もえつきたいの

 初台のオペラシティのライアン・マッギンレーBODY LOUD! に行ってきた、のだが、こんなこと滅多にないのだが、元々そこまで乗り気ではなかったのだが、会場に入る前に、アートショップで本展示のカタログを見たら、それで満足してしまった、というか、作者自薦の50点、らしいのだが、既視感あったり、あ、これ別にカタログでもいいやとか思ってしまった。

 俺は彼の写真が結構好きだが、コマーシャル・フォトといった側面、そういう点もある(これは良いことでもありそうでないともいえる)ポートレイトや、大自然でのヌード。 

 文句をつけにくいミュージックPVを見ている気分だ。つまり、ヒリヒリ、ギラギラしてないってことだ。

 しかし以前美術手帖ガス・ヴァン・サントと対談していたのは、結構興味深かった。ちょうどいいので昔の自分のをコピペすると、

 その号では俺が同じような感情を抱いているガス・ヴァン・サントとの対談を行っていて、その内容は楽しそうで、会話も弾んでいて、一人でこの二人はとても似ているというか、相性が良さそうだなあと思った。

 マッギンレーとガスはどちらも、アウトサイダーに惹かれることについて(記者に何度も尋ねられるそうだ)彼らを自分の起点として語るガス、ファインダーを通して彼ら自身になるマッギンレー。多少言葉を濁し、自分の大切なことについて語っていて、興味深かった。

 マッギンレーがナン・ゴールディン(やラリー・クラーク)と似た文脈で語られていて、でも俺としてマッギンレーの方がずっと、ハッピー・アウトサイダーに惹かれていたような気がする。マッギンレーは好みの素人を千枚も撮るそうだ。タフネス、ハピネス溢れる彼。瞬間を掴みたい彼。

 ガスの映画は割と見ている方だと思うが、毎回のように何だかちょっと気恥ずかしい気分になることがある。まるで、女性作家の描いたロマンチック・ボーイズラブみたいな。


 ガスはおいておいて、アウトサイダーを撮りまくった彼があまりにも健康的で、まるで、このままレスリー・キーみたくなったらやだなあ、と思った。まあ、レスリー・キーの写真や彼が嫌いというわけではないのだけれど。でも、以前も書いたが、アウトサイダー、ワルガキばかり撮っていた、年老いた、ラリー・クラークも、小綺麗な写真を撮るようになったし、ダイアン・アーバスのように自殺なんてしないで、中平卓馬のようにアル中からの記憶障害、とかなんてなくて「健康的」なんて、中々難しい物があるのかな、と思う。

 アウトサイダーなんて、実際はクズでどうしようもなくて虚しい。決して本人は当事者は美化することなんて出来ない。自分か他人に迷惑をかける。そして、途方に暮れる。

でも、ヒリヒリしない芸術なんて、と思う。


 エルメスの映画を見たのだが、久しぶりにうーんどうかなあという内容だった。役者はいいのだが、途中からかなりご都合主義というか薄っぺらいファンタジーめいてきてしまって、役者の名演技も、なんかどうせ達成できるんだろ、とか思ってしまう(勿論そうなる、というかそれだからこそご都合主義だと感じるのだが)

 相性、というのもあると思う。ライアン・マッギンレーの写真は好きだが、好きなのもある、位の人だ。エルメスで見た映画の監督の作品は、カメラワークや構成やら下手だとは思わないが、美意識がかなり違うんだな、と思った。

 それでも、何も見ないよりはずっとましだ。まあ、自分の好みではないのを見続けるのは体力がいるけれど笑

 題名は、キノコホテルの大好きな曲