くまくんあざらしくん ぼくらはなかよし

旭山動物園で飼育している動物を写した、写真いっぱいの絵本みたいなのを読んだん。したら最初のページがホッキョクグマで、次のページがアザラシ。どっちも超可愛い!家で飼いたい!同じ空間にいたら殺される!ウホホイ!
 
 ってかさ、ホッキョクグマって、アザラシを主食にしているらしいんすけど。いいのか。

 これを読んだ子供が「ママーあざらしかわいー」とか言ったら母親がページを一枚めくり、
「でもねミキちゃん、このアザラシはクマさんにブチ殺されるのよ、うふふふ」
「やーだー。えーんえーん」

 とか、そういうのがHey!Say!(ジャニーさんのダサすぎるセンスに嫉妬)時代の教育なんでしょうか?千パーセント違うだろうからいいです。

 町田康の新刊『新説・外道の潮騒』を読む。この本は前作『実録・外道の条件』と同じテーマを扱っている。それは困った業界人と俺。といったものだが、これが面白い。

 町田康のエッセイ(小説)ではよく困ったチャンに振り回される(自分の妄想に振り回される)様子が描かれているのだが、そこには突飛過ぎる設定が多くかった。しかもエッセイでは少ない字数で収めることになるので、同じような内容の、無茶苦茶伝統芸能みたいなオチに閉口する時があった。俺が町田が好きな落語に関心が無いのが一因かもしれないけど。

 しかし業界人をモデルにとった今作にその心配はなく、どんどん読み進めることが出来た。

 中でもおかしいのが、人の話を全然聞かない業界人に、町田が振り回されつつも真面目に対応しつづける所だ。町田がいくら言葉を重ねても「はい分かりました」で一蹴される。事態はちっとも好転しない。「おもしろカフカ」の小説を読んでいるようだった。

 そして途中で町田は相手は自分を馬鹿だと思っているのではないかと気づく。お互いがお互いを馬鹿だと思い、なんとか説得しようと考えているのならば、話が上手くいかないのも当然のことだ。

 ここで出てくる(あくまでモデル)業界人はテレビ系の人なのだが、彼ら(の一部であって欲しい)が「人間は皆テレビに出たいと思っている」とか「とにかく自分の思い通りに言葉を誘導して画面を作る」とか思っている(らしい)ことは愚の骨頂であり、浅ましい限りであるが、それに付き合う町田も馬鹿馬鹿しさを発揮して、一人きりになると意味不明なことを口走りつつも、真面目に付き合っているのがいい。

 しかし結局町田はブコウスキーという題材と先輩の頼みによって、グダグダのままアメリカに飛んでしまうのだ。そしてアメリカについてからは飯を食ったり意味無くふらふらするだけで、町田もグダグダに飲まれて行く。町田に感情移入していた読者は、次第に町田にもつっこみを入れたくなる。

 腹立たしいけれど馬鹿馬鹿しいことが起こった時にどうするべきか。悲劇と喜劇は表裏一体であるように、低俗な(不条理を含んだ)悲劇には、それを低俗な喜劇として楽しむ度量が必要なのだろう。毎日が腹立たしいということは、毎日がプチオモローかもしれないのだ。(俺はナベアツを面白いと思ったことないけど)。あくまで耐えられる範囲でだが、何かあったらネタにするべきだ。そうすれば君もオモロー!

 俺はこれからもホッキョクグマにつっこみを入れる日々を誓う。てか、Hey!Say!時代の教育ならば、実際に貪り食っている写真もいいかもしれない。18禁のどうぶつしゃしんしゅう!わあーあざらしさんがくまさんにたべられちゃう!

 しゅっぱんしゃのおにいさんおねえさんへ
 れんらくまってます