街角は猛獣の住家

呪いのような感情の帳が降りて、俺はめくら大抵いつでもめくら。なのだが、世界の表層は自分、だと思っているので、明るいふりをした方がいい。外へ。

 急に、思い立って動物園に行く。並ぶのも人混みの中で立ち止まるのも大嫌いなので、朝早くから上野動物園へ。とはいえ、前日の疲れが残りまくっていて、電車内で本も読めない。ipodで久しぶりにロマンポルシェ。 の曲を聞く。ロマンポルシェ。は好きなのだが、カバー曲の「ハイスクールララバイ」と「ワルのテーマ」のできがすごくいいんだよね。ロマンポルシェ。は曲も歌詞もボーカルも全部が濃い味なので、歌詞やメロディーはベタなポップスの方が映えるような気がする……というか、ロマンポルシェ。がアイドルの楽曲の編曲をすればいいのができあがるのでは? と思った。

 最近掟ポルシェツイッターを見ていて、ソフトバレエベリーズ工房について熱く語っていたのを目にした。それに加えてアイドル、バンドマンのルックスが大めっちゃ大事! という彼の主張は、今の時代めんどくさい全部差別するな人間がいる中で新鮮で良かった。ポルシェは口が悪いけれど、でもさ、平等じゃないんだ。私が不愉快だからお前ら配慮しろ人間より、自分で作ったり回避したりする人の方が好きだ。何かの代表面して、被害者ぶるひとがとても苦手だ。簡単に誰でも被害者にも加害者にもなるのに。

 ベリーズ工房は昔は良さが分からなくて、「青春バスガイド」「付き合ってるのに片思い」の二曲だけ超好きで、あとは、まあ、みたいな感じだったが、動画でライブを見てたら、すごいグループだったんだなーってことがなんとなく分かってきた。俺はアイドルソングがとても好きだが、アイドルについて興味がないことがしばしば。好きなアイドルの名前も顔も知らない、分からないのが沢山!! 夢アドもおさかなもしゃちほこもbisもネギッコも名前一人も分からない! 

 俺はアイドル好きになれるかな? 俺はゲームや漫画大好きなのに、萌えも分からない。だから、いろんなガチファンの人らがたまにうらやましいなって思うんだ。でも、まあ、動物好きなんだ。ふわふわしていて我儘で、牙やら爪やら嘴やら発達していて、まるで、人間じゃないみたいだろ?

 

 動物園に入ると、入り口付近に列。パンダのために並んでいるらしいが、並ぶのきらいなんだよ俺。パンダは好きだけど、並ぶほどすきではない。で、最初に目にするのは猛禽類。スゲーかっこいい。

 でかい鳥類の羽はとても大きくて迫力があって好きだ。当たり前だが、飛ぶための羽の配置がきれいだ。骨格があり、その上に羽が並んでいるイメージ。ハゲタカが翼を広げ飛びあがる姿はとても迫力があった。重量感のある翼の表現、空を飛べる翼というのはかっこいい。こけおどしの、つくりものの、フェイクの翼も好きだけれど。

 次は虎。というか、俺虎見に来たんだよ。ずっとさ、大硝子の前張り付いてた。虎がうろうろしてるのずっと見てた。たまに場所を変えて、虎見てた。ガラス越しでも虎は優雅だ。欲しいな。虎を待ってじっとしてたら、隣に来たちびっことお父さん。虎はいなくなってたから、すぐに二人はそこから去るんだ。お父さんがちびっ子に「寅さんいないねー男はつらいよ。さあ、行こう」って、オヤジギャグ独り言をつぶやいてたのが面白かった。

 家で小さなころ猫を飼っていたせいか、虎とかライオンとかも大好きで、というか哺乳類とか猛獣とか大体好きで、彼らの動きが犬猫の動作と似ている(同一だ)から、親近感というか、あんなにかわいい犬猫のスケールがでかくなると、ペットのような愛玩感と共に野生の存在感が見られるのが面白い。

 けだもの好きだ。触りたいな、欲しいな、身体の半分位君になりたいと思いながら虎見てた。気が付いたら40分位虎見てた。疲れた。また見たいな。白熊は動かなくて置物みたい。ゴリラは強そう。像は鼻を動かして草を食べていて、動きが面白い。よく見ると、あの重そうな身体を四本の手脚で支えていられるというのが、なんだか奇妙だ。動物の変な身体好きだな。マジさわりたいな。欲しいな

 とか思いながら、動物園の東側をぐるぐると4、5周していた。東エリアに俺の好きな動物が集まってるんだ。ってさ、本当は西エリアに行きたいのに行けなくてぐるぐるしていたんだ。地図を見ても行けないってどういうこと? マジで西側行くの諦めかけた。

 でも、ようやくたどりついた西側は人少ないんだよね。人だかりも人並みも少ないのは、東側に人気なのが集中しているからか。途中、池の蓮の葉の群れが墓場みたいでよかった。蓮の花はとても好きなのだが、枯れてしまった後だって、沢山あると存在感があって良い。廃墟、墓場、お釈迦様。

 帰宅して溜まっていた映画を嫌々見る、若松孝二監督『天使の恍惚』こういう革命とかテーマにしている日本映画マジ意味が分からないというか、俺には彼らの必死さがいくら考えても分からなくって、ヒロイズムに酔っているように思えて仕方がなくて、すごく冷めた目で見てしまうのだ(だったら見るなよ)ダンディズム、かっこつけは自己完結して欲しいんだよね。ハードボイルドってエゴイズムの問題をあいまいにすると、醜悪だと思うんだ

 でもさ、映画面白かった。かなりかっこつけでひとりよがりなのにさ、映像も音も良かった。何で彼らがスーツ? ジャズ? なんてのはかっこいいから、で解決! 泥くさくて地味でかっこ悪いリアルな「かくめい」なんていらないんだ多分。 俺はきっとこういう映画、思想の本質的な良さ、美点を理解できないまま死ぬのだろうが、でも、音や映像の良さは分かるから、それでいいのだと思う。

 ラスト、新宿駅東口付近らしき場所を歩いてるシーン良かった。昔の新宿も。昔の、もう会えない景色のことを考えると、なんでわくわくするのだろう。

 岡本かの子『アムール幻想短編集 美少年』読む。岡本かの子は現実を豊潤にする筆致が魅力的だ。小説としてのまとまりのよさというか出来の良さというか、それより感覚の素晴らしさを感じるもの、と考えれば川端康成が彼女の著作に推薦文を書いたというのも納得できる。

 小町の芍薬の冒頭部分

 

 根はかちかちの石のように朽ち固まっていながら幹からは新枝を出し、食べたいような柔らかい切れ込みのある葉は萌黄色のへりにうす紅をさしていた。

 枝先にいっぱいに蕾をつけている中に、半開きから八分咲きの輪も混じっていた。その花は媚びた唇のような紫がかった赤い色をしていた。一歩誤れば嫉妬の赤黒い血に溶け滴りそうな濃艶なところで危く八重咲きの乱れ咲きに咲き止まっていた。

 牡丹の大株にも見紛う、この芍薬は周囲の平板な自然とは、まるで調子が違っていて、由緒あり気な妖麗な円光を昼の光の中に幻出しつつ浮世離れて咲いていた。

 

 かの子のレンズを通したら、花の美しさが幻の中から鮮明になって浮かび上がるようで、美しい。彼女の描写は絵画を目にした時の感想に似ているような気がする。美しさが神秘さを持つというか、かの子が神秘さを大切にしていて、筆の進むままに表現しているのが魅力的だ。

 ただ、この短編集の中で、一番印象に残っているのが『越年』という短編。

 会社員で良いとこのお嬢さんが、いきなり同僚の男に打たれる。その男は会社を辞めてしまい、仕返しができない。意味が分からなくて、ずっと女はそれを恨みに思っていて、ついに街で見つけた男を打ち返す。でも、理由が分からない仕打ちだったから、打つのも慣れていないし、目的を果たしても心は晴れない。周囲が彼女の復讐を祝っても、むなしいだけ。そんな折、手紙が届く。男から、気になっている人への謝罪とどうしても言えなかった告白の言葉がつづられていた。どうにかしてもう一度話したいと、男のことを意識してしまった女は、冬の街に出ると彼を探すけれど、もう二度と会えない。

 筋だけ見ると、インパクトがあって分かりやすくって、まるで「そこそこよくできた」オムニバス映画の脚本、といった風で、あの我が道を行くかの子の小説? と言われないと分からない感じだが、その異質感で俺の印象に残っているのか、単純な話で俺がこういうメロドラマチックな題材が好きなのか。

 もう二度と会えない人を、誰かを人波に幻想の中に探すことを繰り返してるのかな俺。新宿、もう冬だ。