フェイクスターはいつもご機嫌

髪を切ってさっぱりツーブロックになって、少し肌寒くって、気持ちよいし、風呂の時髪がすぐかわく。動物みたいに冬毛と夏毛なんて生え変わらないものだろうか。毛皮も亡骸も大好き。

 眠りが浅かったり深かったり、風邪気味なのか、疲れが抜けない。って、いつものことか。

 家にこもってゲームのRTA動画ばかり見続ける(流し続ける)という、不毛で幸福な休日もいけど、やはり外に出ないと駄目だ俺。家なんかにいたくないのに、家から出る体力気力金が無いんだよね。でも、出たら出たでどうにかなるんだ。逃げ出すのは得意なんだおれ。休日の新宿で久しぶりに鳩居堂に行って、干支の土鈴を買う。あと、人に渡すお菓子も。

 日中の新宿は、人が程よくいて、今日は厚着をしてきたら少し汗ばむほどで、ロックを聞きながら歩くといい感じだった。

ポップでだらしなくてかっこいいルーリード

ポップでサイケなMGMT

ポップではないけれどかっこいいバウハウス

ポップで爽やかなベルアンドセバスチャン

ポップなのに聞いてると寂しくなるけど大好きなシーアンドケイク

ポップかもしれないけれどけだるいラテン・プレイボーイズ

 とか、色々と。数分間の魔法で、或いはまっしろな錠剤で数分間は数時間は安定していられるんだ俺。一日幸福、一日安心なんてことはありえない。毎日程度の差はあれどぐらぐら。ありえないって書いて、我ながら引く。恐ろしいな。

 『ラマン』で有名なジャン・ジャック・アノーの映画『神なるオオカミ』を見る。正直、監督目当てではなく、オオカミ目当てだ。映像は、確かに良いし、お金かかってるなー感もあるので映画としては見ごたえがあるのだが、自然を理解したいけど困難、という役回りだからだろうが、狼あかちゃん飼う主人公にマジ魅力が無い! そういう映画を避けてチョイスしてきた(見てもすぐ視聴を止める)から、映像だけはいいけど、主人公もだっさいこれ見よがしの使い古されたベタな演出(重要な場面でスローモーションしてどやあ!とか、正気か?みたいなsan値チェック箇所多い映画だよ)もげんなりしながら、たまに綺麗な自然やオオカミが見られる環境映画としてなんとか見終えた。

『毛の生えた拳銃』大和屋竺 の映画を見るつもりで、サントラを借りてしまった! バカだなーでも、それを聞いたらかなりかっこいいんだ。俺は日本のジャズメンに対してガチで無知なのだが、中村誠一(TS)、森山威男(DS)という方々の、荒々しくもキャッチーで力強い演奏が良かった。

 でも、これアマゾンでも売ってるのに、itunesで久しぶりの、データなしだった。まあ、聞ければいいんだけどね。

 本屋で見つけたけど、税込みで4000円越え、俺の両目を売らなきゃ買えないような値段の欲しかった本を、図書館で借りて読んだのだが、とても良い本だった。借りて読んだのに、買いたくなっちゃったもん。

 

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『西洋骨董鑑定の教科書』ジュディス・ミラー

 これはすごい情報量とシンプルで丁寧な解説と写真が豊富で、流し読みするだけでもめっちゃ楽しかった。てかさ、俺複製品とか贋作って言葉や存在自体が好きだからさ、なんかさ、贋作ってわくわくする。まあ、本物欲しいけれど、フェイクの輝きとか複製品の有用さとかに慣れ切ってる一般市民だからこその発想だからかも。ていうか、騙し騙されるゲームという発想を喚起する、アンティークやら贋作というのは魅力的な題材だ。

 

 「ホンモノ」を見分けるコツや「ホンモノ」は美しさ、精巧さが段違い、みたいなのを実物と説明文で教えてくれたりするのがとても面白い。例えば、魚や蟹の画が描かれた皿の本物と質の悪い贋作は、実物の写真を並べられ、説明文を読めばすんなり頭に入るんだよね。安い方が「下手」だし「つまらない」ここら辺は俺が美術の知識があるから分かることかも。家具とかの高い安いみたいなのはマジ分からないというか分かる気がしない。

 薩摩焼の「低品質」な品の説明に、当時の外国人の日本趣味が反映された、派手な色彩や、人気の芍薬モチーフとかって現代の観光客向けの商品みたいで、ある意味味があったりして。こういうのは見ていて興味深い。派手でそこそこの出来だけど、「低品質な薩摩焼」なのだ(本物の方がずっと品があってすきだけど、というか、真横に高品質すぎる薩摩焼の精密な絵付けを見せられたら、そりゃ、お高い方がいいよねってなる)

 逆に、19世紀のポーセン・プラーク(油絵を模した、豪華な磁器の肖像画やら風景画)だと、横を向いた美人さんがとても高い値段がついて、とても画としての質は高いけれど、説明が必要な聖書の一場面は「今は」値段があまりつかない。みたいな相場の話も面白い。

 後は海外には熱心なテディベアコレクターがいるからくまさんのぬいぐるみが高い値段つく話の中で、古く見せかけた偽物を見分けるポイントの、「長年かわいがられた経緯に見合わない摩耗状態は、直ちに疑ってかかること」って文章すごく好き。納得なんだ。かわいがって触る部分が変色したり劣化するし。

 色んなネタから美術品から庶民的な物まで取り扱っていて、材質や年代のスタイル一覧も載っていて、本当に素敵な本。やばいな、欲しいな。でもさ、素敵すぎる本、家に山ほどあるんだ。積まれてるのに、疲れて読めないんだ。自己嫌悪なんだいつも。

 俺が贋作って言葉にわくわくするのはベンヤミンを引く前段階の話しで、アンティークの素晴らしすぎる数千万、数億円の物は手に入らないけれど、ポーの詩集、100円で古本で買えちゃう、みたいな当たり前だけど無茶苦茶な世界が体系が面白いからかもしれない。油断ならない。物の価値何て、ぐちゃぐちゃでルールがあって、その中で、できたら、好きな物にふれられたらなって。

 久しぶりにポーの詩集を読む。俺には詩を解する能力が低いと思うのだが、自分で詩を書いてみるかな、と思って読むと、また、ポーのすごさが伝わってくるんだ。詩って思い人や神(神話)に向けたものが多くて、その分理解を阻んだりもするけれど、それなのにさ、好きになっちゃうってのは、どういうことだろう。俺は原文を読んでないし読めないけれど、それでも、その音が文字の連なりが、美しいと思えるんだ。

 詩だか散文だか分からないけど、できないとか低品質なのしかかけない(最初は当たり前だ)とかではなく、色々やってかなきゃな。

 ある方の質問箱に、自分語りめいた文章を投稿してしまい(勿論その人のことを思ってかいたのだが)思いがけず温かい返信を戴いて、ありがたいやらはずかしいやら。匿名だからできることだよね。でも、本当はその方と気軽に話せたら、なんてね。とにかく、先生、本買います。

 先のことを考えると怖いだけ、だから、今できることを、なるべく片づけなくっちゃ。