君のビヂネスになりたい

気分を上向きにするというのはとても難しい。なんとかどうにかしようとするんだけれども。

 どうしようもない日々。続いてる続いてくずっとだ!嫌になる慊い。

 外に出て歩きながら音楽を聞いている間は、俺もまあ、どうにかなるんじゃないかどうにかやっていけるんじゃないかって、そう思うんだ。どうにかなるとかどうしようもないとか、結局の所俺の思い込み。だったら、勘違いできますように。いつも、悪いことばかり考えてしまうんだ。それが俺の現実だとしても、目くらましを、目を見開いて、等と。

 でもさ、どうにかしようとしてもどうにもならない時の方が多くって、借りてきた映画、二本見たけれど、どちらも途中で飽きてしまって中断した。集中力が切れてるのかな。映画を見るって、二時間身体をあずけるってことだからさ、暇なくせに、時間が減るのが怖いんだ。考えたくないくせに、何かに夢中になっていたいんだ耽溺していたいんだ。自分の現実から逃れるために。

 でも、酔いは夜は夢は必ず醒めてしまう。素面で向き合わなきゃいけないんだ現実に。そんな時に頼りになるのは、結局の所本とか音楽とか映画とか……それしか知らない、頼れない。好きなのか好きじゃないのか分からない。でも、それ以外、よく分からない。

 でも、深く知ってるわけでもない。いつもよそもの。というか、よそものになれるからよそものでもいいから、俺は彼らのことが好きなのだろうか?

 堀野正雄の写真集を見る。彼は早くして写真を辞めてしまったのだが、初期の建造物を撮った写真はとても好きだ。いつもの俺のハイコントラストモノクロ大好き、という補正があるにしても、その構成美はかなりのものだ。ファッション写真にも通じるようなフィクションの世界を想起させる、強大、巨大な物質の持つ存在感。題名が○○に関する研究というのも好きだ。

 沢渡朔の写真集『ナディア』を見る。気になっていたけれど、数枚の写真、ではなく、写真集として見るのは初めてだ。ナディアというイタリア人モデルと恋に落ちた沢渡。その二人の愛の記録。なんて書くとナルシスティックな私小説的な甘い感じがしてしまうし、実際写真にはそういった点も魅力の一つとして表されているのだけれど、それとは正反対の不安感や孤独を写真から感じ取るのは、先入観からだろうか。

 この写真集は二人の親密さの記録だ。でも、二人はすぐに別れてしまう。この本の末尾に、ナディアが慣れない日本語で書いた文章が、切ない。

 

「最初軽井沢で貴方は私しにこう言いました『ナディアは私のニンフェット、私しのヴィーナス私しのナルシス、私しのダフネ私しの女……』今貴方のビヂネスとなった?」

「貴方のハートの中に入りたかったけれども貴方の悲しいフィーリングの写真に入っただけかも知れない。貴方は人形およくとった。私しはその写真はとてもすばらしいと思う

 人形は気持ちがないでしょ貴方は自分の気持ちで人形をとる。多分私しはもただ貴方の人形だった。『森の人形館』ベルメルの人形よりも少しダイナミックな人形でしょ!!」

「貴方はかびんからまだフレッシュな時に捨てたでしょ枯れてから捨てればよかったとおもわない?」

 

 昔の写真を見ることになったナディアは、その写真について恥ずかしい懐かしいと言う。そして「文章についても懐かしいですか」と聞かれた彼女は答える「わたし、このときのことを忘れてしまいたい。100パーセントあのころのわたしです。文章の方がこわい。いまはまだとても読めません」

 また、ナディアにとっていちばん懐かしい写真は という問いに、彼女はおばあちゃんの写真と告げる。亡くなってしまったから、と。

 

 この写真集は、森で街で、裸であったり服を着ていたり、悲し気であったり幸福であったり、演技をしているようであったり素に近い表情であったり、つまり、恋人、だった人の恋人であった時間の、そして「ビヂネス」による眼差しによって捉えられた、ナディアの記録だ。

 その中でも、俺が一番素敵だなと思ったのは、黒いマフラーに二人で入り、頬を寄せ合い歩くナディアとおばあちゃんの写真だ。他のフォトジェニックなファッション写真のようなナディアも素敵なのだけれど、他にはないあどけなさ、安心がそこからは感じられた。

 フェイクの、フィクションの美しさというものがある。俺がとても好きな世界。ギュスターヴ・モローの言葉を想起する。

「私は自分の目にみえないものしか信じない。自分の内的感情以外に、私にとって永遠確実と思われるものはない」

 この写真集『ナディア』には、そういうフィクションの美しさと、親密さ、或いはナディアという撮られてしまった愛されてしまった女性の危うさが現れているようで、胸を刺す。写真は写真だけで評価されるべきで、他の要素を見出すのはフェアではない、のだけれど、でもそれらは写真に現れているのだ。好きだけれど、一緒にはいられない、戻らない。でも、その写真の中には、それらは収められているのだ。

 親密になること。簡単だし困難で、途方に暮れてしまう。いつも、途方にくれるんだ俺。ただ、誰かについて親愛について孤独について考える時間は、俺がまだ生きているという実感を与えてくれる。俺の慰め。

 誰か、そして誰かについて考えるしかないんだって。