わがままでいたいのーって、あのアルバムほぼ捨て曲ないよねー

 予定がポシャってしまって、とりあえず外出をする。元日の繁華街は一部の店だけが盛り上がってセールをしていて、人もそこそこ、といった感じがなんだか好きだ。花ざかりの廃墟、といった趣があるような気がする。

 小春日和の繁華街で無駄な物を買い、外套を着込んで歩き続けていると、紙袋を持つ手が汗ばんでいることに気づく。

 予定していなかったのだが、実家に寄る。雑煮やおせち料理をいただく。やっぱり家の料理はおいしいなあと思う。そりゃあそれなりの店の方が旨いにせよ、実家というか、手間暇かけた料理というのは美味しいし、ありがたいものだと思う。


 雑煮や煮物の京人参がとてもおいしかった。色も普通の人参よりも色が濃く紅、臙脂色で好みだ。というか京野菜はいい意味で野菜の生臭さというのがとても少なく、その代わりに仄かな甘み(うまみ)というようなものがあるような印象がある。

 記憶違いでなければ、味付けのそんなに濃くない精進料理と共に発展していった歴史があるからということなのだろう。

 俺はチョコレートが大好きだし、油も砂糖も大好きだが、あっさりとしたおいしい物を口にすると、心が落ち着くというか、少量でも十分満足できるように思う。

  料理に関して、とても神経質らしい坂上忍が「食べたときに何がどのくらい足りないのかが分かってしまう」と発言していて、テレビ慣れしている彼が多少のリップサービスで口にしている(かもしれない)にせよ、俺はそれを聞いていてあまりいい気分がしなかった。俺も、そういうタイプで、何かを口にした後で一々神経質な感想を抱いてしまうから。

 でも、俺は料理はおいしくいただく、という方がいいように思えていて、それはやっぱりその人の為に時間を割いてくれていたものを無下にする、というのはやはりよろしくないことのように思えてしまう。

 作品はいい。だって、それはエゴイスティックなものであるから。でも、料理は誰かの為に作ったもので、俺は正直な感想の方がうれしいけれど、そんな人はかなり少数で、それに食事をとる、というのは一人で行うものではないもので(一人でとる食事は栄養を摂取するというようなニュアンスがあるように思える)、楽しく食べたほうがいいように思う。

 ホリケンとかローラとかダイゴ(歌手、アイドルの方)とかみたいなアホぼっちゃん嬢ちゃんみたいな人が俺は好きだ。おいしー、あ、うん、いらなーい。みたいなノリで。

 江戸前寿司の大将がエッセイで口にしていた、「鮨屋鮨屋の演技をしているから、お客様もお客様の演技をして楽しんでいただきたい」といった感じの言葉は俺も同感で、プロに向かって素人うんちくを語ったりするのはやはり無粋なことだし、相手を信頼して、暖簾をくぐったならば身を外套を預けて、値段分楽をする方が楽しい方がきっといい。

 先日友人と高島屋に行き、俺はショーウィンドーをみるばかりで、でもそれでもそこそこ楽しい。ヴィヴィアンのマネキンを見ながら、ヴィヴィアンのマネキンは顔の部分に太い黒のストライプが入っていて「エルミナージュ」シリーズの状態異常の「呪い」みたいで素敵だなあと思う。
 
 かなりまえにマネキンの本を読んで、マネキンというものは少しだけ理想化された感じというのが好まれるらしく、日本ではハーフモデル的なスタイルというか、「フェアリー」のようなオードリィ・ヘプバーンが日本で特に好まれるのもそういう理由がある、みたいな内容が書かれていたと思うのだが、かなり記憶があいまいで、再読したい。題名が分からない。

 自分自身をマネキンにする喜び、というのもファッションにはあるはずで、他人の、場の目の楽しみというのもあるだろうが、それ以上に、自分をカスタムするチューンナップするという楽しみがあるだろう。

 でもそれには恐ろしいほどのお金がかかるのだ。本なら3000円位でかなり上等な本が買えるが、ファッションの世界で3000円と言ったら、「あれ?」みたいな感じで、その上、それらを組み合わせないといけないなんて! なんて恐ろしい幸福だ!

 某雑誌のコピー「シーンの最前線に立つ気概はあるか(みたいなの)」が笑いごとではない。「変化する」(どうでもいいが、タレントに対して「劣化」という言葉が使われるというのは、その言葉の用法が適切にせよ、すごいなあ、と思う。)肉体をマネキンにして生きるというのは、くらくらするような痛みがある。眩暈と痙攣。大して好きではない「マルドロールの歌」が頭をよぎる。センスの良い粗暴な喜び。


 でも、俺はそういう生活が出来ていないというか、洋服は好きだが、大好きではないのだってことだ。いくつもを好きにはなれないということ。

 で、ハマルと怖いから買わないようにしていたのだが、とうとうdsのそふと「わがままファッションGirls Mode」を買う。自分がセレクトショップのオーナーになって、仕入れをしながら来客のわがままな注文に洋服を(セレクトして)提供するというもので、

 このゲーム自体は続編も出ているしかなり評価が高かったしレヴューも目にしていたし、やる前から期待は高かった。一万点以上ファッションアイテムがあるというのもいいし、自分も勿論そのアイテムを組み合わせてコーディネートを楽しめるし、メイクや髪形も自由に変えられる。

 やってみると、結構単純作業の繰り返しだと気づく。でも、かなり面白い。パズルゲームのような面白さだ。お店にくるお客さんはセレクトショップなのでかなりバリエーションに富んだ要求をする。俺はエレガント、モード系の内装でそういう服を着させたマネキンを置いていても、別の好みのお客さんがかなり来る。これは現実としてはあまりありえないだろうが、ゲームとしては正解だと思う。だって基本同じブランドのものとかを勧めるとお客さんは満足するし。在庫があるので様々なファッション(ブランド)を要求する全員を満足させるのは不可能だから、メリハリがあっていい。

 それにお客さんをトータルコーディネートして、それを買ってくれる時はかなり嬉しい。だって、売上で新しい服を仕入れることができるから! 洋服を買うのがマジ楽しい。ブランドは16種類あり、エレガント、ゴシック、シンプル、ギャル、スポーツ、エスニック、レトロ、キュート…と沢山あり、最初は自分の好みのブランドの服ばかり買っていたのだが、ゲームの性質上あまりほしくない服も買わなければならず(モード、エレガント系は単価が高くて、それより売れて初めてお金が入るので種類をそろえた方がいいのだ)

 ほしくない服でも買って、合わせていくのは、マジ楽しい。服を買って、売って、売った金で新しい服(店の在庫)を買う。たまに自分も買った服に着替えて、メイクや紙やカラコンでおしゃれをして、エンドレス。

 ゲーム的にもモード系が好きなお客さんはゴシック、エレガント系もわりかしオッケーで、とかゆるいつながりがあるのも楽しい。基本は好きなブランド(好きな色)の洋服を買うのだが、思いがけずに別のブランドとかの組み合わせを買ってくれた時はテンションあがる。

 あーあ、俺、男だから男が主人公のやりたいなーと思った。俺はゲームをプレイする時に自分の名前を入れるのだが、さすがに女の子に自分の名前を入れることは出来ずに、適当にツバキ、にして店名は椿の店だしカメリアにした…安直…。でも、まあこれはこれで少女漫画の主人公的でいい、ような。

 男に比べて女の方がアイテムがずっと多くて、だからコレクションラインとかファッション誌とか、女性の方がずっと刺激的なことが多々ある。男の俺は女装趣味とかないし、女になりたいとか思ったことはないが、ことファッションに関しては女の子はいいな、と思う。まあ、「いいな」の分現実に女性になったらファッション(メイク)極楽地獄が待っているだろうけれど…


 でも、こういうの男ヴァージョンも作ってほしいな。基本メンズコーデで、イケメンショタ設定で女装もオッケーにしたらギリで大丈夫な気がする。画は岸田メルカスカベアキラ先生で…。一部で売れると思うのですが…。

 めっちゃ面白くて、時間的には大してやっていないのだが、店のランクみたいなのが一日で三ツ星になってしまった(一応五つ星が最高らしい)。正直ゲーム内容は単調で飽きも早い気もするのだが、それでも、洋服買うのって楽しい。組み合わせて似合う似合わないとか、ゲームのアバターだから(顔、髪の)着せかえも自由自在! た、たのしい。安野モヨコのCUTIEで連載していた服飾漫画『ジェリービーンズ』の主人公のマメちゃんみたいな感じだ。(あっちは洋服を作るが)

 洋服って、やっぱりどこかで見られる、場に出る楽しみもあって、それも忘れちゃいけないし、食事に感謝するように、人と、人との出会いも感謝しなければファッション業界では生きていけいけないような気がする。幸福にならなければ、経営者でなければ、生きられない世界。

 高校生の頃の俺は憧れがあったけれど、その選択はしなかった。他に好きな物があったから。でも、洋服だって好きで、それは今も。だから、久しぶりに、ゲームの中にせよ洋服をバカ買いする楽しみを思い出した。洋服って、いいなあ、と思う。野宮麻貴が口にしたように、ファッションは「気分をあげるもの」だから。

 前向きでも後ろ向きでもない俺は、まあ、色々感謝して色々まあ、流してしまって、暮らしていけたら。あ、今年午年らしいです。わんわん。