水槽の中の人型
惰眠の日々。幾らでも寝ることができる。だからといって、『マイプライベート・アイダホ』のリヴァーフェニックスに様な美しさなんてあるわけがないし、キアヌ・リーヴスのような友人がいるわけでもない。
鏡の前の自分を見るとぞっとする。
不摂生をしていたら、「普通」の人は酷い顔になる。映画スターでさえ、生活によっては酷い顔になるのだから推して知るべしだ。
ひどい顔、嫌になる、眠くなる。しかし月末の支払いのメールが幾つも届く。背筋を舐められるような恐怖感の後で、ああ、こういうのをきちんとするまでは死ねないなあと変に前向きな気持ちもわいてくる。
先日、ケイト・スペードが自殺したことをニュースで知った。俺は彼女のブランドの物を持っていない。でも、俺が女性だったらバッグを持ちたいなと思う感じの、センスの良い、大人も持てるキュートなデザインのバッグは素敵だなと思っていた。
自殺した人について語るのは難しい。それは単なる自分語りであったり、ゲスの勘繰りになってしまうような気がする。それが許されるのはきっと近親者だけのような気がするのだ。
愚かであっても場違いであっても間違いであっても、その人について語らざるをえないという宿命めいた熱情。
ただ、何の縁もない俺が感じるのは、彼女が死ぬのは、自殺したのは何だか悲しいという感情だけだ。
自殺したい、と思うことはあまりないのだが、身辺整理をしたいとか消えてなくなりたいとか生きるとか死ぬとかが良く分からないとかはしょっちゅう感じている。
俺がそういった考えに囚われていても、それでも支払いは待ってくれない。当然のことだけれども。俺は生きるのに向いていないのだ、向くような努力をそれなりにしてみたのだが、あまり効果はなかったらしい。
最近病気の人や生きづらい人についての漫画やエッセイ、コミックエッセイが山ほど出版されている。それを読んで少し心が軽くなることもあるのだが、それだけ。それはその人にとっての処方箋なのだ。
俺にとっての、その場しのぎではない処方箋があるならば、それは芸術作品で、しかし体力気力がないとそれすら消化できずに、本当に自分がクズだと思い、また眠ってしまう。
人並みの生産性もなく喜びをかんじることもなく、さらには美しいものを感じられない人生ならば?
そんな頭で、ドストエフスキーの『賭博者』を十数年ぶりに読む。ドストエフスキーは長ったらしくて、読めばぐいぐい引き込まれる反面、根気なしなので敬遠していて、しかしこの短編はさらりと読めて楽しい。
止まらない悪罵、分かれればいいのに、止めればいいのになんて野暮なこと。自ら災厄の渦中に飛び込み、それもまたエネルギーにする多弁症はうんざりするし、楽しい。
パヴェーゼの『流刑』を読む。流刑、という題名はそれだけでなんだか惹かれるものがあるのだが、内容は結構なロマンチシズムあふれる作品。大した読書量があるわけでもないのだが、暑い国の文学はロマンチック、だなんて偏見を抱いてしまいそうだ。
とはいえ飽き性な俺が最後まで読むことができたのは、少々鼻につく、といえなくもないのだけれど、全編が詩的で控えめな美しさに彩られているからだろうか。
日本文学とフランス文学は、とても陰気で陽気で大好きなのだが(というか、それらから自分が好きなのを選んでいるだけなのだが)、そんなのばかり読んでいると惰眠への誘いが加速する。
俺は下手な歌が好きなのだけれど、たまにはうまい歌の人の歌でも感動したりする。久しぶりにローラ・ニーロを聞いたら、とてもすてきだなと感じた
https://www.youtube.com/watch?v=3_69YAIa2CE&index=7&list=PLGaBtf8SblQuZkAMlmGiMv7HSKs_vWgsJ
LAURA NYRO time and love
生きる力が湧いてくるような、胸にしみる歌声。
声を出す、ということは身体にいいらしい。ひきこもっていると人と喋ることがないから症状が悪化する。かといって、外に出るような気分にはなれない。なれる時もあるが、数十秒間で気分が変わるから、それだけで疲れ切って、ベッドに身体を任せる羽目になる。
下手な歌がとても好きなのだけれど、ハレルヤコーラスや、唱歌、聖歌の類はとても好きだ。
https://www.youtube.com/watch?v=BIYBlAhTlDo
もろびと,こぞりて
https://www.youtube.com/watch?v=VI6dsMeABpU
'Hallelujah'' chorus, from Händel's Messiah - Mormon Tabernacle Choir
合唱をする人は、声楽とかの仕事についている人の鬱病率は低いんではないのだろうか? 糞みたいな精神状態の俺でも、こう言った曲を聴いたり口ずさんでみると、自然と気分がうわむきになる(こともある)
単純な話、身体を動かすというのは身体にいいということかもしれないけれど。
様々な問題が解決しない。小さな、そのひとつひとつに向き合うべきだと分かっていても、できないものはできなくて、すべてが嫌になってどうでもよくなって、自死を選ぶとしたら、「他人事のように」哀しいかもしれないと思う。
だが、三十代も半ばにして、仕事で週に何度も同じ人に会う、というのがどうしてもできないのだと気づいてしまった。日雇いだって同じようなものだ(というかそっちのほうが労働環境は劣悪だ)。
保護を受けるレベルではない、かといって、人並みに働けるとも思えない。
何にせよ、決断を迫られているのだろう。願わくば、俺がこの先のことを考えていることを。どうせ死んでおしまいなのだ。それまでは、楽しいほうがいいな、かっこよくなくても、カッコつけているほうが、投薬やアルコールなしで酔っ払っていたいな。
https://www.youtube.com/watch?v=hK242uE5t2M&list=RD2ACWWm-ofeY&index=21
Kaleido - Meu Sonho (yasuka nakata - capsule remix)
https://www.youtube.com/watch?v=Fc1q2Qlc_9M
Weekend Warrior- 80kidz
せっかくなんで元気な曲でも。一人で繁華街を歩きながらこういうクラブミュージックを聞いていると、なんだか俺の人生、悪くないような気がしてくるから不思議だ。誰と会う用事も、金もないのに、ダンスミュージックはいつも俺に少しだけ優しいのだ。
自殺よりもダンス、なんて言えてしまうのは健常者の戯言、だと思ってしまう。でもあなたが傷ついているならば、万引きの方がセックスの方が口づけの方が手を握るほうが、自殺よりかはましかもしれない。
死んだら怖い位に幸福な、サンデーモーニングだって聞けないんだ。それはきっと、寂しいな。