まるで愛情のような

家で溜まった本を消化していく。面倒な小説とか批評とかを読んでいるわけではないからか、わりとさくさく読書が進む。自分が本が好き、かのような錯覚をしてしまう。本の山、読みたい本や読み返したい本や読まなきゃいけない本や買ってしまった本のことを考えるとげんなり。なのに、読書をするんだ。

 『ゴッホ 最後の三年間』という本を読んで、まあ、内容な見る前から多くの人が想像しているような物なのだが、ゴッホが耳を切り落とした後のテオに宛てた文

 

 ここ数週間については全くもって不可解だ。ほとんどの日の記憶がないし、思い出すこともできない。今はもう何日も閉鎖病棟に閉じ込められている。頭の中には言いようのない恐怖とそれに続く虚無感、疲労感がある。でも、まったく何ともないと感じる時も沢山ある。だから心配しないでくれ。自分で思っている限り、僕は本当におかしくなったわけじゃない。

 

 

 

 読んでいて涙が出てきた。彼はおかしくないんだって、大丈夫なんだって、そう思うと涙が出る。ただ、これはゴッホに感情移入した自己憐憫の涙であって、単に俺が「大丈夫だ」「おかしくないんだ」と自分に言い聞かせて生きているという話だ。涙って、すぐ出るものだ。

 まあ、でもさ、似たようなことで辛い思いを「遠い国の亡くなっている面識がない友人」がしているとかんがえたらさ、やっぱり胸が痛いんだ。

 

 ただ、ゴッホは失意にだけ溺れていたわけではなくて、彼が画を、自然を愛していたんだっていうことは、とてもすばらしいことだと思うんだ。本の中で糸杉の画と、それに添えられたテオへの言葉がある個所があって、とても胸にきた。

 

 

 お前にとって家族が、僕にとっての自然になるようになるといい。妻も子供もも持たない僕は、穀物の穂や松の枝、葉を見ると癒される。外に立って画を描いていると全ての人々を結び付けている絆を感じる。

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 影が入って申し訳ないが、少し前に見たゴッホ展で少し大きなプリントの糸杉の画を買っていたんだ。この画を見ると、あの時見た本物の素晴らしさをありありと思い出すことができる。

 ゴッホの画を見ると、彼が不幸だなんて失礼なことを感じてしまう気が失せるんだ。何かを愛せていたなら、熱情があるとしたなら、それだけでも素敵なことじゃないだろうか。

 オードリー・ヘップバーンの展示を見て、彼女の発言集を読み返していると、そこにも胸に刺さる言葉があった。

 

「私たちには生まれた時から愛する力が備わっています。それは筋肉と同じで、鍛えなくては衰えていってしまうのです」

 

 この発言について、彼女の人生に関しての補足が必要かもしれない。

 オードリーは家族や愛情を非常に求めていて(幼き日の父との別離、家族を何より大切にしていたのに、二度の結婚と二度の離婚を経験)、自分に自信がない分すさまじい努力でそれを実現した(しようとした)人だ。

 愛は備わっているもの。愛もまた鍛えなければ衰える物。

 ゴッホの発言が頭に浮かんだまま、努力と才能と愛情と愛くるしさで、それを口にしたオードリーの言葉を思うと、あまりにも接点がないかのように見える二人だが、愛情でも熱情でも虚妄でも、何でもいいから(よくねーよ)持ち続けるのって本当に大切なんだって改めて思う、何度でも思う。

 大切にしているつもりでも、摩耗したり忘れてしまったり駄目になってしまったり、沢山あるんだ。自分の手でつかみ取らなきゃならないんだ。

 それが愛と呼べるものなら、作品と呼べるものなら、きっと、悪くないんだ。自分の生きざまが、現状がどうであれ、悪くないんだって、自分に言い聞かせるんだ。

 アマプラで『聖者たちの食卓』というドキュメンタリー映画を見る。

 インドのシク教総本山にあたるハリマンディル・サーヒブ<黄金寺院> では、巡礼者や旅行者のために毎日10万食が無料で提供されている。

 とのことで、この映画、すごいのは、ほぼノンテロップ、しかも現地での生活音以外の音がほぼ入ってない(インド人の会話やそれについてのテロップすらない)。それで何が映っているかと言うと、

 食材集め(本当にどうでもいいが、「贖罪集め」って最初に変換で出てきた俺のパソコン君……)、調理、食事、片づけ、と言った一連の行為を、すさまじい人数の人々らが行うという「日常」を映したものに仕上がっていて、これがとても良かった。

 インド人ってシンプルな白い服かすごいカラフルなTシャツとサリーとターバン巻いていて、その差が激しく、子供の塗り絵を見ているようで楽しい。かと思えば、正装?みたいな品の良いいでたちの人もいて、色んな人が<黄金寺院>で食事をするんだよね。

 色んな人らってのがさ、シク教徒の人らで、シク教ではカーストを否定してるんだ。未だにインドではカーストが根強く残っているって、様々な「本」でだけどさ、目にしたし、差別ってどうしたって無くすのはむずかしい。

 それを踏まえて見ると、全てが平等であるという教えの下で、ボランティアによって様々な境遇の人たちが、毎日10万食を作り、平らげ、後片付けもする、という行為はとても爽快なんだ。しかもさ、それが毎日行われてるんだって!

 余計な音なしで、食料作る、食べる、片づける ってのを見るだけでもとても楽しい仕上がりだ。

 俺は後片付けでアルミ製らしき容器を一斉に投げる時に鳴り響く「バラララララア」って音が耳に残ってる。時間は65分と、とても見やすい時間で、最近見たドキュメンタリー映画の中で一番位に良い映画だった。

 ああ、行ってみたいと思った。無理な話だ。金銭的な意味で。だから、俺は本を読み、音楽を聞き、映画を見たり。たまに、誰かと話したり。何かを書いたり。

 俺も何かを手にできるんだって、信じて