まるで祈りの様に。

アスファルトの上に転がる、蝉の死骸を見た。今年初めて見た蝉だった。穴が空いた身体には、片方の羽根しかなく、それが強い光を浴びてきらきらと輝いていた。

 

新しいことをしたい。しなければ、駄目になってしまうかもしれない。そういう強迫観念なのか、逃避願望なのか、この状況と新しい仕事でかなりまいってしまっていた。

 一日の内に何度も気持ちがぐらつくし、平穏、とかいう言葉が遠い。それを手にする為に、頑張らなければと思うのだけれど、上手くいかない日々。でも、ふとした瞬間、それなりに悪くない気もするのだ。

 形にはなっていないが、久しぶりに気軽な短編小説を書こうと思ったから、そのアイデアが出たからか。それとも、誰かの本を読んで感銘を受けたからか。

 そういう短い時間は、夢を見ている、夢の中にいる気分。夢は脆く、すぐに覚めてしまう。夢の幻想の創作の現実逃避のことばかり考えていると、社会で生きていけるはずがない。

 なのに、どうしようもない夢を見るため、それに血肉を与えられるように願う。

 雑記。

アンナ・カヴァン中短編集『草地は緑に輝いて』読む。幻想、SF、随筆風等多彩な作風の中に共通するのは、不安と恐怖。妄想か、過剰反応か、現実か。それからは決して逃れられないのだ。執拗な、作者のオブセッションに読み手も包まれる。それでいて、愛らしさや美しい描写もあるのだ。

 正直言って、彼女の小説を読むのは結構疲れる。俺も、逃げ出したいし恐ろしい何か、から逃れられないと感じているからだろうか。

 『氷の嵐』の引用 アイス・ストームに襲われた後の、氷を浴びた街を目にする主人公。

「木々は美しいと同時に恐ろしかった。わたしは木々を怖がるまいとした。神様お願いです、どうか自然界のものにまで恐怖心をいだかせないでください。恐ろしいのは人間の世界だけで充分です……。」

『骰子の7の目 2巻 ハンス・ベルメール』読む。かなり久しぶりに見た彼の作品集は、淫猥さやグロテスクさよりもずっと、身体が持つ質量の奇妙さを感じさせた。緻密なデッサン力から生み出される奇怪な身体。そこには探求と喜びがある。人間の人形の身体は、不思議だ。それを鮮明に示している。

本江邦夫 監修『抽象絵画の見かた』再読。作品や作者への理解が深まる、分かりやすい手引き。抽象絵画というのは、好みが分かれる。つまらない落書きや、似たような画家の模倣に見える物もある。しかし、それらの中には確かに美しさが、秩序が存在するのだ。好きな画家の作品に気軽に触れられる良書

 久しぶりに出会う、バーネット・ニューマン、フランク・ステラ、クリフォード・スティル。スティルは生で見たことがないと思う。見てみたいな。

 本江邦夫、先生は俺の学校にも教えに来ていた。彼の授業が一番面白かった。熱意がある先生というのは、どの人も素敵だと思う。たまに、また大学や何かの教室に行きたいなと思う。勉強がしたい。でも、お金の問題でそれは叶わないだろう。それを思うと、自分の甲斐性無しや金銭を稼ぐ能力のなさ社会性の無さにうんざりげんなりする。でも、そのおかげで、たまに、輝かしい愚かさを見る力を育んでいるのかもしれない。

ぼんやりとした頭で、ALI PROJECTの令嬢薔薇図鑑を聞きながら、森茉莉の『私の美の世界』を再読していた。しばし、現実を忘れる。森茉莉の、卵料理の描写が一等好きで、卵料理の文章を世界一上手く書ける人だと思う。バターではなく、バタ。と書くのがとても好きだ。

ジャック・タチ監督『ぼくの伯父さんの休暇』また見る。この映画の滑稽でのんびりとした時間は、俺にとってもバカンスみたい。ドタバタコメディでありながらも、ユロ伯父さんは飄々として押し付けがましくない。モノクロの南仏での生活は、微笑ましく、開放的で、ゆったりと流れている。

監督エルンスト・ルビッチ他オムニバス映画『百万円貰ったら』見る。巨万の富を築いた男は死を向かえようとしているが、財産を譲るべき人間がいない。電話帳で選んだ人に100万ドルの小切手を送る。馬鹿らしいコメディもあるが、辛い展開も多い。様々な境遇にある市民がいきなり大金を得てしまう

というのは、人生を大きく変える要素だ。生活が激変する者もいて、映画を見る観客としてドラマチックな展開は面白いのだが、そこまで変わらない、変えられない人間もいるのだ。基本コメディ映画だが、辛い展開も多く楽しめた。オムニバス映画としても、優れていると思った。

ダイアン・アーバス作品集』を読み返していた。彼女の写真に心地良さを覚えるのは、被写体と同様に、彼女もチャーミングな人だからだと思う。人間が、他者が、不思議で間が抜けていて魅力的な面を知るのだ。目に見える物はどれも異質なんだ。彼女はそのよく分からないものに敬意を払い、捉えている。

高峰秀子のエッセイ『コットンが好き』再読。5歳から親の都合で映画界にいた高峰の、晩年のエッセイ。彼女のエッセイは飾らなさや謙虚さや芯の強さが読んでいて心地よい。二十四の瞳の、百合の弁当箱の話や友人の越路吹雪の死を悼む言葉は再読しても胸にくる。身近な、愛おしい物、人。大切な記憶。そういうのを感じられるなんて、とても豊かなことだと思う。

『世界をまどわせた地図 伝説と誤解が生んだ冒険の物語』読む。偽物の地図、存在しない国や怪物等が収められた楽しい一冊。希望や誤解や詐欺により生み出される、悪魔の島や黄金の国。オーストラリアには内陸海があった? 一番すごいのが、架空の国をでっち上げ、土地の権利や紙幣を作った詐欺師

映画『BOY A』見る。少女を殺害した(関与した)少年。彼は14年の刑期を終え、新しい名前を得て世に出る。ソーシャルワーカーや友達の助けを得て、彼女もできる。まっとうな生活を歩む彼。しかし。展開は予想がつくのだが、見ていてキツかった。主演のアンドリュー・ガーフィールドの演技がとても良かった。不器用で過敏な様を上手く表現していた。


加害者を許すことができるか、というのはとても難しい問題だ。この映画の主人公は、十分同情できる点がある。でも、彼を「殺人者」として晒し者にしたい人々を、正義の暴走とは言えない。ただ、許すのは、理解するのは困難という現実があるのだ。

 俺は、この映画の主人公は許されてもいいと思った。でも、凶悪殺人犯が少年法に守られて極刑にはならずに、十数年後には社会に出る。という文だけ目にすると、そう軽く考えるのは無理かもしれない。

 人を許すのも、他人に寛容になるのも難しい。過去も忘れるのは断ち切るのは難しい。でも、生きている人間は、明日を、自分のこれからを信じなければ歩いていけないのだ。

 俺はしばしば、自分の過去や未来が明るくないから、不安に依存し、自棄になり希死念慮に甘える。それしか方法がないのだと思い込み、まあ、実際そうなのかもしれないが、それでも、愚かな輝かしさを育む術を知っていて、それは他者の生き方や作品によるものだ。感謝する。誰かに感謝できるなら、まだ生きていけそうな気がする。

 精神的に不安定だと、誰かの言葉に作品に触れられない。ひたすら逃避するだけで、時間と体力を浪費する。それでも、本が、誰かの何かが救いになる。光を日常を思い出す。まるで祈りの様に。