきたいんだ。

最悪の年末 あるいはおわりはじまり

30日で仕事が終わりだった。簡単な短期の仕事、ということだったが、やはりそういうわけではなくて、へとへとになりながら仕事をしていた。薬を飲みながら、これで辞めたら後がないぞと思い、踏ん張った。

 来年のことは心配だけれど、とりあえずお疲れ俺。そう思って、緩んだ気持ちで、帰宅して、久しぶりにギャンブルをしてしまった。

結果、絶対に使ってはいけないクレカ払いの十数万の金を溶かした。

自分でも信じられないし愚かだし苦しいし、ショックで現状をちゃんとまだ理解できていない。少し前まで、ちゃんと貯金をしようとしていたのに。仕事も続けられるか分からないし、とにかくムダ金は使わないようにしていたのに。

なんで、ギャンブルを止められないのか。

三十数年生きてきて、今年の夏まではやっていなかった。それなのにいっきにはまって、貯金も失い大切な物も金に換えた。こつこつ貯めていたお金は、消えて不安と虚しさが残った。

 その上、小説も書けていない

 俺に、生きる理由がどんどんなくなっていって、自己肯定感とか、そういう単語の意味すら理解するのが困難になってきた。

 貧乏でも疾患持ちでも辛くても、小説が書けて誰かの作品に触れられたら良かった。

 そんな半年前の自分はどこかにいってしまったのか。

 ただ、愚かで辛い。このままア〇ムコースにいくのかな。行っても、俺は小説を書きたいって思えるのだろうか。

 自分を立て直すのは自分でしかできない。当たり前のことだ。焦りや不安や自己嫌悪で、薬を飲んで寝るだけの生活は嫌だ。そう言う期間があるのもしかたがないけれど、少なくしたい。

 何度もうまくいかなかった。ギャンブルでもやっぱりそうだった。辛いし愚かだ。

 でも、まだ、何かを残したい。働いて稼いだお金で本とかを買ったりして、自分でも何かを作りたい。簡単なことのはずだ。

 その簡単なことも、うまくいかない時期が続くと自暴自棄になり、何かに依存をした。今回はそれがギャンブルだった。

 自傷的な依存は傍から見たら愚かの極みで、自分でもその自覚はあるけれど、止めなければならない。

 俺は過去に愚かな行為に依存して、その報いを受けた。今の自分が生きているのは不思議な事で、余生のような物だから、とにかくやりたいことはやろうって思って暮らすようになってきた。

 それを新しい依存先が壊した。その責任は勿論俺だ。

 だが、まだ立て直しはできる。はずだ。金額もそうだが、今後の自分の生活に未来が見えないのと、何度やっても同じ失敗をしたり報われないという様々な要素がからみあっているのが、つらくて、目の前が真っ白やまっくらになる。

 それでも、いきていたい、まえにすすみたい、しょうせつ、また、書きたいって思うんだ。

愚か者の雑記

朝からギャンブル。止めようとしても止まらず、時折スマホを投げ出し、しかし一日中していた。複数のクレカのほぼ上限までいっていた。

今日だけで十万以上負けた。正確な金額は分からない。去年の年収は百万ちょいかな? 今の段階で、複数のクレカの支払いは、それを越えている。

 俺は今年の夏までギャンブルをほぼしなかった。あまり興味がなかったし、はまるとヤバイなって思っていた。

 でも、軽い気持ちで手を出して、熱狂発狂して依存した。すぐに体調を崩すし、仕事も転々とするので、欲しい物を買わずにこつこつと貯めてきたお金はあっという間に無くなった。

 この愚かな経験を創作の餌にするにはどのくらいの気持ちの余裕と時間が必要だろうか。

 三十数年生きてきて、ずっと手を出してきていなかったので、まさか自分がギャンブルで自分の生活がお通夜になるとは思わなかった。

 ただ、ここにはかけないような、書きたくないようなことで、もう人生なんていいやって思ったことも何度かある。それに比べたらまだ、ギャンブルでもう生活できないやってのは、ましなのか? 

 比較対象としてそれが適切かは分からないけれど。でも、まあお金が無いのは、働けばとりあえず解決する。でも、明日からの仕事に行くのが苦痛で仕方がない。不安と狂気の数歩手前でふらついている自分の姿が見える。

 少し前向きになろうとして、自死を選ぶ前にしたいことを思い浮かべる。ない。少し欲しい物、結構欲しい物は山ほどあるのに、今すぐ欲しい絶対に欲しい物はない、それか手に入らない。

 でも、自分の小説をきちんとした本にして出版したかったな、ってふと思った。でも、そんな自己満足な豪華な在庫を家に置いてもなあとも思う。

 小説を書いて、たまに、画を描いて、できたら陶芸や球体関節人形を作りたい。映画や音楽について学びたい。

 書く、ということについてはかなった。だから、自分の人生や生き方は愚かではあるが、そこまで後悔はない。パソコンの中に眠っている、俺にしか必要とされていない幾つもの小説も、まあ、好きでそれなりに満足している。

 明日から仕事に行かなければ、もっと辛い立場になるだろう。でも、頭がおかしくなるのはもっと怖いんだ。ずっと、眠っていたいんだ。自分がまともだって信じて、自分が喋りたい言葉で人と会話をして、創作物を作りたいんだ。

 無理な、難しい話だ。

 みっともないことを書き続けているが、俺もあと数ヶ月とか数年とか数十年後に死ぬから消えるからって思えば、少しは気が楽になる。

 その前に楽しく物を作ったり話したり触れたりしたかった。それができていた時期もあったような気がするが、思い出せない。

 さらに金を借りてそれを溶かすのか、自分はおかしくないと思いこんで、まともなふりをして嘘をついて人間と喋って仕事をこなして金を貰うのか

この先のことは分からない。分からないのが面白いのは若者だけだ。

俺は永遠に若いって、傲慢なことを考えている時があって、今もそうかもしれない。けど、若くても荒野或いはがらんどうだ。そうなってしまった。

 薬を飲んで眠るしかないのかな。

 読みたい本読まねばならない本、書きたいものがあるのに、できない。それが苦しい。お金のことばかり心配して、愚かな熱狂に依存して、またお金の心配をする。

眠り続けて遅刻したり腐る前にまた起き上がれるのだろうか。三十代も後半になって、結構きついなあって思うんだ。でもできなければ終りだから。終わりの前にもう少しもう少しって、毎回思って嫌になる。

 ぼろ雑巾、千切れるまで、続くんだ。

 

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友だち招待くじ とは?
キャンペーン期間中に友だち招待を成功させるとキャンペーンページ内に出現する、期間限定くじです。招待した人・招待された人ともに1度の招待成功で1回引くことができます。

報酬内容
期間限定!期待値は、1回あたり3,000pt超え!最低でも1,000ptです!

1等:50,000pt[排出確率 1.6%]
2等:5,000pt[排出確率 13.4%]
3等:3,000pt[排出確率 35.0%]
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参加方法
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TOPページ中の上記バナーより、キャンペーンページから参加可能です。

友だち招待成功の条件は?
招待する方
キャンペーンページ内の招待コードを、WINTICKETに登録したことがないお友だちにシェアしてください。お友だちがWINTICKETに登録し、下記条件を達成すると友だち招待成功です。

招待される方
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※1 WINTICKETを退会し、再度登録した場合は招待コードを使用できません。
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くじはどこから引ける?
くじはキャンペーンページ内の「友だち招待くじ」> くじ一覧ページよりご確認いただけます。

 

俺のコードになります。よろしくお願いいたします。

ZWDACC6F

またたきを探して溝の中へと

短期で新しい仕事が始まり、研修をして一応は真面目に働いている。仕事中は当たり前だがサボったりしないし、給料分はきちんと働きたい、働くべきだと考えている。

 だけれど、俺は仕事をすぐに辞めるし苦痛で不安で仕方がない。上辺のコミュニケーションはとても得意だし、相手が喜んでくれたら俺も嬉しい!みたいな単純な所もあるので、人間嫌いではないのだが、些細な事で激昂や狼狽してしまい、薬で抑えても何日も何年もそれが残る。

 薬を飲むのも十数年続けていると馬鹿らしくなってくる、虚しくなってくる。専門家ではないので間違ってことを書いているかもしれないが、薬には必ず大なり小なり副作用というものがある。効き目が強いものほど副作用も強めに出るものが多いらしい。

 薬を飲むと一応、症状は緩和されるが、その代わり想像しようとか創作物に触れようという意識、意欲も減退する。

 だとしたら、俺は何で生活や労働を続けているのか? それを無くしてまで生きている意義って何だろう。

 昨日今日、またギャンブルでかなりの金を溶かした。というか、毎日数万溶かしている。俺の収入、月収以上だ。クレカでの支払いなので未だ猶予はあるが、賭けに負けた後、さらに負けたんだ。

 日々の不満やストレスへの依存先がギャンブルになってしまった。大なり小なり誰でも何かに依存している、頼りにしているとは思うが、俺みたいな躁鬱とギャンブルの相性は抜群! いや、最悪だ。勝つまで続ける。稀に勝ってそれなりの金額をてにしても、それをかけてしまうから、結局手元に金は残らない。熱狂と焦燥の時間だけを手に入れるだけ。

 依存症、なのかは分からないが、自分がギャンブルに依存しているのは自覚すべきだと思った。

 最低限の生活費、気分に余裕がないと本を読む気にすらなれない。何かの、誰かの表現に触れて人生は豊かになる。現実の生活よりも本や映画音楽美術等、創作物の世界は自由で傲慢で我儘で突飛で麗しくって下品で優しくって嘘つきで矛盾していて、とにかく様々な物がつまっていて好きだ

 誰かが本気で作り上げた妄想の王国が好きなんだ。

 俺も、お金にはなっていないが妄想の王国、小説を書き続けていた。でも、三十代を半ばを過ぎて精神的にもうだめかもしれないと思うことが多くなってきた。

 それでも騙し騙し、空元気でなんとか日銭を稼いで薬を飲んできたけれど、疲れた。同じ苦しみを何度も繰り返していると、身体がすり減ってくる。将来の展望が見えなくなる。

 それを視野狭窄と呼ぶのかもしれないが、俺の人生ガキの頃から瞬いては消える小さな光をずっと追いかけているようだ。安定、というものなんて、皆無ではないがほとんどなかった。

 光が、光の幻覚が見たい欲しい。

 結果、己の愚かさで、依存先にギャンブルを見出し自滅した。

 正直、今この瞬間もギャンブルがしたい。こう文章にして書くと、やはり自分がギャンブル「にも」依存しているのかと思う。

 知らない内に俺は精神まで腐ってきているのか。まだ、歯止めは効くのか。分からない。分からないんだ。

感受性を墓から掘り起こせ

 短期だが新しい仕事が決まった。前の所とは違い、普通に研修をしてくれたから、覚えるのは大変だがほっとした。

 生活やお金のことばかり考えていて本を読むのも書くのもできずにいた。それくらいしか自分にはないから、自棄にのまれ、ギャンブルでまた金を溶かす生活に戻っていた。

ギャンブルはとてもとても楽しい。金を溶かしたりたまに増えたりする位しか楽しみが無いなんて。

 でも、ギャンブルの楽しさと共に虚しさも感じていた。欲しいのはお金ではなく、作品や人に感応できる感動できる瞬間時間。もっと欲張ると、安定してそれを作れるような時間だ。

 俺はこの先、つぶしのきかないオッサンとして生活を続けられるのだろうか? 続けるしかないのだけれど。本を読んで作品に触れて、或いは誰かに出会って錯覚を幻を見ることができたなら。

 雑記

映画『マルタのやさしい刺繍』また見る。夫を亡くしたお婆ちゃんが、夢だったランジェリーショップを立ち上げ立ち直るが、保守的な村では笑いものになって……という内容。高齢者や家族の問題や閉鎖的な場所での苦しみも描かれているが、それをはねのけるパワーは見ていて楽しい。色彩も豊かで綺麗

たまたま古本で目にとまった『12月くんの友だちめぐり』を買って読んだら、話も良いが画がすごく良かった。ドゥシャン・カーライという、チェコスロバキアを代表するイラストレーターらしい。花や動物の画がとても魅力的だ。他の本も見てみたいな

シーラ・ディレーニー戯曲『蜜の味』読む。大学の頃映画で見た。その原作を十数年ぶりに古本で見つけて、少し感動した。自堕落で気分屋な娼婦の母に育てられて、画の才能はあるがすれてしまった娘。母も娘も相手を見つけて結婚をして、娘は身ごもるが、その相手は水夫。一筋縄ではいかない人間関係

簡単には離れられないし、理解もできないという親子関係や恋人関係の難しさを描いている。この人の作品をもっと読みたくなったが、早くに書くのを止めたらしい。残念。これの映画も見たいがレンタルでは見たことが無い。辛くて貧しくても救いがあるらしい人々を見ると、やりきれないが何かをもらえる。

吉田喜重監督『ろくでなし』見る。デビュー作とのことだが、スタイリッシュな構図は最初からなのかとワクワク。少し台詞臭い喋りやベタな問題構造の対比はあるけれど、若い力ってすごいなって思える作品。若い津川雅彦かっこいい! ブルジョアなんて労働なんてくそくらえ! でも、やっぱり虚しいよ

吉田喜重監督『甘い夜の果て』見る。デパートに勤める主人公は、金と出世を何よりも求める。女達に取り入り、利用して成り上がろうとするのだが……。スタイリッシュな映像と、貧困や恵まれた生活との対比が合っている。愚かで自己中心的でエネルギッシュな主人公を演じる津川雅彦がとても良い。

 吉田喜重について、正直あまりいいイメージが無かった。俺は初期のアラン・レネが大好きなのだが、彼も映像はそれに近しいスタイリッシュさ、構図やモノクロの画面の魅力がある。でも、台詞回しがとてもやぼったく説明口調だったりこんなこと言うのは「創作物」の文学的なひとたちだよなあ、と気恥ずかしくなることもしばしば。

 だが、初期の二作はそういう高級大衆用メランコリックラブロマンスという側面よりも、荒々しさが前面に出ていて良かった。二作とも津川雅彦演じる愚かでエネルギッシュで魅力的な若者が主役だったのも大きい。

 焦燥と熱情を燃やしても虚無へと落ちる。二十代ではなくて、色々とおしまいになっている、おっさんの俺が見た方が胸に来た。もう俺は若くはないのに。映画の登場人物のような輝きなんてないのに。

 でも、そういうきらめきがあるんだって勘違いしているからこそ、人は生きられるんだよなって思う

ゴダールの二番目の妻アンヌ・ヴィアゼムスキーの自伝的小説の映画化『グッバイ・ゴダール!』見る。ゴダールとアンヌとの愛と破局を、リスペクトやオマージュを交えて、ややコメディチックに描く。作品としては悪くないというか、むしろ洒落ていて見やすいし楽しい良いものかもしれない。でも、

これを見るのってゴダールのかなりのファンではないだろうか?って、単に自分がそうなだけかも。そのファンの視点で見ると、ゴダールへのオマージュや意識した配色やショットが野暮ったく見えてくるし、激しさも見にくさもない、優等生的な感じが不満だ。最後のゴダールのモノローグ、あんな殊勝な

ことをゴダールは絶対に思わない!(個人の勝手な感想です)。ファンアイテム的なものではなく、傲慢で先鋭的で革新を夢みた監督に振り回された若きアンヌの愛の映画として受け取る方がいいのかも。主役の二人はとても魅力的だと思ったし、かなり似ているのでは?とも。

 ただ、ヌーヴェル・ヴァーグの監督の映画や関連の作品はなんだかんだ文句を言いたくなってしまうけれど、全部好きでありがたいものかも。あの時代、俺が生まれていない時代。でも、熱狂と革命と先鋭と虚しさがあった時代。なんて、今だって誰かの作品や生きざまにはそれがある。

 美しき世紀なんて時代なんて妄想の産物、分かってるけれど、憧れのものがあるって素敵だなって。

ふさぎ込んでいた、ふさぎ込んでいる。金をすり減らす。展望も欲しい物も無い。中古で二万位していた中平卓馬の『新たなる凝視』が、状態悪くて結構安かったので買ってしまった。金が無いのにギャンブルで数万気軽に溶かす癖に、数千円の本でも買えない貧乏性。それにこの本は前に読んだ事がある。

だけど、改めて数年ぶりに写真集を見たら良かった。とても良かった。あ、中平卓馬だ!と分かる写真。ページをめくる喜びが、写真に出会う喜びがあった。植物図鑑、よりかはもう少し被写体に近しいような、生きている図鑑がある。本当にこの人の写真が好きだ。本が読めなくなるから人生投げなくて良かった

 沢山家に読んでいない本がたまっている。仕事探しと新しい仕事でヘロヘロになって、気づいたらスマホで時間をつぶしたり疲れてねてしまったり。

 俺には本を書く、読む位しか世界の豊かさを感じられないのに。そこへのアクセスを遮断してまで働いたり頑張って生活を続けたりするのか? とかいう極端な悩みに何度でも行き当たる。

 普通に生活をしてお金を稼いで自分の好きなこともやる、ということができない。いや、むりやりなんとかしているつもりだが、ずっと自分ができていない足りないと思いながら人生をすり減らしている。

 でも、先ずは次の小説が書けるように、感受性を墓から掘り起こさなきゃな。その為には他者の作品が必要だ。お金を無駄にするのは楽しいよ。俺の最新最悪の慰め。当分手放せる気がしない。でも、墓掘りしなくっちゃ。それで掘り起こした物を花々で飾って硝子の柩につめて埋葬しなくっちゃ。

 

 小説を購入してくれた方、ありがとう。俺から電子の文字で花びらを。