哀れにならぬよう愚かにね

 新しい仕事について、へとへとになる。これがいつまで続くんだろうって、毎回考えて、でも、続かなかったとしても、何かを続けるとか依存するとか頼みにするしかなくて、でも、頼みも依存先だってなくって、毎日へらへらしてやり過ごすのは愚かな事だろうけれども、そんな自分を哀れだとは思いたくない、というか愚かでもいいけれど哀れなのは嫌だな。哀れなのは嫌なんだ。

 写真機が欲しい、と思いながらも買ってない。金銭的な理由が主だけれど、それ以外にもあって、「今」俺が撮りたいのは、作り物の画面、コンセプチュアルアート(好きではない言葉だ)とかファッション写真みたいなものらしいのだ。

 お膳立て、衣装やモデルがあって、やっとスタートラインに立てるようなのが撮りたいんだ。

 そんなぐずぐずとした思いを抱きながら、新宿の街を歩く。写真を撮りたいな、と思って街を歩くと、街をどういう風に収めようか、と、ふと、頭に構図が浮かんでくる。

 また、渋谷の街を歩くと、特にスクランブル交差点付近にはスマホのカメラ以外にも、ごっついカメラを手にしている人らがちらほらいることに気が付く。

 俺が写真を見る、のではなく撮ることを考えたのは、小説を書けない時間に何かしたかったからだ。俺にとって小説を書くことは気になるテーマやシーンの編集作業であって、何であれとても頭を使う。だから、もっと瞬発的な、制作をしたかった。頭、というよりも感覚的な何か。

 森山大道『昼の学校夜の学校』再読。森山大道と写真を志す若者たちとの対話の記録。若い人々からの質問への、飾らない大道の言葉がとても楽しい。以下、彼の言葉の引用。

(印画紙はゲッコーのVR4 RCペーパー)

 

 

 

(若い時の写真が勢いがあって圧倒されるという言葉を受けて)「そう思ったら自分でやらなきゃあね。とりあえずやみくもにでもいいから、まず自分でやり始めないとね。それがあなた自身の写真のコードにつながっていくわけだから」

「様々な路上をうろついているのかということをごく単純に言いますと、そこにはほとんどありとあらゆる物と出来事があるからです。あなたが言ったように人間と言ってもさまざまだし、風景にもまた色々ありますよね。それらがかぎりなくクロスする都市の街路はそれこそ多様な顔を持ったモンスターです。そして出来事と物とが氾濫している。つまりそれらすべての混成が、都市であり路上であり外界であり世界であると思うんです」

「撮り続けていないとだめなんです。たいして動かないで考えて、あのスタイルもこのパターンもイヤだと分かったとか言ってやめてしまったら、そこでおしまいなんですね。やはり撮ることによって変わっていくしかないんです。(中略)要するに写真を一枚撮るということは、自分の欲望を一つ見つけること、対象化することですから」

「量もまた最大の力になるわけです。小手先の美学や観念で作られた写真なんて量が一蹴します」

 俺が引用した部分からも分かる通り、彼は若い人たちにとにかく「撮れ」と何度も繰り返して告げている。また、考える、自分の作品にキャプションをつけて説明するのはカッコ悪いだろ(しかしそういうのが一部の主流に、評価されることになっているのだろうか)、沢山撮りまくって、それを見せるんだってことを告げていて、共感した。

「要するに写真を一枚撮るということは、自分の欲望を一つ見つけること、対象化することですから」という言葉が、特に胸に残った。

 今の自分が苦しいとしたら、虚しいとしたら、おそらく、欲望が欠けているとか欲望を発散できていないからだ。俺の人生、楽しいなって時間は少ないけれども、それでもたまにはあって、友人との恋人との満たされているような幸福な時だってあるけれど、それ以外はきっと、何かに向き合っている時間、作品に触れるとか作品を作っている時間だ。欲望、好きな物を捉えようとする、幸福な徒労だ。それは愚かだけれど、哀れじゃない。俺が何度手を伸ばして、しかし手にできなくても、悲しいなんて虚しいなんて思えない。

 でも、時々、どうしようとか、もう終わりにしたいんだって思う。気持ちが毎日ぐらぐらしていて、途方に暮れる。ぐらぐらし続けていると、単純に疲れるんだ。とにかく終わらせたいんだ。でも、そういう意識に身を任せるより、何か、手を伸ばす方がいい。

 スマホを注文する前に、充電器とカヴァーと画面に貼るフィルムを注文してしまった。スマホを使って、二十代の若い子がするようなことを、この年でするのかよ、って思うとなんだか気恥ずかしいけれど、そんなんよりも、さっさとやっていかなくっちゃなと思う。

 スマホのカメラでも、多分今の俺には十分だ。撮った写真もどこかに上げていきたいな。何かしら考えるよりも、そういうことをする時期なのかもしれない。何より、やりたいこと、やらなくっちゃ。がむしゃらに。