無限新兵

 精神状態のアップダウンが激しくて、やたら疲れてる。安定剤をアルコールで流し込み、俺は大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だと唱えたかと思ったら、ひとりでむっちゃにやけて涙が出そうなほど気分があがったりして。

 こう、文字にするとやべー人みたいだな違うんだ、ただ少し、色々あっただけなんだ。

 たまに、自分の感性が死滅していると感じることがある。ああ、俺はもう深い感動とか情動を抱かずに、フェイクだか幻灯装置だか影だかにすがるのかなあ、なんて。ゆっくり、一人、緩慢な自殺に向かって歩んでいくのかなって。

 そんな気分。みっともない、情けない状態にしばしば陥るのにさ、色んな変化があって、何か、したい、しなきゃって思ってる。

 家の段ボール三箱分本を売った。売ったというか、どうせ値段がつかないから、処分したと言ったほうが正しい。大好きな、大好きだった本たち。とはいえ、まだまだ家に本はあって、いまだに下駄箱の中に文庫本が入ってる状態。だけど、まだまだ処分したい。

 欲しくなったらまた買えばいいんだ。

 dsのカードヒーロという超面白いゲーム、俺、この前また購入した。このゲーム買うの五回目。同じゲーム五回も買ってるんだ。頭大丈夫か? 俺、ゲームはすぐ売り払う。なのに数年くらいしたらやりたくなって、同じゲーム買って売る、というのを繰り返してる。

 暇な時、パソコンでMTGA(カードゲーム)をしながらその対戦相手の思考時間でDSのカードヒーローをやっていた。そんなに俺はカードゲームが好きなのか? 好きなんだ。あの、魔法が描かれたカードという物が。

ゲームやりこんで強くする人がいるけれど、俺は弱いのを強くするのが好きだ。永遠の新兵。身体も心も老いるけれど、羞恥を抱きつつ新兵気分。

 そんで、スマホ買おうと思った。スマホ持ってないんだ。俺。ガラケーで十分過ぎる。どうせスマホかったらスマホゲーに夢中になる。金もかかる。俺携帯扱い雑だから壊すだろうし。だからガラケーで十分だと思った。けどさ、スマホで、もう少し、誰かと交流しようかなと思った。

 スマホで交流って、何時代の人ですかね……

 ミクシイ、昔超流行ってた。好きだった。あの、いろんな趣味について熱く語っている感じ。勿論今だって、それぞれのSNSでみんな語ってる。でも、俺はコミュニティと日記、みたいな形式が好きだった。文章読むの大好き。誰かが何かについて、長文で語っているの、大好きなんだ。

 なにかしら、色々と大好きになる準備しなきゃなっておもってる。

 準備? そう。あまりにも自分がダサイと、人と会いたくなくなるし、自分が何をしたって変わらないよ、って思えて来る。まあ、それはそれで賢明な判断だけどさ、もっとさ、自由に叫ぶというか騒ぐというか踊るというかそういう軽やかさ、俺、失ってきてる。よくないな。気軽に好きって、言えばいいのにね。

 俺、相当惚れっぽい。大抵のことに大袈裟な振る舞いで感動する。そういうの、奇妙に映るんだ。具体的な話はしたくないけど。俺、はしゃぐのも派手なのも好きなのに、目立ちたいというわけではなくて。

 でも、普通に見られますように、って念じながら委縮してると、それが自分の身体にまとわりついてくる。社会性。社会性がなきゃ生きられないよ誰だって大なり小なり持ち合わせてる。生きる為に寂しさを紛らわせるために愛の言葉を口にする為に。

 恥ずかしい真似、しなくっちゃなって思うよ。誰かに馬鹿にされちゃうような行為。奇異の眼で見られちゃうようなこと。誰かに(あんまり)迷惑かけないとしたら、したいなら、したほうがいい。

 俺、小説を書くから何かしらゲスイ状況に陥ると、ああこれ資料になるかもってたまに思うんだ。勿論渦中でそんな風に思えないことも多々あるし、絶対にほじくり返したくないこともある。

 ただ、色々経験しなきゃな。もっと、知らない人に気軽に会って、知らない人と喋って、知らない場所に行く。そしたらきっと、色々考えずにすむし。多分、自分のことを嫌いにならないで済む。新しい誰か、何か。そのことを考える。きっと、そわそわしちゃう。大変だ。なのに家にだっていたくない。

 俺が売り払った本たち、金井美恵子 古井由吉、松浦理恵子 笙野頼子 町田康 えすとえむ 他にも漫画沢山(でも彼らの本はまだ家にあるのだ) ロリータファッションの本とかスタジオボイスとか美術手帖とかゲームの攻略本とか(でもまだ家にあるのだ!) ゴミみたいに捨てるなら、誰かにあげればよかった。

 あげられる友達、作らなきゃな。ジャンクでもオートクチュールでも感情を共有できるような友達。友達じゃなくても、たまゆら、感情交換しなくっちゃ。(俺の売り払った本たちの多くは、なんというか、形容しがたい、素晴らしい物です。でも、売り払わなくっちゃいけない。ずっと、持っていられない。)

 気軽に誰かと交流することを考えると、気分が楽になる。俺、自由に喋りたいな。好きな物を人を好きだって毎日言いたい。

 海野弘の『ファンタジー文学案内』のプロローグがとてもいかしてるから引用。

 

 もしあなたが、若く、無名で、貧しいなら、ファンタジーを読んで欲しい。若いとは、あなたがいくつであろうと、今とこの世界を飛びたいという願望を持っていることであり、無名とはまだその願いを可能にするすべを見つけてはいないかが、いつでもその冒険に飛び出せる身軽さを持っていることであり、貧しいとは、今とこの世界を変えたいと切に希求していることだ。

 この世界、この今の時に満足している人にはファンタジーは必要ないだろう。この世界は私の求めている世界とはちがう、もっと別な世界が見たい、と思う人に必要なのだ。

 ファンタジーを読むには、あなたはロマンティストでなければならない。現実にはあり得ないもので、他のだれもが信じていなくても、私はそれをしんじよう、という孤独な冒険を引き受けなければならないのだ。十八世紀末から始まっロマン主義は、孤独な芸術家の想像力の旅を見出した。その時から、人間が別世界を想像し、創造するようになったのであった。

 

 

 

 めっちゃいい言葉だ。こんなことを言える人だから、色んな美しい本、画家、についての本を編集できるのだろう。

 編集って、素晴らしいことだ。好きな物を自分の乱暴な秩序で構成するんだ。その為にはきっと、好きだって言っていなくっちゃ。好かれなくっても振られちゃっても、いい。いや、よくないけど、ただ、愚かでもロマンティックな人生の方がずっといい。

 俺、ずっと、これ以上嫌なことが起こりませんように、って、回避型の生活をしてしまうことがあって、それは俺なりの処世術ではあるけれど、ださいんだ。毎日の、過去の塵芥沼憎しみ憎悪、らと友達になるより、知らない何かのことを考えていなくっちゃ。

 俺は30半ばのおっさんだけど、まだまだ愚かに軽やかになれるって。この年で新兵。恥ずかしいけど。でも、何かに触れていたいと思うよ。