君はよそゆき

 久しぶりにエルメスで映画を見に銀座へ行く。映画を見るような気持ちの余裕がなかったのもあるし、見たい映画がなかったのもある。でも、普段も大して見たくもない映画やら本やらを目にしているのだから、気分が乗らなかったということなのだと思う。

 

 数年前、初めて銀座メゾンエルメス ル・ストゥディオで映画を見た時はそれなりにおしゃれをしていったような気がするが、何度も足を運ぶうちに、会場にいる人達は普段着の(しかしこざっぱり、小奇麗な恰好の)年配の方が多いことに気づく。

 

 今はもうやっていないが、グッチで映画を見た時もそうだった。どうやら顧客と映画を見に行く人は客層が違うらしい。俺はハイブランドを新品で買ったことはないし、これからもそうだろう。でも、タダだから映画は見に行く。多少は、かっこうに気をつけなければとか、服も買わなきゃな、等と考えるのは健康に良いことで、ハイブランドの奉仕精神、文化財の保護という精神に乾杯。

 

 見た映画は二本立て。『チェス狂』1925年ソ連 28分 サイレント

        『トランプ譚(ものがたり)』1936年 フランス 81分 モノクロ

 

 サイレント映画を見るのはいつぶりだろう? もしかしたら数年前に見返した『裁かるるジャンヌ』以来かも。とにかく見ていないことは確かだ。 両作品ともちょっと描写が説明的で(性質上仕方ない)強引ながらもテンポ良く進むから飽きさせないコメディに仕上がっている。

 

 久しぶりに映画を見た感想は、二時間も映画を見るなんてすごく疲れるし途中で(声を出さないで)何度もあくびが出てきたし、こりゃ大変だ。見てない物が沢山あり過ぎるし、見たのに忘れたものもあるし、見なくっちゃな。大変だ。などと。

 

 エルメスを出て大通りを歩きながらipodを再生すると、夏木マリの『ローマを見てから、死ね』が流れてきて、冬の冷たい温度の中賑わう、昼の銀座にすごく合っていた。

 

夏木 マリ / ローマを見てから、死ね。 - YouTube

 

 この曲が入ったアルバムの発売年を見て、俺が高校生の頃に発売されて、当時既に解散していたピチカートが本当に大好きだったので小西康陽プロデュースだったから買って、物凄く好きなアルバムだった記憶も蘇ってきた。

 

 歩きながら音楽を聴くというのは、とても健康にいい。そう思うんだ。

 

 数年前から、12月に銀座へ行く用があると鳩居堂で来年の干支の土鈴を買って、実家の母に渡すのが習慣になっていた。鳩居堂で何かを買うと「ご進物ですか?」と聞かれることがあり、ご進物なんて大層なものではないのだけれど、と毎回思いながらも、そういう言い回しが似合うこのお店が好きだ。

 

 デパートの一角の小さなフロアではなく、銀座の鳩居堂に入ると、ふわりと和紙の香りがするのが好きだ。紙のにおい。好きな匂い。なんだか懐かしいような、そんな気持ちがする匂い。

 

 中学生のころ、マジックザギャザリングというアメリカで生まれたカードゲームに夢中だったのだが、そのパックをあけるとインクだかの匂いがするのも好きだった。これは「どうやらインクらしい」ケミカルで良い匂いとはいいがたいものだったが、それでも魔法使いの呪文書を開くと妙な匂いがする、というシチュエーションはなんだかどきどきするものだった。後年発売されているものはきつい匂いがしなくなったような気がする。少し寂しい。

 

 

 渡邊木版画郎で銀座百点をもらいに行こうと思ったのだが、閉まっていた。仕方がないから、あけぼのでお願いをしたついでに最中を買う(これじゃあ逆だ)。

 

 銀座百点は母が好きで、俺が銀座に行く用事があるときは大抵もらっていくことにしている。なんで定価が書いているのに、どこでもただでもらえるのだろうと毎回思ってしまう。一応、銀座なら無料ということらしいのだが……。

 

 昔銀座で働いていた母に比べて、俺にとっての銀座は何だかよそよそしい街で、たまに用があるとしても、たいてい背の高すぎる、行儀よく整列したビルの中に入るというのが何だかなれないのだ。

 

 渋谷や新宿や原宿や表参道なら混在しているので、雑踏という感じで好きなのだが、銀座はいつ行っても慣れない。でも、好きだ。人や物が多いというだけで十分に素晴らしすぎる。

 

 久しぶりに資生堂ギャラリーに行く。

 

 資生堂ギャラリー100周年記念 それを超えて美に参与する 福原信三の美学 

 

 とのことだが、俺が銀座に、資生堂に縁がないせいか(デザイン、パーラーは好きだが)それとも単に展示が合わなかったせいか目を引くと感じたものは少ない、のだが、古い香水瓶を展示してあったのはとても良かった。

 

 古いデザインの香水瓶の無骨なデザインがとても良い。当時の美意識だけではなく硝子のカッティング技術のせいかもしれないが、香水というのはひどくロマンチックな物であるから、かえって愛想がない方が良いように思うのだけれど。シャネルみたく。丸いけれど甘すぎないのでチャンスも好きだ。

 

 ふと、成瀬巳喜男監督、高峰秀子仲代達矢が出演している『女が階段を上る時』を想起する。高峰秀子が銀座の高級バーの雇われマダム役なのだ。しかし、そこに華やかさはなく、まどいと倦怠の中での女の生きざまと言った感のある作品に仕上がっている。

 

 細部に記憶違いはあるかもしれないが、そこで高峰秀子が客から黒水仙という名前の、上等な香水を客からプレゼントされるシーンがあって、しかもその客も高峰にいい顔をしている嘘つきで、上等な香水まで色あせてしまうという展開が好みだったのだが、俺はそれを昔の資生堂の出した香水なのだと勘違いしていて、でもこれは勘違いでもいいのかもしれなかったと、ふと、そう思った。

 

 黒水仙という名前の四角い黒い、形は愛想のない香水を、昔の資生堂が出していたら、それは何だか素敵なことのように、その時代にぴたりと合っているように思えたのだ。

 

 銀座で用を済ませると、同じ日比谷線で近いから、という気のない理由で秋葉原に行く。今はオタクの秋葉原離れというか、まあ、ネットが便利になり過ぎたというのがたまに目にする意見で、俺も秋葉原に特に用事はないのだけれども、それでもやはり雑踏というのは、人や物が多いというのはいいことだ。

 

 適当に数件ひやかして、結局買ったのはブックオフで花の本二冊だけ。

 

 ガラスケースの中でお行儀よく、或いは詰め込まれた、値札のついた無用の上等品も好きなのだが、彼らは手に入らないからこそより一層輝いて見える、ような気がする。

 

 実家が日比谷線沿いなので、銀座百点と干支の土鈴を渡す為に実家に寄ろうと思い地下鉄に入る。何か渡すものがある、というのはいいことだと思う。

 

 いらない物を買うのも見たくもない映画を見るのもいいことだきっと。