俺の身体がアレクサンドリア図書館だって花園だって

外に出るのに素面ではいられないし、外に出るとひどく疲れるのだが、家の中にだっていられない。外に出ると、日銭稼ぎをすると、むやみやたらにばらばらふわふわそわそわして、物を買ってしまう。買わずにはいられない、けれど、購入するのが本やお菓子というのがまだまし、なのか? は分からないのだが、たまる本を消化するのも体力がいるし、お菓子の食べ過ぎは身体によくないらしい。健康になりたいものだが、健康になるなんて、天使になるよりも困難。

 ボルヘスの講演をまとめた本『七つの夢』を読む。多くの引用と豊かな空想の織物。とても面白く読めた。以下、引用。

 

 第二夜 悪夢51p 未開人や子供にとって夢は目覚めているときの挿話ですが、詩人や神秘主義者にとっては目覚めの状態がすべて夢だということもありえないことではない。このことをカルデロンは至極あっさりとこう言っています。”人生は夢”と。またある種のイメージでもってシェイクスピアはこう言います。「我々は自分たちの夢と同じ木材で作られている。」

 第五夜 詩について133p アイルランドの汎神論者、スコトゥス・エリウゲナは、聖書が無数の意味を内包すると言い、それを孔雀の玉虫色の尾羽に喩えました。(中略)しかし、敢えて申し上げますが、それらの明言は聖書についてばかりではなく、再読に値するいかなる書物についても正しいのです。

 図書館とは魔法にかかった魂を沢山並べた魔法の部屋である、とエマーソンは言いました。私たちが呼べば、魂たちは目を覚まします。

 

 また、第七夜 盲目について という講演の中で、視力を(ほぼ)失ってしまったボルヘスが、図書館長に任命されるというエピソードが語られていて、とても胸を打った。本を愛しすぎた男が視力を失い、図書館長に任命され、しかし彼は光を失ったことを受け入れているのだ。

 俺は、きっと本を愛してはいない。けれど、光を失ったなら、いきていけないだろう。

 少し気になったのが、ボルヘスの言葉の中に、自分は憎しみとかを感じないというような発言があったことで、俺の好きな作家は、どこか、盗人か人殺しか保菌者のような人々で、ボルヘスはあまりにも「人が好い(勿論これは誉め言葉であり美点でもある)」ように感じられた。

 とはいえ、彼の本が素晴らしいことには変わりはないし、空想を、バベルの図書館を所有する(それは誰もができることなのだ)ことの大切さを改めて感じた。日々、イマージュを、詩情を錯覚を追っていかねば、狂ってしまう。生き延びるための幻想。

 ヴェルナー・ヘルツォーク監督『世界最古の洞窟壁画 忘れられた夢の記憶』を見る。

 考古学ドキュメンタリー。94年に南仏で発見され、現存する世界最古とされるショーヴェ洞窟の300点以上の壁画。6日間だけ許可された洞窟内の撮影による貴重な映像とナレーションにより、洞窟の神秘を体験する。

 とのことで、ヘルツォークがドキュメンタリーかよ! とわくわくしながら見た。そういえば、四年前に銀座のエルメスで見たヘルツォークドキュメンタリー映画も良かったんだ。四年も前かー。日記を書いていると、検索が楽で助かる。当時の感想、

『跳躍の孤独と恍惚』という、スキージャンプ金メダリストへのドキュメンタリー。

 最初から、メダリスト(その時点ではまだだが)がジャンプ失敗したのを三回も連続で映すのがさすが性格が悪いな笑 と思ったが、その主人公もかなりマイナス思考で、結構珍しいなと思った。

 あと、前の映画と共通している発言があって、クライマーもジャンパーも、かなりきけんすぎることだからこそ、安全を第一に考えそれ以外考えないと集中力が出る とか、飛ぶときは不安なんて考えない みたいな一流の人の覚悟というか集中はすさまじいものがあるのかなと思った。

 主人公は成功した後も、成功したら民衆はもっと求めるだろ、とかなり冷静で皮肉っぽいことを言う。(オリンピックとか見ないけどさ)金メダリストがこういう発言するとか、俺は好きだなと思う。

 映画の最後は彼がひとりになってふらふらしたい、みたいなことを言っていて、お前最初から最後までそんなんで本当に金メダリストかよ笑 ってな具合で一人の人間の生々しさ、人間らしさを皮肉と茶目っ気と親愛をこめて、よく撮られていると感じた。

 そう、俺はヘルツォークドキュメンタリー映画が好きで、この映画も当たりだった。貴重な文化遺産だか本来は立ち入り禁止だか制限があるとか、どうでもいいんだ興味はないんだ、でも、岩の凹凸がある壁画の迫力を伝えてくれるのはさすがの力量だと感じた。

 昔の人の絵だから、素朴なタッチで、最初は「ああ、こういうの何処かで見たな」なんて思っていたけれど、ヘルツォークが淡々と洞窟内の動物たちを映していくと、それらに生命力というか躍動感が感じられたのだ。とても丁寧な作りの、良作だった。

 同時に数冊本を消化していて、赤瀬川源平山下裕二雪舟の本を読みかけなのだが、雪舟は本物を見て、初めてその凄さが分かった。30過ぎてようやくだ。画面が、構図が、空間が完璧に思えてしまえるのだ。印刷では分からない、水墨画の、幽玄さ。それを描き出せる、雪舟のすごさ。溝口健二の映画を想起する。ケチのつかようがないというか、恐ろしい豊かさがそこにはあるのだ。

 俺は今まで何を見てたんだって話だ。洞窟の壁画だって、二十代の頃はその良さは分からなかっただろう。まだまだ勉強しなければならないことが山積みなんだ。でもさ、さっさと終わりにしたい色々と。

 そんな俺の空元気を鼓舞するため、誕生日に、久しぶりにタトゥーを入れようかと思った。以前も借りたが『美しいハチドリ図鑑』と『世界の美しいハチドリ』というのが、とてもいい本だ。だって、ハチドリが載っているんだから!!!

 ハチドリは色鮮やかで、花の蜜を吸って生きていると言うのが、本当に素晴らしい生きざま(は?)だと思う。俺は特に瑠璃色のハチドリが好きだ。

 タトゥー(小さいのなら2,3万で入れられるよ)の為に働かなければ、と思うと、嘔吐しそうになる。でも、たまには自分の身体を愛してあげなければ、俺の身体がアレクサンドリア図書館だって花園だって思い込まなくっちゃ、素面で生きるなんて、きちがいざただ。図書館なんだ花々なんだ、だから俺の身体を啄んで欲しいんだその針で。