免罪符が花弁のように舞い落ちるとしても

 ずっとトラブルが続いていた。そのことで心がずっと酷いことになっていた。

 今はそれなりに気持ちに区切りがついた。でも、この雑記も後で消す気がする。

 ただ、本当に辛かった。そのことを自分で認めて、そして諦めてもいいんだと思えるようになった。だから自分の気持ちを整理するために書く。

 

 それをフェイクを入れながら雑に言うと、

 

 ある理由で働けない友人がいる。彼は仕事も家も失った。だから俺は彼に生活保護の申請をする手助けをしたのだ。友人として、本当に路頭に迷う人を見過ごせなかったのだ。

 

 とはいえ、俺はその期間も無職だったし、貯えだってほとんどない。メンタルの問題もある。友人には最初にそれを伝えていた。数日ならいいけれど、それ以上家に泊めたり手助けするのは無理だと。

 

 でも、結果的に俺は一か月その友人を家に泊めることになったし、当たり前だが色んな支払いやら手助けやらもすることになった。最初こそよかったが、それが長期間になり、俺の必死の手助けが、友人にとって当たり前になってくると、何度も喧嘩をすることになった。

 

 大げんかをして、喧嘩別れをした。でも、彼に新しい家ができて、お金も支給されて、それでもう終わりかと思った。もうこれでいいのかなと思った、

 

 でも、彼にはあるトラブルがあって、喧嘩別れをした後も、毎月お金を借りてきた。

 本当に嫌だったし、怒りと心配で心は乱れた。その時は数千円なら、貸す。という気持ちで貸していた。

 

 それは彼がある理由でどうしても働けないからだった。それがなければ、お金を貸すことなんて、一、二回が限度だ。

 

 なんて思っていたのだが、結論から言うと、俺は彼に十回近くお金を貸していて、貸した金額だけで6万、そのほかの理由で、俺が現時点で払わねばならない金は十万以上になってしまった。

 

 それで、ようやく気付いたというか、ああ、ダメだと思ったし、そのお金を払う覚悟ができたのだ。

 

 俺は親に困った人は助けること、と教えられて育った。実際、親は俺が困ったときは助けてくれた。親とはうまくいったり、いかなかったりしている。次に会う時は葬式の時だ、と思ったり、どんなに真剣に話しても分かり合えないし、そもそも関わらない方がいい、と思ったこともある。

 

 でも、やはり俺は両親に感謝している。それに、どうしても困った人にきつく当たることができない。いや、しているのだが、きつく当たりながらも、そんな自分に強い罪悪感を抱いていた。

 

 友人の恋愛の相談を受けることがあった。他人が聞いたら、そりゃないだろっていう恋人の行動を許し続けて悩み続ける友人。

 

 それにスパっと切り捨てて次に行くしかない。なんて言うのは、多分正論すぎるし、相談にのっていることにはならないのかもしれない。でも、聞いている他人(当事者ではない人間)としては、そう思ってしまうものだ。

 

 恋人や友人や同僚や家族やらから、こんなにひどい目にあって、こんなに不誠実なことをされて……

 

 友人からそんな相談を受けたら、普通に「別れろ」「距離をおけ」みたに言うのが割とある反応だと思う。でも、それができないから辛いし悩んでいるわけで、友人として何を言えばいいのか、悩む。

 

 黙ってずっと話を聞いているのが寄り添い方の一つだと思う。でも、それだけではダメな時もあると思うのだ。矛盾するようだが、ゆっくりと沼に沈んでいる人を隣で見続けるというのは、どうしてもできないこともある。

 

 俺は普段自分の悩みを友人に相談することはあまりないのだが、今回のことは数人の友人に相談してしまった。 昔は仲が良くて、今は険悪になった友人(彼には俺しかたよるひとがいないのだ)にお金を貸し続けることも辛かったのだが、その友人に、ずっと罵られるづけるというのが、本当にこたえた。

 

 お金を貸しているのに、俺の過去の行動や発言、ちょっとした反応全てを批判して、人格を否定する。相手をすれば無限にメールがくる。友人がトラブルで人格が変わってしまったのも、どうにかして更生してほしいと思う自分の傲慢さも嫌だった。

 

 本当にここ数ヶ月は体調も気分も最悪だった。俺も、悪い所はある。というか、誰にでも悪いことはあるし、人間関係において完璧、なんて無理な話だ。でも、ずっと批判されて否定されるというのはとにかく意味が分からないし、辛かった。

 

 悪口を言われ続けながら、困っている人にお金をかす。共依存とかデートDVとか、単語としては理解していても、自分に置き換えるのは難しい。だって、俺はお金を貸さねば路頭に迷う人に、数千円を貸していただけなのだが……

 

 でも、さすがに自分のメンタルと経済状況がとても悪くなって、ようやく気付いた。

 

 俺は彼を救えない。

 

 それでいいんだって思えた。自分がとても傷ついていることに、ようやく気づくことができた。

 

 俺はほんとうに神経質で短気で、でも、何人もの人と喧嘩別れをしてきた。でも、少しでもいい思い出がある人とはどんなにひどい別れになったとしても、その人を恨んだりはできなかった。

 

 人を恨むのは、難しいことだ。

 

 ただ、このままじゃいけないことにも気づいた。他人を助けるのも大事だが、俺は自分のことを助けなければならないのだ。

 

 俺は色んな意味で仕事ができなくて、マジで自分が今生きているのも不思議なくらいだ。今年の年収は、数十万だ。今年が、ではなく。「今年も」だ。マジで、何で生きのびていられているのか分からない。

 

 そんな人間にとって、数万(年収の数分の一のお金)はとても大きいものだ。お金を貸す時は、あげたと思わねばならないっていう、わりと一般的に共有されている言葉があると思うが、俺はそれができなかったのだ。だって、いつ入るか分からないお金だもの。稼ぐ能力がない人間にとっての数万円だもの。

 

 でも、こんなに苦しいなら働く方がマシだって思えた(笑)

 

 仕事中に気分が悪くなって涙が出たり吐きそうになったり足が震えたり、頓服の薬を飲みながら「大丈夫大丈夫大丈夫」と頭の中で唱える方がマシ。

 

 そして、お金に執着するのも、助けられない自分に執着するのもやめようと思った。

そうしたら、気持ちが軽くなった。

 

 数千円、数百円の値段で諦めていたことが山ほどあった。買い物も好きだし、好きな物も沢山ある。でも、俺は図書館とパソコン(音楽)があれば人生に必要な物の多くは満たされてしまうような人間で、労働の対価としてのそれをずっと諦めていた。

 

だから、とてもお金に執着してしまった。数千、数万あげるよって言って終わりにすればよかったのだ。

 

 でも、数万以上となると、さすがに「あげる」のはとても難しい。収入が少なすぎる人間にとって、お金を失うのは大きな恐怖になる。でも、お金のことを考え続ける自分なんて、とてもカッコ悪い。それが切実なのは分かる。でも、低収入を選んだのはそうだが、お金のことばかり考える人生を選択したわけではない。

 

 ただ、その覚悟はできたのだ。彼を救えないのもお金を失うのも「仕方がないこと」だと受け入れることが、ようやくできた。

 

 楽しく生きようとする努力が、人生に対する欲望が、俺には足りない。それでも、好きな物は好きだと言った方がいいし、そういう人の方が好きだし、そういう時間が多い方がいいと思う。

 

 やっぱ、お金は無駄遣いをしてなんぼ。さすがに俺に無駄遣いをするような余裕がないのは分かるけど(笑)

 

 でも、これでもどうにか生き延びていて、これから先どうにかなってしまうにしても、明日何かをする予定を立てる方が、きっといい人生なのかなと思う。

 

 新宿で浮浪者を見ると、それが自分や彼に重なって見えることがあった。それを選んだのは、きっと自分だ。やむを得ない事情があるとして、それを助けるのはとても困難なのだ。俺は憎まれながらも助けを求める人を何か月も助けてきたつもりだ。でも、半年近くそれを続けてきて、それも終わりにしなければならないこを知った。

 

 俺は俺の人生を豊かにしなければならない。 〇〇せねばならない、という言い方はよくないらしいのだが、どうしてもそれはやめられない。 俺は色んなことを忘れてさぼっている。だから、好きなことをしなければって思うのだ。

 

 人生は一度、死んだら終わり。だから、好きなように生きたいし、なるべくそういう時間が多い方がいい。

 

 俺は友人を助けたかった。できたにしてもできなかったにしても、したかったんだからしょうがない。それに、俺は自分の人生を生きねばならない。

 

 明日は映画を見にいってきます。それでは。