どぶ河でプラネタリウム・シンドローム

どうしようかなとか、どうすればいいんだろうとか考えて、小説を少しだけ書いたり、書けなかったり。でも、少しであっても書けると言うのは健康に良いことだ。自分には何かができる、かのような気分になれるから。

 予定がスカスカになってしまったから、映画でも見ることにして、アマゾンプライムに再加入。俺はアマプラの映画検索の方法がさっぱり分からず、アマゾンには見たい映画が無いと思っていたのだが、アップリンクが映画配給したのがあったことを最近知ったのだ。

 


現在、Amazonプライム・ビデオ プライム会員見放題で観ることが出来るアップリンク配給作品は22本です。
http://c.bme.jp/38/2166/804/2780027

『ソウル・パワー』
『ふたりの人魚』
『レストレポ前哨基地 Part.2』
『わたしはロランス』
『光のノスタルジア
『真珠のボタン』
『聖なる呼吸:ヨガのルーツに出会う旅』
『聖者たちの食卓』
『創造と神秘のサグラダ・ファミリア
『二重生活』
『曖昧な未来、黒沢清
『VHSテープを巻き戻せ!』
アルマジロ
『エヴォリューション』
おいしいコーヒーの真実
『オマールの壁』
『サクロモンテの丘』
スプリング・フィーバー
『パパ、遺伝子組み換えってなあに?』
パラダイス・ナウ
『バレエボーイズ』

 

 とのことで、この中から気になったのを見ればいい。ズボラな生活を続けていたせいで、映画を見ること(二時間近くじっとしていること)すら難しくなってきた。おまけに視力が低下して、字幕を見続けるのがちょい辛い。でも、映画見るとさ、何かやった気分になるんだ。自分では何もしてないのにね。

 ただ、作り手の意思や登場人物の生きざまとかが、人間関係が過敏で希薄な(最悪の組み合わせだな)俺にはありがたいのだ。誰かが何かが一生懸命だったりそうじゃなかったり、そう言うのを見ていきたいんだ、感じていたいんだ。

 

『光のノスタルジア』という映画を見る。星の映画だと思ってほぼ前所法を知らず軽い気持ちで見た、が、以下アマゾンの説明文。

 

チリ・アタカマ砂漠。標高が高く空気も乾燥しているため天文観測拠点として世界中から天文学者たちが集まる一方、ピノチェト独裁政権下で政治犯として捕らわれた人々の遺体が埋まっている場所でもある。生命の起源を求めて天文学者たちが遠い銀河を探索するかたわらで、行方不明になった肉親の遺骨を捜して、砂漠を掘り返す女性たち……。

 

 ということで、天文学者と宇宙の話を想像していた俺は、塵の独裁政権下での墓場と骨、そして遺族や天文学についての映画を見ることになる。星々を見るよりも砂漠と遺族(遺体)のシーンの方が多いんじゃないかって感じだ。

 宇宙の広大さと砂漠と虐殺。そしてさまよう人々。映画は良質でよくできたドキュメンタリーなのだが、今の俺、というか、ぼーっと星座でもみたいなって見るにはちょっと困惑してしまった部分も。というかさ、チリの歴史について、理不尽な虐殺について理解が遠いんだ。外国の映画だと、たまにあからさまな階級社会や移民問題等が描かれることがしばしばあるが、俺は「わからない」のだ。表面上の理解ならできる。でもそれは薄っぺらい同情でしかないのだ。

 宇宙のことを考えるとなんとなく不安になって、戦争や政治のことぉ考えると、さっぱりわからなくなる。

 プラネタリウム行きたいな、てか、プラネタリウムが俺には丁度いいのかも。数年前行ったっきりだけど、思ったよりずっと迫力あったんだ。だって、映画のスクリーンが半円形になった感じだからさ、とても迫力があったし、プログラムが終わった後の、あの虚しい感じ、好きだ。パリスマッチのプラネタリウム・シンドロームって曲好きなんだ。誰かと聞きたいな、行きたいな。

 『ふたりの人魚』見る。監督がロウ・イエで、昔見たような見てないような……とにかくタイトルや画面はパッケージは覚えてるんだけどね、記憶力ないですね俺。

 

 現代の上海を舞台に、本当の愛を求め揺れ動く男女の切ない恋愛を描いたミステリー。ビデオ出張撮影の仕事をする男が、ある日水槽の中で泳ぐ美しい人魚メイメイに一目惚れしてしまう。恋人同士になったものの、彼女は突然彼の前から姿を消してしまった。

 ビデオ・カメラマンの男とナイト・クラブで人魚を演じるメイメイ、運び屋のマーダーとマーダーの前から姿を消した少女ムーダンという2組のカップルの愛が、ミステリアスかつ複雑にからみ合う新感覚ラブ・ストーリー

 

 現代の上海、というか20年前の上海、そして蘇州河を見ていると、池袋と東京の下町がごっちゃになったような、雑多な生命力を街や人々から感じた。そんでさ、蘇州河がさ、小汚い河なんだ。カメラが手持ちカメラでぶれるんだ。そういうのがいい味出してるんだ。

 映画はなんだか随分ロマンチックだな、と思ったのは中盤まで。その後はけだるくほろ苦い、結末へと。

 出ているカップル、運び屋のマーダーとマーダーの前から姿を消した少女ムーダンが、この街で生きる若者といった感じの、危うくてあまり頭が良くなくて愛らしくって、そういう魅力を持っていてよかった。

 それに、現代(2000年)の小汚い街や河のナイトクラブの人魚、といういかがわしい設定が、ミステリアスな展開とうまくマッチしていてよかった。

 ただ、俺にとってこの映画は青春映画だと感じられたから、ちょっと今の俺には甘すぎる映画だったけど、好きだ。人が’(多少強引だったりご都合主義だったり感傷的な展開もありながら)生き生きしているからさ。てかさ、強引ご都合主義感傷的、に見えないってどういう物語だろう。そう言うのがあるとして、その物語は完成度が高いかもしれないが、魅力的ではないかもしれない。

 金のことばかり考えてしまう。この先どうしようとかどうなっちゃうのかなとか。でもさ、映画見て、外を歩く方がずっといい気分だ。一人プラネタリウムしたことないけど、しようかな。ああ、でも年末年始閉まってるかー。誰かといないから誰かといたいし、誰かといると非常に気疲れして、家で寝たくなる俺は、生きるのに向いていないけれど、向いていなくても老いて、金も力もすり減るから、まだ、今のうちに何か見ておかなくっちゃ。