早くその瞳を砂糖漬けにして

好きなものに手を出している気分になる 色々なものに触れて考えている気分になる

でも実際はそうでもなかったりする 好みは思考範囲は似通い、アクセス先はファミレスのバイキングなのに、あたかも自分自身で考えているかのような選び出しているかのような

そんな時は誰かに会うのがいい 他人の生き方に考えに触れると何かが生まれる、かのようだ

でも会える人がいないなら、本屋に行こう 沢山の人の生きざまが主張が思想がかっこつけが並んでいる
Amazonのサジェスト機能は便利だ、でも、自分の気づかない、思いがけない本に出会えるのは、様々な本が雑多に並ぶ本屋だと思うんだ

六本木の青山ブックセンターがまた閉店した

一度目の閉店の後で多くの人の声で復活して、でも、また閉店してしまった 色々なマニアックな本や値の張る本が揃っていた、大好きな本屋だった。会社が、店員が本が好きなんだって思える本屋なんだ

その跡地に本屋ができた その店は入場料金千五百円がかかる そして店内で本を選んで買えるシステムだ。

青山ブックセンターには小さい頃から通っていて、大好きだった 学校をサボり、行くところが無いから何時間も立ち読みをした。多少、お金ができたら、ふらっとよって、様々な本に魅力されたまに、買った

だから同じ場所にできた違う毛色の本屋が好きにはなれそうにない

でも その店の売上はいいらしい。本は売っても本屋はたいして儲けられない。一冊万引きされたら同じ本を何冊も売らないと赤字だ。

だからバーのチャージのように、客単価が上がる方式は考え方としては正しい。せっかく入場料金を払ったからと、店内での購入に繋がる

ただ、並んでいる本は一般的に手に入る本で珍しさとかセレクトを売りにはしていないようだ。

それ言っちゃっていいの?と思ったが、いいのだろう。それで今のところ成功しているのだから

六本木のTSUTAYAには書店があるけれど、その品揃えに驚いた。よみたい本が見当たらないのだ。その話をした人、三人ではあるが、納得していたので俺の偏見ではないと思う。

ただ、その書店は六本木ヒルズの外れにあり、内装がとても洒落ていて、同じ階にはカフェもあるのだ。
そう、分かってるんだ。店の狙いから外れた、マーケットから外れた人間の文句なんだ。

そういった場所での本の役割は(ネットでの)共有や共感という側面が強い。本は、インテリアとして消費される。

でも誰が何をどう消費しようと勝手だ。ちゃんとお金を払ってサービスを受けているんだ。当たり前だが本を読んで楽しんでる。文句はお門違い。

何より、普通の本屋が潰れていく時代の新しいビジネスモデルなのだ。

でも、俺は悲しい。好きだった本屋がどんどん潰れていく。君は、なんだかんだいってもさ、皆に必要とされてるって信じて疑わなかったのにな。急にさ、いなくなるなんて。 もしかしたらこの先、無料で様々な本の背表紙を閲覧するのすら贅沢な行為になったりして

こんなのは俺の感傷で、本も本屋も同じ形でいられることはない。俺は何の力にもなれないけれど、でもあの時の君が好きだって、そう思うんだ。

目について、ルドゥーテの薔薇の本を買う。立派な大型本ではない、コンパクトな本。そりゃ、本音を言えば立派なのが欲しい。でも小さな本を帰りの電車で開くと、ほら、手のひらが花園。

自分がどうにもならなくても、俺の大好きなあれやこれは消えないのかなって忘れ去られたりしないのかなって、なんとなく思っていて、でも、それも分からない

俺は自分が死んだ後のことについて興味が薄いけど、俺が好きだったあれやこれが、誰かに愛されているんだって考えると、まあ、悪くない。悪くないんだ。
でも、とりあえず俺ができるのはせいぜい好きだって、そう言うことくらいなのかもしれない。

 

 書いた後、ざっと読み返して、恥ずかしくなった。今更、こんなこと言ってどうするんだよって思った、でも、俺の勢いで書いてる雑記なんて大体こんなもんじゃんかと思い直して、これも書き散らして、また新しいことを口にするんだ。そうしたら恥ずかしくても平気だ。