浅い深海で俺

 電車遅延とかを除き、数年ぶりに遅刻をして(仕事自体は変えまくってるくせに)、そして、少し休みをとった。水の中にいる感じ、というか、ベッドから動けない、数年前にも味わった感覚。でも、これをなが続きさせてはいけないと頭では強く思う。

 水の中にいる感じだ。とても不安定で不確実なシェルター。でも、俺は魚ではないから、ずっと水の中にいるわけにはいかない

 たまたま、遠方からの友人からメールがあり、ちょろっと、自分の近況を書くと、
俺はそのとき家具になってた気分だよ とかえってきてなるほど、と思った。

 社会から排斥されている気分、とかいいながら、そういう風になってしまったり、そういう人間なのは自分の行動の結果なのだが。

 川端康成の『天授の子』を再読する。そこで著者自身が、小説の作者=小説の主人公と見られてしまう面倒くささや、何より、わざと、人を嫌な風に書いてしまう。自分のことを書こうとするのに疑惑と嫌悪を感じる、と彼は言う。また、自己を書いてないということは、人間を書いたことがないとも。

 小説についてのむなしさ、ということにも言及しているのだが、やはり、誠実で魅力的な作家であって、そして、彼は自殺してしまった。自殺、というか、もしかしたら、生も死も近い場所にあったような気がする。


 ただ、俺は生きているしお金もないし笑 もう少し、やっていけたらなと思う。まだ、半分、まどろんでいるような気分

 今日、ふらっと入ったブランド古着屋でドレスキャンプのちょい丈の長いウインドブレーカーだか薄手のパーカーだかが、定価九万がかなり安く売っていた。だって、全身ヒョウ柄なのだ! だれが着られるんだろう(似合うんだろう)?

 でも俺、超、欲しいと思いました。ヤバイ服を見ると、なんだか元気になるというか、お前アホか! みたいな楽しい気分になれる。なんでもありで、それが不通だったはずなのに、年齢を重ねたり、組織に属したり、集団にいると没個性と「見せかけの元気」を求められる。あーって、思うこともある。でも、こんなバッドテイストな服も売られいるんだなと思えば買わなくたっても、元気をもらえる、ドレスキャンプは王子様ヤンキーの為の、最高のブランドだと思ってます(もちろんほめてます)。


 どうでもいい映画、レストラン再建のコメディ(でも最後まで見てしまった)

ガス・ヴァン・サントの『永遠の僕たち』を見る。ガスの映画を見るのは久しぶりだなと思いながら、あらすじの


死に囚われた少年・イーノックには特攻隊員の幽霊・ヒロシの姿が見える。そんな彼は、ある日紛れ込んだ他人の葬儀の席でひとりの少女に出会う。ヘンリー・ホッパー、加瀬亮らが共演。


 という幽霊が見える、という時点で、これ、もう無理かもと思ったが、その点は割と的中した。リアリティのなさとご都合主義、主人公とヒロシの会話は他者との会話というよりも作者の作り上げたモノローグじみている

 そしてヒロインの少女は末期がんか何かで三か月の命。なのに、かなり元気! というか、がんで余命数年とかって人とか数か月の命の人って、ほぼ動けなかったり、動けてもかなり困難だったり。でも彼女にはそんな描写はほぼない、利発なティーンの女の子だ。

 ご都合主義で設定はマジでちょっと文章が書ける中高生みたいな感じの話なのだが、
ガスは思春期の少年少女のわがままで魅力的でかっこよくてかわいくて生意気でダサい感じを表現するのがとてもうまい。

 あと加瀬亮の演技がよかった。というか、俺結構加瀬亮のたたずまいというか、結構俳優として気になるのに彼の出る映画が何も思い浮かばない…検索しようかな笑

 ラストも気が利いてる、けど、失礼ながら、色々実験的挑発的な映画を撮ったガスもこんな凡庸で感動させる系のも撮るんだよなあ、という、腑に落ちるんだか、おちないんだか、モヤモヤした感情を抱く。

 俺の好きな川端康成だって、大衆小説じみたものもたくさん書いている。そういうのを書かない、作らない人は、世に出ている作品がとても少ない人らだ。

 何がいいとかか悪いとかそういうことより、俺、もっと、色々好きにならなきゃなー。水の中には水の中の魅力があるにしても、もう少し肺が苦しむような、呼吸を、ギャロップのような逃走あるいは、花を見てきちんときれいだなと思えるような心を