母と

イライラすると何か買いたくなって困る。月末の支払いで我に返る。
やること片付けた、とはいえ、そのせいで腑抜けになってしまったり、まだまだやることは色々あったりして、どうもぐだぐだしてしまっていた。

 先日母親と二人で映画を見に行った。親と二人でどこかに行くなんて、何年ぶりだろうか?覚えていないが、滅多にそんな機会はないし、自分からもつくろうとはしなかった。

 家族仲は険悪だったりもそれなりだったりもしながら、今は割りと良好かもしれない。それに、俺は家による時は何かしら、花や、雑貨や、本やらを持って行って、親も何かしらのものを持たせてくれていた。

 多分、少し離れているからこそ、お互いに優しく出来るのだと思う。でも、この先親とどこかに行く、連れていけるなんてあまりないのかな、と思ったら、自分から誘うことにした。

 でも、父はそういうイベントに興味が薄いし、母は好き嫌いが激しく、頭を悩ませていたのだが、今度のエルメス・ル・ステュディオの映画がアニエス・ヴァルダの『ジャック・ドゥミの少年期』ということでこれなら、と思い母を誘った。

 しかし、母は銀座で働いていて、自分の気分やらが万全でなければ銀座に行くのに抵抗を示した。でも、俺もそれは分かる気がする。気分があまり良くない時に、着飾って華やかな場所に行くというのはひどく疲れるものだ。

 でも結局日時を変更して、母と銀座に向かった。銀座にもドン・キホーテユニクロもできて、と愚痴る母。歳を取ると愚痴やら昔話が多くなって、息子の俺はそれが嫌でやんわりと諭すと、やんわりと「ごめんね」と言いつつも、文句は続く。まあ、少しくらいのストレス発散になればとも思っているのだけれど。

 アニエス・ヴァルダの映画はネットレンタルですらかなり少なく、六本木のツタヤに『五時から七時までのクレオ』があって、母と一緒に見たことを覚えている。とても美しいモノクロの映画で、いちいちカメラや人物が動くのも静止画も構図が決まっていて、あっけない結末も含め、素敵な映画だった。母は大抵の映画に文句を言うのだが、ヴァルダの映画はとても褒めていた。

 夫婦生活の交換可能性をクールに示唆した『幸福』も、母はみゆき座で見たのと口にした。

 俺は、東京で生まれて都心で育ったので、行きたい所にはわりと簡単に行けた。だから、場所やらブランドやらに思い入れが薄い。なんだって、慣れるものだと思うから。でも、地方から出てきて、銀座でそれなりの成果を収めた母にとっては、銀座はとても思い入れのある場所だという。銀ブラ、とか母が口にするとこっ恥ずかしい気分になるのだが、でも、そんなに好きな町があるなんて、いいことなのかもしれないとも、そう思う。

 この映画は夫のジャック・ドゥミの死後に、妻のアニエス・ヴァルダが幼少期を中心にフィルムに収めたもので、所々にジャック・ドゥミの作品を挟んでいるのがとても自然で、また、ドゥミの素晴らしい映画の記憶も呼び起こしてくれて、とても幸福な気分になった。ロシュフォールシェルブール、といった名作もそうだが、ローラとかロバと王女とか新・七つの大罪とかあーこんなのもあったなーみたいなのとかまったく知らないのとか、その映画を見た時の記憶までよみがえってくる。

 それが、主人公のジャック・ドゥミともリンクしていくような気がしてくるのだ。戦時中をくぐり抜け、どうにか映画を撮りたいと思う映画狂のジャック・ドゥミ。しかし金銭的知識的、何より、親の反対で上手くはいかない、けれど、彼は最終的には親を説得してその道へと進み、途中無職になったりして(というナレーションに思わず笑ってしまったが)監督へとなり、そして、死しても彼のフィルムは残り、また、こんな愛情の溢れる作品を奥さんが撮ってくれるなんて。

 見終わって思ったのは、母と来てよかったなあ、ということだった。以前アラン・レネの『二十四時間の情事』俺の部屋からをかってに借りて、激怒された思い出があるから。よく両親にこんなものを見るな、と言われたものだが、自分で楽しんでいるだけだからいいじゃんとか面倒だなあ、と思っていた。他にも高校生の頃、中上健次やキエルケゴールや澁澤龍彦とかケッセルの『昼顔』とかも怒られた。それも、そんなに好きでもないのだけれど。

 でも、まあ、こんなんばかり好んでいるからきちんと社会に迎合できていないというのは、まあ、当たっている。なおしようもないが。

 そういえば兄も俺の服を勝手に借りた上に逆ギレということをしたことがあって、今は兄もかなり穏やかになっているが、警戒心だけは残るものだ。

 それに、(俺、みたく)「映画って二時間も座っていなければいけないのがつらい」と言っていた母親が、満足そうにしていたのでよかったなと思った。

 映画館を出て、「ジャコがいいわね」と言うからジャック・ドゥミの劇中の愛称だと思い、そんなに気に入っていたのかなと思ったが、それは食べ物のジャコで、熊本館でジャコを買った。そばぼうろが460円もして、こういうアンテナショップの高さに戦慄した。マジで。そばがしせんべいの小さな袋が460円って! 

 それから松屋で色々と惣菜やら刺し身やらパンやらを買って、家で食べる。母が一人だとたくさん買えないからとても助かったと口にしていて、俺よりもずっと小さく、歳もとった母のことを思う。たまには、こういうのもいいかなと思うし、俺もぼんやりと、楽しかったなと思っていた。

 ふと、気が軽くなったような気もした。やっぱりめんどくさいとかちょっと躊躇してしまうことがたくさんあって、でも、街に出るたび、誰かと会うたび、新しい本を手に取るたび、気が変わることもある。忘れてしまうことも、気づいてしまうことも。そういうのがいいなって、思う。