手を離して

人生が、スカスカな気がする。それは、小説が書けていないから。イメージが浮遊していて、それを形にするのに難儀して、色々な言葉や文章をつくりかけて、あるべき形に立ち往生しているような。

 単純に、書きたい、という熱情が朧になっているような。

 やっぱな、二十代だと空元気でどうにかなっていたことも、三十代だと、ちょっときついな。騙し騙し誤魔化し誤魔化しの人生。俺が見たきらきらしたものは、経験は白昼夢のような錯覚か幻想のような気がしてくる。

 人が、作品が与えてくれたそれらは、ある時ふっと薄れ、霧散し、しかし俺の中に何かを残しているのだ。残された何かの幻を、偏執的に追い続けているのだ。

 形のない物を追い続けて、我が身と精神を苛み、おかしくなるのか。ずっと、寝ていたいけれどそんなことができるわけがない。ともかく、仕方がない。誰かや誰かの作品が欲しいんだ。

サントリー美術館 日本美術の裏の裏 見る。屏風絵、焼き物、蒔絵、等々。見応えのある、空間や余白を感じる日本の美術作品が集められている。全部写真オッケー!嬉しい!個人的に一番なのは、雪舟。写真では絶対に捉えられない繊細で調和した濃淡が本当に凄すぎる。

 たまたまだけれど、本で山下裕二が三十代で生で見て雪舟のすごさに気付いた、ということを言っていて、俺も全く同じ体験をしたのだ。何の気なしに、それなりに美術には詳しいと思っていたが、雪舟の「実物」をみてあまりの凄さにうちのめされた。こんな作品、他に誰が描けるんだって。主張も調和も全部ある。ケチをつけるところがない、という恐ろしさ。欲しいなあ。無理だけど。でも、欲しい位好きになれるって、いいことだ。手に入らないのにな。

 俺の人生、欲しいのはいっつも、手に入らないんだ。

器、陶磁器って不思議だな。俺は美術の作品はそこそこ見てきたので、自分の中の判断基準がなんとなくある。器についてのそれはだいぶぐらつく。なんとなく、高い安いは分かるが、好き嫌いが揺らぐ。じっと見ていると、別の景色が見える。美術なら、好き嫌いははっきりしてるのに。

 小説が手詰まりで、そのせいかめっちゃくちゃ陶芸したい。金の関係で絶対無理だけど。金のせいであきらめるって、ほんとださいな。でも、俺はどうにか生き延びて、本を読んで小説を書くのでせいいっぱいなんだ。

 とはいえ、何か作らなきゃ。作りたい。上手い下手出来不出来とかすぐ考えちゃう。そんなんじゃないのに。音が出るとか色が出る、それだけで楽しいんだって分かっているはずなのに。

 疲れていて、休みたいけれど休むのが怖くなってグダグダ。このダサイ負の連鎖止めなきゃな。

 雑記

高峰秀子のエッセイを集めた一冊、『高峰秀子の反骨』読む。単行本未収録のエッセイを集めたものらしいのだが、市川崑の『東京オリンピック』への不当な発言への怒りの文は読んだ記憶が。って、多分この本読んだんだ……というか、その文が特に素晴らしい。彼女の文章が好きなのは、誠実さと作り上げてきた強さが伝わるからだろうか。

十数年ぶりに、映画『アイドルを探せ』見る。盗んだダイヤを楽器店のギターに隠す。自首して取り返そうとしたら、五本のギターはスター歌手が買い取ってしまった!ドタバタコメディなのだが、久しぶりに見返したらえらく出来が良い!

敵役の口の悪い女の子は、キュートな悪女。主人公とそのパートナーは、最初は険悪なのに、気づけば恋に落ちている。おまけに実名でスターが登場して歌う!画面もセンスが良いしほんと素敵だ。シルヴィ・バルタンはもちろん、ラストのアズナブールの歌が染みる。

『ニッポンの奇天烈な絵画』読む。白隠若冲国芳、瀟白、山雪、芳年等々。有名どころが揃っており、見応えがある。教会により発展した西洋絵画のように、教化目的で描かれる残虐な九相図や地獄の鬼もいるが、民衆の俗根性を満たす残酷絵もまた恐ろしい。また、滑稽な絵やアニメに通じる表現もあり、

こういうのって、豊かって言えるような気がする。残虐さも滑稽もスタイリッシュもユーモラスも、楽しめたらなって思う。

ルノワール監督『フレンチ・カンカン』また見る。衣服の華やかさ、ロマンチックでほろ苦い人間模様、どこをとっても絵画のように美しい構図、素晴らしい音楽。この時代の品とユーモアがつまった美しい映画。エンターテイメントは人の心を豊かにする。

 元々素敵な映画だと思って再び見たんだけど、やっぱすごい。トラブルもロマンスも茶目っ気も、最後のシーンの圧倒的な映像と音楽の美しさで了解してしまう。圧倒される。

泉鏡花『海神別荘 他二篇』読む。豪華で幻想的で残酷な戯曲。身震いしてしまうようなうつくしさの骨子を作り上げているのは、鏡花の筆力と恐ろしい運命を受け入れる眼差しか。表題作はメロドラマの極北といった感があり、読み手は残酷と美の親和性に弄ばれる。

植田正治の没後、未整理のネガの束が発見された。その中から夫人の写真を中心としてまとめられた一冊『僕のアルバム』
二人は結婚式の日までお互いの顔も知らずにいた。
とのことで、数十年前の日本の習慣には驚いてしまうが、この写真を見れば、二人が幸せならいいじゃない、という気持ちになる。

萩原朔太郎作 金井田英津子画 『猫町』読む。薬物が見せる幻覚か、日常に潜む景色か、詩人の見る夢なのか。金井田のえがとても良い。彼女の文学に添えた画はどれも良いが、中でも一番かもって位好き。

 

 

 

アブー・ヌワース『アラブ飲酒詩選』読む。現世の最高の快楽は酒だとした、8,9世紀の詩人。平易でユーモラスな作風。
飲酒をとがめる人よ、いつ君は愚かになったのか?
礼拝と断食を形式主義として批判。世間の慣習から反抗した人は、老年真逆の詩を詠んだというが、はたして。

 

穴だらけな空疎な身体。楽しみなんて時折通り過ぎるだけで、常に何かをしていない、何かができていない、何かが駄目になるかもしれないって思っていて、気分が悪い。

 きつく握った、苛み、から手を離さなきゃな。不安に依存するのは愚かなことだって分かっているはずなのに。それがなれているから、心地いいんだ。でも、何か作りたいし、小説、書きたいんだ。