感受性を墓から掘り起こせ

 短期だが新しい仕事が決まった。前の所とは違い、普通に研修をしてくれたから、覚えるのは大変だがほっとした。

 生活やお金のことばかり考えていて本を読むのも書くのもできずにいた。それくらいしか自分にはないから、自棄にのまれ、ギャンブルでまた金を溶かす生活に戻っていた。

ギャンブルはとてもとても楽しい。金を溶かしたりたまに増えたりする位しか楽しみが無いなんて。

 でも、ギャンブルの楽しさと共に虚しさも感じていた。欲しいのはお金ではなく、作品や人に感応できる感動できる瞬間時間。もっと欲張ると、安定してそれを作れるような時間だ。

 俺はこの先、つぶしのきかないオッサンとして生活を続けられるのだろうか? 続けるしかないのだけれど。本を読んで作品に触れて、或いは誰かに出会って錯覚を幻を見ることができたなら。

 雑記

映画『マルタのやさしい刺繍』また見る。夫を亡くしたお婆ちゃんが、夢だったランジェリーショップを立ち上げ立ち直るが、保守的な村では笑いものになって……という内容。高齢者や家族の問題や閉鎖的な場所での苦しみも描かれているが、それをはねのけるパワーは見ていて楽しい。色彩も豊かで綺麗

たまたま古本で目にとまった『12月くんの友だちめぐり』を買って読んだら、話も良いが画がすごく良かった。ドゥシャン・カーライという、チェコスロバキアを代表するイラストレーターらしい。花や動物の画がとても魅力的だ。他の本も見てみたいな

シーラ・ディレーニー戯曲『蜜の味』読む。大学の頃映画で見た。その原作を十数年ぶりに古本で見つけて、少し感動した。自堕落で気分屋な娼婦の母に育てられて、画の才能はあるがすれてしまった娘。母も娘も相手を見つけて結婚をして、娘は身ごもるが、その相手は水夫。一筋縄ではいかない人間関係

簡単には離れられないし、理解もできないという親子関係や恋人関係の難しさを描いている。この人の作品をもっと読みたくなったが、早くに書くのを止めたらしい。残念。これの映画も見たいがレンタルでは見たことが無い。辛くて貧しくても救いがあるらしい人々を見ると、やりきれないが何かをもらえる。

吉田喜重監督『ろくでなし』見る。デビュー作とのことだが、スタイリッシュな構図は最初からなのかとワクワク。少し台詞臭い喋りやベタな問題構造の対比はあるけれど、若い力ってすごいなって思える作品。若い津川雅彦かっこいい! ブルジョアなんて労働なんてくそくらえ! でも、やっぱり虚しいよ

吉田喜重監督『甘い夜の果て』見る。デパートに勤める主人公は、金と出世を何よりも求める。女達に取り入り、利用して成り上がろうとするのだが……。スタイリッシュな映像と、貧困や恵まれた生活との対比が合っている。愚かで自己中心的でエネルギッシュな主人公を演じる津川雅彦がとても良い。

 吉田喜重について、正直あまりいいイメージが無かった。俺は初期のアラン・レネが大好きなのだが、彼も映像はそれに近しいスタイリッシュさ、構図やモノクロの画面の魅力がある。でも、台詞回しがとてもやぼったく説明口調だったりこんなこと言うのは「創作物」の文学的なひとたちだよなあ、と気恥ずかしくなることもしばしば。

 だが、初期の二作はそういう高級大衆用メランコリックラブロマンスという側面よりも、荒々しさが前面に出ていて良かった。二作とも津川雅彦演じる愚かでエネルギッシュで魅力的な若者が主役だったのも大きい。

 焦燥と熱情を燃やしても虚無へと落ちる。二十代ではなくて、色々とおしまいになっている、おっさんの俺が見た方が胸に来た。もう俺は若くはないのに。映画の登場人物のような輝きなんてないのに。

 でも、そういうきらめきがあるんだって勘違いしているからこそ、人は生きられるんだよなって思う

ゴダールの二番目の妻アンヌ・ヴィアゼムスキーの自伝的小説の映画化『グッバイ・ゴダール!』見る。ゴダールとアンヌとの愛と破局を、リスペクトやオマージュを交えて、ややコメディチックに描く。作品としては悪くないというか、むしろ洒落ていて見やすいし楽しい良いものかもしれない。でも、

これを見るのってゴダールのかなりのファンではないだろうか?って、単に自分がそうなだけかも。そのファンの視点で見ると、ゴダールへのオマージュや意識した配色やショットが野暮ったく見えてくるし、激しさも見にくさもない、優等生的な感じが不満だ。最後のゴダールのモノローグ、あんな殊勝な

ことをゴダールは絶対に思わない!(個人の勝手な感想です)。ファンアイテム的なものではなく、傲慢で先鋭的で革新を夢みた監督に振り回された若きアンヌの愛の映画として受け取る方がいいのかも。主役の二人はとても魅力的だと思ったし、かなり似ているのでは?とも。

 ただ、ヌーヴェル・ヴァーグの監督の映画や関連の作品はなんだかんだ文句を言いたくなってしまうけれど、全部好きでありがたいものかも。あの時代、俺が生まれていない時代。でも、熱狂と革命と先鋭と虚しさがあった時代。なんて、今だって誰かの作品や生きざまにはそれがある。

 美しき世紀なんて時代なんて妄想の産物、分かってるけれど、憧れのものがあるって素敵だなって。

ふさぎ込んでいた、ふさぎ込んでいる。金をすり減らす。展望も欲しい物も無い。中古で二万位していた中平卓馬の『新たなる凝視』が、状態悪くて結構安かったので買ってしまった。金が無いのにギャンブルで数万気軽に溶かす癖に、数千円の本でも買えない貧乏性。それにこの本は前に読んだ事がある。

だけど、改めて数年ぶりに写真集を見たら良かった。とても良かった。あ、中平卓馬だ!と分かる写真。ページをめくる喜びが、写真に出会う喜びがあった。植物図鑑、よりかはもう少し被写体に近しいような、生きている図鑑がある。本当にこの人の写真が好きだ。本が読めなくなるから人生投げなくて良かった

 沢山家に読んでいない本がたまっている。仕事探しと新しい仕事でヘロヘロになって、気づいたらスマホで時間をつぶしたり疲れてねてしまったり。

 俺には本を書く、読む位しか世界の豊かさを感じられないのに。そこへのアクセスを遮断してまで働いたり頑張って生活を続けたりするのか? とかいう極端な悩みに何度でも行き当たる。

 普通に生活をしてお金を稼いで自分の好きなこともやる、ということができない。いや、むりやりなんとかしているつもりだが、ずっと自分ができていない足りないと思いながら人生をすり減らしている。

 でも、先ずは次の小説が書けるように、感受性を墓から掘り起こさなきゃな。その為には他者の作品が必要だ。お金を無駄にするのは楽しいよ。俺の最新最悪の慰め。当分手放せる気がしない。でも、墓掘りしなくっちゃ。それで掘り起こした物を花々で飾って硝子の柩につめて埋葬しなくっちゃ。

 

 小説を購入してくれた方、ありがとう。俺から電子の文字で花びらを。