宛名のない花々

 小説を書きたいと思う。でも、その書きたいことやテーマの断片だけが散らばって、もがいている。前よりかは、ほんの少し前向きだ。ただ、俺はいつも似たようなことばかり書いているから、何だか違う環境に自分を置かねばならないような気もする。単純に場所としてもそうだし、文章も。カスカスで不安定な精神状況であったとしても、小説の中では愛情を憎しみを虚しさを。
 

 とはいえ、一作はもう書き上げている。美男美女が出るのが好きな(というか、これは俺に限らず、漫画や映画やらの『みんな』だってそうなのだ)俺にしては珍しく、美しい一家に生まれた凡人な俺、が、アポロのような兄が連れてきた、軍人のように美しく愚かな友人を観察することに夢中になるうちに、美しいはずの、家が崩壊していく、という話で、ひたすら、悪に焦がれる中学生の主人公は、美と暴力の傍観者である、という点が自分としては気に入っている。

 まあ、そんな自己満足もそこそこに、別のパターンの話を書かなければならない。ヒントは散らばっているが、それよりも、働かねば色々ヤバイ、でも、愚かなことにそれよりも優先することが幾つもあるような気がしているのだ。

 新書のサンテグジュペリの本を読む。この人の話となると、決まって、星の王子さま、になってしまってうんざりする。別にその作品が嫌いなのではなく、彼は飛行士であり、『南方郵便機』『夜間飛行』『人間の土地』等々の作品を残しているのに、一番読みやすくて都合のよい作品だけありがたがり、広める、特集する、というのは、本当に嫌な気持ちになる。

 彼は飛行士。そして詩人。だから美しい言葉で、活力ある言葉でフライトを表現する。その一方で、死と常に隣り合わせの職業であることを忘れるほど能天気ではない(彼自身も死にかけてるし)

 俺は飛行士ではないから、彼の視界、というのは一生分からないのだろう。でも、彼の言葉は美しく、しっかりと現実を見ようとしている。始めは若い彼も、世界大戦の時は40過ぎで、それでもアメリカに亡命したことを責められるとか、自分も飛ばねばという逡巡は胸に来る。 40過ぎの飛行士なんて、きっと、本来は存在してはならないだろう。彼はそれでも飛行機に乗り、44歳という若さで死ぬ(行方不明)。

 彼の本が、また読みたくなってくる。意志を貫くことは、美しい。

 『鳩居堂のはがき花暦』を読む。鳩居堂で販売されている絵葉書きと共に、四季の花々や風習を紹介するというとても素敵な本。

 絵葉書、それをポストカード感覚で俺は買っていた。とても好きなのだ。特に朧月夜桜、松虫草、桔梗、雨傘(番傘)辺りが好きだ。他にも書いて行けばきりが無い。花であれば、なんだって、美しい。

 それと同じように、クラシックは詳しくないが、バッハの曲は何だって好きなのだ。一応一通り有名どころは聞いてみたのだが、これヤバイ!! のはいつもバッハ。

 今日、四枚組のバロックCD集を借りたのだが、その中でお気に入りのプレイリストを作ったら、ほとんどがバッハでちょっとうけた。あ、でもヘンデルの調子の良い鍛冶屋 って曲好きだ、

 てか、バッハの「アンナのためのメヌエット ト長調」目当てで借りたのだが、これ、聞いた人は一瞬できいたことあると分かるはずだが、クラシック音楽は覚えにくいから、そこだけは難点だ。

 ブラームスでも一曲聞きたい(ITUNESに入ってるのに)のがあるのに、たまのアップロードで曲がどこにあるか分からなくなる……。

 本当に、趣味も何もかも変わらないなと思う。バッハの曲を聞いてると、心のささくれが少しおさまる気がする。

 鳩居堂の葉書、家に十数枚もある。でも、出す当てがいない。俺の書いた小説も、どこかの賞に応募して、破棄される。でも、俺は自分の為に書いていると、自覚している。芸術はエゴイズムの塊。だからか、友がいない。俺も、綱渡り芸人として、もう少し、無様に真剣に、踊らなければ、とか。