針刺しユニコーンに恋文を預けるよ

数十分ごとに考えが両極に揺れ、これはまずいと実感していることなのだが、解決はしない。休むこと、休ませることは必要だけれど、俺は休むのがとても苦手。その代わり惰眠が好きだ。

 病院に行く羽目になり、病院に行くたびに具合が悪くなる。以前そのことを正直に医者に告げると、少し驚かれて、患者の俺が驚くのだった。どれだけ、何を話せばいいのか分からない。金を払っているのだから喋る権利はあるはずなのだが、分からない。金を払っているからって反社会的行為をしたいとまではいかない、というかここで反社会的行為とか法律に抵触するとかそういう言葉が出てくるのがまずい、飛躍しているとか認知のゆがみだとか、そういう言葉が浮かんでも胸に単語を沈めようとしてもいごこちが悪い。病院に行くと具合が悪くなる。でも、放置したら引きこもる羽目になるから行くべきだ病院に分かってるんだ分かってる、けど。

 アメリカのtRPGのロール、職業みたいなのとして「コーポレイト・ゾンビ」という単語があって、何だか好きで覚えている。それが記載されているルールブックは売り払ってしまった。売らなきゃよかった。どうせ数百円にしかならないのだから。でも数百円が欲しかった。

 ゲーム内のファンタジー、近未来の設定でも会社に通うだけのゾンビ、みたいな揶揄されちゃうなんて。日本風に言うと鬱屈した社畜といったところだろうか? 楽しいゲームの中でもリアル嗜好のアメリカは最高(そのルールブックの刊行は十年以上前だ)。

 図書館で借りたCDがどうしても見つからなくて、買い求める羽目になる。多分家にあるはずだが、どうしても見つからない。十年以上図書館で毎月何十冊も本を借りていて、しかし今まではきちんと返していたのに、と少しへこむ。家がヤバくても、借りた物は返してきたのにな。

って、久しぶりに野暮用で掃除をする羽目になり(最低な表現だ)、ふと玄関を見ると普段は履かないドクターマーチンの上にタロットカードと二本しか入ってないクレヨンの空き箱があるんだけど……いくら自分のこととはいえ、ずっとこれが視界に入らないとはちょっとやばいんじゃないかと思った。靴の上にクレヨンと半裸で獅子を抱くエンペラー。ここは幼稚園児の家なのかな?

 ふと、最近ユニコーンのことを毎日考えていることに気づく。年に何度か、ユニコーンがペガサスが欲しくなる。勿論本物はいないからおもちゃやぬいぐるみで我慢しなければならないのだが、ユニコーンやペガサスは乙女な感じの物が大半で、男向けのおっさん向けの物がないので困る。バイコーンのフィギュアやぬいぐるみなんて売ってねーから。

ユニコーンはゆめかわいい清純一角獣。バイコーンは二つ角がある悪のけだもの)

 で、駿河屋でなくしたCDと一緒にユニコーンのぬいぐるみも注文してしまった。家の中はいつまでたってもメルヘンにならない。家主がユニコーン世界の住人ではないから。招き入れるユニコーン君も、何日でごみの一部になるのだろう?

 タイピングしていたら、パソコンの横に多数置いてあるキリストが床に落ちて金具が外れた。俺は色々と雑なので、大好きな、買ったキリストの扱いも雑だ。十字架から取れたキリストを接着剤でつけると、金具が変色して少しキュートだ。面倒なので接着剤はつけたりつかなかったり。何度も何体も落としてるんだキリストを俺。そしてロリポップのように、机の横にキリストが何人も並んでいると落ち着くのだ。

 疲れていると、歩きながら長く目を閉じてしまう。瞬きをする間隔がゆっくりになるといった感じだろうか。ナルコレプシーではないし『マイプライベート・アイダホ』、リヴァー・フェニックスになれるわけもないのだが、あの映画、気恥ずかしくて胸に来て好きだ。また見たいな。

 再読、というものが多くて困る。見たものだって多くを忘れるのだ。この雑記で見た物を意識して引用して書き残すと、自分でもその再読率の多さにちょっと驚く。自分でも好きで読んでいるからこそ、なのだが、自分の好きな物が変わっていないのだと、所詮同じものばかりなのだと思うような甘い閉塞感、真綿で首を締めているような感覚を覚えるのだ。

 それでも好きな物があるだけ有難い。これで好きな物すらなかったら、俺は出来損ないの機械どころか部品にすらなれないだろう。

 そんな考えが浮かんで嫌になって、ただ読みたくもない本を読む電車内、目の前のつり革を掴む手がやけに黒々としていて、それがタトゥーだと気づいた。その人は手の甲にも指の関節にも文字を入れていた。

 ユニコーンもいいけれど、また身体に針を刺さなくっちゃなあとしみじみ思う。金欠を理由にずっとサボってるんだ。タトゥー入れるために少しは働こう、なんてしていた二十代の俺は偉かった(は?)。でも、三十代の俺は結構読書してるんだ。だからそれもまた、悪くないのかもしれない。

 ミニマルアート関連の著作は意外と少ない。なのに、売ってしまった本もある。再読する 千葉成夫 『ミニマル・アート』

119P

ミニマル・アートという運動は存在しなかった。存在したのは、まず、ミニマル・アートという言葉であり、それをめぐって
書かれたいくつかの批評文である。しかしそれとても、ミニマル・アートという名で呼ぶことのできる作品なり潮流をとらえようと
して後から追いかけて書かれたものであることもあり、運動を組織するためのものでもなかったし、適切な時点で潮流をすくいあげた
というものとも少しちがっていた。むしろ、はじめから、様式というよりはひとつの造形精神のありかたを指して使われていた、
といったほうがよい。

184P ソル・ルウィット モジュール床構造体 1966 彩色された木で作られた
ソル・ルウィットの場合は、物体なり平面から遠心的にひろがりが展開するのではなくて、ある空間にグリッドの構造体が置かれる
ことによってそこに求心的なひろがりが生まれる。内側に向かって凝縮しようとするふつうの彫刻をおもいうかべてみればわかる
ように、求心性は普通は空間を凝縮させる。つまりある量塊の物体に彫刻としての強度を与えうるものである。しかしここではそう
はなっていない。その理由の中空という構造にあることはいうまでもない(中略)
ルウィットの関心が空間を彫刻のように凝縮させることにはないところに、もとめられる。ルウィットのグリッドは、空間を
いったん求心方向によびこみ、ついでにまた遠心方向にひろげる、そういう作用をもたらす。この両方向の同時的な動きが
生んでいるひろがりは、平面的ということはもちろんできないが、さりとて彫刻的でもない。このグリッドは、たとえていうと
2.5次元くらいのところにある。

 

この人の文章は好きだ。評論家、批評家の存在って、しみじみとありがたい、とか思うことも多いのだが、同時にじゃあてめえで作品作れやとかてめえの思想とか我田引水マジいらねーから、とかてめーで血を流さないで矢面に立たないでなんで平気なんだろうと気分が悪くなることもしばしば。批評家に求められるのは対象との距離とポエジー、だと思うのだが、それらも前述の悪罵も俺の勝手な注文でしかないこと位自覚している。

 言葉にならない、批評がおいつかない、意味をなさない作品こそ素晴らしい、と思う俺。だけれど、批評家の評論家の情熱や考察や丁寧さには頭が下がることがあるのだ。ラブレターにすらならないのに。それとも幾人かはラブレターにはなると、思ってるのだろうか? 銀幕のスタアへの恋文を綴り、夢の恋で満足する少年少女のように? でも、それにしては度合いが違うかもしれない。彼らが成しているのはきっと狂信の体系化。

 彼らの熱心さ。智の美術の思考の体系化、アーカイブ化、ということにむやみやたらな拒否反応が出ることもあるのだが、しかし俺はそれをガイドと補助線として思考をしているはずなのだ。

 自分で何かを考える際(作る、ではなく)やはり簡易なアクセスと筋道を立てるということは良いことだと基本なのだと思う。優等生の優等生さに文句を言う、なんて馬鹿げている、とは思うのだけれども。

 俺の読んだこと、感銘を受けたこと。それを昔はノートに書き記していたけれど、今ならブログ内検索ができる。たまに、自分が過去に読んだ本やら人のことを思い出したくて、俺は多少意識して引用をしているのだ。文字通り、この雑記が備忘録、メモ帖代わりになるから。

 本当に、自分が様々なことを忘れて行くことを思い知らされる。そして、好きな本でもどうでもいい本でも、感想ですら記録し続けると、俺は読書を嫌いになるかもしれないとも思う。

 でも、忘れたくないこともあって、書くこと、雑記に残すことは残り香のごとき微かな痕跡になる。一番は人に教えることだと思う。準備をしなければならないし、自分でかみ砕いて理解しなければ人には伝えられない。

 お勉強動画制作やら読書会、というのがきっといい手段なのだと思うが、俺のキャパシティがそこまで及ぶのかが問題だ。せいぜい気晴らしの、雑記が丁度いいのかもしれない。きちんと体系化するのが、形にして残すのが記憶には一番、なのに俺はその手前でぐずぐずしている。

 忘れたいとか忘れたくないとか、眠りたいとかねむるのが怖いとか、しょっちゅう思う。今の慰めは、美術やゲームというよりかは、誰かの告白とか、ユニコーンなのだ。ゆめかわいい。身体がバグったら病院へ行こう。病院に行ってダメージを受けたら、幻獣に会おう。そうやって暮らしているんだってよ誰かは。

 眠るのが怖いのに、様々な物を片付けていないのに、俺は目を閉じなければならないのだ。そんな俺に君に、隣にユニコーンが虎がハチドリが恋人がイマジナリーフレンドがいたなら。

 でも、それらを作るのは買うのは、そして捨てるのはわりと簡単なことだ。簡単に思い出し忘れる。すてきなことだと思う。