優しさ落し物

やっと、すこし体調が安定してきた。というか、夜に調子が良くなるのはいつものことだけれど。

 それにしても、生活が一変、というか、かなりおかしくなっていて、それは俺だけではないのだけれど、この二ヵ月位の間はかなりまいっていた。

 昨日今日と、目的なく、家の周りを昼間に歩いていて、少しだけ気分が上向きになるのを感じた。外に出て歩きながら音楽を聞いて、街路樹の緑に目を向けるだけで、余計な雑念が薄まる。いつまでも悪意や不安不満に溺れるような生活態度では愚かだ。愚かなんだ。賢い生き方なんてできそうにない、けれど気分は悪いよりも良い方が好き。

 たまに、好きな物が分からなくなるどうでもよくなる。その割に惚れやすくすぐに感情がざわつく。そんな性分のおかげで大変困難になっているのだけれど、本を読む/書くというのはそういうのが役に立つ、ということにして。

 雑記。

 三好達治随筆集読む。彼の詩がとても好き。この随筆では、詩人が自然、動植物を見つめる精緻な眼差しもあるが、俗への嫌悪や虚ろな心情や自虐的な文も。だが、

どんなに寂寥になれて孤独を愛する人でも、人間はみな、大なり小なり他人の生活によって自分の心を支えているのです

と、心の広さを感じる

サン=テグジュペリの『夜間飛行』再読。郵便飛行業が今よりずっと危険だった時代に、夜間飛行という危険な業務を行う人々の話。彼らにとって夜空は、空は、死と隣り合わせで、しかし魅惑的だ。厳しささえ感じる勇敢さ。飛ぶ者、陸で見守る者それぞれの思いを現場の厳しさと、少しのロマンスで描く。

シュニッツラー短編集『花』読む。訪れた悲劇に対して、登場人物の心理描写を丁寧に描いている。目の見えない弟が、あるときからずっと暮らしている兄を疑う展開は辛い。

1983年岩波文庫の、売上カード挟まってた。
この頃文庫は旧字体で200円だよ。この時代の本棚見てみたい

ロウ・イエ監督『パリ、ただよう花』見る。北京からパリにやってきた教師の花。彼女は様々な男と身体を重ねる。どんな人種でも教育が近しくても遠くても、すれ違う人々。弱さに肉欲に寂しさに溺れる、愚かな人々。でも、そんな人達もたまに優しい。人々のどうしようもなさを捉えた切ない映画。

 彼の映画を何本か見たのだが、ほとんどの映画でセックスシーンと怒鳴り散らすシーンが出てきている。怒鳴り散らすシーンは、結構見ていてきつい。感情の爆発や行き違いというのに、彼は固執しているのだろうか。

 フェティッシュは、オブセッションは苦しみを与えるかもしれないが、何かを作る時には大切な物かもしれない。俺は同じような主題のものを繰り返し作る人が割と好きだ。とか言って、自分がそうだからかもしれない。

 ローデンバック『死都ブリュージュ』読む。愛する妻を失い、その想いに、何年も囚われている男。その妻に瓜二つの女性を偶然見つける。しかし、その女は身持ちの悪い踊り子だった。男の幻想は蘇り、朽ちる。敬虔なカトリックの都市で、彼は愚かな行動を止められない。ドラマチックな展開は巧みだ。

ジィップ著の戯曲『マドゥモァゼル・ルウルウ』再読。わがままで天衣無縫な14歳のじゃじゃ馬娘ルウルウの、自由なお喋り。訳が森茉莉で、彼女がルウルウを愛して、作者に手紙を出し、翻訳。森茉莉が手紙で、ルウルウが見える、今どこにいるのですかと尋ねているのは可愛らしい。装画は宇野亜米喜良

宇野千代 女の一生』読む。彼女の人生や生き方、仕事や好きな物を豊富な写真つきで紹介する一冊。晩年の彼女のエッセイを数冊読んだ位の俺でも十分に楽しめた。
好きなことには貪欲だが、喜怒哀楽が穏やかで、人と幸せを大切にする生き方。読んでいると心が解れる

 そういえば、最近またパソコンがフリーズからの強制終了からの普通に動いている、という状態で、俺のノートパソコンwin10だが6,7年使ってるかもしれない。しかもずっとつけっぱ動かしっぱなし。何でクラッシュしていないのか、分からない。いつ壊れるか。今壊れたらかなり金銭的にきつい。でも、もう、そんなに長くはないのを騙し騙し使っている。

 まるで俺の身体みたい、なんて思うけれど、俺の身体に代わりはいないのだ。たまに、些細なことで、身体があって意識があって良かったと思うこともあるし、俺は怠惰ですぐに回避しようとする癖に、自分の身体のメンテナンスもサボっている、痛めつけている。

 自分の身体に良いことをしよう。というのを自然とほとんどの人ができているというのは驚きで、しかし体調不良のままの時間よりかは何かを消費して埋葬する時間の方が有意義なので身体のことを考えて数日過ごして見たら、体調や気分が多少、しかし確実に改善された。

 ああ、俺は優しくされたかったのかなあというか身体は人は優しくされたいものかなあと思うのだが、俺は落し物が多くてそういうのを見つけるのは不慣れでぼんやりとしてしまう。