繰り返す日々

 色々と小さな変化が起きている。こういう時こそ、あまりふわふわした気持ちにならないように自戒したいと思う。

 

 読んだ本の感想というか、自分の為のメモを。

 

 回りの悪い頭でようやくジュネの『薔薇の奇跡』を読み終わる。

 

小説は博愛主義的な報告をするものではない。それどころか残酷なことにみちていて、それなしに美は存在しない。このことを讃えよう。監獄の中で犯罪者に関する規則は厳格で精密である。美に奉仕する特別な正義の掟に従えば、規則がそんなふうであるのは正しいことだ。(387P)

 

 傲慢で美しい彼の文章が俺は好きだ。そして、そういう人間が生きてきたという事実が俺に光を与えてくれる。

 

 最近読んだ本では、内澤旬子『世界屠畜紀行』と高野秀行・清水克行『辺境の怪書、歴史の驚書、ハードボイルド読書合戦』が面白かった。内澤、高野両氏の本は割りと読んでいて、興味深い内容が多いし、楽しい。

 

 感想を長々と書くというよりも、単純に『読書合戦』の中の気になる場所だけ、自分の為に引用したい(本当はもっと引用したい楽しい場所が多いのだが、きりがないので)

 

イスラム神秘主義スーフィー 清貧を良しとし、修行や思索によって神に近づき、最終的には無我と恍惚の境地において神と一体化することを目指す人々。名称は修行者が羊毛(スーフ)の衣をまとっていたことに由来すると言われているが、諸説ある。

 

彼らの修行場(ザーウィア) 旅人や巡礼者は無料でこの施設に寝泊まりし、食事も与えられた。多くの場合、これらの修行場は土地の有力者の寄付により運営されていた。

 

 現実逃避に昔クリアしたゲームをまたプレイ。あくまで俺の話しだけれど、読書って再読すると何らかの発見があったりするのだが、ゲームは少ないような気がする。それはゲームには楽しさがあるからのような気がする。とても雑に言うと読書は格闘や侵入。ゲームは遊び。その違いがある。もちろん、どっちも大好きだし、どちらかだけだと辛い。

 

 PSVITAを買ったので、そのゲームを遊び散らしていた。でも、クリアしたゲームの方が少ない。最近のゲーム(数年前に発売されたのだけど!)が悪いのではなく、俺の集中力がさらに悪くなったのだ。

 

 DSのDQ5とVITAのP4Gをプレイしている。どちらも(P4はプレステ2で)何回もクリアしているから、目新しさはないのだが、でも面白く、退屈だ。それでも、ある瞬間には物語の世界の人々の言葉にぐっときているのだから(さっき書いたのと矛盾するようだが)、やはりいいゲームだなあと思う。

 

 最近細かい出費やら散財が増えてしまっている。そのことにげんなりしてしまいつつ、その程度の無駄遣いは当然のことだ、と思っている。生きるためにちゃんとお金稼がなきゃなとバカガキのような思いが浮かぶ。お金がないと、お金のことを考える時間が増えてとても不毛だ。俺は一生金と芸術に振り回されるのだ。それを選んだんだ。多分。

 

 生活に色々と変化があるのは当然で、心はざわつくけれど、もう少し気持ちを落ち着けて、向き合えたらいいな。