先生、少しだけいいですか?

 所用で新宿に。昼間の、焼けるアスファルトのむせかえる悪臭に、懐かしいような気分になってしまう。mad capsule marketsのasphalt beachが頭の中に流れる。アスファルト・ビーチって、汚い都会の憩いの場って感じで、好きだ。

 持参した本へ、合間合間に目を落としていると、サングラスをどこかにおとしてしまっていて、気に入っていたものなのに、何だかちっとも惜しくもなく、探す気にもなれなかった。まだ、引越し気分なのだろうか?

 軽く読めるものを、と思い適当に手にしていたのは以前プレステで発売された『俺の屍を越えてゆけ』というゲームのリメイク記念による、製作者インタビューとプレイ日記をあわせた軽く読めるエッセイ。

 でもゲームのほうは、軽く、とは言えない内容になっている。

 時は平安時代、「朱点童子」らによって壊滅状態になっている京都を救うために幾多の戦士たちが集まり、「朱点童子」の姿を見ることもなく敗れていった。その中で一矢報いることが出来た夫婦の子供に、朱点はたわむれに二つの呪いをかける。急成長して二歳ほどで死ぬ「短命の呪い」と人と交わり子を残せなくなる「種絶の呪い」。

 ことを重く見た神々は一族に対して、神と交神して子を為す事を許し、一族は朱点を倒すまで、戦いの日々に身を落とすことになる。

 ゲームとしては「人間ダビスタ」なんて言われることもあるように、「奉納点(敵を倒して得られるお金のようなもの)」を稼ぎ、京の街に投資をして復興させながら、神と交神して強い遺伝子を受け継がせるという、まさに強い競走馬を育てるかのようなシステムなのだが、その登場人物が人だということになると、競馬にはあまり興味のない俺にも俄然やる気が沸いてくる(それに鬼を殺しまくれるゲームだし!)

 このゲームは三、四回クリアしていると思うが、毎回新鮮な気持ちでプレイできる。それは毎回産まれては死んでいく一族の子らが単にデータ上の数値やグラフィックがランダムで決まるだけとはいえ、やっぱり顔がいい神様と「交神(身もふたもない話だが、美男美女に強い神様が多い傾向が!)」したいし、子供が生まれたときには遺伝情報の強さと顔で愛着が変わるし、名前付けや職業決めも楽しいし、死ぬ時にはランダムで末期の言葉をボイスつきでしゃべってくれるし。

 それらも続けているうちに、ふと、飽きてきてしまえるし。まるで、産めよ増やせよの戦国武将のような、蕩尽と倦怠。

 そして、家系図を見られるのが面白い。普段は家系図なんて興味がないというか、それを気にする人なんて少ないと思うが、ゲーム上での戦乱の、交神の歴史は、中々面白い気分になってくるのだ。

 あと面白かったのが、このゲームをリメイク記念の一環としてBL漫画家の人がBLのレーベルからメーカー公認で出版して、しかし内容はなぜか一族の男がイケメンの男の神様と交神する内容に説明なく変わっていて、一般の読者(?)から批判がかなり出ていたことだ。

「なんで説明なしに設定を変えてまで男同士でやってるんだ!」

 と、ゲームが好きな人が手に取った漫画を読んだ際の、良心的なごもっともなお怒りが面白かった。俺も派生作品とかで設定改変とかは嫌に思う時もあるとは思うが、基本的にそういうのは別物だと思っているからか、真面目に怒っている人の素直な反応が、なんだかかわいらしいような感じがしたのだ(ゲス)。

えーと、多分、「ホモが好きなんでホモにしました!」的なのじゃないの?(ゲス)

 二十代前半位まで歴史アレルギーというか、歴史物が苦手だった。後で幾らでも改竄できるものに感情移入するというのが、いまいち分からなかったから。今も得意とはいえないのだが、多少は自分から手にすることができるくらいにはなれたと思う。
 
 でも、もっと幼いころは、単純に数字を年号を名称を記憶することが、ただ、楽しかった。

 昔は、学校は割りと好きだったように思う。学校の授業は、知らないことを教えてくれるから。社会性を身につける訓練校(要するに、義務教育)は、ゲームの世界のようでもあった。

 不自然な、工業化された、新兵の喜び。勝つこと、負けること、何だかんだ言っても
、結局は点数をつけられてしまうことの喜びと不安。

 家は割りと古い考えで、最低限の礼儀作法は教えるけれど、勉強位自分でしろというような感じで、一度も「勉強しなさい」と言われたことがない、というか、俺は勉強が好きで進んでやっていたから、というか、本を読むのが、ゲームが好きだったから。

 そんな俺も中学に入ってから、親に頼んで、期間限定ではあるが、塾に通わせてもらえることになった。幼少期にあまり自分の欲しいものを言わなかったし、今思うとおもちゃでも買ってもらったほうがよかったように思うのだが、まあ、いい。

 塾の講師は学校の先生とは少し毛色が違って見えた。先生が万能ではないことくらいは分かっていたけれど、やっぱり大人は大人で、ガキにとっては大きな存在であったのだが、先生たちは学校にいると先生らしく振舞ってしまうのだ。身体が企業の一部になる、のだけれど、後に知ることになるあの激務を「人間の身体」でこなすのは難しいようにも思えた。

 けれど、自分の仕事が、学生が好きでやっている人らは素直に好きだと思った。どんな人でも、自分の仕事なり趣味なりにプライドを持って、それを行っている人は素敵だと思うから。

 塾の「先生」達は少し違った。ビジネスライクというか、自分の仕事が好きでしているというよう感じを起こさせない代わりに、情報を教える面に関しては優秀な人が多いような印象を受けた。あくまで俺の知っている狭い世界での話しだけれど。

 その中で一人の「先生」と割と仲良くなることになった。俺は「学校の先生」と同じ感覚で、その「先生」に授業後に質問をしに度々向かっていたから。時には授業後に別の部屋で、短い授業のおさらいをしてくれることもあった。

 少しやせ気味で、少し高い鼻に眼鏡をかけた、度々苦い顔をする男の「先生」

 学校の授業では教えない範囲を教えるので、塾の授業はそれなりにおもしろかったような気がする。

 でも、別に俺は本を読むのは好きでも、「勉強」そのものに、「点数」をとることに執着していたわけではなかった。或る日の模試、そのころの俺は自分のやっつけ仕事のうまさに、勉強を完璧になめ腐っていて、その結果に体中の血が冷えた。

 なめくさっていた、なんていいわけは数字の前では通じない。俺は目の前の数字に吐き気がした。塾から駅に戻るのが怖いが、帰る場所が逃げる場所が思いつかず、駅に向かいながら、怖くなって情けなくって歩きながら泣いた。学校の成績は気にしていたようだが、元より塾に興味のない親は俺の模試の結果なんて知ろうともしなかった。

 その屈辱的な紙をどう処分したのか、俺は覚えていないのだが、少し真面目に「勉強」をすると、数字は回復した。ほっとして、がっかりした。勝っても虚しい、でも、負けるのはすげームカツクってことだ。こんなのをずっと続けていくってことだ。

 或る日、なぜだか「先生」の機嫌がすこぶる悪い時があって、先生は俺たちに「君たちは勉強ができるってことだろ、自分たちでもそう思っているんだろ、つまり君たちは臆病者だって事だ」と告げた。

 漱石の「こころ」の中の「先生」がKに放つ有名な台詞「精神的に向上心のないやつは馬鹿だ」、それが頭に浮かんだ。作中の、自分の醜さを恥じるように、目の前の「先生」も高揚して、しかし少しするとそれを散らし、隠すくらいの処世術は持ち合わせていた。

 先生が急に「子供たち」に自分の個人的な感情をぶつけるシーンは何度も体験してきた。それを全くしない先生もいたが、子供だった俺は、「先生」が理不尽な、暴力的な行動に出るというのがどうしても理解できなかった。今もそうかもしれないが、それは「金貰ってそれはないんじゃないの」というような感想だ。でも、それも俺の価値観でしかないのだけれど

 その頃には、親と約束した塾を終了する期間が近づいていて、「先生」もそれを知っていた。あの小さな事件の後も、ちょくちょく先生の元には行っていた。でも、次第にその頻度は下がっていたように思えた。

 授業の後で二人きりで話をしているときにふと、先生は「君は、続けたほうがいいんじゃないのか。辞めることはないだろう」と俺に言った。俺は正直に、微笑んで「でも親が塾が嫌いなんです」と告げた。少し反応が遅れて、「先生」は苦笑いをして
「嫌われてしまっているなら、仕様が無いな」と口にした。

 その瞬間、少しだけ「先生」が好きになって、すぐに忘れた。ガキはすぐ好きになるし、すぐに忘れる、あ、今もか。

 勉強はさほど好きではないが、嫌いでもなかったが、高校に進学すると好きなものが増え、優先順位が低くなってきた。しかしやっつけ仕事でそれなりにはできていた。なんだかんだで大学に進学し、教授に生意気な口をきいていると、飲み会の後や、研究室に本を借りに行ったとき等、二人きりになった時に、それなりに俺の放言を許してくれていた「先生」達は、俺に自分が昔なりたかったものがあるという話をした。

 それをしながらも、彼らは高給取りの自分を誇っていた。本当に、彼らは自分が尊重されないことに腹を立てていて、びっくりした。どうでもいい人にどう思われたって、どうでもよくないか、と俺は思っているし、何で他人に期待をするのか、いまいちわからなかった。

 でも、デジャ・ヴを呼び起こす、おそらくホモセクシャルではない<アカデミズム。ホモソーシャルホモフォビア>チックな、男性の小さな告白は、割と好きだったし、それを聴くたびに変な気分になった。何で彼らは俺にそれを言うのだろう? したいなら、すればいいのに。やりたかったことを。あなた方の夢がもし、あるのならば。

 でも、俺が放言を吐き続けることで、吐露の対象になれること位は当時でも理解していて、何度かきつい、というかなめ腐った発言もして、他の教授から嬉々として「君のせいで○○君は真面目になっちゃったじゃないか。すごく愚痴られたよ」と言われ、クソガキが好きなくせに、何で傷つくのか愚痴を言うのか、さっぱり分からず、それが分からないから、色々と無くして適当に、やっつけ仕事でやっていくのかなと思う。

 でも、ipodから流れる岡村靖幸の「カルアミルク」はもう、名曲過ぎてヤバイと思った。学生の頃好きで何度も聞いていた。

https://www.youtube.com/watch?v=Hc4AzxalIO0


 あの頃の僕は カルアミルク飲めば赤くなっていたよね

 今では仲間とバーボンソーダ飲めるけど 本当は美味しいと思えない

 電話はなんかやめてさ 六本木で会おうよ 

 今すぐおいでよ 仲直りしたいんだもう一度カルアミルクで



 この曲も、カルアミルクも、大好きだ。俺も顔が赤くなってしまうから、甘いカクテルばかり飲んでいたし、どうでもいい人ばかりと会ってきたけど、仲直りしたい、電話なんか止めてさ、新宿あたりで会いたい人のことを、ふと思う。

 岡村ちゃんのトリビュートアルバムの題名は、この曲の歌詞にもある「どんなものでも君にかないやしない」という題名で、とてもいいなあと思った。もちろん、中身も。俺が仲直りしたい友人は、岡村ちゃんの「カルアミルク」を気持ち悪いと言っていた。そこがいいんだろーが!と俺は言ったが通じなかった。それでいい、でも、もう一度くらいあいたいかなと会うはずのない人のことを、無くしてしまったサングラスのことを思う。