俺の瞳には映らない君のことばかり考えているんだ。

また、トラブルが起きて、しかも職探しもして金の心配もしていて、通院もしているから、俺の頭は少し壊れた。

 さすがにこんなに嫌なことが重なると言うのは単純にきついし、前向きに使用考えないようにしようと思っても限度がある。

 でも、ネットで調べながら少しずつ知識を得て、何かあった時の対応は学んだ。相談する人には相談をして、今後はそういう対策をすることにした。

 少し、気分が楽になったが、でも今もいつ爆発するか分からない爆弾が近くにあるような物で、心の平穏はない。

 それと、俺は十年以上小説を書いていて、たまに新人賞に応募しているが、なにもない。というか、応募雑誌を読んだことがない(書いている選考委員の本は読んだ物もあるが)。理由は単純で、昔の人の本の方が面白いと思うし、好きだから。

だったら自分で同人誌でも作れって話だが、文学フリマ? という物は、参加した人と会って話したことがあるが、ちょっと俺の感じとは違うような気がする。俺が出ても、多分、一、二冊売れるかな? だと思うし、

 また、新人賞に応募する小説は過去に発表や応募していない物、と書かれているから、応募して落ちたのを本にして売ると言うのも、そこまでやりたいとは思えない。売れないだろうし。

ああいう場所は同行の士を作る場でもあるとは思うのだが、多分、俺はエゴイスティックで、仲良しサークルに入れないと思う。

 つまり、もう、駄目ってことだ。一人で書いて、満足して、おわり。

 ただ、俺は自分の書いている小説が好きで(作っている人はみんなそうだと思う)、十年以上書いているのだから、少しずつだが、良くなっている気がする。よくなっているというか、自分が書きたいものが書けるような、表現や世界や流れが、編集が良くなっている気がする。それだけは大きな救いだ。

 でも、今、俺はお金が無く友達もほとんどおらず(というか、友達って、どういう状態なのか、説明に困る)、作品も認められず(というか自らほぼ出してない)、住んでいる場所では大きなトラブルで無実なのに嫌な眼に会い続けている。

 はっきり言って、自分としては最悪な状況だ。

 20代なら、乗り切れたかもしれない。でも、30代も後半に近づくと、やっぱ、もう誤魔化すのもきつくなってきた。

十代二十代の頃は、現実逃避にニルヴァーナのリチウムやベルベットのヘロインを繰り返し聞いていた。三十代になって、それがバッハやグレゴリオ聖歌に変わった。

 音楽は、ロックスターはやんちゃな人は、天使は、俺に優しい。彼らは俺を知らなないし、一方的な愛情だけど。

 俺はこれからも一方的な愛情だけで生きていくのかな。生きていけるのかな。

 色々と他にもかけない問題があって、これからの自分の人生について考えている。いっそ、ほとんどの物を処分して、美術からも離れて暮らす物いいのかな、なんて突飛な思い付きも浮かぶ。パソコンさえあれば、小説は書きたくなったら書けるしね。

 辛くって寂しくって心細くってたまらなくって、それでも生きて行かなきゃって当たり前のことで、何日も愚かな悩みを繰り返し反芻。

 きれいなものが、手に入らないものが好きで、ずっと憧れていた。小説の中でなら、その断片やその欠片を口に入れた人らと会話ができるような気がしていた。俺が小説を書くのは、ありえない人らとの対話の為なのかもしれない。

 ずっと、本を読んでギリギリの生活、たまに小説を書くというのを十年以上繰り返してきた。もうそろそろ、変えなければならないのか。答えは出ない。でも、俺は、俺の瞳には映らない君のことばかり考えているんだ。

 

 

雑記

『西洋アンティーク・ボードゲーム 19世紀に愛された遊びの世界』読む。昔の紙のすごろく、なのだが、画がとても素晴らしい! また、単純に遊び目的の物から、地理を学ぶ教育的な物やバンホーテン社の宣伝のためのものまで幅広い。遊ばずとも、画が良いのでポストカードになっても良さそう!

マラルメの詩集を読み返していた。壮大で美麗で、いつ読んでも圧倒されてしまうのだ。
『花』という詩の一節、
野性の血潮の光に潤(ひた)る花!

という部分だけでもうっとりとしてしまう。彼の詩に触れると、時間や瞬間を想起する。生々しい何者かが、神秘が現れる。それは、恐ろしく、幸福な事だ。

シシリー・メアリー・バーカーの、妖精の本をまた読む。とても可愛らしい植物と妖精は、どのページを見ても楽しい。彼女は植物がとても好きだったはずだ。だから、もしかしたら妖精も見えていたのかな、なんて夢みたいなことを考えてしまう。見えない物を見るために、目を見開いて。

三島由紀夫著『谷崎潤一郎川端康成』読む。三島が両者について語った様々な文書をまとめた一冊。谷崎はともかく、三島の川端への文章は昔読んだ物も多く懐かしい。二人の師弟とも友人とも言えない関係、二人の奇妙な親愛らしきものが、とても好きだ。川端の文章は、語れない。それが魅力だと今も思う

川端康成と書』読む。川端康成が集めた書、文人との交友録等が収められた一冊。自分は美術や陶磁器の善し悪しのこだわりはあるが、書については、よく分からないかもしれない。でも、川端が『仏界』と揮毫したこの書は、厳しさを感じて魅力的だと思った。仏界も魔界も入りがたい、そう思うのだ。

手塚治虫の未完の漫画『ルードウィヒ・B』二冊数年ぶりに読む。あー面白い続きが読みたいと思う。ただ、当時も今も、俺はバッハ以外のクラシックの良さが分からない駄目な耳のまま。あとがきで手塚はベートーベンと自分は似ていると書いている。なるほど、そうかもしれない。溢れる生きるエネルギー