マンイーターの臥所に触れ

 新しい布団を買った。アマゾンで安いのを買ったら、あまりにもぺらいポリエステルでちょっと面白かったが、けっこう暖かい。本当に処分したいテレビデオ(!)は処分に5000円以上かかるらしい。いつかは捨てなきゃいけないのだろうが……思考停止、現実逃避、外へ。

 目黒のホテル雅叙園東京 いけばな×百段階段2019を見に行く。場所がら、というか、会場はきちんとした身なりのマダム率がものすごく高かった。たまに、同伴者らしき旦那さんやカレシの姿も見かけたが、一人で来てる男って俺くらいか? レベルのマダム率だった。

 生け花を普段見る機会が少ない、ほとんどないので、様々な作品を見られるのは中々刺激的だった。ホテル雅叙園の、古い建物、木の匂いというのもよかった。あと、当然なのかもしれないが、活けられている花のグレードが高い! 俺は花屋の店先で花を眺めるのがとても好きなのだが(買えよ)、会場にある花はとても立派な物ばかりだった。薔薇や菊が分かりやすかった。花弁の量が多いというか、どの花もボリューム感がすごいんだ。

 でさ、一番上の階がちょっとした休憩スペースになっていて、展示の終わりに 立花、投入、生花、自由花、盛花、文人花、と生け花の様式の歴史の説明が写真とキャプションで展示してあったんだ。そこの写真の生け花がね、正直に言ってここの今回の生け花のどれよりもいいんじゃね? と思ってしまったんだよね。

 恐らく、写真の生け花は、有名な人のなのか説明としてスタンダードなのか、どちらかとは思うんだけど、会場の花はそういうのではないのを目指しています感が強くって、何だかなあ、と感じるのが多くて。これは価値観、美意識の違いとしか言えないけれど、素人目に見て、かざりや余計な装飾なんていらなくて、器と花だけでいいのになって思うんだ。器と花を大切にして欲しい、なんて、素人が免状もってる人の作品に対する感想としてスゲー傲慢で笑えるなー。でも、まあ、感想なので。俺は写真の作品集でしか見たことがないのに、勅使河原宏のいけばなが一番素敵だと思う。ミニマルな精神が好きだ。

 とはいえ、俺は生け花にとってズブの素人なので、きちんと勉強している人らの作品を見るのは面白かった。花と器の組み合わせでどうやってバランスをとるのか、というのを見られるし。花を見る、というだけでも楽しい。金銭的な意味で、俺が生け花を学べる確率はゼロに近いが。

 目黒から歩いて恵比寿へ向かう。朝からトータスのアルバムをずっと聞いていた。多分、洋楽で一番好きで一番すごい(と俺が思っている)バンド。豊かなんだ。ロックの好きな要素が、音楽の好きな要素が幾つも。エモーショナルで心地よくって意識持ってかれるし優しいし。

 住宅街だからか、犬を散歩している人に何度かすれ違って幸福だった。俺、小型犬より中型犬、中型犬より大型犬見るとテンション上がるんだ。おっきい犬、触りたいって思う。俺は小さい頃猫を飼ってたんだけど、猫の骨格、身体、毛皮、に比べて犬はがっしりとした体格だから触りがいがある。動物さわりたいな。それか毛皮。

 恵比寿の写真美術館でtopコレクション 写真の時間 を見る。

 教科書、本に載ってる人たち、アジェ、ブレッソン、キャパ、ウィリアム・クライン東松照明中平卓馬森山大道……がずらりと並んでいて、あ、これ見たなあ、家に本あるなあ、と思ったりしながらも、良いプリント状態、大きさで並べられたそれらを目にするのは中々いい体験だ。

 で、肝心のいつでも見られる系(書店等で写真集がそれなりに簡単に手に入る)じゃないひとらのは、というと、俺にとっては全く合わない、ということだった。写真、作品そのものではなく、キャプションの助けで自立する作品は魅力的ではない。ということを大学の頃から感じているけれど、実際に世に出る作品の多くは理由が必要なんだ。

 とはいえ、それら、説明を要する、かのような全てが駄目だといいたいんではない。キャプションによって理解が深まる、ということだってある。にせよ、コンセプチュアルアート的な物の多くが、俺をげんなりさせる。それが作品だとしたら、見てくれが、外観が一番なんだ。印画紙もカンバスも喋ったりしないのに、そこに政治や哲学や思想を結びつけるのは下品だし頭が悪いと思うしセンスがないと思う。でもね、みんなやってるからね。いいんだねきっとアートワールドではきっと理由付けをして納得させてお金をひっぱらなければならない。でも俺は大嫌いだ。実社会でも創作の世界でも知人はいるが友人がいないというのは、まあ、こういう人柄に依るところが多い、でも、治せないんだなこれが。

 カミュの『異邦人』を再読。カミュの中でも短くて楽しくって定期的に読み返している。自由、ということが困難であることを、しかしながらその人にとっては、そうあるべきでそれ以外の生き方がが非常に困難なんだ、ということを強く感じる。

 好きな個所。引用。

 

 またしばらくの沈黙が過ぎると、あなたは変わっている、きっと自分はそのためにあなたを愛しているのだろうが、いつかはまた、その同じ理由からあなたが嫌いになるかもしれない、と彼女は言った。何も別に付け足すこともなかったから、黙っていると、マリイは微笑みながら私の腕をとり、あなたと結婚したい、とはっきりいった。君がそうしてほしくなったらいつでもそうしよう、と私は答えた

 

 

 もちろん、私は深くママンを愛していたが、しかし、それは何おのも意味していない。健康な人は誰でも、多少とも、愛する者の死を期待するものだ。

 自分が異邦人だとしたら、きっとぞっとする。だけれど、処方箋がない物に関して、愛情や肉欲が鎮痛剤になることは分かっているし、愛情、みたいな感情も肉欲も、そうしたいと願うならば、発露があるならばきっといいことだ。しなきゃね。