たまゆら、くちづけ、ゆびきり。果たされない果たされない。

だいたい寝てるんだ。薬を飲んで10時間から14時間くらい寝て、後はふらつく生活。それか、どうにかして身体を動かして、ふわふわおろおろくらくらびくびくする生活。

 金のことばかり考えてしまう。つまり、いつまで自分がイカレないのかとか、頑張れるのかとか。お金のことばかり考えるのは浅ましいけれど、お金とかの心配をせずに生きられる(それぞれの心配ごとがあるので誰かを非難する目的ではない)なんて、俺とは別の人種だ、と思うのだが、案外俺と皆別の人種。どうせなら俺、悪魔とか獣人とか、天使とか精霊とか妖精が良かった、なのに実際の俺は病魔に蝕まれ、夢魔とたまに出会って、地獄界の夢に怯える中年、人間、一般市民。

 彼は、どうだったんだろう。怖くって知りたくって、面倒で、岩波文庫の日記読んでなかったよ、ゴッホ君。

 彼にはテオがいて本当に良かった。テオがいなかったら、ゴッホの作品は世に出なかったどころか、作られなかったかもしれない、って知らないけれども。とにかくさ、理解者って、本当に素敵な存在だってことだ。友人でも恋人でも家族でもそのほかの名前でも生々しい物でも何でもいい。関係性が繋がっているのならば、素敵なことだ。

 

 上野の森美術館ゴッホ展 行って来た。ゴッホは実物見たことあるし、多分美術にそこそこ好き程度でも嫌というほど目にする機会があると思うんだ、でもさ、やっぱりあの本物の厚塗りを見ると、ああ、自然って絵画って、ゴッホの絵って美しいんだって、感動できるんだ。本当に、本気で、家に飾りたいよ。安いカードを何枚か買ったよ。印刷じゃあ良さが分からない、でも、それでも欲しくなっちゃうよね。

 

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 ゴッホの画の中の、自然な部分と不自然な部分が好きだ。ゴッホの画は、全ての出来がいいわけではないと思う。でも、特に後期の画は大好きなのばかりだ。

 今回の展示では、 サン=レミの療養院の庭 という作品が本当にすばらしかった。目の前に自然があるんだ。野獣派と印象派のいいとこどりってかじだよね。荒々しくて繊細。雪舟に鬼が憑りついたみたいにセンスがよい。ポストカードを買ったけど、良さなんて半分も伝わらないのにさ、その半分だけでもすばらしい。ゴッホは金がないから、どうでもいい(無料)モデルとか花とか描いていて、それがとてもいいんだ。美しい物を見ると、生きるのって悪くないって思えるよね。

 

そして、もし、その人に理解者がいたとしたら。愛人が支援者が共犯者がいたとしたら。

 

A アルトー『神の裁きと訣別するため』

121 彼は線や形ではなく、大変動のまっただなかにあるような不活性の自然の諸事情を描いていた。

 というアルトーゴッホの理解が、俺には適切に思えて、辛くて悲しくなる。彼らは狂ってないからこそ通じ合えるんだって、そう思うと、胸が苦しくなるよ。

 美しいって、目の前の誰かに言いたい。それは難しいこと? 下らないこと? スマホで誰かと会ってセックスをして気持ちいい/気持ちいいふりをするのは難しいこと? 下らないこと? 

 どうか、狂ってなんてないから、狂人だと思ってしまった人は自殺をしないで。それを止めるには簡単なものが必要で、そんなのも手に入らなくて、ぼんやりした頭で思う、たまゆら、くちづけ、ゆびきり。果たされない果たされない。いや、そうでもなかったっけ。すけべなこと、下品なこと、ロマンチックなこと、色々してきたっけなんて。

 俺はいじめられっ子で、たまに、自分が、相手が何を求めているのか察知し、極めて自然、であるかのように振舞ったり警戒したりしながら相手をもてなし、つまり、精一杯相手に愛されようとするのに気づき、それをものすごく気恥ずかしいと思う。それと同時に、関係が長く続くという想像力にかけているからこそ、刹那的な快楽や献身に溺れようとする。人生は楽しい方がいい。「他人」にはできたら優しいほうがいい。どうせ長く続かないのだ。

 でも、被害者ぶってしまったら駄目だ。愛しなさい、忘れなさい、傷を恐れるのをやめなさい。その三つを思うと、俺は少し身を律することができる。

 パンクだから、という理由でマザー テレサのことが大好きだ。彼女の言葉を何度も思い出す

マザー・テレサの言葉。 彼女は「貧しい人が、傷ついた人が求めているのは哀れみではなく愛なのです」と説いた。そして無関心ではなく、愛情をかけてあげることを説き、 「神様は私たちに成功してほしいなんて思っていません。ただ、挑戦することを望んでいるだけよ」 「善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう。気にすることなくし善を行い続けなさい」 「人は不合理、非論理、利己的です。気にすることなく、人を愛しなさい。」と言う。

 実行するのはとても、つらいことだ。それに、俺は神様が好きなのに、神の愛を信じてない。だけどさ、錯覚できる。誰かといる時、芸術といる時。錯覚で、夢魔で出来ている人生、それは悪くない、悪くないって言ってくれ。口づけができないなら、小説を書くしかない。小説も書けないなら、誰かと何か。どちらも無理になら、白い錠剤を適量飲んで、おやすみ、またね。