たまに、いやいつもこんなふうに

 ずっと眠っていて、その繰り返しの日々。それでもなんとか浮上してきて、というか、書きたい小説が、ちゃんと小説について考えたいと思ってこれるような精神状態になったから。

 それらの意志が断片的なものでも、そのおかげで俺は自死を選ぶ気にならなくなるし、ホームレスになるのが嫌だなあ、と思えるようになるのだ。

 新宿をふらふら歩くとホームレス支援の雑誌販売、ビッグイシューの売り子の真横で、寝転ぶ赤銅色のホームレスがいる。

 調子が悪いと、生死の裂け目が、概念がぐらついてくる。世界の意味が剥がれてくる。意味の意味が、何もかもの意味が分からなくなる。小さい頃からずっとだ。ずっと、もう少し頑張れるかな、と思いながら、先日33歳になった。もうそろそろいいのかなあと思った。精神が擦り切れて、薬漬けで見る夢。大衆小説の主人公のするような、下らない善行や、悪いことをしてきた。それで、泥の中でひっそりと消えていくのだと思っていた。

 大好きなGREAT3のボーカル、片寄明人がライブの最後で、「ボクは怖がりだから、今回がラストかもとか思うし、一生懸命やりますよ」と言った言葉を思い出す。何十年もバンド活動をしていて、長い休止もしていた彼の言葉。やんちゃでカッコ悪くてださくてそして最高にカッコいいバンド。

 音楽が、俺の場合は小説がきっと、この世界に意味を与えてくれる。美しい、のではない、世界に線が色がつく。想起する強迫観念に駆られたような美しくも痛ましいジャコメッティのデッサン。
 
 生きていける、だなんて言えないけれど、書きたいこと、口にしたいことがあるということは、きっと幸福なのだと思う。その錯覚が、眠り逃げ吐き気ばかりの俺の救い。

 輝かしい。目が見えるということ。物を考えられるということ。素直に。自然に。素直に自然に、ということは残酷なこと。周りと合わないだけではない、自分自身も等しく断罪する。

 神様はいない。天才もいない。悪魔さえ、悪人さえいない世界で生きていかなければいけないなんて。

 だから、俺は自分が悪魔や天使の振りをして、自由に小説を書く、書いているつもりだ。他人との意思疎通ではなく、信仰もなければスピリチュアルなんて大嫌いな俺の、交信。宛名のない手紙を書き続けることが俺の人生、だとすると本当にぞっとするのだけれど、俺とは全く無関係に言葉は、言葉の群れは美しい。

 俺は哀しい、たまに楽しい。