茶道武道、貴族聖女

 厭な感じの天気が続いているが、気づけば食事も読書も当たり障りのない、手軽な物ばかりになってしまっていて、もう少しこってりしたものを口にしたり、とりかからねばならないなと思いながらも、気軽な消費は楽しい。

 再読するミシェル・トゥルニエの『聖女ジャンヌと悪魔ジル』

二人が対話をする、好きなシーンがある。ジャンヌがジル・ド・レに「あなたは神学に詳しい。あなたの仲間は馬鹿にしているけれど」というようなことを口にすると、ジルが語る。



「それは本当のことだ私は思想などを持ったことは一度もない。私は学者でも哲学者でもないし、読み書きすることは大の苦手だ。しかし今年の二月二十五日に、あなたが突然シノン城にやってきた時から、私のこの、貧しい頭の中に止めることの出来る唯一の思想なのだ」

 ジャンヌは突然警戒しながらジルを見つめる(中略)

「だが、私は特に、あなたの中にあって、なにものにも汚すことのできない、その清らかさゆえに、あなたを愛するのだ」

 

 頭を下げると、ジャンヌの傷が彼の目に入る。

「私があなたにしたいと願う唯一の口づけを受け入れてくれるだろうか?」

 彼は身をかがめて、ジャンヌの傷の上に唇を長々と当てる。

 彼はそれから立ち上がると、下で唇をなめる。

「私はあなたの血を聖体のように拝領したのだ。わたしは永久にあなたと結ばれているのだ。これからは、私はあなたの行くところならどこにでもついて行くだろう。天国でも地獄でも!」

 ジャンヌは身体を激しく揺すって起き上がる。

「天国か地獄へ行く前に、私はパリに行きたいわ!」

 

 あなたが唯一の思想なんだ、なんて感動的な台詞じゃないか? 感動的な台詞だ。台詞だ。普通の状況でそんな言葉が漏れたらご遠慮願いたいような台詞だ。というよりも、トゥルニエ=作家が書かせた「貧しい頭の中に止めることの出来る唯一の思想」という告白であるからこそ機能するのだろう。貴族ではないならば「二歳の雄牛くらいの知能」では輝かしくは生きられない。 俺も天国や地獄よりもパリに行きたいな、それかお茶会。

 俺の実家は普通の家庭だけれど、母親が一時期茶道にはまっていて、リビングで抹茶を点ててくれたことがあった。桃がかった肌色の器に口づけるとほんのりと温かく、器を傾け感じる抹茶の味は多少苦く、心地良かった。

 硝子瓶に入ったラムネが美味しいと感じるのは気分だけではなく口づけの温度も関係するそうだが、シャンパンに口づける為の薄いグラス、抹茶を受け止める為の茶器。母に簡易な茶を点てて貰った時に、唇の為の器というものを初めて知った。つまりそれは、もてなしの心ということだ。

 母は和菓子が好きで、和三盆糖の、色とりどりの季節を表現した干菓子をよく用意してくれていたのだが、夏の日には涼しげなものをまた冬の日には温かな物をモチーフにした菓子は目を惹くものでもあり、とても美しいものであるように思われた。

 茶道関係の本を読み漁りながら、こういうのはちゃんと体験しなきゃあなあ、と思いながらそんな余裕があるわけでもなく、だって、他にもしなきゃいけない(と思い込んでいる)ことが山ほどある。それにお茶会以外だって、いつだって無言のドレスコードに縛られてるんだから俺ら。

 山ほどあるしなければならないことを思うと、マゾヒスティックな悦びというよりも、使い方の分からない、説明書の無い無数のゲームソフトを想起して、げんなりしつつもなんだかわくわくしてしまう。或いは自分自身への言い訳。

 茶道、というと連想されるのが武士道で、「漫画」の「ゲーム」の世界のサムライはカッコいいなあと思うし俺もなりたいなと思うが、歴史的な資料(に限らないけれど)はどうあっても都合良く美化されたり改竄されたりしてしまうのだから、どうしても割引いて見てしまう厭な性格で、大好きな作家でも歴史ものを出されると、嫌々読み進めることになってしまう。おまけに読んでも時間が経つと忘れてしまう。まあ、それは好きな物でもそうだったりするけれど。

 武士道とは死ぬことと見つけたり、という『葉隠』の一節を、そういったものに不案内な俺はカート・コバーンの遺言のように、志の為には命だって粗末にしてしまえ、ということだと記憶していて、もし武士でなくてもそういう人はかっこいいなと思う。

 室町時代の武士は茶道も嗜んでいたらしいのだが、相手を組み伏すこと、討ち破ることには「もてなしの心」が最適だという気がする。敵を知り己を知れば百戦危うからずとはその通りだと思う。戦場で畳の上で残忍なもてなしを。文人、いや武人とは日本一流のサディスト・マゾヒスト、きっと彼らは粋な破壊神なのだろう。日々の生活の中で忘れていた蛮勇を、健康を。

 しかし貴族のジルでも聖女ジャンヌでもない俺は、ジルが苦手でジャンヌが大して必要としない「読み書き」が必要で大切で、気軽な物であっても消費やこういった雑文をおもいつくままに。