下手くそでも、調律師の気分で

新しい仕事が始まった。慣れない肉体労働と、この終わりが見えない状況で、メンタルはかなりグラグラだった。でもさ、働かなきゃ生きていけないんだ。でもさ、働いて頭が駄目になったら、生きていることを見失っちゃうんだ。

 多分俺は人よりずっと、小さなことに過剰反応して疲れて逃げ回ってきたのだろう。そのツケを、払うことになっているのだろう。

 頭を使う本なんて、ほとんど読めなかった。一日のうち、本を一度も開かなかった日もあった。でも、本がなければ生きられないんだ俺。悲しみや不安にチューニングを合わせてしまう俺。だからこそ、自分から楽しさに喜びにアクセスしなくっちゃ。何度だって忘れる。でも何度でも思い出さなきゃ。俺の人生俺が感じたこと見てきたこと、悪くない、悪くないんだって。

ソライモネ『88rhapsody』読む。表紙見て、あれ?あびるあびい先生?と思ったらpn変えてたみたい。バンドマンの恋物語なのだが、すごく良かった。ポップな絵の魅力、長髪バンドマンかっこいい。上手くいかない生活があっても、登場人物がとってもキラキラしている。作者の愛が皆に降り注いでる。

 この人の漫画は何冊か持っているのだが、どれもこれも登場人物が魅力的だ。主役だけではなく、わき役も。登場人物が生きている、暮らしている感じがする。どういう物が好きで嫌いで、どういう癖があってどういう人生を歩んできたのか、みたいなバックグラウンドを感じる。人はみんな違う、けれど(漫画に出てくる人は)魅力的だ、(物語に登場するなら)魅力的でなければ、引力がなければならない。そんなことを感じる。作者の愛で、キャラクターが動くんだから。

何故か『ユリトロ展』のカタログを見ていた。前は彼の良さが分からなかった。今もかもしれない。だが、彼の街を描いた絵は、俺が新宿や繁華街に抱いている感情と近いような気がした。こちらがどう思っていても、街は人間によそよそしいのだ。街の中では誰もがよそ者になる。それは多分切ない幸福。

五十嵐豊子 絵本『えんにち』読む。いつもの街が『えんにち』になっていく光景、縁日で楽しむ人々が描かれる。ほぼ文字がない絵本なのに、えんにちの楽しさ、息づかいが伝わってくる。子供の頃にワクワクした光景が、絵本の中にあった。

アンドルー・ラング再話 エロール・ル・カイン絵『アラジンと魔法のランプ』読む。魔法の力で起こる様々な、驚くべき奇跡の連続。それを絵にするル・カインの画力が本当に素晴らしい。手描きの幻想の世界は細密でありながらも、どんな場面か分かりやすく魅力的だ。

ル・カインの絵本はどれもこれもすばらしいけれど、その中でもかなり上位に入るのでは、と思う位に画が良かった。魅惑のオリエンタル、ファンタジックな東洋の魅力がつまっている。恐ろしくって奇妙で、惹かれてしまう世界。彼の画は細かく描かれていても、デザインとしてすっきりしているのが大好き。細密画の類は「見やすい」という点がとても重要だと思うのだ。

フェリーニ監督『オーケストラ・リハーサル』見る。いかにも人間くさい自由な人々のドタバタ喜劇。だけど俺がフェリーニ好きで期待が大きかったからか、今一つといった感じ。映画の時間も短いし場面も実質礼拝堂の中だけだし。フェリーニの映画は観客を圧倒するパワフルなのが魅力だと思う。

アイマスのライブに行って、地獄のミサワが感動する、という内容のツイッター漫画を読んだ。ゲームのファンだけど、声優のステージはなあ……からの感動、というのはよくある話なのかもしれない。でも、彼が本当にアイマスのステージに感動しているのが伝わってきて、とても良かった。

 俺はアイマスの緩いファンで、ゲームもcdも持っている。特別な推しキャラはいない。アイマスというコンテンツが続いているのを、陰ながら喜んでいる。その程度のファン。でも、誰かが誰かを感動させているという光景は、とても美しい物だと思う。そういう感受性って、本当に大切だ。

新しい、何かに感動できるような自分でいなきゃなって思う。体力気力お金がないとそれは結構難しい。でも、他者に感動できない人生なんて、つまんない。

生田耕作訳 ピエール・ルイス『女と人形』再読。カーニバルの喧噪の中、魅惑的な女性に惹かれたフランス人の青年。しかし彼の旧知のスペイン人が彼女の正体を暴露する。愚かな男と悪徳の女の愛憎劇。或いは怖ろしくも愚かしい喜劇。話の筋は単純だが、恋で身を滅ぼす残酷さと恐ろしさを堪能できる。

ウンベルト・エーコ『醜の歴史』読む。著者によって集められた、膨大な量の『醜』のカタログ。当時、醜さ恐ろしさを意図されたものが、現代人(俺)から見れば魅惑的な物に変化する。美は、美しい平均。醜は、歪み、はみ出し。美と醜は、案外簡単に反転するのだ。美に魅了された者への良いカタログ。

『家のネコと野生のネコ』読む。様々なネコの図鑑。素晴らしい写真が豊富だし、生態についてもきちんと書かれている。家も野生も、少し違うけど魅力は同じ。猫の写真というだけで素晴らしいので、あまり言うことがない。ページをめくる度に出会う猫に、ああ、いいなあと思うのだ。

美の壺 櫛』読む。俺は二十代の頃ずっと長髪だった。たまに、嫌味を言われたし、仕事も限られたが、長髪が自分のアイデンティティだった。俺が独り暮らしをする時、「苦労を分けるから本当はあげない方がいいけど」と言いながら、母が黄楊の櫛をくれた。母は俺の長髪を嫌っていたはずなのに。

 ずっと大切に使っていたのに、家でしか使っていないのに、無くしてしまった。今も後悔しているし、何でなくなったかも分からない。今は短髪で、櫛なんて必要がない、でも櫛は好きだ。

 新しい生活が始まっている。状況が良くならないまま、色々な問題に立ち向かわなきゃいけないのは、結構ハードだ。俺は気分の変調が激しいので、一日の内に何度もぐらつく。

でも、やんなきゃな。何かに触れられるように。できれば、新しい何かを生み出せますように。