瞳の中の星々を燃やして

 銀座のエルメスで毎月映画を見ているのは、単に無料だからというゲスい理由なだけなのだが、それでも行ってよかったというか、周りに何もなく、映画にだけ集中できるというのはありがたいなあと思う。

 アニメの短編集の映画は、普段はアニメーションをあまり見ないのもあるが、外国独特のアニメの表現方法というのが目新しく、何を見ても楽しめた。しかも短編だし、飽きることもない。

 俺は放送しているアニメも見たいと思いながらも、十数話とか二十数話、全部見なければならないと思うと気軽に見られない…でも映画用の新規映画(アニメの劇場版ではない)、オリジナルとかってあんまないからね…外国のアニメ事情ってどうなっているんだろ? 連載みたいなのではないのだと、やはり作るの難しいのだろうか

 あと、イタリア映画の『追い越し野郎』も良かった。マジメな大学生が脳天気な典型的なイタリア男と車でデコボココンビでドタバタ珍道中、というコメディではあるのだが、ラストがショッキングでとても良かった。

 ラストに至るまでの助走というか、展開はきっと観客には読めるのだけれど、それでも衝撃というか、残る。脳天気な男の弱さが顕になり、弱気だった男が変わろうとした時に、クライマックスを迎えるというのは演出としてもうまいなあと思う。

 そしてこの前見たのが、都市をテーマにした短編集で、いわゆるヴィデオアートのたぐいなのだが、正直こういうのは苦手なのだ。展示であったら、スルーする類。

 でも見に行ったのは、惰性、というのもあるけれど、こういうのをオムニバスで流す機会って多分なかなか無いはずだし、いつまでも食わず嫌いもよくないかなと思ったから。
 
 見た感想は、というと、一つ一つにどうこう、というよりも(もちろん好感を持ったのもそうでないのもあるけれど)、撮った人は自分の見た風景に対して、価値がある、あるいは共感して欲しいのだ、という単純なことを感じた、ということだ。

 でも、それって多分当たり前、に近いような感情かもしれない。ただ、俺が好きになる人が、どちらかというと自分のために作り続けるという感が強いのだけれど…でも、それでも優劣はない。

 ただ、ドキュメンタリーとか旅行記(作家の余技とかではなくて)ノンフィクションとかの作者の人も世界に周囲に問いかけるように思える。

 俺は自分の意見があまり周囲とはなじめないというか、色々言わないほうがいい、と思ったり、多分、自分の意見を言わないことに慣れていて、彼らの感情表現に違和感を覚えながらも、それのほうが健康的なのかな、と思うことがしばしある。

 自分の人生が行動が、社会に世界にリンクしていないというか、乖離的な感覚って、きっと色んなのを作るモチベーションとかも失わせてしまうから。

 先日、ふと、原宿の6%ドキドキ、の店に行った。きゃりーぱみゅぱみゅの服も担当している増田セバスチャンの店で、がっつりサイケデリックファンシーというか、きゃりーのPVの衣装よりも派手な服が売っているお店だ。

 で、そういう心構えがあっても、店に行って店員さんに接客されるとすごい、と思った。だって、店員さん、髪がビビッドな赤紫色で全身もそんな感じのコーデなわけで、雑誌やモニター越しなら「そういう世界の人」という風なかんじだけれど、目の前で見ると、やっぱりすごい。本で美術を見るか本物を見るか、位かも

 というか、変な時間に行ったので客は俺だけで、店員さん、めっちゃがっつり接客してくれるのだ。

 俺は放っておいてくれる方がありがたいし、ムリに売ろうとしているんだなあ(仕事だからしかたないけど)とかいう感じの心ない感じというか的ハズレな「それいいですよねー」「今人気でー」とか言われるとめっちゃテンション下がるし、その店に行く気も失せる。かといって何度か行っても、いらっしゃいませ、すら言わない店も、なんで?とか思ってしまう。一応挨拶くらい、接客業の基本じゃんか…みたいな。

 で、6%はめっちゃ接客態度が丁寧だった。なんかね、俺が身につけられない物しかほぼ無いのに、要するに店にとってはスルーしても良い客なのに、俺が商品をとると、それかわいいですよねーみたいなコメントをくれて、大きなパステルカラーの星のついた髪留め(かわいい)をてにしたら、髪につけるんですよーと店員さん

 俺、30のおっさんだけど!!! 多少派手な格好好きで、その日もパッチワークシャツにバカンス系アフロのTシャツにダメージジーンズにハワイアンな靴(こうやって書くとかなり派手ですね!)という格好だけど、頭にパステルカラーのお星様は、つけられない!! ヤバイだろ!!

 と思った。てか、店員さんみたいにトータルコーディネートでならいいけど。そうじゃなきゃヤバイでしょって。男でおっさんでキキララの世界に無防備で飛び込む、みたいな。

 小物として手元に置くのはいいけれど、それでもなあ、みたいな。でも、結局別の小さなスターのアクセサリーを買った。おもちゃみたいなのを。髪留めだが、髪にはつけられない(俺は)のを

 でも、また今度行きたいなーと思ったのだ。それはこの店がかなりぶっ飛んでる内装とかアイテムだから行くだけで楽しいというのもあるが、店員さんの対応がとても丁寧だったからも大きい。

 俺は女の子ですら敷居高いよ!!みたいなロリータ系のメゾンも、洋服を見るだけならすごく好きなので、フリルたっぷりの服は着られない(そもそもメンズがない)けど小物くらいなら、とたまーーーに見に行ったりするのだが、たいてい店員はスルーする。露骨に俺の後に入ってきた女性客にだけ「いらっしゃいませ」とか言われたこともあるし。

 接客業の挨拶くらい基本中の基本だから、スルーってありえないというか、まあ、店員さんにもよるだろうけれど…でも、俺としてはアウェイな場所に来たから、そういう態度をとられてもまあ、仕方ないかな、とも思うのだ。

 でも、断然、明るい態度とか、ウェルカムな接客の方がありがたいし、俺がいいなあ、と思ったのは、全身サイケでステージ衣装みたいな店員さんは、本当に店の商品が好きで、自分で身につけるし、人にも勧めているんだなというのが伝わってきたから。

 三十過ぎでグランジとかモードとか好きっす、みたいなアホおっさんの俺と店員さんとで、ファンシーすぎるアイテムに一々「かわいいですよねー」「かわいいです」と返しているアホっぽさが個人的にはとても面白かった。

 そういう、素直に自分の好きなモノを好きっていうのって、いいなって思った。

 俺は自分が結構派手なものとか好きだけれど、あまり周りに色々言われるのが嫌だし、そうされないように、なるべく行動しようとしている。タトゥーだって、服で隠れる範囲にしか入れていない。

 でも、そういうのが続くと、自分、なにしてるんだろ、って気分にもなる。好きな服を着て、好きなモノに好きって思う、って、そのくらいはしないと、というか、単純な感情とかにフタをしてばかりだと、折り合いをつけようって力はわくけれど、そればかりだと、つまらない。

 俺にとっては、まあ、折り合いをつけよう、と思うくらいで丁度良い、いやむしろ足りないくらいだけれど、でも、言いたいことを言わないしたいこともしないばかりだと、バランスが崩れていくんだって、わかっているはずなのに。うまくできているだろうか?

 自分の見たものを、美しいという、誰かに問いかける。そういう視点。俺には足りてないかな、と思う。好きなモノを好きだって、そう言えるのって、大切だなと。馬鹿な格好もしなきゃな、と。