中年なんだ。毛皮か花園がなくっちゃ、生きられないよマジで

気分ぐらぐら。数十分先のことが、自分の精神がどうなってるのか分からない。取り繕うのとやっつけ仕事はそれなりに得意だけれど、いつ駄目になるんだろうって思いながらの労働は、とても不安定できつい。でも、足を踏み外したら、足の裏に生えている綱から飛び降りたら、楽だけれど、もう、立ち直れないかもしれない。

 恐怖が俺をゆさぶり、俺の足を前に前に動かしている。

 電車を降りるとき、ふと隣にいたスポーティな格好の青年の指先が、昔の青山のコムデギャルソンの壁のような鮮やかなオレンジ色をしている事に気がついた。きれいだ。彼の首の後ろには、数字が三つ並んでいた。見えない場所にタトゥーを入れている俺は、見える場所に入れている彼の気合いが眩しかった

 真実を目にしたら、きっと気が狂う。誰だって、誰だってそうさ。太陽は直視できない。でも、俺は自分のタトゥーは、結構好きなんだ。好きなんだ。自分のこと、一部分でも一面でも、好きだって言ったほうがいい。ある一面の真実。

渋谷Bunkamuraミュージアム「東京好奇心」見る。百人?だか、とにかく若手もベテランも国内外の写真家が捉えた日本、東京。知らない人の作品ばかりだったが、見応えがあった。やっぱりプリントで見ると違うのだ。森山大道の新宿の路地裏にいる猫を写した写真の黒は、比喩ではなく、艶めかしく

てらてらと光っているのだ。他にも構図は優れているなあ、といったファッション写真広告写真、という印象の作品も、プリントの鮮やかさと展示されたスケールの大きさで、ぐっとリアルに感じられる。会場のカタログでは、どうだろうって感じのでも、実物をみたら生々しさに感動するのだ。

三井記念美術館敦煌写経と永楽陶磁 見る。写経はさっぱり分からなかった! さっと見るだけで、もう満足だ。でも、派手な陶磁器が多くて楽しい。朱色に金の意匠や、翡翠色の緑、瑠璃や金泥。華やかな器たち。俺の好みの派手な意匠の物が多くて、意外というか、楽しかった。

 展示を後にして、売店でとても良い小鉢に出会った……一目見て欲しくなってしまったのだ。普段はそんなことは考えない。だって、俺はとても酷い生活をしていて、良い食器を揃えようなんて思考はない。

 でも、その小さなお茶碗というか、小鉢は、とても魅力的だったのだ。薄柳の肌に、赤子の頬の色が乗っかっていて、とても上品だ。値段は、数千円。小鉢と考えると、普段の俺なら絶対に出さないのだが、それは「作品」だった。欲しかったんだ。買っちゃった。

 調べると、坂倉正紘という方が作ったらしい。萩焼きで、落ち着いて上品な色合いがとても素敵だ。青菜のおひたしなんかが映えそう。普段は作家の人が作った器を買うことがないから、美術館での出会いに感謝。

 情けないことに、俺はしょっちゅうお金に困っているんだ。いつも収入が途絶える恐怖と戦っている。だから、限られたお金は有効に使わねばと思っているし、ついお金を使えなくなるんだ。

 でも、買ってよかった。多分、今買わなければ二度と買えないものだったから。数千円で悩むなよ俺、ダサいぜまじ。でも、買ったから買えたからよかった。

 欲しいものを買う、そんな当たり前のことで、好きな物を好きだって言うことで、きっといい方向に行くって信じて。

 雑記。

夏目漱石 画・金井田英津子夢十夜』読む。俺のベッドの周りには未読の本が何十冊も散らかっている。よりにもよって、自分で見た悪い夢を勢いに任せて書き散らした後に、漱石のとても美しい夢の短編を読むなんて。たまたまなのに、妙な心持ちになる。

真・女神転生if…のコミック、作・柳澤一明のを久しぶりに読む。初めて読んだのは高校か大学の頃か?
今のポップペルソナ路線も好きだが、初期、罪罰までのペルソナ(とif)のダーク・ジュブナイル感ほんと好き。久しぶりに読んだコミックは、一巻しかないのに原作を上手く消化していて

テンポ良く、ハードな展開も不穏なラストもよく、すきでまた買って読んだのだが、記憶の中よりもさらに出来が良かった。
昔、1999年辺りって、終末感やらインターネットの普及とかが、独特のほの暗い魅力を作り上げていた。悪夢に、悪魔に憧れる。便利な時代の新しい悪夢はどこだろう?

A・A・ミルン作 E・H・シェパード絵『クマのプーさんとぼく』読む。ミルンの子供のための第二詩集で、『クリストファー・ロビンのうた』の続編のような一冊。前作同様とても素敵だ。わがままで好奇心旺盛で何でも楽しいし不安だしわくわく。そんな子供の未知ばかりの日々を思い出させてくれる。

文 泉鏡花 画 中川学『朱日記』読む。不確かな語り部の言葉から広がるのは、茱萸の実、赤い毛の猿の群れ、裸に赤ガッパを着た巨大な坊主。この世のものとは思えぬ少年と女性。広がる妄想と火の手。中川学の画はモノクロと赤で描かれ、その迫力に「わっ」と慄く。

four tetのangel echoesほんと好きで折に触れて聞きたくなる。すごくきれいなアンビエントなのに、聞いてると何故だか不安になってくる。ゴダールのフォーエヴァー・モーツァルトの、許されずに延々と反復させられるみたいに、大好きなのに、苦しい。でも魅了されている

 

この作品が、漱石の中で一番好きかもしれない。漱石の冷徹さ、冷静さが幻想に豊かな輪郭を与えてくれるのだ。金井田の画が、とても良い。学校の教材に漱石のこの小説と共に載って欲しいレベルで良い。漱石の小説の影となり日向となり、彼女の絵はシュルレアリスムの最良の部分のようだ。

ローベルト・ヴァルザー詩 パウル・クレー画『日々はひとつの響き』読む。あまり有名ではないが、スーザン・ソンタグらが評価した詩人の文とクレーの画のコラボレーションをした一冊。俺には詩の良さがあまり。クレーはとても好きなのだが……優しい詩なのだが、クレーのはもっと哀しみも怖さもあると

内田百閒作 金井田英津子画『冥途』読む。内田百閒の奇妙で怖くなる短編に金井田が絵を添える。彼女の絵がとても合っている。グロテスクではなく、人間や自然は、よく見ると怖いものなのだ。特に短編の件(くだん)は、恐ろしさと滑稽さがあり、文も画もとても良い。

井伏鱒二 金井田英津子『画本 厄除け詩集』読む。井伏鱒二は好きでそこそこ読んだつもりだったが、詩は初めて。目を通すと、短くユーモラスで穏やかな観察眼で、彼の文章に近い物を感じた。収められている詩の数が少ないのは残念。

平野甲賀『きょうかたるきのうのこと』読む。グラフィックデザイナー、装丁家の著者が書いてきたエッセイ集。彼のデザイン、書体はすっきりしているのにインパクトがある。これは中々出来ることではないと思う。文は、著名人との交友や発言が多く、とてもエネルギッシュな方だと感じた。

水木しげる悪魔くん魔界大百科』読む。水木しげるが妖怪ではなく、世界の悪魔や秘術を紹介する。悪魔と言えば、大好きな女神転生悪魔絵師金子一馬のイラストが頭に浮かぶ。原典、昔の人の妄想を形にした物を、絵師がアレンジを加える。誰かがかいた、[見た]悪魔の姿を沢山見られるのは喜びだ

 

高峰秀子『巴里ひとりある記』再読。幼い頃から親の都合で働き続け、気づけば20年以上働き大女優になっていた彼女の、逃避行の様な留学記。後年の文章に比べると、かなり若くて素直な文章。でも、時折強さや哀しさが顔を出す。彼女は辛さを乗り越える強さがあるのだ。

 色々と問題はつきないけど、やって行こうって思えるのは、美術館に行ったからか。しょうせつを少し、書けたからか。

 素直に生きるっていつもこんなんだ。でも、それなしに前に進めないから。

 器だけじゃなくて、タトゥーも、もっと入れたい。中年なんだ。毛皮か花園がなくっちゃ、生きられないよマジで