まあ、あと30分

久しぶりに肉体労働。電車のつり革なんて、絶対に触りたくない、なんて生活を送っていたが、汚れ仕事でそんなことを言ってられないし、マスクなんてしたら酸欠になる。

 でも、仕事をしていた方が雑念が入らずに済む。なにより生活費を稼がねばならないから、色々と動き出さなきゃなって思っていた。のだけれど、東京の状況はまた悪化しているし、色んな求人も少なくなっている。

 さすがにこんなに長引き、終わりが見えないとは思わなかった。俺のメンタルや色んなのが、じわじわと削られているのを実感する。本すら読みたくない日が続く、けれども俺に力を与えてくれるのは本位なのかな。

 ボルヘス『幻獣辞典』再読。様々な時代の人々の創造力の産物、怪物を集めた楽しい一冊。「誰しも知るように、むだで横道にそれた知識には一種のけだるい喜びがある」って素敵な言葉だ。日本はゲーム文化に恵まれていて、この本に載っている幻獣の多くに、俺はゲームの中で出会ったことがある。

ボルヘスが、日本のゲームに触れたらなんて言うだろう? どんな時代も怪物が求められているなんて幸福だ

「我々は宇宙の意味について無知なように、竜の意味についても無知である。しかし竜のイメージには人間の想像力と相性のよいところがあり、そのことがさまざまな場所と時代の竜の出現を説明する」

たまたま、野宮真貴小西康陽の言葉が目に止まって、しんみりする。高校生の俺が好きになった時には解散していた、日本で一番好きなポップスター。今も昔も、野宮はキラキラしていて、小西は悲しみに寄り添っていて、変わらない。好きな人達が変わらない(ように見える)のは、切ない幸福だ。

マンディアルグ『海の百合』読む。高校生の少女が、サンタ・ルチアでヴァカンスを過ごす。そこで彼女は美しい男と恋に落ちる。健康的で潔癖で大胆で危うい若者の心情や、太陽の下の自然を丁寧に書き出す。肌を重ねた男を心に残したまま、名前も知らずに別れる「恋に名札なんか必要ないんですもの」

ステファヌ・マラルメ秋山澄夫訳『骰子一擲』再読。俺は決して詩に詳しいとか理解力があるとは思えないのだが、それでもこの詩が好きだ。豊かなイマージュの潮流を目撃する心地良さ。何度読んでも新しく、俺の物にはならない。秋山澄夫の解説も有り難い。

勅使河原宏監督『豪姫』見る。前作に近い関係の『利休』がとても好きなのだが、この映画はあまり合わなかった。俺が歴史に疎いのも一因だと思うが、主役らしき登場人物がいるとは言いがたく、断片的な物語が進行する。ただ、セットはとても美しい。竹のアーチをくぐる人々はとても良かった

映画監督の実相寺昭雄が好きだ。彼の映画は暴力エロ政治といった昔の日本映画って感じの作風が多いが、有名なのは特撮方面らしい。で、彼が監修した、地球防衛少女イコちゃん、なるものを見たら、ユルくて良かった。女の子が頑張って怪物退治する。特撮全然知らないけど、こういうユルいの見てみたい

ボルヘスの詩集『エル・オトロ、エル・ミスモ』読む。集められた詩は30年位の幅があるので、幅広い。死、ナイフ、暴力、歴史、神秘、不死等。俺はこの詩集に祖国のアルゼンチンへの思いを感じた。昔は血の歴史で育まれたものが国だったはずだ。熱と敬意とを揺籃に、人々は認識できない不死になるのか

 一進一退の日々の中で駄目になっていくことばかり考えてしまう。でも俺はあまりにも自分の身体を大切にしていないことにも思い当たるのだ。自分が幸福になるには、どうすれば楽しいか、という当たり前のことすら余裕がなくて投げ出している。それじゃあいつまでたっても辛いまんまだ。

 不幸や苦しみに底なんてない、として、まあ、苦しくない生活を。何度も落ち込んでしまうにしても、立ち止まり、気づかなくっちゃ。