俺は敗北するけれどそれは今日ではないって嘯いて

誕生日はできたら休みをいれるようにしている。仕事の時は終わった後、ささやかでも自分の好きな物を買うようにしている。

 借金があって誕生日を迎えるのは初めてだ。その上求職中。

 最近は週6日働いて求職活動もしていたので精神も体力もボロボロだ。眠れないし夜に起きるし、ずっと気持ちに余裕が無くて泣いたりイライラしていた。

 でも、それは自分の責任だ。逃避のツケが回ってきたことだ。それでも、辛いものは辛いし、とても小説を書くどころか読むことすらできない日々。

 自分が出来ることというか、続けていることは本を読むこと、小説を書くこと位なのでそれを失っている今の俺はがらんどう。支えも支柱もない。
 
 このまま色んなことを諦めて終わっていくのかな。おれなりに色々努力はしたから。

 なんてことが頭をよぎる。希死念慮と破滅願望の薄い膜につつまれて生きている日々。腐った人生。

 今日は面接だった。運よく次の仕事が決まった。

 支払いは破綻しているから、日雇いで稼がねばならないし、次の仕事への不安やふたんも大きい。

 それでも、少しだけほっとした。前を向かなければ何もかも失う、諦めて終わり。やっぱ、やだなって思う。

 面接が終わり久しぶりに上野を歩いた。お店をひやかすと、物の値段が全体的に上がっているのをこの街でも感じた。そのまま歩いて秋葉原へ。二十代の頃はゲームやらパソコンやらを買っていた。

 借金でもうほとんど売り払ってしまったが、大好きなマジックザギャザリングもそこそこ買っていたっけ。

 でも、今はネットで買い物ができるし何より俺には金が無い。コロナのせいもあり、秋葉原も色んな店舗が閉店して街としての活気を失っているというニュースを度々目にした。

 オタク趣味と呼べるほど金をかけているわけでもないのだが、秋葉原もさびれていくとしたら、寂しいなって思う。オタクの憧れの街、という分かりやすいアイコンが消えるのが何だか切ない。中野も好きだけどね。

 結局街では安売りされていたチョコレートを買っただけで、それが自分へのプレゼントになった。いつもなら形が残る物を買うのだが、そんな余力はなかった。俺は支払いの心配をしなければならないのだ。

 とはいえ、最近少し良いこともある。漫画アプリをずっと見ていて、久しぶりに漫画って面白いなっていう気持ちを取り戻している。漫画すら読めなかった日々。ギャンブルと不安に依存していた日々。

 そんなのより、誰かの作品にわくわくしている方がずっと楽しい。破滅の、愚かな楽しさもある。俺は身に余る大金を使ってそれを楽しんでいたけれど、もう終わりにしたい。

 俺も作品作りたいな。夢を見るのに年齢は関係ない、かもしれないが、その人間の積み上げてきたものや環境によって困難にはなる。俺はまだ大丈夫だ、情熱が完全に消えるまでは大丈夫だ、そう思いつつも、支払いや精神の摩耗により擦り減っているのは感じている。

 三十代も後半戦。二十代の頃、三十代前半の頃、自分が四十になるなんて想像をしなかった。想像しても現実味が無かった。

 このままいくと、俺は作品もろくに作れず、低収入で人間関係や自分の精神とお金に苦しみながら駄目になって行く姿が濃厚だ。

 そんなことが頻繁に頭をよぎるが、俺は俺の作った作品が好きだ。まだそう言える。自分の作品が好きではない、或いは好きだったと言ってしまう時、俺は自死のような状態なのだろう。

 とはいえ、ずっと書くことから離れているのだから、この書きなぐり雑文も酷い有様。リハビリ現場の文章。

 自分の好きなことを書いていかなきゃなと思う。意味が無くてもお金をうまなくても必要とされなくても。俺は十数年そうやって生きてきた。きっとこれからも。俺の個人的な満足以外何も生みださないとしても、そうしなければもっと俺は自分がどうでもよくなるから。

 書くこと、生きることだ。大げさかもしれないが、単に他の物を持っていないのだ。小説を書いている時、俺は豊かだ。誰かに、誰かの作品に触れている時もきっと。

 だから辛くとも意味が無くても虚しくても質が低くても描かねばならない。書くことで救われる、錯覚ができる。

 俺は敗北するけれどそれは今日ではないって嘯いて。