健全なあまりにも健全な殺人

 昨日かいていた日記が、ページを放置して別タブのを見ていて戻っていたら、全部消えていた。ファック! 日記なんて消えたっていいか、と思ったが、読んだこと思ったことの記録は残しておいてもいいかも、等と思いながら、書き散らす。

 体調も家の中も荒れてる。メンテナンスって余裕がある時しかできないんだ。でも、メンテナンスしなきゃ、本当に駄目になるぞって、どうにか重い腰を上げて、現実の面倒事を少しずつ片付ける、予定。

 読書。中原昌也のしんさく、『パートタイム・デスライフ』を読む。何も伝えようとしない文章、伝達だけの文章、下らない匿名性の高い文章のコピペ、うんざりするげんなりする描写、そして、ユーモア。久しぶりに小説をよんで笑った。

 笑える小説を書ける人が、どれだけいるのだろうか? 悪趣味と怠惰。センスの良さで自由に横断。素晴らしい。でもさ、中原は小説が嫌いなんだ。嫌いだけど、書けちゃう。そして、捉えられないように、或いは捕らえられたって知るかって居直って。

 エロールルカインの『雪の女王』を読む。ほんとすき。ファンタジーが好きなんだって、彼のイマジネーションに触れると、そう思い出す。

 絵本だから、物語はシンプルでハッピーエンド。でも、雪の女王、って題材で初代ペルソナや、梶本レイカの『コオリオニ』を想起する。創作物の中で、登場人物が一生懸命すぎるのは、受け手も俺も辛くなるし、大好きなんだ。ハッピーエンドも好きだけれど、中断され、埋葬された人たちのこと、たまに思い出すんだ。

 ファンタジー。大好きな架空の世界。でも、俺は幻想も現実もしっくりこなくて、でも、そのどちらとも妙なお付き合いをする羽目になっていて、どきどき、おろおろ、びくびくしながら、頻繁にもうダメだって思って、でも、生き延びていて。

 少しずつ、身体やら住み家やらが駄目になるのを、メンテナンスをさぼっているのを、社会に適応できていないのを思い知らされ、そのツケを払っていて、もう、どうにかなればいいと思いながらもどうにかなっていない、らしいのは、ファンタジーと少しの現実のおかげ多分。

 少し、小説を書けている。幸福なことだ。作り物の中で、少し素直になってるんだ俺。塵芥、硝子刃物、石ころ宝石、集めて編集している、そんな幸福な気分だ。

 井村君江『絵本画家 天才たちが描いた妖精』を読む。多くのイラストレーター、画家の描いたファンタジー、妖精画を集めた本で、とても良かった。知らない人沢山! 知りたい人が沢山! 知ってる人だって好きな人ばかり、アーサー・ラッカム、ビアズレー、エドマンド・デュラック、カイ・ニールセン、ハリー・クラーク、シシリー・メアリー・バーガー! なんて素敵な画家たち!

 俺が初めて目にした人たちだって、素敵な人たちばかりだが、多すぎるので、一人だけ。

 リチャード・ダッド 69歳の生涯の内三分の二を病院と精神病院ですごした。26歳で父を殺して、精神病院に収容されて、なくなるまでそこで妖精画を描いた、らしい。父を殺したのは、隣で散歩をしている父は悪魔が返送しているから、という妄想に憑りつかれたから。

 彼はロイヤル・アカデミーに学んだ、ということで正当な絵画の教育を受けた彼の絵は病院に四十年! もいたというエピソードとは思えないほど、優れた人物、風景描写。彼の絵の一部分は、古典的な正統派の絵画だ。悪魔が見えた彼は正確なデッサン能力を身に着けていた! 

 なのに、彼の描く絵は、画の全体は不気味で奇妙で、戦乱とファンタジーと宗教的な祝祭が入り混じっているかのような混沌と秩序に彩られている、ような印象を受けた。高い表現力と細密画、うねるような人の波、人が波になる、かと思えば、愛らしい妖精や神話的な登場人物の、安定感のある姿。とはいえ、魅力的な端正なそれらは混沌の中に間違いの様に生れているから始末が悪く、悪夢のように魅力的だ。

 彼のオブセッションは何なんだろう? 知りたいし知りたくないし、でも彼の作品は素敵だ。素敵で、偏執的。

 じぶんが知らない人達、素敵な人たちが沢山いるんだって思うと、やっぱりちょっとは処方箋に応急処置になって、それが続けばまるで元気、みたいになれるんだって、そう信じる。悪夢も惰眠も、散歩しながら涙を流すのも、散歩しながら歌を口ずさむのも、好きなんだ。不健康であるために、健康にならなくっちゃな。やだな。