あんたとなら、何もかも!

 疲れてへとへとになって、家に帰るとすぐに寝てしまって、変な時間に起きたり、ぼんやりとした頭のままだらだら過ごしてしまったり。それと、食欲がやばい。一応の救いが、かなり暴飲暴食をしているのに、体重はあまり増えていない、らしいことだろうか。

 それでも、穏やかに生きたいなって思う。その為には、穏やかに生きる努力が必要だ。いつだって、努力が必要なんだ。泥水のような不幸に浸ってばかりじゃあいけないんだ。

 三菱一号館美術館 マリアノ・フォルチュニ 織りなすデザイン展

 を見に行く。全然知らない人なのだが、服飾、絵画、写真、デザイン等ができた多彩な人だったそうだ。それに三菱一号館美術館って建物がとても素敵なんだ。あの空間に行くだけでも、十分行く価値がある。

 チラシの中の写真で見ると、綺麗なドレスだなー、みたいな印象しかなかったが、マネキンが着た実際のドレスを見ると、とてもエレガントだった。

 絹のサテン地にプリーツのシンプルなデザインのドレスは、着る側にも優しいそうだが、今の時代には無い、エレガンスを感じた(100年前の作品だから能えり前なんだけれど!)。シンプルで着やすくて気品がある、というのはどこかシャネルの洋服、ドレスに通じるものがあるのかも。

 ミニマルな美しさが作り出す、気品と言う物が、そこにはあった。実際に見られて良かった。美しいドレスを生で見られる機会なんてそうそうあるもんじゃないもんね。

 

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 一部写真オッケーだったので。実物はこの何倍も素晴らしい。近くで見たら、生地のなまめかしさとシンプルなラインにくらくらするよ。

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 美術館内も素敵。住みたい。

 

 頭が働かなくって、読書がサボり気味。夢中になっていたポケモンマスターズというアプリ、数日であきてしまった。ソシャゲ、同じことの繰り返しなんだもんな。あーあーグラブルはよかったなー。繰り返しだって、飽きさせない要素沢山!(でもはまるから再開はしない)

 ジュネの『泥棒日記』を再読している。久しぶりにまともに小説を読んでいる気がする。ただ、ジュネの場合は小説を読むというよりかは、彼の愛情に詩に触れるという方が正しい気もするが。

 

 

 ジュネが、惚れた男、スティリターノに告白するシーン。

「あんたも知っているだろうけど、おれはいまでもあんたに惚れているんだ。そして、あんたと一緒に寝られたら、と思ってるんだよ」

 すると、彼はわたしの方へ眼を向けずに、わらいながら答えた。

「まあ、そのことは、そのうちよく考えておくことにしようや、な」

 そして、ちょっとのあいだ沈黙した後、彼は言った。

「お前さん、いつたい、何がやりたいんだい?」

「あんたとなら、何もかも!」

「まあ考えておくよ」

 彼は眉一つ動かさなかった。ほんのわずかの運動もわたしの方へ向かわせはしなかった、わたしの全存在が彼の中に没入したいと願っていたのに。

 

 

 想起する、ファスビンダーのインタビュアーに対する言葉。

 

 

 


彼がインタビュアーの「貴方の映画には繰り返し出てくるモチーフ、愛は力関係なしにはありえないのですか」という質問への回答が面白い、曰く。


「ぼくは……また……つまり、あの忌々しい話題にまた戻ってしまうんですけどね。つまり、僕らはそれがありえないような形で教育されているってことなんですよ。どうしても愛する者、より強く愛する者、その愛により執着する者、関係に執着する者は、弱い立場になってしまう。それは、愛の弱い者の方が力を行使できるということと関係している。当然ですが。感情や愛や欲求を受け入れるには度量の大きさが必要になってくるんですが、ほとんどの人間はそれを持っていない。というわけで、大抵の場合は醜い。僕は、どんな人であろうとその関係が美しいと言えるようなものを知りません」

 

 俺はファスビンダーのこの言葉に共感する。そして、ジュネの態度にも。

 

 毎日のように、大丈夫なんじゃないかとか、駄目なんじゃないかとか考える。でも、そういうことを考えなくてもいい瞬間、誰かの作品に触れている時、誰かに触れている時。でも、それらは長くは続かない。俺はいつも放り出される/放り出してしまう。

 願わくば、それが長く続きますように。誰かをたいせつに。その時は大切にできますように。

 最近タイプの人に、「熱しやすく冷めやすそうだね」と言われた。同じようなことを、何度か言われたことがある。当たっているのかもしれないが、分からない。

 俺が大好きな作家は、愛情深くて冷静で冷酷だ。読んでると、本当にわくわくくらくらするんだ。でも、俺は、好きな人には何でもあげてしまう、何でもできてしまうタイプだと勝手におもっていたのだが、まあ、そうでもないかもしれない。分からない。

 まあ、どちらにせよ、愛情深くて冷酷だなんて、対人関係においては一番辛いことになってしまうだろう。そんなの、やだよ。仲良しが良いな。でも、俺自身がそれだったとしたならば。分からない。治しようもない。