サンタさんニャルラトホテプ下さい。

あ、アニメの話を書こうと思っていたのに忘れていた、

忘れていた、といえば、先日新宿の駅前のストリートミュージシャンがサンタ帽をかぶっていて、にっこにこ顔で歌っているのにお客さんゼロというのが、あーメンタル強いなあと思った。あと、コンビニとかサーティーワンとかケーキやさんとかはわかるのだが、紀伊国屋書店まで店員がサンタになっているというのはどうかと思ったのだが、ラりっている感じというか、こういうクオリティの微妙な感じは結構好きだ。

 早朝、渋谷のドンキホーテの前に(多分ドンキではなく別会場での)イベント前の待機らしきアルバイトのサンタが大量に待機しているのも面白かった。サンタさんプレゼントは超便利アマゾンではなくドンキで買っているんだね。またひとつ大人になったのだが、プレゼントもらえんかった、というか3DSほしい。3DSがあったら世界征服できるのにな。世界征服したくないけれど。

 コロコロとかボンボンとか、どちらかは休刊しているように思うのだが、子供が手に取りやすい大きさで、本というよりも四角というか「コロコロ」という語感もあいまって箱を開いているかのような感じがうまいなあと思った。

 ああいう漫画って、企業とタイアップしている感じの漫画がよく出てきていて、なんでベーゴマとかビー玉とかゲームの対決が世界征服の戦いになるんだよ、みたいなのが結構面白い。まあ、分かりやすさと共に玩具を売るってのもあるからだろうけれど。

 うろ覚えだから勘違いがあるからかもしれないけれど、戦隊物の合体メカって、玩具会社が玩具を売るためにそういう設定をねじ込んだらしい。うまいなーと思う。良い悪いとかではなく。

 友人が言ったのか、どっかの文章で目にしたのか、「頭がいいやつは人に身体を売らせるんだ。身体を売る(働くという意味も)のは馬鹿しかしない」という言葉を思い出す。まあ、正しいとは思うが、別にこういう生き方をしたい人だけ、こういう言葉を口にすればいいと思う。こういう発言主もまた、「数万円で身体が売れたと喜ぶ女の子/男の子」と「数万円で人の身体が買えてしまう(自分だったらしない)ことに喜ぶ男/女」とういう幸福でしょーもないひと時の人間関係と同環境の思考であって、それが好きな人は、それでいいんじゃあないかなと思う。幸福は世界はそれぞれで、それぞれを自分が選択しなければならないのだから。居心地の良い場所へ。

 とか書いているような、こんな雑記であってもそこそこ理屈っぽい、というのもアニメを楽しめない要因のような。ゴクウ(影山ヒロノブ)も
「チャーラー ヘッチャラー 頭空っぽの方が 夢つめこめるー」って歌ってたもんなー。頭空っぽでスゲーとか言うのって楽しいのだ。

 アニメーション映画を借りる。ジョージ・オーウェル原作の『動物農場』。原作は高校のころに読んで細かい筋は忘れているのだが、って、十数年前に読んだ本の細部まで覚えている人間なんてかなりのものだと思うのだが、当時読んだ感想はあーハリウッド映画ぽい(皆が評価「しやすそう」だけれど、実際出来は良くても、別にそんなに衝撃はない)なあということで、今回見た感想もそんなものだった。

 でもこの映画が1954年に撮られていたというのは少し驚いたというか、すごいなあと思った。当時においても今見ても古びていない豊かなアニメーションの表現。

 でも正直アニメーションにおける登場人物がキャラクター的過ぎて(つまり属性で紹介できるような類型的な造形)楽しみがないというか、「突然動物が飛び出す」ような破綻するような危険がないのだ。だからこそエンタメといえるかもしれないけれど。 単に構成力がないのを勘違いしているのとか、大きな音を出したりありえない展開で驚かせるのを勘違いしているのとかよりかはずっと好感が持てるのだけれども。

 アニメーションは文章に比べて説明が不足になりやすいというか、結果として受け入れやすいキャラが想定内の行動をすることが多い。勿論それでも十分だし、とにかく出来たものがよければ何だっていいのだけれど、そういう制約があってもなおアニメーションが優れているとするならば、それは画があり声があるということ。そして多分(それらにより)物語への親近性が他のメディアよりも強いということが挙げられるような気がする。

 でも、俺は画なら漫画イラスト絵画、の方が、と思ってしまうところがあり、というかアニメーションで感動する感性がないのかなと思う。勿論すごいな、と思うのもあるけれど、ヌルヌル動いて金かかっているなあ(勿論いい意味で)、みたいな感想を抱くのが先行してしまう。声についてもゲームはするので好きな声(優)とかいるのだが、
アニメを見ないし、声優の演技も途中でボタンでスキップしまくってしまう。
 
 そんな俺にぴったり、かもしれない萩原朔太郎原作で町田康朗読の『猫町


版画家・金井田英津子が新感覚の絵と色彩で「画ニメ」として表現。


 とのことで、紙芝居みたいな趣の、印刷された版画を舐めるようにカメラがとらえて、それに町田康の朗読が入るという、別にセンスが構図が良ければ「動き」なんて必要とは思わない俺としてはかなり鉄板で楽しめるものだ、と思っていたのだが、予想外のことに町田康の声がかなりこもっている。

 俺は彼の喋りを聞いたり、CD内の語りとかを耳にしたりしているのだが、確かに彼ははっきりとした明瞭な声質ではないかもしれないが、それにしても映画を見ている最中ずっとそのことが気になるほどで、録音の関係なのだろうか? 正直町田康、という知った名前でもなければ、かなり印象が悪く途中で止めようかと思ったくらいだ。

 でもまあ、終わる直前で「これはこれでいいかも」とも思ったが。

 そういえばこの作品も高校のころに読んだ。この映画を版画のスライドショーみたいに表現して、淡々とした語りが入るというのはとても相性がいいように思えた。これを見て、原作を再読したくなった。動きがなくても十分、画の魅力で幻想世界の共有ができた。

 『H・P・ラヴクラフトのダニッチ・ホラー その他の物語』はクトゥルー神話とか全然詳しくないというか原作を読まずに、女神転生の大ファンだからちょろっと知識がある、という程度なのだが、というかホラー小説とか全く興味がないのだが、なんというか、しょぼいクレイアニメらしき表現ながら結構楽しめた。

 ホラーというのは視覚的なもので、(文章への点が辛いからか)アニメや映画というものの方が相性が良いように思える。のだが、今ならどんどんCGやらが発展しているので少し前に見たものがしょぼくなってしまう、なんてことにもなりかねない。だから最初から低予算を前提に作られているものや、しょぼさを売りにしているものの方が強みを生かせるようにも思う。

 しょぼくて少し奇妙な造形の人間たちと動きの少ないカメラワークがいい味を出していると思った。声を担当しているミッキーカーチスがうまいというか、あっているなあと思った。おまけに音楽はジム・オルーク
 
 大好き、というわけではないのだが、ぼーっと楽しむにはかなり豪華なメンツで楽しめた。

 もうひとつ重要なのは、この映画が全部一時間程度ということだった。好きな物なら何時間つきあってもいいが、正直このくらいの時間の方が飽き症の俺には助かるし、作る方も敷居が低いように思う。もっと他のもどんどんアニメーションになればいいのになあと思った。客が少ないかもしれないが、子供が楽しめないアニメだっていいのに。
 こういうのを見続けて、長い、見ようかなと何年も見ていないアニメにも手が出せたら。