いつまでもメロドラマの中にはいられない

九月から新しい仕事が始まる。厳しいという説明は受けているし更新は一ヵ月ごとだし、不安しかない。それに八月は20日位までひたすら薬を飲んで寝るだけという堕落した生活を送っていた。

 さいきんやっと頭が回るようになり、音楽やら映画やら本やらを消費できるようになってきたが、その分焦燥も強い。

 鬱で動けなくて時間を無駄にして、躁や不安でギャンブルに熱中して人生を駄目にする。

 この愚かな生活からどうしても抜け出せない。でも、やることをやるしかない。もう、若くはない。空元気を出してやっていくのも限界がある。やらねばならないことは山積みで途方に暮れるけれど、少しずつ片づけなければ。

サントリー美術館『虫めづる日本の人々』見る。草花を描いた絵は数あれど、俺は今まで虫に注目したことはなかった。よく見れば草木に多くの虫が描かれている、のだが古すぎる絵画を硝子越しに見ると俺の視力ではかなり分かりにくい。レンズで見ている人もチラホラいた

背景の一部と言った立場から脱してきたのは、町人文化が盛んになった江戸時代あたりからのようだ。貴族やらの季節を感じる役割、吉祥図案としてよりも、身近な存在として描かれている。あまり本展には関係ないが酒井抱一朝顔図』が良かった。垂れる蔓の構図も人工的な朝顔の青もとても良かった

サントリー美術館は広々としていて、薄暗い照明(明るい場所は明るい)等雰囲気にも気づかっていて、行くたびに気分がリフレッシュできる。

 俺は画家の生の画の力、マチエール、筆致、印刷ではつぶれてしまう色合いや筆遣い等を見に美術館に行っていると思う。だから、古すぎる画だと、状態が悪いし俺は目が悪いしあまりよく分からないのもちほら。あと、絵巻物や書の類も、書いている人の個性、作家性がよくわからないものがちらほら。なので、今回の展示は数百年前の作品よりかは、江戸あたりの作品方が楽しめる物が多かった。

 匿名性が強いというか、アカデミックな立派な画もそうだし、当時としてはきちんと描かれている作品(史料価値が高い、或いは作品の写実性やクオリティが高い)よりも、誰かの、画家の作品が見たいなあといつも思っている。

雑記。

超久しぶりにCD借りて、適当に選んだマガジンという80年代に出したアルバムがベルベットっぽくてとても良かった。調べたら俺の感想と同じくそういう評価で一部で大人気らしい。そんなのばかり、十代からずっと好き。年とって駄目になってるのに、心を揺さぶるのは同じけだるさ。哀しくて少しだけ嬉しい

 パンクニューウェイヴエレポップサイケオルタナ音響派 とかそういうの、高校の頃からずっと好き。今も好き。歳だけは取って、昔の素晴らしい曲を聞いて虚しさと心地良さが沸き上がることがある。でも、彼らの音楽は乱暴でエモーショナルで優しい。

『地獄絵』読む。地獄の紹介と、人間界においても 不浄、苦、無常により苦しみは終わらず悟りの道を歩むしかないと『往生要集』は説いているそう。一番上の天道の天人にもやがて五衰が訪れ、天道以外に転生しないことを願うしかないとか。悟りにより輪廻転生から脱せないとそれは続く、という教え

様々な国の宗教が死の恐ろしさやそこからの解放、救いを説いているのは面白いなあと思う。ちなみに、多苦悩処では男色をした者が落ち、かつて関係を持った相手が現れるが、それを見ると身体が焼かれるように熱くなり、近づいて抱きしめると灼熱の炎に包まれて死ぬ。

生き返ると相手から逃げるが、崖から落ちて猛獣に食い尽くされる。 そうです。ビーエルの題材にいいと思った俺は、衆合地獄(盗み、邪淫に墜ちた亡者が墜ちる地獄)行きかもしれません。生まれ変わりは信じてないので、現世ではなるべく楽しもうと思います。

『イラストで読む印象派の画家たち』読む。その名の通りの本で、知ってることも多いのだが、イラストや作品紹介が多くて分かりやすくて良い。モネに屋外での絵を教えたのがブーダンって知らなかった。後モネが亡くなりその黒い柩に、クレマンソーがモネに黒はダメだと花柄のカーテンかけたとか、泣ける

 若い頃は軽んじていた印象派なのに、今はその良さがすんなりと身に染みてきた。というか、ゴッホが前よりももっともっと好きになってきた。俺も彼みたいな油絵具で厚塗りしたいなあ。金の関係で無理かな。

数年ぶりにサーティワン買ったら、袋にドライアイス入れてくれた。 超テンション上がって家の花瓶に水入れてぶっ込んだら煙超出てすごいぜ! でも、床水浸しになっていて慌ててタオルでふいた。数分でブクブク弱くなった。悲しい。ずっとブクブクしてほしい。

映画『悪魔の美しさ』見る。ゲーテファウストを下敷きに、ルネ・クレール監督が映画化。老教授に悪魔が誘惑をして、それに乗って若く美しい若者になるファウスト。金を作り上げ成り上がるが……フランス映画らしきロマンス民衆の反逆純粋な魂の勝利!といった王道展開なのに見ていて飽きないのは

監督の力量に拠る所が大きいと思う。悪魔がいなくなったファウストの姿になって現れて契約を迫るという流れが自然でうまい。テンポ良く進むし、構図も堅実で見ていて安心感がある。文芸映画としても娯楽映画としても良くできているなーと一々その上手さに楽しませて貰った。

ダグラス・サーク監督『自由の旋風』また見る。ストーリーサッパリ忘れてるのに、映像の美しさで記憶が蘇る。1916年アイルランド、地下組織の独立運動が行われていた。主人公は血気盛んな若者で、奪った金を活動資金にしようとして、追われる身になる。その際独立運動の闘士と知り合いになる

彼は賭博場を経営しており、その勝ち気な娘と惹かれあい、補佐役として成り上がるが…… 実際の史実を元にしているからか、話は生臭く、ラストで主人公は脱獄には成功したが、その際に死んだということになっている。だから追っ手から逃れ、かりそめの平穏が訪れた(革命成功とかいうラストではない)

話はラストまでみると多少は突っ込み所のあるテンポの良いご都合主義的な物もあるのだが、そんなの全く気にしないでいい、美しいロケーション、衣裳、構図!勝ち気な娘が主人公に惚れたのを父に告白したら、破天荒な父のくせに反対して、それに平穏な男なんて嫌と言って笑い抱きしめ合うシーンが好き

本当にメロドラマの巨匠という名に相応しい、素晴らしい監督、映画。独立運動やらの知識が無くても最後まで見られるのは、めちゃくちゃ構図が美しいから。画面の中で人が動いているのが感動的なのだ。映画ってこういうことだって感じる。サークの映画は『悲しみは空の彼方に』位しかストーリー

として大好き!というのはないのだが、それでも見てしまう、見て感動してしまうのは、美しいから。絵画の構図のようなシーンの連続は、飽き性の俺を画面に釘付けにするのだ。

 あまりにも素晴らしい映画を見て、自分の人生のスカスカっぷりに自己嫌悪がわいた。俺は、誰にも求められず読まれない小説をあといくつかけるだろうか?(小説自体は書きたいのが二作品ほどある)

 頭や身体が駄目になってきていて、働くのも難しい(一応できるが)となると、色々と諦めねばならないとか単にやる気が出ない。お薬を飲むと、大抵躁や不安は抑えられるけれど、やる気、創作意欲や感受性がなくなる。

そうまでしていきたいのかなって、十数年何度も自問自答しつつ、日々を溶かしている。

 でも、今の俺にできることは誰かの作品を見ること。そして、何かを作ることができたら。