悪魔が友達じゃなくても平気なの?

 酷く調子が悪かった。人が自死を選ぶ際には、単一の原因でそれを選ぶこともあるだろうが、恐らく多くの場合は、複雑な事情、「無数の苛み」が積み重なって、それを選ぶ、或いは穴に落っこちてしまうのだ。その穴が、深淵だと知らずに、或いは、深淵などでも、どうでもよくなって。

 調子が悪いのは、小説が書けないから。構想をまとめようとしても、中々形にならないから。まあ、何かを作る人なら、こんな経験しょっちゅうしながら暮らしているのだ。お金を生み出す/生み出さないとか、才を感じる/感じないとか、関係なく。

 ただ、俺は、小説を書く、ということ以外に、何か他の「溜め(友情愛情地位名誉貯金家族信仰……何でもいいから君の心が安定する物を当てはめてみよう)」、が恐ろしく乏しいのだ。リスクヘッジ、とかそういう言葉を目にするとげんなりするし、きちんと、計画的に生きている人を目にすると、異邦人のように感じられる。

 しかしながら、それは、大事な事なんだ、生きていなければ、何もできやしない。最低限の気持ちの余裕が無ければ、極端な話、衣食住だけで生きられる人なんて存在しないわけで、100円の古本も買えない、180円の片道の交通費さえ出せない、なんてことは、悲惨なことなのだ。

 小学生でも、分かるよね? でも、分かってないんだなこれが俺

 もっと大事なことがあるだろうって、何で皆、神様とか悪魔とか天使とか、詩人とか文学とか芸術とか、真善美とか、死とか、そういった「命題」について考え続けて、苦しまないんだろう、毎日、そのことで頭がいっぱいにならないんだろうと思うと、がらんどうみたいな心持になる。

 無慈悲な、手に入らない「外部」によって、苛まれるのが、何層ものレイヤーごとにあるドレスコードによって、裁かれ続けるのが、そのことについて罪悪感を抱くのが(これは原罪ではない。つまり、救いはないのだ)、人間として正しい生き方なんじゃないのか、とか、そんなことを考える俺は、こんなにも健康なのに、駄目になってしまいそうになる。

 薬を飲むとか、衝動的な行為に走るとか、寝るとか、もう、うんざりなんだ。十年以上こういうことと格闘をしていて、もう駄目だといい加減にしてくれと思う。でも、どうにもならない。俺の生まれつきのオブセッション

 薬を飲んでも辛くって、今日は耳栓をして何度も繰り返し寝ていた。その間も焦燥は熾火のごとく胸の内で燃え続け、何かしなければ、書かなければ考えなければ読まなければ、それも、無益なことについて!

 生活に役立つ言葉ばかり発信している人が、それを疑問に思わないらしいのが、不可解で、というかこういう問い自体が、恐ろしいおぞましい物なのだ誰かにとって、多分、俺にとっても。俺は、健康が、コミュニケーションが好きなのにな。俺のそれと、一般的なそれとには乖離があるんだ。

 有益なこと、お金を稼ぐこと。それ自体は悪いことではないけれど、それが生活の、思考のベースになっているなんて、ぞっとする。というか、こういう文章を書ける自分にもぞっとするのだ。幼いまま老いていき、三十代になっても治る気配はないし、むしろ悪化と諦念でそれらは繭を作るのだ。

 俺、自分が何かを喋っていたり、書いていたり、肉体の運動を知覚するのが、不思議で幸福で奇妙だって感じてしまうんだ。俺の身体、俺の物らしいんだ。幸福なことだ。自分のこと、感情のこと、忘れちゃいけなのにね。幸福について考えないと、身体感覚が莫迦になるんだ。よくないね。

 十年近く前に読んだ、ポール・ヴァレリーの『ムッシュー・テスト』を再読する。ヴァレリーは、その言葉に美しさを、ポエジーを感じるんだ。でもさ、俺、彼の著作をろくに読んでない。読みたい本、読みやすい本、沢山あるからさ。

 ヴァレリーの著作に触れる、ということはつまり、彼の思索、詩作の流れに身を任せるといったもので、俺はその波の中で溺れ、たまに、輝きを、なんとか発見できるのだ。

 俺は彼の言葉が好きなのに、ほんの少ししか、彼のことを理解できないのだ。

 でも、それは当たり前の話で、たまに理解した気になってしまうことがあるけれど、不可解で魅力的だなんて、最高の存在だと思う。俺は好きな作品は何度も読み返す。その度に新しいことを感じるし、考える。

 好き、という感情があるなら、多分どうにかなるはずだと思うのだ。

 なんて、空元気で甘い詐称で、摩耗した心に灯をともそうとするんだ俺。

 グレゴリオ聖歌を聞きながらこれを今書いている。バッハとグレゴリオ聖歌は、文章を書く際には最高のパートナーだ。

 一応、俺はこんな雑記でも、明るい内容を意識して書いているのだ。その方が、健康にいいと思うから。神様悪魔様、俺は貴方たち「外部」の存在が大好きです。貴方たちについて考えると、詩作の欠片が生まれるような、けだものになれるような、そんな心持になる。

 好きだって愛しているって、嘘でもいいから毎日言う方がいい。毎日、無益な、役に立たない嘘をつくといい。俺もそうやって眠るんだ、文章を、編集するんだ。おやすみ、また明日