若くはないんだ、だが、死にそうってわけでもないんだ。

八月も終わりに近づいている。暑すぎる夏なんて少しも好きではないのに終わりを少し惜しむのは、トラブルやら仕事でいっぱいいっぱいで何もせず、体力と精神をすり減らしただけで日々が
溶けていく焦りからか。

 何もできないというか、仕事のきつさで平日週五日全て帰宅後ぼんやりして夕食をとっていた後寝落ちして深夜0-3時ごろ起きるといった有様で、流石に疲れすぎているし、色々と限界だと思った。
 
 何も作れず生みだせず、本すら読めない日々。

 そんな折、久しぶりに人と喫茶店でお茶をした。共通の趣味があるので、久しぶりに映画や音楽やファッションの話ができたなあと思った。

 言葉にしないと好きな感情が失われて行って、それが当たり前になる。日々の仕事やらトラブルに対処すべく眼をふさぎ耐えることに腐心して、好きって言葉を口にすること忘れていた。

 俺はクラシックはバッハ以外分からない(好きなピアニストが演奏したのは別だけれど)けれど、ホルヘ・ボレットというピアニストを教えてもらって、YouTubeで検索したら動画がとても少なくって、見つけたリストは良かったけれど、もっとちゃんと聞きたいと思った。久しぶりにCDを借りて聞いた。

 ホルヘ・ボレット演奏する、シューベルトピアノソナタ。適当に借りたのに、とても良かった。とてもエモーショナルな演奏で聞いていて心が揺さぶられた。

 シューベルトの良さに気付かせてくれたボレットとあの人に感謝。

 ああ、そうそう、ずっと見たいのにレンタルでどこを探してもない(権利の関係らしい)スイートホームの映画版がYouTubeにアップされているってのも教えてもらってみた。

 ファミコンのおどろおどろしい、とにかく不安で怖い世界とはまた少し違った。ホラーではあるが怖がらせるだけではなく日常シーンや感動させるような演出やら、とても丁寧に作られていて面白かった。

 おっさんになると、いや、若い頃からそうだけれど、好きな物を誰かから教わるって結構難しい。そうでもないよ、むずかしくないよ、って環境にいるひとはとても幸福な人だ。

 てか、俺もそう言う人だった期間があったはずだ。知らない物に触れて見ようとする好奇心と忍耐力と勢い。特に飛び込む勢い、覚悟がいちばん大切で一番忘れがちだ。

 幸福を恐れるのは、哀しいこと愚かなこと。それをしっているのに身体に怯えが染みついている。

 でも、なんどでも這い上がらなくっちゃ、死んでいるのと同じだし、俺、楽しいのが好きだったんだそう、今もきっとそうだ。

 ずっと、小説を書けていない。借金返済と精神面の悪化でそれどころではない。何かしようにもお金がかかって、仕事から帰るとヘロヘロ過ぎて気力も体力も枯渇している。

 でも、夢をみなければいきていけない。俺が夢を見る為に必要なものは、誰かが作った作品たち。

 特に好きな宝石や毛皮や天使やヤクザ、悪意や慈悲、お祭りや花々、悪魔や供儀。下らない物役立たずな物、日常生活に不必要な、デコラティブなあれやこれやを夢想して、幸福な目隠しを俺自身に。

 最近、アールヌーヴォーの本を大量に図書館で借りて読み返している。優雅で幸福な世界。縁のない世界。そういう物に惹かれるし、悪魔のような誰か、により惹かれる。

 美しい時代、があったとして、人によってはそれが今も続いているとして、だがしかし悪魔がいた時代があったのかって考えると難しい。少なくとも俺にとっては。

 悪魔のことを考える。たまに、まれに、それに近しい存在がいたはずだと思う。ギラギラした、愚かしくも栄光の輝きについて考える。犯罪者なのか芸術家なのか、それとも誰にも気づかれずにひっそりと浄化されていったのか。

 書きたいものはまだあるんだ。そこに飛び込めるように。

 俺はラストが決められないと書き始められないので、どうしても始めるのに悩んでしまう。でも、見る前に飛べって精神もたまには。

 若くはないんだ、だが、死にそうってわけでもないんだ。

 もう少しだけ無茶しないと人生たのしくないよな。