殺して花束を

物凄く嫌な思いをして、こんな誰も見ない雑記でさえ、詳細を書きたくない位。何日も、今もその悪罵や汚い言葉が俺の身体から消えない。今日、色々と思い出して何度も涙がこぼれていた。きっと、一生消えない。なんて、俺が単に泣き虫なだけ。

 俺みたいに、色々な物がなく、下衆な文学とかが好きな人種は、滓の様に溜まった汚泥を、浄化したり忘れられないまま生きるのだろう。そして、日々溜まる毒を消化できず、俺みたいなうちの誰かは、その汚泥の毒が回り、つまらない犯罪や狂気や自死に手を染めるのだろう。

 そんなの馬鹿らしいし、馬鹿だと思うんだけれどね。馬鹿だよでも哀しいな。薬やアルコールを飲んで寝るしかない。その余裕さえなくなったら、なんて怖いから考えない。

 一応東京でも収束の傾向にあるのは喜ばしいことだ。図書館や本屋や古本屋や美術館に行けない日々の虚しさ!!!

 色んな人が職や店を失ったり、見つけられなかったり。俺も人の心配をしているような、余裕がある人間ではないけれど、きちんとした理由もなく攻撃的になったり、他人を蹴落としたり騙したりするような人間にはならないように。そうおもえたら、まだましだ、でも、何もかも嫌になったらなっちゃうのかななんちゃって。

 中断していた小説をコンスタントに書き続けている。いつもの少年青年中年が苦しみ悲しみたまに微笑む厭な話。中でも胸糞悪いシーンを書くのは、自分でも本当にうんざりする。しかし、書かねばならないのだ。誰の為?俺の為? そんなの知らないし、どうでもいいけれども。

 雑記。

 

ネルヴァル『暁の女王と精霊の王の物語』読む。狂気から回復して、憧れの東方へと旅に出たネルヴァルの、芳醇な幻想恋愛譚。恋の駆け引きと言うよりも、神話、精霊、建築、自然、文化に関しての記述が多く、壮観。豊かなイマジネーションが作り上げた世界の中で、俺も旅行者気分だ。

何度も何時間も眠り続けた。色んなことから逃れたいと願うも、目が覚めたら夜になっているだけ。ほぼ、誰も読まない本を読み、ほぼ、誰にも読まれない小説を書く人生。げんなりする。しかし、俺を慰め豊かにしてくれるのもまた、本なのだ。愚か者の為の阿片窟。本当に嫌になるのに、読む本を探す

ユルスナールの『流れる水のように』再読。これに収録されている『無名の男』という作品がとても好きだ。教養に乏しい、しかし賢明で考えなしな男の、澄んだ瞳の野生。極めて自然な、自死のごとき幕引き。
彼女は本当に描写が的確で冷静で、詩情と知性も持ち合わせていて、まるで俺は城に招待される気分だ。

Chet Baker聞きながら、小声で歌う。
let get lost
i fall in love too easily
but not for me

簡単な英語だから、俺だって歌える。てか、歌うってすごく健康に良い。それに、色男の歌声も。
嘘でもほんとでも、恋も失恋も悲劇も甘く軽々しく密やかに、心にしまって、時折、一人見つめ返す。

ボルヘス『不死の人』再読。いつもの、夢、神話、固有名詞、物語が入り混じる、ボルヘスと共に歩む冒険短編集。引用や物語豊さと共に、物語の中に、決して永遠には到達しない、十全さに触れてはならない。という意志を感じる。なのに、それを求めてしまうのだ。完成された、かのような円環の夢を見る

『天空の秘宝 チベット密教美術展』の図版編と解説編の二冊セットのカタログを見る。俺の乏しい仏教の知識でも、解説は丁寧で、豊富だ。何より、迫力のある作品が並ぶ。俺には信仰が無いし、死んだら終わりと思っているが、信仰がある人が作り上げる作品は、奇妙で不可思議で、どこか、神々しいのだ。

内藤ルネの本を読み返していた。師である中原淳一に憧れ、自身も、その才能で可愛らしい絵で雑誌を飾った。美しさを大切にする人、そういう人の精神や作品を見ると、花々を見るように、心が豊かになる。
著者の人生は順風満帆ではない。でも、彼は負けずに歩み続けた。
かわいい、美しいはいつでも正義

シェイクスピア十二夜』読む。互いに相手は死んだと思い込む双子。しかも妹は兄そっくりの男装をする。公爵の恋物語、人違いの喜劇。洒落た台詞やテンポの良い展開で、凄く面白かった。舞台で見たいな、なんて珍しいことを思った。でも、舞台は気軽には見られないんだよなー

tortoiseのファーストアルバム、繰り返し聞いてる。外国人のアルバムなら一番!レベルで大好き過ぎる。
穏やかでありながらもロック。何よりも、少ない音でこんなにも豊かな表現ができるのかという驚き、心地良さ。高校の頃から、何年経ってもずっと大好き。

夜になって、澱んだ気分で外に出て、フジファブリックのパッション・フルーツを聞いたら、とたんにフワフワで最高。志村がいないなんて信じられない、面識もない。でも、彼らは最高。数分間極楽

 家にいて様々なことが禁止されていて、それでかなりストレスや不安やらがたまっているが、本を読んだり文章を書く時間がとれるのはいいことだ、と無理やりいい方へ考えようとする。

 というか、本当に、素晴らしい小説を読んだり、俺の男が嫌な目にあう、誰かを埋葬する小説を「書く」というだけで、それだけで救われた気持ちになるのだ。それが、何にもならないとしても。