大人になれない、ということはおぞましくも滑稽でおかしく、傍から見る分にはそれなりに楽しいのだろう。

へとへとになって寝たり、疲れてもいないのに寝たり、とにかく一日の内で何度も寝てしまう。時間を溶かして、無駄にしている感が強く、身体の中が、がらんどうになる感覚がある。

 小説をとりあえず書き上げ、しかし仕事は決まらず、腑抜け。何度も同じことを書いていて愚かで自分でもうんざりするのだが、こんな生活もうしまいにしたい、けれども注意力散漫な俺は、すぐに惚れる忘れるあれもこれも。

 色々と好きになる、好きな物が多い人生というのはいいことだと思うし、自分の数少ない長所だとも思うが、生活能力というか、お金を稼ぐ能力がとても低いと言うのは、色々と駄目にしてしまうのだ。

 そんな駄目な身体で、惰眠を貪り続け、自分が疲れているのかそうでないのかもわからぬまま日々を無駄にして、慰み程度の読書。読み散らした本、

『立ちどまって』李禹煥 詩やエッセイをまとめた一冊。俺は彼の作品が大好きではないけれど、なんか気になる、といった立場で(俺は一目で好きか嫌いかを感じる方で、作品について曖昧な態度をとるのはわりとめずらしいのだ)、この本を読んでも、その自分自身の評価は変わらなかった。俺にとって、彼は、彼の作品はふしぎな存在なんだ。俺が彼の作品の良さを感じ取れてない、訳ではないと思うのだけれども。そんな感じで、俺は彼の作品や著作に、もやもやした気持ちのまま、たまに、出会う。

『画家と小さな生きものたち』熊谷守一 熊谷はとても人が良いのだなあ、それが作品にも表れているのだなあと思える(誉め言葉である)一冊。気軽に読めるし、じいっと、対象を観察していたであろう画家のように、シンプルな形を見ていると落ち着く

『世界のインディゴ染め』昔から青色がとても好きで、実際この部屋のカーテンも寝具も衣装ケースも筆入れも青だ。バスタオルも青だった。困ったら青。この本では世界の国の人の民族衣装、インディゴ染めが紹介されているのだが、生活の中に溶けこんでいる藍色、というのは見ていて楽しくも、落ち着く。なぜ、青色は気分を落ち着かせるのだろうか。理由なんて知りたくないのだが、藍染めはどんな国の人の肌の上にも映えた。

 他に高峰秀子やら金子國義やらの本を読み返したりして、短編小説のアンソロジー三島由紀夫の『孔雀』を再読。文の装飾が酔っていて独りよがりな印象も受けるが、やっぱり俺は彼の作品が好き。物凄く失礼なことを言うと(いつもか)超秀才が頑張って作り上げた美の世界、と言った感があり、三島は森茉莉を美の世界の住人と褒めたたえたが、三島は美の世界の住人ではなかったのだと思う(でも、「小説家」としては断然三島の方が上手いのだが)。

 でも、いいな、孔雀。俺も羽捥ぎ取りたい。美しい物が無ければ死んじゃう、なんてことはなく、ただ、虚ろな心から手を伸ばすあれやこれや。家の中は、(捨て値の)ブランド品、買い過ぎた本、天使、ぬいぐるみ。

 でも、クレジットの支払いが俺を現実に引き戻してくれる。

 ゴッホは37でなくなったそうで、最近古井由吉の訃報を聞いて、残念な気持ちになりながらもどこか実感がない。彼の著作は生き続けるし、俺は彼の真面目な読者ではないから。

 希死念慮やら離人感の糖衣に包まれながら、眠り続け、そのうち手遅れになるのかな、そうでもないのかな、なんて濁った頭で考える。とりあえずシャワーを浴びなければ(毎日シャワーはしている)。それで、少し、本を読まなければ。その位しかやることがない、のもあるけれど、たまに、自分が読書が好きなんだと錯覚しそうで面白い。大人になれない、ということはおぞましくも滑稽でおかしく、傍から見る分にはそれなりに楽しいのだろう。