目が覚めてるのに、瑠璃や翡翠の夢を見るんだ俺

 メンタルがお釈迦、いや、オシャカになっているけれど、銭稼ぎのために、仕事場へ。いつもよりもさらに頭が回ってなくて、気分がざわざわするし集中ができないし、今すぐ家に帰りたいけれど帰れない。でもさ、働かなければホームがレスするわけで。怖いんだ。色んなのが出来なくなるのが。

 仕事中はあれやこれややらなきゃな、やりたいなって思うのに、帰宅したらひたすら甘いものを食べ続け、横になる。その繰り返し。それをどうにかして止めようかと、というか色々辞めようとしながらも踏ん張っている

 先日甲秀樹の展示を見に行って、彼の画塾に参加するのもいいな、四谷シモン吉田良球体関節人形制作の教室に通うのもいいな、なんて思うけどさ、それができるのはきちんと働いている人だけなんだよね。画材やら材料費やら月謝が高いと思う三十代なんて、なんて情けないんだろう。でもそれが俺。

 いつ、駄目になるのかなと思いながら、つまり、いつもお金が減るのが、眠り続けてしまうのが怖いんだ。でもさ、使わなきゃって、思ってるんだ。できること、今のうちにしなきゃな、見られる物を目に映して、感じて生きていかなければって。

 あたらしくツイッターのアカウントを作って、主にエロイゲイの絵師をフォローしているんだけど、彼らが毎日のようにエッチなことや萌えについて呟いていて、カルチャーショックというか、少し感動してしまった。好きな事ばかりの世界ってなんて素敵なんだろう。美術、芸術について語り続ける人は絶対数が少ないし、ガッツリその文章に向き合わねばならない気がする(ツイッターにおいても。単に気の利いたことを言う人は山ほどいると思うけど)。同じエロ閲覧アカウントで、 ゲーテヴィトゲンシュタインやメルロポンティやサルトルやらのbotをフォローしていたが、何だかそれを見続けていると疲れてくる。でも、それは多分本人ではないからだろう。って、本人の著作も向き合うのは中々覚悟がいることだけれど。

 

 でも、やっぱ、すきなことについて話していたいな。話し相手がいなくても、それを続けなくっちゃ、俺はおかしくなっちゃうよ、小銭を恵んでもらって、お菓子を買って、寝ているだけの人間なんて、厭だ。

 生き延びるために、好きだって言い続けなきゃってことだ。好きだって、嘘でもほんとでも健康にいいからさ、好きだって言わなきゃ。たまに、誰かと情交。ほんとはさ、友達が欲しいけれど、多分それは天使を作る位難しい。でも、人造天使を作る男の話があったとしたら、読んでみたいな。どうせ失敗するんだろうな。ベタベタな趣味だけど、俺は天使が大好き。でも、街にあふれる天使たちはあまり好きではないのが多い、面倒な性格の俺。

 目が覚めてるのに、瑠璃や翡翠の夢を見るんだ俺。きらきらした鉱石やけだものが俺の庭の中で散歩してるんだ。好きな物ばかり瞳に映しているんだって思うと、仕事場も新宿もベッドの上も小旅行の入り口に。

 俺、詩が書きたいなって、なんとなく考えていて、大して理解もしていないくせに、ボードレールランボーマラルメヴァレリーは好きで、ヴェルレーヌゲーテタゴールも中々好き、だけど詩の作り方というか作法とかはさっぱり分からないし、現代詩は全く良さが分からない(単に知らない)。

 何年も、詩を書きたいなって思いながら書いてない。思いつくのは断片だけ。そしてその断片は肉付けされて不格好な小説になることがしばしば。

 教室に通って誰かの、骨や肉を作ってみたい。人造天使を、生意気な殺し屋候補を作りたい。けどさ、お金ないんだ。だからさ、詩を書くしかないのかな。たまに、誰か好きなのか好きじゃないのか分からない人と口づけたりするしかないのかな。哀しいけれど、ありあわせの処方箋、処世術。

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