作り物に乾杯!

 金券ショップで、期限が明後日までの展示を格安で見つけた、という気のない理由でチケットを買い、休日の美術館という空間は遠慮したいものだけれど、覚悟を決めて朝早くから向かうことにする。

 俺は雑踏は好きなのだが、行列や店の中で人が多いというのはどうにも苦手だ。俺は目が悪く、美術館で作品を見る時は作品を間近で見なければいけないので、人混みの中で何かを見るならば鑑賞どころではなくなってしまう。

 行って来たのは、三菱一号館美術館 『ラファエル前派の軌跡 展』

 美術館へのアクセスは有楽町と東京駅の間で、有楽町、という名前を目にすると、いつも思い出してしまうんだ、フランク永井有楽町で逢いましょう。有楽町という土地の情報がほぼない俺にとって、有楽町=フランク永井という貧相で幸福なイメージが成り立っている。

ほんと、彼の甘い歌声は歌謡曲って感じがして好きだ。ちなみに有楽町には寄らずに、東京駅から美術館へ向かった。

 

有楽町で逢いましょう フランク永井

 

 

 三菱一号館美術館はお金をかけた昔の建造物という感があり、とても素敵だ。内部は天井がとても高く、そこまで敷地面積は広くないものの、開放感がある。

 で、肝心の客の入りなのだが、午前中に向かったからか、程よい入りで、見るのには困ることはなかった。また、今回は一部の作品はフラッシュ無しでの撮影が可能ということで、あちこちでシャッター音がした。最初は「おっ」と思ったが、じきに気にならなくなった。俺もいくつか撮影した。図録を買わない人間からすると、ありがたい配慮だ。というか、SNSでの拡散を目的としてこういう、一部撮影可という試みなのだろうか。

 目に留まったのは、チケットにも印刷されているロセッティの魔性のヴィーナスという作品。

 キャプションに「左手に美の象徴である林檎を持つ、美と愛の女神ウェヌス。肉感的なバラと長い雄しべのあるスイカズラに囲まれた彼女は、その添え名のとおり、右手に持ったクピドの矢で「人を心変わりさせる者」なのだろう。舞い飛ぶ蝶は、愛によって身を滅ぼした者たちの魂だろうか」

 と書かれており、アトリビュートを元にイメージが喚起される作品になつている。ただ、ラスキンに「花が雑」と言われたそうで、というか、正直、この画の技術の巧緻はどうか、と思う所があり、右上の取ってつけたような青い鳥も後輪の蝶と混じるような処理も、これでいいのかなあ、という感がするのだが、それでもこの画はとても魅力的だ。

 肉感的でかつ、人体や花の表現が作り物めいているのが、魔性のヴィーナスという題材と相性が良い。不自然に見える、構図としてやや収まりが悪いような配置、それこそも押しが強い、蠱惑的な魅力を持っているというのが、憎い、魅力的な作品だ。

 他に目に留まった作品は、ミレイの「結婚通知―捨てられて」 という作品。真っ黒な背景に浮かび上がる、手紙を手にした不安そうな不満そうな表情の令嬢。痛ましくも美しいその姿は、見ているこちらにも何事か起こっているらしいことが伝わってくるのだ。

 ウィリアム・ダイスの「初めて彩色を試みる少年ティッツィアーノ」

 屋外で液体と草花を用意して聖母子像を見ている少年の画。無理な体勢で椅子に身体を任せつつ、試案する、なんとも可愛らしい少年の姿。草木茂る屋外に対し、用意した花々がそこらに散らされているというのが、着彩やイメージの為の植物という対比で見ていて楽しい。

 フレデリック・レイトン「母と子(サクランボ)」

 見るからにお金持ちな母と娘が描かれた画。高そうな絨毯の上に寝そべる母に寄り添い、その口元にサクランボを向ける娘。二人の衣装は白、背景には百合の花々。金屏風には鶴。なんともロマンティックで品の良い作品に仕上がっている。

 エドワード・バーン=ジョーンズ「コフェテュア王と乞食娘」

 この画、俺が会場で見たのとネットでヒットする画とは違うのだが……

具体的に言うと、会場にあるのが下絵、習作みたいで、図録には個人蔵となっており、ネットでヒットする作品は、構図など全く同じなのだが、テート・ブリテンに所蔵されているという表示が出てきている。

 で、俺はちょっと習作っぽい感じの、この会場で見てきた画がとても良かったと感じたのだ。

 王が乞食の娘に惚れるという小説を題材にした作品で、会場の画だと、娘の顔の部分がぼやけて描かれている。それに対して、王の姿は立派で、甲冑の硬質な表現も見事。背景は木製の階段で、それらの書き分けが見事なのだ。明らかに力を入れて描かれている王の姿ではあるのだが、その王の少し上段にいる(会場の画では)顔がぼやけた乞食の娘の存在感。とても優れた画だと思う。

 そして、会場で一番俺の好みの画が バーン=ジョーンズ「慈悲深き騎士」

 主題はキリスト教の騎士道精神をロマン主義的な文脈で説いた『騎士道の誉』によるもので、兄弟の仇をとろうとしたした騎士だが、相手の命乞いから、それを許す。するとキリストの彫像が、兜を脱ぎ跪く彼を抱きしめ、その額に口づけるという画だ。

 こういうテーマがすごい好きなんだ。復讐、赦し、奇跡、抱擁、口づけ。厳かな顔つきをして甲冑を身にまとった騎士と木製の穏やかなキリストとの対比が情感を刺激する。

 こうして書き出してみると、好きな、素敵な作品が多く、思っていたよりもさらに良い展示だった。昔流行った中世ファンタジーゲーム好きの人にも受けそうな展示だと思った。

 会場から出て、有楽町方面、国際フォーラムで大江戸骨董市を開催しており、足を運ぶ。社会のネジとして嫌々働いていた時(今も)、ここに何度か行く機会があり、その時に知り合った人に「君さあ、テロリストにいなかっった?」という素敵なお言葉を戴いた。俺、一応時給が発生している場面ではマジガチ真面目に働いてるのにテロと無縁なのに! とかなんとか、どうでもいいことを思い出す。

 会場では何だかよく分からない物が並び、いかにも外国人にうけそうな浮世絵着物食器、といったものが並び、外国人率が結構高い。会場を進むと、いくつかの店で、箱に大量のこけしがいれてあるのを目にした。なんで? つーか、雑に入れられたこけしを見るとなんだか悲しくなったぞ。

 最初はいかにもジャパニーズゲイシャフジヤマハラキリ商品だけかと思いきや、ウエッジウッド、ミントンといったヨーロッパの食器類やら雑貨やアクセサリーやらを売っている店もそこそこあって、江戸の骨董……なのか? と感じながらも、若者よりも年齢層が上のこの会場には合っているのだろう。

 お腹が空いて、会場の住みで家から持ってきたパウンドケーキを食べていると、目の前で三十代で素手で牛を殺せそうな北欧系カップルが、人混みの中で接吻をしていた。いやーん、まいっちんぐ!(なんてことは全く思っていない)。その横を、茶色に染めたツーブロックモノグラムのバッグを手にした、俺とは違い仕事ができそうなスーツリーマンが小走りで通り過ぎ、俺はむしゃむしゃケーキを咀嚼。

 のろのろと歩く、釣りの時に着るようなポケット沢山便利ベストを着たしょぼくれたおじいさん。メタルTシャツを着た。かなりふくよかで元気そうなアメリカ人(偏見)。こういう雑多な空気が好きだ。

 帰りの電車で、家から持ってきた文庫本に目を落とす。玄関に落ちていた本を拾ってきていて、それは川端康成の『伊豆の旅』という伊豆にまつわる作品集で、彼の『伊豆の踊子』は何度読んでも楽しく読める。冒頭が有名だけれど、末尾の部分も好きだ。

「船室の洋燈が消えてしまった。船に積んだ生魚と潮の匂いが強くなった。真暗ななかで少年の体温に温まりながら、私は涙を出委せにしていた。頭が澄んだ水になってしまっていて、それがぼろぼろ零れ、その後には何も残らないような甘い快さだった」

 川端の作品に対して毀誉褒貶 を目にすることがあるが、ロマンティックな題材は、そういうものだと了解しているので、俺は気にならないし、俺は彼の小説が本当に好きだ。

 傲慢で残酷でぬくもりがあり甘く、愛情深く冷え切っている。川端とジュネの小説にはこれらがあって、たまらなく好きだ。お金も友愛もなくても、ロマンティックな錯覚の為に、俺。