泥の中から病巣も花園も

 気持ちがとても沈んでいた。やりたいことは分からないのに、不安ばかりが増える。毎日、数十分、数時間ごとに気持ちがぐらついて辛い。生きていてこんなのばかりなんだって、改めて感じると、もう、駄目だ。

 薬を飲んで寝る。こういう誤魔化しで、目隠しで、どうにかなるのか。ただ、頭と体が駄目になっていくのを見て行くだけなのか。でも、抗いたいんだ。そうじゃなきゃ、死んでいるのよりも哀れ。

 

 

静嘉堂文庫美術館で能面見る。能を見たのは中学生ぶり。服と同様、人が身につけて初めて真価を見せる物だと思うが、現物をゆっくり見られて良かった。初期のプリミティブなデザインが特に好み。解説と共にじっと見ると、能面(若い男役の)にも色気というか、品があるように見えるから不思議だ

恐ろしい姿をした面も、一つの面でいくつかの配役を兼ねる(場合もある)らしい。鬼にも物の怪にも神にも精霊にも変化する、それを受け止める面。それに演じるひとが介在するとなると、シンプルな意匠の方が映えるのだろうか。駅から遠い(スマホナビありで徒歩30分。帰りは15分)けど、行って良かった。

てかさ、やっぱり現物は生々しさがあってさ、それはどんな高性能のカメラでも動画でも伝わらない。俺が現地のオーロラの美しさを知らないような感じ。剥落やヒビ、というのが大好きなんだ。年代を経た物が持つ魅力。千年以上前の美しさを感じられる幸福。

 会場は狭く、展示の数も少なかったが、そのおかげで三周もできた。じっと、能面を見ると、その微妙な色遣いに官能を感じた。一番初めに展示されていた、伎楽面というのがとても良かった。七世紀、中国から日本に伝えられた仮面劇。元々仮面が好きなのだが、人のような肌をしているかのようだった。存在感があった。生々しさがあった。剥落さえ人間の老いの証の様に見えたのだ。

 こういう作品を見られて感じられると、自分が生きていて良かったと思えるんだ。少しの間だけ。少しの間だけだけれど。

 でもすぐに気持ちは落ちて、数日後の休みに何とか青山ブックセンターに。いっつも、高い外国のファッション誌や写真集を立ち読みする。本当は買ってお店に貢献したいんだけどね。欲しいのは高いんだ。それに図書館で借りて読んでない本が、他にも読んでない本がたまっているんだ

 ふと、棚から手にしたラリークラークの第一写真集TULSAを手にする。初期のラリークラーク大好き。どうしようもない空気がある。どこにもいけない駄目な若者たち。

 値段は4500円位で、あれ、俺が買った時はその半額位だったよな、とアマゾンで検索すると、半額位で今も買えた。そして、おれがその写真集を購入したのは十年前だと表示されていた。

 十年前の俺と、今の俺はほとんど変わっていない。でも、年老いて、色々と駄目になって行っている。二十代の頃はなんとかなるっておもっていたけど、なんとかならかった。でも、生きているんだ。

 ただ、二十代の時よりも色んな表現、芸術への理解、感応は広がった。小説も今書いている方が好きだ。俺は俺が書いている小説が好き。それだけで、今生きている動機になる。でも、これはヒロイックで大袈裟なことではなくて、その位自分には持ち合わせや頼りになる物がないって。それだけのことだ。残念。

 

映画『プロメア』見る。前にみたキルラキルが面白かったから、期待していたのだが、期待以上に面白かった。ド派手でぐりぐり動くアニメーションに王道ストーリーが熱い。ゆらめき広がる炎、四角形が増殖する氷の表現の対比が良い。後半はそれらが混じり合いエネルギー体みたいにもなるし、

見ていて飽きないんだな。最新のアニメの力ってパワフルだって思えて楽しかった。ただ、レビューを見ると、この監督の作品のファンからは賛よりの賛否両論みたいだった。普段あまりアニメ見ないから、熱心なアニメファンの不満は見ていて興味深かった。俺も自分の好きなのにはつい色々言いたくなるんだ

 

 

ずっと見たかった、映画『狂つた一頁』見る。1926年の映画なので、どうしても仕方が無いとは分かるのだけれど、色々気になってしまう。構図もライディングもかなり……モノクロ映画大好きなんだ。俺はモノクロのハイコントラストなのが大好き。でも、仕方ないけど、ぼやけるしチラチラするし

画面も締まりが無い構図が多い。でもね、面白かったんだよなー。特にラスト10分の車、白い花(外の情景)お面(能面?)とか、たまに、はっとするような表情を見せる女性。優れた作品だと思うが、(年代的に仕方ないけど)ボケボケな画面だから手放しで褒められない。でも、見られて良かった。

A・A・ミルン作 E・H・シェパード絵『クリストファー・ロビンのうた』読む。有名なプーさんの作者が、自分の息子に向けて書いた詩集。とても良い。リズム感のある文章と好奇心旺盛な子供の視線があって、子供でも大人でも楽しめる。挿絵もとても良いしこの本に合っている

『レオナルド・ダヴィンチの童話』読む。ダヴィンチはスゴイと思うが、特に好きという訳ではなかった。でも、籠に掴まった小鳥に自由がないと毒を運ぶ親、炎に惹かれて身を焦がし死ぬ蝶、岸辺の百合に恋した水は百合を溺れさせる、等々ユーモラスなのもあるがハードで自然の光景に引き込まれる

童話っているのは、世間や自然の豊かさや厳しさ残酷さを伝えるものかもしれない。それを考えるとダヴィンチの童話はとても良くできていると思った。

ダイの大冒険の新しいアニメ見る。懐かしさと共に新しい画面が楽しい。アニメに詳しくないしたまにしか見ないので、技術の進化に驚く。一部3Dモデルみたいなのが主流なのだろうか。公式で見られたから、アイドルマスターのジュピターの話を見たら、30分で見せ場詰め込んでいてとても面白かった

少し前のアニメ(映画?)だと思うが、ライブシーンの演出も良かった。でも、ライブシーン、キャラが歌って踊るのって手描きで描くのはもう金銭的に現実的ではないのだろう。アニメに詳しくない俺は、ジブリやディズニー映画のアニメーションが好きだ。それはお金と時間をかけているからか、

キャラクターがちょこちょこ余計な動きをするのだ。それが見ていて目を奪われるし楽しいのだ。ヌルヌル動くってやつ?でも、お金か時間がないと余計な動きを与えるのは難しいはずだ。見る方としては知らない、或いは生き生きと「動く」のを見るのが楽しいのだ。

ふらりと入った古書店で、棚に並んだ上田敏海潮音』の値段見たら、初版六万五千なり。こんな高いんか!ちなみに同じ店に文庫版あってこっちは二百円。プレミア古書の世界は分からん。マラルメの本もあって、こちらは一万五千なり。うわ!安い!ってなるか!俺の目玉三千個売らなきゃ買えない

植田正治写真の作法』読む70,80年代にカメラ雑誌に書かれたエッセイをと集めた一冊。長く続けているカメラマンといったら曲者のイメージがあるが、丁寧で腰が低い文章!それでいて野心は捨てていないし自身をアマチュアと言いアマチュア=挑戦者の諸君へ呼びかける文は熱く今読んでも読み応えがある

 

藝術新潮編集部 編『萩尾望都 作画のひみつ』読む。原稿やクロッキーが見られるのが嬉しい。絵の繊細さは勿論、インタビューにて彼女が「読みやすい漫画」を描こうとしているのがよく分かる。細かい描写でも、よく見ると全体が調和していて理解出来るのだ。後、初期の瞳の円形白抜き表現好き。

 

 

タイムラインにポロックの名前が出てきて、少し懐かしい気持ちになる。抽象画で一番有名なのは彼だろうか。有名な作家の作品は画集や展示に出会える機会が生まれる。でも、資金難で、ニューマンは高額で身請けされた。サイ・トゥオンブリはまた見たい。クリフォード・スティルは現物を見たことがないな

 好き、な気持ちが、感受性が摩耗して、不安ばかりが病巣が花園になるならば、俺はもう駄目なのかなあと思う。まあ、だましだましやっていっているんだきっと、みんなたぶんそれなりにきっと。

 最近は小説を書いていないから、それも精神的に沈んでいる原因だと思う。でも、力がないと残酷や輝きを精緻に捕えようとする気すらおきない。

 こういうどうでもいい言葉を吐き出すことで、少しずつ泥の中を泳いでいけたらな。いいんんだけどな。

冬の入り口で少し

夜、少し窓を開けるとひんやりした空気が部屋に入ってきて、吸い込むと真夜中の温度。そのまま寝てしまって、目覚めると布団をかけているのに程よく肌寒く、異国の温度。毛皮が欲しい。毛皮を着て、寒い風を全身で受け止めたい。

 後二ヵ月で今年が終わると思うと、何だか何もしていなかったような気がしてしまう。コロナ騒動と、新しい職探しでかなり負担が大きかった。それでも、一応自分の小説を書き終え、新しい小説もちょいちょい書いていることを考えると、自分なりにできてはいるのか、とも思う

 俺は色々と問題やら不安やらが多く、常に自分のあれがこれがそれが出来ていない、と考えてしまう性格で、その判断が正しいとしても、あまり自分を苦しめて疲れてやる気がなくなるというループは止めなければと思う。

 あと、どの位頑張れるのか、と頻繁に思う。早く楽になりたい。そんな思いを振り払うのは、外に出るのがいい。何も解決しなくても変わらなくても、音楽を聞きながら歩いている時間は幸福なのだから

久しぶりにDir en grey聞いたらめっちゃ上がる。90年代V系の密室暗黒血鎖翼退廃薔薇天使とても健康に良い。プラスティックトゥリーや黒夢やラファエルとか今も好き。大袈裟で攻撃的で装飾過剰は人に幸福をもたらす。

ラファエル聞くと失われた天使が補充される(?)
天使力高いバンドは他にいるのかな。是非、ミカエル ウリエル ガブリエル。メタトロンサンダルフォン君たちは神様の奴隷なんて辞めて、哀れな子羊の為にお化粧バンドデビューして欲しい

雑記

 

泉鏡花作 金井田英津子画『絵本の春』読む。泉鏡花が語る、日々の生活に潜む怪異、幽冥。魅惑的で怖ろしい瞬間に瞬間に立ち会ったと思ったときには、それらは奇術のように姿を消してしまうのだ。金井田英津子氏は知らなかったのだが、鉱物のような静けさを持った画でとても良かった。手軽に楽しむ怪奇

 泉鏡花は本当にいいなあ。でも、読むと体力が持って行かれるので、さくっと読める短編はとてもありがたい。泉鏡花は、二十代の頃食わず嫌いしていたんだよなあ……もったいないことをした。って、今も読んでいない作家リストが沢山……それを消化する作業を思うと楽しくもうんざりする。

一生、読んでいないリストを積み上げ続けるのか。

 

いしいしんじ『みさきっちょ』読む。著者が三浦半島のさきっちょ、港町、三崎で暮らした記録。三崎の人達が、街を生活を楽しんでいるのが分かるから、読んでいて豊かな気分になった。どうしようもない人も、どうしようもないことも受け入れる寛容さ。生活と出会いは人を強く、優しくする。

 昔いしいしんじ町田康が本を出していた。いしいしんじ町田康も、人がいいなあと思ったんだ。これは誉め言葉だ。彼らの真面目さ素直さはっちゃけっぷりが、人をひきつけるし、いろんな出来事に参加するんだ。

 ただ、俺はむやみやたらに神経質でぐらぐらふわふわいらいらしていて、そういう人の文章やら作品やらが一番好きなんだ。今生きている映画監督で言うと、ゴダールとかハネケみたいな。めんどくさいジジイの作品が胸に刺さる。

 本を読むのだって、一応交流ではあるけれど、誰かとの交流を気軽にしている(ように見える)というのは、すごいなあと思う。自分にはできない、と思い込んでいること。

 根性ひん曲がったおじさんたちの作品が好きだけれど、健康的に生きて正常な判断力で作品について考えたり作ったりしたい。困難だけれども。

映画『25名画の秘密』見る。有名な絵画を数分で、早めのテンポで紹介。一部を強調したり、題材を消したり浮かび上がらせたり、映像で見るべき点や主題についてレクチャー。高校の美術の授業の前に数分間流せばいいのでは?と思った。日本のそれとは違い、余韻より効率!な感じで好みは分かれそう

『ドイツ菓子図鑑』読む。お菓子のレシピと写真が載っているが、図鑑ということで、お菓子の由来も記載。

ドイツのフレンチトーストはアルメリッター 貧乏な騎士

ゲッターシュパイゼ 神々の食物 と言う名前でシンプルなゼリー


リーベスクノッヘン 直訳は愛の骨で エクレア 読んでいて楽しい

八雲立つ出雲』読む。写真を植田正治、文章を古代史研究家の上田正昭が書く。神秘的な写真も素晴らしいが、神話と現実を通じる道を開く文章もまた良い
海からきて海へ去る神々が出雲神話には語られている。夜見(黄泉)のくににいたる入口は海辺に求められている。神が訪れるのも人が死んで赴くのも海

 

ドキュメンタリー映画グレン・グールド エクスタシス』見る。クラシックに詳しくないのだが、集中したい時は、グールドのバッハをかけっぱなしにしている。彼が歌いながら鍵盤の上で手を踊らせる姿を、映像として見られたのは嬉しい。学生の頃は、彼のCDを聞いて唸り声が入っていて恐いと思った

年をとり、色々聞いてそれなりに音楽には詳しくなったが、クラシックは鬼門だった。名前が覚えられないし、飽きてしまうのだ。そんな集中力のない俺が大好きになったのが、バッハ、そしてグールド。彼に関する本は沢山出ているが、読んでいない。クラシックの知識も情熱も欠けている。いつか読むのかな

高峰秀子 松山善三 著『旅は道づれツタンカーメン』読む。女優とシナリオライターの夫婦の、旅行記。軽快な掛け合いが楽しい。エジプト、ということで生死や生まれ変わりやら猥雑な町等に二人は思いを馳せる。対照的な所もあるが、二人は互いに強い敬意を抱いているのが伝わり安定感があるのだ

 

筒美京平の訃報を聞く。悲しい。
スーファミいただきストリート2は、全曲筒美京平作曲なのだ。ものすごく豪華だなあ。そして、捨て曲なんてなくて、何度聞いても飽きない。とびきりポップでちょっぴり切ない彼の曲は、日本人好みの楽曲のような気がする。

 冬の入り口で少し戸惑う。毛皮のことを体温のことを思って触ってやりすごしていかなければ。

けだものよ、一時の安らぎを、鎮痛剤を幻覚剤を。

かき終えた小説を見直し、応募する。俺は色々と雑なので、読み返すたびに細かい間違いに気付く。というか、大なり小なり差はあってもプロアマ問わずそうらしいんだけども。

 小説を書き終えてほんの少しだけほっとしても、それが俺に何かの余裕をもたらしてはくれないのだ。でも、俺は書く位しか楽しみがないのだ。だから書き続けなければ。

 とは思っていても、思うように書ける日の方がはるかに少なく、毎日のように書かなければとかどうかこうか等と思いながら、いらいらそわそわ

 疲れたまま、銀座で映画『ワイルドライフ』を見る。森で暮らしていた家族だが、母親が生活に嫌気が差し、子供を連れて実家に戻る。その後親権は母親へ。母親は1週間の約束で、父親に二人の息子を預けることになるが、そこから親子の逃避行が始まる。登場人物を画面中央に配し寄りのカメラで写す、という構図が続き、

見ていてとても疲れるし、辛い。幸福なひとときよりもずっと、トラブルが多いのだ。親子で罵り合い、逃避行では様々な人とも問題が起きる。ラストシーンでは泣いてしまった。人物の表情をずっとうつし続けていたから。争いばかりなのに、争いたくないのだ。でも、どうしようもないのだ。それが伝わる。

前半で、子供を奪われたエゴイスティックな父親が、妻の実家の前で大声で子供を呼ぶシーンがある。父について行くことになった男の子が放浪生活の中で十年たち、窮屈な生活から親に反抗する。

 彼はガールフレンドになった街のお嬢さんに、放浪生活での重ねた嘘から、不審に思われてふられてしまう。その時に、反抗していた父の様に、恋人の家に忍び込み、同じように大声で名前を呼ぶのだ。

 何度も、彼らは家族で罵り合い、名前を呼び合う。とても辛い。映画の手法としては、正直一発アイデア勝負的な見づらさ(ほとんどずっと寄りの画面ばかりなのだ)があるので、映画として「美しい」とか「高得点」、とは思わないのだが、それでも俺はこの映画がとても心に残ったのだ。好きなんだ。閉塞感不安感を感じたのだ。そして、交差するぶつかり合う愛情を。

見ていて、今の自分の様々な嫌なこと心配ごとを思い出してしまった。俺の生活も一時の幸福を鎮静剤にしている、逃避行のようなものだ。ずっと、逃げ続ける人生。

見た後すぐ、同じエルメスで『ベゾアール(結石)』シャルロット・デュマ展見る。結石は、動物の身体に形成される凝固物。まんまるで白いそれを、人はお守りにしたり、神秘を見いだす。北海道から沖縄の与那国島まで、人と馬との共生の姿を捉える。馬の表情を感じるかのような、写真がとても良かった。

 写真集が欲しくなるくらい、馬が可愛らしかったのだ(今回会場で販売はしていないようだった)。たまたまだが、俺は朝完成させた小説で、主人公の少年が知り合いになった外国の少年を「馬みたい」と褒めるシーンを書いていたのだ(馬みたいと言われた少年は当然なんだこいつ、みたいな反応をするのだが)

 主人公の少年にとっては、馬は優しく気高い存在で、体温、平熱が人間より高い、獣の温度を持っていた。だから、外国の友人をそんな風に褒めたのだ。

 幻想の中の馬。それも素敵だが、この展示を見て俺も馬が触りたくなった。この展示では、馬の「表情があるかのような」親密な写真が並んでいて、素敵だった。

 俺は犬猫大好きだが、犬猫などに「哀しい顔」をしている、という見方は嫌いだ。人間が勝手な自己投影をしているように思えるのだ。動物は人間の感情からは自由だ(或いは人間とは違う価値観で活きているのだ)。それを矮小化しないでくれ、と思うのだ。

 マーク・ロスコの抽象画に感情移入しているひとが自慰的に見えてしまう、ということが想起され、それは大学時代から俺が思っていたことで、山下裕二が著作で似たようなことを言っていてびっくりしてちょっと驚いた。でも、誰か、と同じようなことを考えるなんて感じるなんて、ちょっと長く生きていればよくある話だ。

 でも、俺のこの身勝手な感情を共有してくれるような友は、俺には現れないだろう。

 マーク・ロスコの抽象画は嫌いなのに、ポロックやダン・フレイヴィンやサイ・トゥオンブリのそれはとても好きなのだ。

 こんなことばかり考えていて、こんな話を気軽にできる人なんているわけないので、俺は黙るようになっていて、こういう場所でどうでもいい独り言でさえ、口を噤もうとしている。

 でも、喋らなければ、生きている意味がない。誰の人生だ?

 俺のだ。だから、何も手ごたえが無くても、俺は書き続けなければ、喋り続けなければ、死んでいるのと同じだ。

 だけどさ、こんな生活をずっと続けていると、おかしくなるんだ。早く放浪生活綱渡り芸人終わりにしたくなる。

 けだものよ、一時の安らぎを、鎮痛剤を幻覚剤を。

 自分が幸福な生活をおくる、というのにまるで現実味がない。だけどさ、それから目を背けることはしない方がいい。誰かの作品を見て、触れて、動物の植物の鉱物の、人の運動を生命を感じて、感応できるように。俺は、それが好きなんだ。

 雑記

11月に新宿TSUTAYA歌舞伎町店が閉まるって。そんなに広さはないのに、結構マニアックな、古い映画のラインナップが揃っていたのだ。このご時世仕方ないのかもしれないが、残念。ありがとうございました。

過小評価されてると思う私的に最高な邦楽
ふぇのたす/胸キュン’14
桐島かれん/ディスコ桐島
空気公団/「ここだよ」
清水愛/発芽条件M
田島貴男長岡亮介/sessions
桃井はるこ/momo-i quality
plagues/california sorrow king
ceiling touch/into U kiss
de de mouse/dream you up

過小評価、の基準がよく分からないので単に自分の好きなアルバムになってしまった感が……既に評価されているとしても、個人的にもっともっと!なアルバムを選んでみた。

大村しげ『しまつとぜいたくの間』読む。大正生まれの著者が、京ことばで京都の暮らしや食べ物のことを綴る。親から受け継いだ古いしきたりを元に、送る日々の生活は読んでいて心地良い。それは著者の親や自然への深い敬意を感じるから。手間をかけて質素に見えても良い食べ物をとる。耳が痛い。

『メットガラ ドレスをまとった美術館』見る。メトロポリタン美術館で年に一度開催されるファッションイベントを追ったドキュメンタリー。作り手のラガー・フェルドがファッションはアートじゃないと言ってるのに、周りのキュレーターやらがしきりにファッションはアートだって主張するのがうわーって思っていた。でも、映画自体は豪華な顔ぶれに衣装、中国をテーマにするからウォン・カーウァイに依頼等見どころ多数だし、ごちゃごちゃ考えずに見ると、楽しい。

シェリーのブラックリーフトゥリーの食器がとても欲しい。価格は二万ちょいなので買えないことはないのだが……他に買いたいものあり過ぎる。ふと、何でこのデザインが好きなんだろうと思ったら、チェルシーの黒地にカラフルな色使いも好きだと気づいた。上品なレトロモダンな雰囲気が素敵だ。

チャールズ・シミック詩集『世界は終わらない』読む。シニカルでユーモラスな老人の戯言のような、賢しげで夢想好きな少年のような語り口。神話も著名な作品も戦争も汚い景色も、ふっと顔を出す。作者の夢や悪夢や白昼夢のコラージュが、うっすらと短編小説のような輪郭を与えるようで、面白い

大村しげ『京暮し』読む。著者の京都での日々の暮らしを綴った、暮しの手帖の連載をまとめた一冊。京ことばの語り口とオノマトペの多い文章は食べ物がとても美味しそう。

聖護院かぶらは、たたくとポカポカという音がして、包丁をいれるとピシッと割れるくらい肉がしまっている。」

ダーティペアのオープニング。
名前しか知らずにたまたま見たけど、めっちゃ動くしセンス良くてかっこいいな! この頃の昔のアニメの雰囲気めっちゃ好き。黒地にカラフルなモダンイラストのアニメ版というか、くすんだパステルカラーと背景やモブ塗りつぶす感じの好き

コーネル・キャパ写真集『われらの時代』読む。有名な兄のロバート・キャパの弟。兄の他の写真家へのアドバイス「相手に好意を持て、そのことを相手に分からせよ」という精神を、弟の写真を見ると感じる。様々な国や立場の人々の生き様、息づかいを感じられる写真集。

藤異秀明『武狂争覇』読む。めっちゃ面白い。超ハード(ボイルド)少年漫画。アメコミのような迫力のある構図と、SDキャラのようなキュートさを兼ね備えた血みどろバトル出血大サービス! 一気に読めちゃうスピード感は、昔デビチル漫画よんだことを思い出した

 漫画版のデビチルのハードな展開はとても好きだったから、それがリニューアルして帰ってきたみたいでわくわくした。久しぶりに少年漫画(?)読んでわくわくした。本当は読みたい本沢山あるけどさ、巻数が出まくってるとね、気軽に手が出せないのだ。

 人生は続いてしまう。幻想の馬を輝かせるために、馬にけだものに会いに行きたいし、いかなくっちゃな。

だって、感受性全開

結構疲れている。疲れているということを認識して、回復しなければ、と思う位には元気になってきたのかもしれない。

 小説を書かなければと毎日思っているのに、できていない。しかも、小説を書こうって思っている時は、他人の小説が読めないのだ。他人の創作物を読むというのは、その位力がいる作業なのかもしれない。

 それでも、何も目標がないよりかはましだ。目標、手に入る、手が届くものといえば、最近植物を育ててみたいと思っていて、ズボラな俺でも育てられそうなのを探すとミントが良さそうだと思った。俺はチョコミントは好きではないが、ミントの香りは好きだ。

 でも、鉢を植え替える? 土を買う? というのがどうもわからない。店で聞いて買えよ、って話だが。

 最近結構やばい位お菓子を食べている。ストレスや疲れているとお菓子食べまくってしまうのだが、結構まずい。体調的にも金銭的にも。急に止めると反動が来るから、徐々に減らしていけたら。ガンガン食べてガンガン動いて夜は寝る、なんてのが理想だけど、実際はガンガン食べてもガンガン動いたり寝たりはしていない。

雑記。

映画『ティモシー・リアリー博士の生涯』見る。LSDで内なる意識に目覚め、自由を得ることを主張した博士のドキュメンタリー。大学の頃本を読んだ。内容は忘れた。ス⚪リチュアルではないから、博士の主張は荒唐無稽ではない。正しさや快楽のムーブメントが生まれては消えるのを見ると、歴史を思う

三好一『モダン絵封筒の世界』読む。メールはないし、電話も気軽にかけるものではない時代、文通は人々にとって一般的な手段だった。ロマンチックな絵葉書や封筒は、送る方も貰う方も楽しいものではなかっただろうか。だれかに文章を送る機会には、素敵な柄を贈りたいと思える一冊。

ドキュメンタリー映画マティスピカソ 二人の芸術家の対話』見る。二人の交流や作品を、近しい人達の証言と共に辿る、正統派ドキュメンタリー。二人の熱心なファンではないのだが、生涯作品を作り続けた芸術家の生き様は見応えがある。好きなことを続ける人は困難だが、とてもかっこいいのだ。

藤異秀明20年記念原画展が大阪でやるって。関西の人が羨ましいデビチルの漫画大好き。
おおかみさんのコピー、

永遠の小学生の皆様!

って素敵だ。キュートも狂気もある漫画、血みどろもサービス!

 デビチルの無印のゲームや漫画好き。アトラス、メガテンらしいダークな展開と子供向けのキュートなの、どちらもあったから。原画展行きたいけど、さすがに関西は無理だなあ。

 でも、ふと思ったのは、好きな人の作品を「生」で見ると、時折、本当に満たされた気持ちになるってことだ。美術館に行った時に、たまにこの幸福な現象に出会うことがある。

 たまに、もう駄目だって思う。でも、それを先延ばしにしてくれるのは誰かの、誰かの作品との出会いしかないのだ多分。

『東京モダン建築さんぽ』読む。モダン建築の見どころを、見たこともない形、素材そのものを生かす、パターンの繰り返し、人の動きを考えられた空間性(凝った手すり)といったキーワードで説明。建築に明るくない自分でも分かりやすく、建物の魅力に気づく。たまに目にしていた景色の新たな顔を知るのだ

 正直、建築の良さについて、俺はよく分かっていない点が多い。好き嫌いはあるが、具体的に言葉で語れない。でもこの本を読んで、好きになる見方が広がった気がした。特に空間性、人がゆったりと感じられる身体性ということを考えて建築を見てこなかったから、これからはその点も感じられたらと思った。街のいつもの空間が少し変わるんだ。素敵なことだ。

ツイッターの動画で、燃えるような赤毛の狐を見た。とてもかわいい。欲しい。似たような体格の、犬猫狐、全て歩き方が違うしみんなかわいい。毛皮を着た動物はどれもこれも好きだ。今日フィナンシェを食べたら美味しかったから、毎日狐にフィナンシェを作ってもらいたい

いしいしんじ『きんじょ』読む。三人家族の日常エッセイ。これがとても面白い。大人の作者も、小学校にあがる息子も好奇心旺盛、毎日のように、はじめて、に出会う。様々な登場人物も魅力的で、これは作者の瞳を通した風景や人物に呼応しているようだ。きんじょ、でも大人でも子供でもワクワクできる。

『世界のかわいい小鳥』読む。普段肉眼では、はっきりと見られない小鳥の姿が見られる。美しいカラフルな姿を見ると、生きるには目立たない方が良いような気がするが、見る方は有難い。たまたまだが、四枚の写真似たような構図の白と青。ぱっ目についたので自分の好みが分かるなー。

 いしいしんじの小説は、少し合わないかもしれない。でも、彼のエッセイは好きでたまに読む。中でもこの本はとても良かった。ああ、彼は、彼の家族や「きんじょ」の人達は世界に自分たちが開かれていて繋がっているんだなって感じられた。素敵なことだ。だって、感受性全開だ。

 だから、俺は彼の小説を読む気になれないのかもしれない。だって俺の好きな小説や俺が書いている小説は、エンタメ性物語性がある(と思っているし、すぐれた作品は大抵そうだ)けれども、狭い世界の出来事への逃避や憧れやオブセッションから生まれている物が多い気がする。世界と友達になれていない人間の小説。

 楽しそうな人達を見て、ああ、俺とは違うのだと感じることがある。卑屈や皮肉ではなく、生き方の問題だ。人生の色んなことよりも、神の存在や塵芥タトゥー宝石まがい物、好きなんだ大切なんだだから、生活はうまくはく行かないんだ。

 でも、楽しそうにしなかったら、つまんない。俺はいろんな人たちの様には生きられなかったけれども、忙しさや不安で楽しみが霞まないように。なんどでも思う。

 感受性が遊べるように。それを思っていたら、案外うまくいくんだって祈って思って。

希死念慮が揺籃なんて 戯言はやめて

数週間前に比べたら、大分調子が上向きになってきた。俺の上向きってのが、多分元気な人の普通かやや気分が優れないって感じだと思うから、順風ってわけではないので頑張ろう、

 って思ってたら、まさかの仕事先でコロ助ナリィ疑惑の人が出て、テンションガン下がる。俺は症状でてないけど、この先そこで働く(そりゃそうだ)のもげんなりするし、自宅待機になっても保証がないだろう。

 考えれば考える程悪いことしか浮かばない。でも、どうにか前に進まなきゃな。少しだけだけど、小説をかけていることだけが明るいことで、小さな幸福でわりとどうにかなることもあるって、俺は知ってるんだ。

 雑記

天気が良いので数ヶ月ぶりに上野と秋葉原を歩く。それなりに人が多い。欲しかったカワウソのガチャガチャが手に入ってとても嬉しい。黒いオルフェのDVDと桃のチョコレートと本とゲームを買った。読みたい見たいもやりたいものが多くて嬉しくて困る。

 人が多い場所が好きだ。雑踏が都会が好きだ。友人やお金がなくても、ざわざわがやがやごみごみきらきらした景色が好きだ。少し前までは、当たり前に色んな場所に行けた。それが今は難しくなっている。東京の感染者(陽性者)がずっと似たような数字を推移しているのなんでだろ。

あ、電車の座席に座らなくなったなー。

『かわいい こわい おもしろい 長沢芦雪』読む。江戸時代に高い人気を誇った、円山応挙を師匠にした芦雪。師匠譲りの高い画力と、若冲蕭白に近い大胆さを持つ芦雪の魅力に迫る。辻惟雄が前者に対応して人工の奇想と評したのは興味深い。ユーモアとすさまじい画力にわくわくする。見所ばかりの一冊

 芦雪の虎の画ほんと好き。水墨画の毛の表現、迫力とふわふわ感が本当にすさまじい。以前本物を見られてよかった。本を見て、本物を思い出すことができるから。好きな画家の動物の画はたいてい大好き。というか、俺が動物、毛皮を着たけだものたちがとても好きなだけかも。

大村しげ『京のおばんざい』読む。季節と行事を追って作る京都の家庭料理。京ことば、話し言葉で語られる料理はとても美味しそう。千枚漬けの最初の「かぶらの皮をごつうむいて」だけで情景が目に浮かぶ。あとがきで著者が、戦前戦後で料理は変わり、日常を若い世代に残したいと語っており、胸にくる。

 この本はとてもよかった。いわゆる京都紹介本、みたいなのは山ほど出ていて、俺も好きでちょいちょい読んでいるのだが、その中でもかなり良い本だと思った。それは、筆者が京都で生活をしていて、それを大事にしているのが伝わってくるから。なんだ、そんなの他の本でもそうじゃん、ってなるかもしれないが、京言葉で語り掛ける、という文章がとてもいい。自分の生活としきたりを大切にしているってのが伝わるんだ。日常を大切にしている人の文章は、楽しいんだ。

映画『ザ・プラネット』見る。アルゼンチンの音響派ミュージシャン、フェルナンド・カブサッキが実在しない映画の為に作曲した作品を元に、19名のアルゼンチンのアーティストがアニメーションを制作。抽象画のような表現からコミカルなカトゥーンまで。音楽がとても良い!大好きな初期トータスみたい!

 これは、音楽がとてもよかった! マジで1,2アルバムの頃のトータスっぽい曲があった(俺なりの最上級の誉め言葉だ)音響派大好き。というか、ジョン・マッケンタイア最高。長く続けているから、俺は一番初期の荒くってエモーショナルで暖かくてちょいミニマルな作りが大好きだが、この人の音楽はそれに通じるものを感じた。cd欲しいぞ

チェコのアニメ監督、カレル・ゼマン『鳥の島の財宝』見る。ある日、美しく平和な島に黄金がもたらされ、人々のいさかいのもとになるが…… 人形や切り絵のアニメーションは、どこか懐かしさと不気味さとかわいさを感じる。派手で美麗なアニメもいいが、ちょっと怖くてワクワクする、味のあるアニメ

ウィリアム・クライン監督『モード・イン・フランス』また見る。フィクションとノンフィクション風の映像が刺激的だ。ひねくれた愛国心、ファッション界への愛情。モードは大衆のもの、とは言え特別で虚構で素晴らしいもの。豪華な出演陣ときままなモデルを見るだけでも楽しい。

朝にウィリアム・クラインの映画見て、午後も銀座で彼の映画を見る『モダン・カップル』未来のフランスで、新しい生活様式のモニターに選ばれた二人は、生活の全てを監視測定放映され……未来の風刺コメディのはずが、映画から数十年後の現在は似て非なる恐ろしさが……ともあれ、外で映画見られて幸福

ウィリアム・クラインの『モダン・カップル』は、複数の出演者が寄りの構図があって、彼が大都市の人々を撮った写真集を想起した。ファッション界を撮った映画では、フォトジェニックなショットもあったが、猥雑でパワフルな感じは控え目だった。クラインの写真集また見たい。エネルギーチャージしたい

 久しぶりに銀座のエルメスで映画を見た。コロナの影響か、銀座は人がとても少なかった。資生堂ギャラリーへ行ったら、予約をしないと入れないって言われてガッカリ。花椿だけでも欲しかったな。

 銀座の鳩居堂も久しぶり。デパートの狭いフロアではなく、お店にはいると和紙の匂いがするのがとても好きなんだ。ただ、消毒&マスクのせいかそこまで感じなかった。って、入り口近くがお香のコーナーになってたからその匂いがした。

 でも、棚に並んだ和紙の筒、一枚800~1200円位の、着物の柄のような上等で優雅な模様が並んでいるのを見ると、とても幸せだ。気軽にあれこれ買いたいけれど、そんな身分ではないので見るだけで我慢する。綺麗な物は世の中に山ほどあって、きりがないから。でも、今度行ったらいい加減一枚くらい買おうかな。その金で美術系の古本がかえる、なんて考えてしまう駄目な俺。

 『美しい和のガラス』読む。昭和等の昔のレトロな、日本で作られた日用雑貨の硝子を紹介。技巧をこらした硝子も好きだけど、古い日本製ガラスも素敵。当時誰もが使っていた醤油差しやソーダコップが、工芸品のよう。無駄をはぶき洗練されたデザインもいいけど、この路線の手頃な値段の硝子が欲しいな

植田正治作品集』見る。シュルレアリスム、ピクトリアリズムを感じさせるような作風。計算された美しい構図。しかしこれは絵画ではなく、写真だ。人の、被写体の持つ魅力を引き出している。少しダイアン・アーバスを思わせるような気もした。抜群に構図とセンスが良くて、写真の持つ偶然性も感じる

 彼の写真は知っていた、見ていたはずなのに、写真集でまとめて見てにわかファンになってしまった。図書館で借りたこの本、定価16000か18000だってよ! 買えるか! でも欲しい! 大きいし紙質いいし、その価値がある一冊。

 新しい小説を書いていて、自分の感受性、好きとか嫌いとか匂いとか欲望とか味とか不快感とか浮遊感違和感、自分、いや、登場人物が生きているって思えるあれやこれやに感応できるようでなくっちゃなって思う。その為には、自分がそれなりに前向きでけんこうでいなければ。

 現実を見たら希死念慮が揺籃だけど、そんなの馬鹿な話。美しいものを見て、美しいと言える状態でなくっちゃな。高い本が気軽に買えるように、高い値段が並んだ場所に行くことを臆さないように。俺はしょっちゅう気分が駄目になる。そのことをいつも責めていたけれど、できるだけ感受性を殺さないように。駄目な日もあるけれど、何かに触れて、小説書いていかなくっちゃな。

今も変わるから

 朝や夜、少し肌寒く感じる時があって、ようやく秋の始まりを実感する。デパートの菓子売り場で、和三盆の干菓子の形がお月見になっていた。まだマスクが手放せない生活で、東京の感染者はなんとも言えない推移をたどっているけれど、何事も変わっているのだろう。

 渋谷や新宿へは仕事帰りやら用がないけどなんとなく向かうのだが、ここ数日で明らかに人が増えた。あの日の前の混雑っぷりには戻っていないけれど。これが良いことだと感じられたらいいなと思う。

 神経が過敏になっていて、とても辛かったけれど、前よりかは緩和しているような気がする。それはきっと、新しい小説を書いているから。書かない時はずっと書いていないから、自分の書き方、文章の呼吸というか流れというのがしっくりこない気がするけれど、ある時はっと思い出す。自分の好きなリズム。物をつくるって、なんて健康に良いことだろうと思う。

 体力気力は低下していて、どうしても良いことが思いつかないし、起こらないけれど、小説を書きたいなら書けるならまだ平気なんだって、そう思う。

 雑記

『文豪と暮らし』読む。昔のゴールデンバットのデザインめっちゃかわいい。泉鏡花はおばけを信じていてたのに、犬やバイ菌を非常に恐れ、何でも加熱してパンの自分の指が触れた部分すら捨てた。室生犀星は貧乏が長く、ツグミを愛でるのではなく、食べた後、身体がほんのりと桜色になるのだ。等々

 泉鏡花が目に見えないばいきんを非常に怖がったのは、このコロナを意識せざるを得ない現状でとても身に染みた。俺も何かに触るだけで非常に気分が悪くなっていてヤバかった。外出ができない! 座席が空いているのに、電車で一人だけ立っていることもしばしば。

 見えないものが見える感じられる信じられるってもろ刃の刃かよ。(俺は幽霊妖怪信じていないし「見える」とか言う人が無理だけど、泉鏡花は好きだ)

Bunkamuraの展示カタログ『永遠のソール・ライター』読む。街を、街の顔色が変わる瞬間を捉えた写真。そして、妹やパートナーの女性といった、親しい人を撮り続けた写真。人生の大半をニューヨークで暮らしているのに、自分をよそ者と言う彼。だからこそ、街の些細な変化にときめくのだろうか。

 自分がひかれる街に住み街をとり続けているのに自分をよそ者だという彼の発言に森山大道を連想した。でも、ソール・ライターと森山はかなり離れているような気がする。ソール・ライターはきっと、よりよく生きよう楽しもうとした生活者としての一面があって、だからこそ家族やパートナーを美しく撮れた、とり続けられたのだろう。

 昔は森山大道みたいな、もっというと中平卓馬みたなヒリヒリする人らの作品がすきだった。挑戦的で挑発的で、見る方もただではすまないような作品。でも、今は愛おしい人をとらえたものだって素直にいいなって思える。おっさんになって少しはよかったところかもしれない。

『かわいいナビ派』読む。ゴーガンや日本画の美学に影響を受け、自分たちを新しい美の預言者(ナビ)と称したナビ派。平面で装飾的、感覚的な絵画。読み解く絵画、理想化された身体とは逆の、身近な人や景色を愛した画家達の絵はゆっくり見るのが合っている。

『この写真がすごい2』大竹昭子・編読む。70人のインパクトがある一枚の写真と、編者の短い文章が並ぶ。写真家の名前や出展は後ろに纏められており、誰の作品なのかって先入観抜きで見られるのが素晴らしい。正直、好きではない写真が多い。でも、色んな人の写真が一気に見られるって刺激的で楽しい。

チャールズ・シミックコーネルの箱』読む。絵も彫刻も作れない芸術作品コーネルの作品と偏愛モチーフについて、著者が写真と散文を添えた一冊。箱の中につめられた小世界。がらくたも古典作品も同価値にコラージュ。子供が好きな物を集めたような、幸福な時間が閉じ込められているかのよう。

 コーネルの箱ナビ派の作品も、二十代の頃はもっと刺激的な作品を求めて目を向けなかった気がする。でも、些細な日常に、穏やかな時間に感応できるっていうのも素敵なことだ。

 俺の生活や精神状態はいっつもグラグラで、幸福な状態、という物に関する理解、共感、感応の数値が低いように思えていた。まあ、単純な話、希死念慮がどうだなんて言ってる人間が、幸福な人々の素敵な生きざまを見ても居心地がよろしくないっていう下らないことなんだけど。

 ただ、俺は俺の生活を良くしていかなきゃなって。何度でも忘れてどうでもよくなるけれど、好きな物を見て触れて、何かを書いていけたら。その時は忘れているのだろう忘れていいのだろう。忘却は恩寵、と言った川端康成を想起する。また読みたいな。でも、読んでいない本が山ほどあって、げんなりして有難いのかも。

本は俺の慰め蝕み。

身体の不調に悩まされていた。仕事を初めてから、ほぼ毎日寝ても2時か三時には目が覚めて、疲れがとれない。そんな状態だから体調が回復するというのは難しい。

 ずっと、小説を書かなければと思っていて、それと同じように様々な本を読まなければとも思っている。でも、うまくはいっていない。

 何々をしなければ、というのは、精神的にはとてもよくないらしい。常に自分が何かをしていなければと思っていると、安息なんてない。でも、それで何かが好転することはなくても、小説を書いていない自分なんて、生きていても仕方がない。小説こそが自分の人生、なんて大袈裟なことではなくて、単に楽しみがそれくらいしかないのだ。

 だから、何か一つくらいうまくいってもいいんじゃないかなあって思うんだけれど、そんな願望で小説がすらすら書けることなんてない。インスピレーションを受けるとしたらきっと、それなりに健康で何かに感動出来ている時だ。

 でも、日々不調。それで、ようやく、自分の不調の一つが歯をくいしばっていることにもあることに気付いた。ずっと気づいていなかった。肉体労働をする関係上、どうしても力が入っているというか、無駄な力も入っているし、緊張が続いてずっと身体が悲鳴を上げ続けているのだ。

 ぼーっとする、ぼんやりする。それがどうしてもできないのは、この先が怖いから。自分の状況がどんどん悪くなる中で、せっかくの自由な時間すら無為に過ごす恐怖。いつまで頑張れるのか、頭が働くのか、諦めないですむのか、ということをよく考えてしまう。

回答なんて出ないし、誤魔化し誤魔化し生きてきた。これからもきっと。でも、たまに錯覚するんだ幻想を見るんだ。その方がいい。たまゆら、人生がそれなりに素敵なんだって思う。

 雑記

『美しいアンティーク鉱物画の本』読む。百年前位に描かれた鉱物の絵。植物や動物とちがい、鉱物は硬質で命を持たないから、昔の彩色技術よりも、パソコン等での方が適しているかもしれない。なのに、手描きの鉱物はよい意味で温もりを感じる、不思議な魅力が宿っているのだ。 

マグリット辞典』読む。AtoZのキーワードを元に、マグリットやシュルリアリスト達に迫る。図版が豊富で見ていて楽しい。俺はシュルリアリストの「発言」をあまり信用していないのだが、マグリットが自分のも含めた商業仕事を嫌っていたのは興味深い。彼の作品はとても複製に向いていてポップだから

橋爪節也『大正昭和レトロチラシ 商業デザインにみる大大阪』読む。大正昭和の大阪の繁華街で配布されたチラシを紹介。デパート、喫茶店、キャバレーから選挙、電鉄、遊園地まで幅広い。今のよりも、情報を語りかけるようなチラシが多い気がする。当時の美意識や生活を感じられる楽しい一冊。

だらだらと、美術や旅や食べ物とかの本を読み散らかしていた。お金がない俺は、本を読んで行った見た食べた気になる。実際の体験の方が豊かなのは分かるが、こればっかりは仕方がない。

 本は俺の慰め蝕み。