忘却の処方箋よりも

 体調が悪いということばかり書き連ねていた。実際にそれはじじつだし、新しい仕事はかなり大変で、平日は帰宅して飯を食べたらいつの間にか数時間寝ていて、げんなりしながらシャワーを浴びたり浴びなかったり。その繰り返し。良いことなんてほとんどない。ストレスだけの日々。

 それが多少は緩和された。緩和されたというか、少しは前を向いていかなきゃなって思えるようになってきた。相変わらず返済もあるし仕事やら体調やらメンタルやら、問題は山積みだ。でも、自分で変えて行かないとこのまま腐っていくだけなんだ。状況が酷くって、抜け出せない沼の中でもがいているとしても、やり続けなければ後悔するって、楽しくないって思えるようになってきた。

 三十代も後半戦。まっとうな人生、というのがあるとして、少なくとも俺はそういう人間にはなれなかった。歳をとり、どんどん状況は悪くなってきている。

 でも、未だ好きな物がある。

 その感情だけで、どうにかやっていけるような気がすることもある。

 今日、久しぶりに小説の設定が頭に浮かんだ。書きたいものがある。それだけで大分気持ちが楽になった。クソみたいな生活で労働とストレスだけの日々で頭がおかしくなる。自責と不安に依存するよりも何かを作りだすことを考えるべきだ。分ってはいても、それは沼に居る時には困難だ。

 でも這い上がらなければいけない。腐ったままおしまいなんてごめんだ。その為にはやはり人に会うこと。人に会えないなら誰かの作品に触れること。誰かの作り出すもの、感情にふれると俺の感受性も動き出すことがある。

 もっと、自由でいいんだ。自由が分からない、好きなことが分からない出来ないのなら、それでもいいんだ。それが現実だとしても、悪いことに拘泥するのは簡単なことだ。そのループに何度陥っても、這い上がらなければ、立ち上がらなければ、何度でも。

 雑記。

吉田喜重監督『血は乾いている』見る。理不尽な会社の首切りに抗議し、拳銃自殺を図る主人公。一命を取り留めた彼は時の人になり、保険会社に勤める女性は主人公をコマーシャル・タレントに仕立て上げる。最初は弱気な主人公が、どんどん膨らむ虚像に身を同一化していく。シンプルな筋だが確かな見応え

 吉田喜重アラン・レネにも通じるような白黒のフォトジェニックな構図はとても好きだが、俳優の言葉が人間のことばというよりも、いかにも映画の中でしか生きられない言葉だ、或いは監督やらの代弁者だなあとげんなりすることがしばしば。
 
 それでも映画、構図が美しいから見てしまう(個人的にはヴェンダースも見ていてイライラするが映画として素晴らしいのだから見ているくせに文句を言いたくなる。質の悪い客)。とはいえ、今回は善良な一般市民というか単なる小心者だった主人公が、マスコミの手により作り上げられた虚像の面が強くなり、支配され変貌するという内容であって、台詞回しの大袈裟さもあまり気にならなかった。

東京都写真美術館『イメージ・メイキングを分解する』を見る。プログラミングにより描かれた線、点の連なりが抽象画のような作品へと変わる。モニターがあり映像として生成の様子も見られた。シュールレアリスムが見た夢、手法を現代で再現しているかのようで興味深い

 正直、あまり好みではないかもと思いながら入館した。全く好みではない人のもあったが、抽象画のような作品はとても好みだった。ゲームのバグった画面を絵画にしたかのような作品もそうだし、モニターの映像で生成される浮遊する墨絵の海月のような線は一定の秩序があり美しかった。

ジェーン・バーキン主演『ヴェルヴェットの森』見る。放校になった貴族のジェーンが住むことになったのは、親戚や癖のある人々が暮らすお城。そこでおこる殺人事件!ミステリーとホラー! とは言え、話は結構ツッコミ所があるというか雑な感じ。映像美術衣装は良いので、ゴシック風味を味わうには良い

キェシロフスキ監督『愛に関する短いフィルム』また見る。孤児院育ちの19才の青年。向かいのアパートの女性を望遠鏡で覗き見をしている。彼は愛の告白をするが、恋愛は未経験。奔放だが傷のあるらしき女性は反発と試し行為でそれに応えるが。反転する関係も見事。暗闇の中で赤やミルクの白が美しい

見る、見られる。被害者、加害者という関係性も含んでいるけれど、ラストに女性が夢想する姿の痛ましくも美しい様、二人の主人公がどちらも愛について純粋な気持ち、おそらく慈愛を求め与えることが強く表現されているように思えた。すれ違い、二人は目覚めた後も結ばれないとしても、愛はきっとあった

 キェシロフスキ監督の映画は痛ましい。それだけ彼が誠実なのだと思う。見ていてとてもつらいのだ。だが、多分彼は人間の愛情を信じている。悲痛な結末を迎える作品も、不穏なまま終わる作品もあるが、情愛や優しさ(を求める人)が描かれているように思う。

キェシロフスキの『傷跡』また見る。正直また見てるくせに面白いとは思えないけれど、彼の映画が好きだ。性格良さそう。ハネケは厳しそうきつそう。ファスビンダーは性格悪そう。ユスターシュは死なないで欲しかった。

ルネ・ラリックの香水瓶の本を読んでいて、印刷された物であってもすごく素敵なのだが、美術館で現物をみたらマジで素敵で欲しかった。繊細なデザインなのに、重量感やガラスの少しくぐもった質感がたまらない。

エインズレイとハマースレイの食器見てた。欲しい。花柄の食器の中でも、しっかりと描いているけれど控え目(ピンクやら金やら派手なのは過剰だと思う。白地が好きだ)なのが好きだ。昨日久しぶりにアールグレイ買ったが開けてない。夏は毎日麦茶だけで3-4リットル飲むのだが、飲み過ぎだろうか?

竹内栖鳳見に山種美術館行かなきゃ。動物のふわふわの毛皮みたいな。後は三菱一号館美術館のヴァロットン。前に見たけど、あそこは建物もすごく良いし。官能的な黒をみたい。ギャラリーで森山大道のプリント見たら現物は印刷されたのよりずっと、油絵のようにてらてら光る黒で魅了されたの思い出した。

聖書すらまともに読んだことがないくせに、エノク書の人間から天使になったというメタトロンのエピソードが好きすぎる。メガテン2のメシアプロジェクトのエピソードもちょうすき。人造というか、人ならざるものを無理矢理作ってる背徳感といかれた感じが好きだ。屍の上に立つ勇士の幻覚を見るのだ

皮膚に傷をつけることでしか得られない栄養がある。それを効果的に摂取するにはタトゥーを入れるか入れられるか。そういった創作物を摂取するのが良い

 つぶやく気力すらなくなっているし、誰かの作品を受け止めるには体力がいる。でも逃げ続けていては駄目なんだ。

 自分の作品についての構想が生まれ、少し前向きになれた。状況が悪くったってそんなことに目を向けていられない。俺は俺の時間を有意義に使うべきだ。

 好きな物があるって忘れないように思い出せるように。

 若くはないんだ、だが、死にそうってわけでもないんだ。

八月も終わりに近づいている。暑すぎる夏なんて少しも好きではないのに終わりを少し惜しむのは、トラブルやら仕事でいっぱいいっぱいで何もせず、体力と精神をすり減らしただけで日々が
溶けていく焦りからか。

 何もできないというか、仕事のきつさで平日週五日全て帰宅後ぼんやりして夕食をとっていた後寝落ちして深夜0-3時ごろ起きるといった有様で、流石に疲れすぎているし、色々と限界だと思った。
 
 何も作れず生みだせず、本すら読めない日々。

 そんな折、久しぶりに人と喫茶店でお茶をした。共通の趣味があるので、久しぶりに映画や音楽やファッションの話ができたなあと思った。

 言葉にしないと好きな感情が失われて行って、それが当たり前になる。日々の仕事やらトラブルに対処すべく眼をふさぎ耐えることに腐心して、好きって言葉を口にすること忘れていた。

 俺はクラシックはバッハ以外分からない(好きなピアニストが演奏したのは別だけれど)けれど、ホルヘ・ボレットというピアニストを教えてもらって、YouTubeで検索したら動画がとても少なくって、見つけたリストは良かったけれど、もっとちゃんと聞きたいと思った。久しぶりにCDを借りて聞いた。

 ホルヘ・ボレット演奏する、シューベルトピアノソナタ。適当に借りたのに、とても良かった。とてもエモーショナルな演奏で聞いていて心が揺さぶられた。

 シューベルトの良さに気付かせてくれたボレットとあの人に感謝。

 ああ、そうそう、ずっと見たいのにレンタルでどこを探してもない(権利の関係らしい)スイートホームの映画版がYouTubeにアップされているってのも教えてもらってみた。

 ファミコンのおどろおどろしい、とにかく不安で怖い世界とはまた少し違った。ホラーではあるが怖がらせるだけではなく日常シーンや感動させるような演出やら、とても丁寧に作られていて面白かった。

 おっさんになると、いや、若い頃からそうだけれど、好きな物を誰かから教わるって結構難しい。そうでもないよ、むずかしくないよ、って環境にいるひとはとても幸福な人だ。

 てか、俺もそう言う人だった期間があったはずだ。知らない物に触れて見ようとする好奇心と忍耐力と勢い。特に飛び込む勢い、覚悟がいちばん大切で一番忘れがちだ。

 幸福を恐れるのは、哀しいこと愚かなこと。それをしっているのに身体に怯えが染みついている。

 でも、なんどでも這い上がらなくっちゃ、死んでいるのと同じだし、俺、楽しいのが好きだったんだそう、今もきっとそうだ。

 ずっと、小説を書けていない。借金返済と精神面の悪化でそれどころではない。何かしようにもお金がかかって、仕事から帰るとヘロヘロ過ぎて気力も体力も枯渇している。

 でも、夢をみなければいきていけない。俺が夢を見る為に必要なものは、誰かが作った作品たち。

 特に好きな宝石や毛皮や天使やヤクザ、悪意や慈悲、お祭りや花々、悪魔や供儀。下らない物役立たずな物、日常生活に不必要な、デコラティブなあれやこれやを夢想して、幸福な目隠しを俺自身に。

 最近、アールヌーヴォーの本を大量に図書館で借りて読み返している。優雅で幸福な世界。縁のない世界。そういう物に惹かれるし、悪魔のような誰か、により惹かれる。

 美しい時代、があったとして、人によってはそれが今も続いているとして、だがしかし悪魔がいた時代があったのかって考えると難しい。少なくとも俺にとっては。

 悪魔のことを考える。たまに、まれに、それに近しい存在がいたはずだと思う。ギラギラした、愚かしくも栄光の輝きについて考える。犯罪者なのか芸術家なのか、それとも誰にも気づかれずにひっそりと浄化されていったのか。

 書きたいものはまだあるんだ。そこに飛び込めるように。

 俺はラストが決められないと書き始められないので、どうしても始めるのに悩んでしまう。でも、見る前に飛べって精神もたまには。

 若くはないんだ、だが、死にそうってわけでもないんだ。

 もう少しだけ無茶しないと人生たのしくないよな。

すばらしきこのせかい、って噓でも言って

 酷い時間を過ごしていた。仕事のストレス、払っていなかったカードの支払い、膨らむ借金と不安怒り焦り。小説を半年以上かけていない。年老いて、持物はなにもなく、むしろ借金だけが増えた。人生でここまで酷い状況はないかもしれない。

 それでも、自殺せずに生きている。

 今日、新すばらしきこのせかいをクリアした。前作は十数年前に出たソフトで渋谷が舞台になっている。社会とのつながりを遮断していた少年が、世界と向き合い「今を全力で楽しむ」話。今回もわりと近いテーマに少年少女が向き合うことになる。

 実家からは歩いて渋谷に行ける距離だったから、学生時代は意味もなく渋谷に行った。高い物は買えなかったけれど雑踏が好きだったし、本やCDならかねがなくてもどうにか買えた。

 前作のDSのソフトは大好きで、サントラも二枚買ったくらいだ。渋谷が舞台で音楽もバラエティに富んでいる。何より、心を閉ざしていた主人公が、人や街を好きになる、「今を全力で楽しめ」というメッセージを受け取り歩んでいく姿が好きだった。

 ニンテンドースイッチはずっと欲しかった。でも、金が無さすぎてというか支払いがあり過ぎてそれどころではなかった。

 ずっと、欲しい物を買っていなかった。お金が減るのが怖かった。数百円の物を買うのにも躊躇した。それなのに、ギャンブルで何万円も金を溶かし続けた。その結果、恐ろしい金額まで借金が膨れ上がった。

 何もかもがうまくいかなくって、唯一好きだった小説も読めないし書けないし、もう、自分の中は空っぽで、ギャンブルに依存して心を埋めたかった。お金儲けがしたいというよりかは、ずっと「演出」を見ていたかった。どうにかなる、と思いたかった。

 そんな俺が、久しぶりに家庭用のゲームを買った。それが、新すばらしきこのせかい。少しの不安と大きな期待を胸にプレイ。操作性は向上して渋谷の街も最新のものになっていて、とても楽しめた。

 二十歳過ぎの頃に大好きだったゲームの続編を、四十代後半で借金に押しつぶされて何もかけない俺でも、楽しめた。

 前作に思い入れが強いので、どうしても前作の方が、なんて思う所も多少はあったが、今作の良さも沢山あった。何より、一年ぶり?位に家庭用ゲームを楽しくクリアできた自分が嬉しかった。

 スマホゲームをやっては消すのを繰り返し、それにも飽きてしまってたから。

 ゲームをクリアして、また、渋谷は平和になって少年少女も大人たちもそれぞれの人生を生きていく。

 俺はまた、取り残された気分。ひとりで、なにもないどころか負債をかかえ、毎日つぶれそうなのを処方箋で誤魔化している。

 それも、いつまでもつのかな。諦めて、終わりにするのかな。楽になりたいな。俺は、自分が書いた小説を好きだけど、社会的には価値が無く、それでもいいと思っていたけれど、ひたすら借金を返し続けて小説もかけないなら、死んだ方がいいかもしれない。

 そういったことが何度も頭の中を通り抜けて消えて、繰り返す。

 それでも、こんな酷い生活でも、多少は本を読めるようになってきていた。

雑記

海野弘『366日絵画でめぐるファッション史』読む。権威を現す肖像画、流行や生活を読み取れる風俗画。絵画における洋服でその時代や意図を読み解く。解説つきで、気軽に色んなファッションを見られるのが楽しい。個人的には日常生活に不便な、過剰な襟やリボンやフリルが楽しくて好き

海野弘『ロシア・バレエとモダンアート華麗なる「バレエ・リュス」と舞台芸術の世界』読む。通常イメージするバレエとは違い、トウ・シューズをはかない、自由な総合芸術としてのバレエの世界を紹介。芸術家との結びつきや豊富な衣装デザイン等見所だらけの素敵な一冊

コルタサル『秘密の武器』読む。悪夢、幻想、いや、作者の執拗なオブセッション言語化され、日常の景色のはずなのに幻覚の中へと迷い込んでしまう。とても良い短編集だった。チャーリー・パーカーの伝記に着想をえたという作品での「麻薬と貧困は相性が悪い」って主人公の目線、切なくてクールだな。

 久しぶりに知らない海外の小説を読めた。とても楽しかった。俺の知らない素敵な小説が沢山あるって当たり前のことを思い出させてくれた。体力が無いとしょうせつには向き合えない。でも、誰かの言葉を目にしないと、俺も自分の言葉を作り出せなくなる。ずっと逃げてはいられないな。

他にも少しは本を読めるようになってきている。でも、今の仕事が大変過ぎて、帰宅したら疲れて寝て、休みも頭が動かないし、支払いの心配ばかり。何かお金を使うのもためらわれるというか、少しでも減らさないと、低賃金非正規躁鬱だから、生きていけない。

 大好きなゲームの大切なメッセージ「今を全力で楽しめ」

 それが一年以上できていない。

 だけど、そうしなかったら、死んでいるよりもくるしい。

 自殺するにしても、それなりに満足してからがいいな。まだ、書きたいこと、かけないけどやりたいこと、残っているんだ。

 世界はすばらしくても、おれは好かれなかった選ばれなかった。それでもいい、それでもそれなりに楽しいんだって二十代の強がりを、三十代後半の今も忘れないように、忘れているけれど、思い出せるように。

 生きていて楽しいことより苦しいことの方がはるかに多かったけれど、でも世界はわけがわからなくって、好きだ。

 すきなら、しかたない

おえかき療法

 仕事がとても忙しい。自分としてはかなり時給が良い仕事を見つけたのだが、その分服装はスーツで仕事も覚えることが多くて、やれるか?ってな日々。

 でも、やらないと後がないというか、借金は過去最高額。三十代後半戦、人生もう終わってんなって感じだ。

 小説はずっと書けていない。構想の欠片はあるが、支払いと疲労でそれどころではない。

 でも、誰かの作品を見なければ、感動したり何らかの刺激を受けなければ作品をうみだすのは困難だ。

 まともに映画を見たのは何か月前? ずっとギャンブルに、不安に依存していた、愚かな俺。そのせいで大切な物を沢山手放して、報いを受けている。

 作品作りに専念したいって思っていたのに、借金返済に追われる日々。これがあと何年つづくんだろう。それを終えた時、俺は多分40代で、そしてまともな人間になれているだろうか、希望を捨てずにいられるだろうか。

 下らない悩みは尽きない。でも、久しぶりにアクリルで画を描いた。絵具でちゃんと絵をかく、というのが十代の頃に諦めてしまったことで、一年位前からちょこちょこかいていたのに、ギャンブルと借金でそれどころではなくなった。

 ずっとかけなかったし、書く気がおきなかった。でも、先週と今日の休みで一枚づつ画をかけた。稚拙だなあ、十代の高校生のえだなあ、そう思ってしまうけれどお絵かきはたのしい。身体に良い

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 十代の頃、自分には写実的な画を描く力が無いと思って画を諦めて小説を書くようになった。漫画もパースがとれないし机が無いから諦めた。映画関係は人と関われないから諦めた。色々諦めたしできなかった人生だけれど、一人でやることならば、まだぎりぎりできるのかもしれない。

 絵画療法なるものを目にする時があるが、俺は本当に画を描くことや物作りは健康に良いと思う。おれはすぐ、上手い人の作品と比べて、自分の作品をこの程度かよって思って無意識に採点してしまうのだが、それでも、画を描くときは雑念から遠く離れている。

 鳥のこと、花のこと、リスのこと。対象のことをじいと見て、その姿を作り出したい見たい触りたいと思う。

 おえかきができるなら、まだどん底ではないんだな、俺。

 アクリル絵の具が少し減ってきたし、また0号の絵筆が死んだし、出費ばかりの人生だけど。

 諦めていたし、この先明るいことなんてないとしても、自分で明かりを探しに行かなくっちゃ自殺より哀しい。多分。

 (楽しく)小説を書くことは、俺が何かを楽しんでなければかけない。借金に追われて抗不安剤抗うつ剤を飲みながら、たのしみなんて考えられないよ、って毎日思ってる。それでも明かりを探して彷徨うしかない。

 絵筆を、かすかな明かりにして。

か細い光

メンタルも金銭的にも最悪なことになっている。

新しい仕事が始まった。最初はどこだってきついのが当たり前だが、きちんとした社会人の服装を求められて、出費がとても痛い。安いワイシャツだって、一枚2000円はする。それに、服は安物過ぎるとすぐ駄目になるし。

 イライラして、辛くって悲しくってまたギャンブルに逃げて大金を溶かした。この繰り返し、何度目だろう。何度もやめようとしているのに、繰り返す依存症。

 自分がこんなに愚かだとは思わなかった。いや、前は別の金のかからないことに依存していたのだ。それがなくなって、今の俺は生活の不安と疲労とストレスばかり。楽しみなんてない。

 なんて貧しい人生だろう。一人で求められていないエゴイスティックな小説を書き続けて、それでいいと思っていたのに、働くのが無理でお金が欲しいと思ってギャンブルに手を出し、結果以前よりずっと必死で働き、本を読んだり書いたりする時間も力もなくなってしまった。

 自殺一歩手前。薬を飲んで踏みとどまっている。

 いや、薬だけじゃない。まだ、書きたいものがあるから。書かないと、俺は駄目になってしまうから。そう思いつつも何か月もまともな文章を書けないでいる。辛い。

 

 俺は沢山の物を持ち合わせていないけれど、美術とかは、大好きだったのにな。その好きな気持ちさえ、今はか細い、消えかけている。

 これが完全に消えたなら自殺しよう。その前に、できたら、小説を書きたいな。

 

 とても久しぶりに恵比寿の写真美術館に入ったので、その記録を。

光のメディア、という題名で、様々な年代の人達の(主に)光をテーマにしたような作品が並んでいた。

 やはり、展示されている作品をみるというのはいいことだ。幸福な時間だ。じっと、作品と対峙する時間。幸福な時間。

 パンフにあった、スティーグリッツの『イクィヴァレント』がパンフのより小さくて(ほぼ同じ大きさ?)少し迫力がなかったように見えたのが残念。好きだけどね。見えない物を俺も見てみたい見出したいな、

 ぱっと見で、クレジットを見ないでも誰の作品か分かった人はマン・レイ位。彼の作品は昔のヴォーグっぽい感じの、ロマンチック・エレガントで好き。

特に気になったのが、ジェームズ・ウェリングという写真家の作品が、題名もそうだが抽象表現主義のモノクロ絵画って感じで好き。写真というか、ほぼ油絵の抽象画ってかんじだった。モノクロの線がランダムに配置されている感じの「写真」この人気になるな。画集欲しいな。

お金なくて無理だけどさ。

 

正直、メンタルも支払い状況も最悪でさ、今日もずっと寝てた。でも、好きな物について書いたらほんの少しだけ元気が出てきた。

 好きだって言ってなきゃ、死んでるのと一緒だな。不安に押しつぶされるとしても、それまでは何かを好きでいたいな。また、思い出したいな

 借金があって、人と一緒に働くのが物凄く辛い(は?)けど、それよりも好きなものが作れない描けないそんな余裕までなくしてしまった自分が情けなくってくやしくって辛い。

 この借金を返すのはあと何年かかるだろう。それまで俺はまともだろうか。生きているのだろうか。

 なんか、無理かもしれないって思う笑 でも、その前に一作、新しいのを書きたいんだ。

 

 小説を買ってくれた某さん、ありがとう。

俺は敗北するけれどそれは今日ではないって嘯いて

誕生日はできたら休みをいれるようにしている。仕事の時は終わった後、ささやかでも自分の好きな物を買うようにしている。

 借金があって誕生日を迎えるのは初めてだ。その上求職中。

 最近は週6日働いて求職活動もしていたので精神も体力もボロボロだ。眠れないし夜に起きるし、ずっと気持ちに余裕が無くて泣いたりイライラしていた。

 でも、それは自分の責任だ。逃避のツケが回ってきたことだ。それでも、辛いものは辛いし、とても小説を書くどころか読むことすらできない日々。

 自分が出来ることというか、続けていることは本を読むこと、小説を書くこと位なのでそれを失っている今の俺はがらんどう。支えも支柱もない。
 
 このまま色んなことを諦めて終わっていくのかな。おれなりに色々努力はしたから。

 なんてことが頭をよぎる。希死念慮と破滅願望の薄い膜につつまれて生きている日々。腐った人生。

 今日は面接だった。運よく次の仕事が決まった。

 支払いは破綻しているから、日雇いで稼がねばならないし、次の仕事への不安やふたんも大きい。

 それでも、少しだけほっとした。前を向かなければ何もかも失う、諦めて終わり。やっぱ、やだなって思う。

 面接が終わり久しぶりに上野を歩いた。お店をひやかすと、物の値段が全体的に上がっているのをこの街でも感じた。そのまま歩いて秋葉原へ。二十代の頃はゲームやらパソコンやらを買っていた。

 借金でもうほとんど売り払ってしまったが、大好きなマジックザギャザリングもそこそこ買っていたっけ。

 でも、今はネットで買い物ができるし何より俺には金が無い。コロナのせいもあり、秋葉原も色んな店舗が閉店して街としての活気を失っているというニュースを度々目にした。

 オタク趣味と呼べるほど金をかけているわけでもないのだが、秋葉原もさびれていくとしたら、寂しいなって思う。オタクの憧れの街、という分かりやすいアイコンが消えるのが何だか切ない。中野も好きだけどね。

 結局街では安売りされていたチョコレートを買っただけで、それが自分へのプレゼントになった。いつもなら形が残る物を買うのだが、そんな余力はなかった。俺は支払いの心配をしなければならないのだ。

 とはいえ、最近少し良いこともある。漫画アプリをずっと見ていて、久しぶりに漫画って面白いなっていう気持ちを取り戻している。漫画すら読めなかった日々。ギャンブルと不安に依存していた日々。

 そんなのより、誰かの作品にわくわくしている方がずっと楽しい。破滅の、愚かな楽しさもある。俺は身に余る大金を使ってそれを楽しんでいたけれど、もう終わりにしたい。

 俺も作品作りたいな。夢を見るのに年齢は関係ない、かもしれないが、その人間の積み上げてきたものや環境によって困難にはなる。俺はまだ大丈夫だ、情熱が完全に消えるまでは大丈夫だ、そう思いつつも、支払いや精神の摩耗により擦り減っているのは感じている。

 三十代も後半戦。二十代の頃、三十代前半の頃、自分が四十になるなんて想像をしなかった。想像しても現実味が無かった。

 このままいくと、俺は作品もろくに作れず、低収入で人間関係や自分の精神とお金に苦しみながら駄目になって行く姿が濃厚だ。

 そんなことが頻繁に頭をよぎるが、俺は俺の作った作品が好きだ。まだそう言える。自分の作品が好きではない、或いは好きだったと言ってしまう時、俺は自死のような状態なのだろう。

 とはいえ、ずっと書くことから離れているのだから、この書きなぐり雑文も酷い有様。リハビリ現場の文章。

 自分の好きなことを書いていかなきゃなと思う。意味が無くてもお金をうまなくても必要とされなくても。俺は十数年そうやって生きてきた。きっとこれからも。俺の個人的な満足以外何も生みださないとしても、そうしなければもっと俺は自分がどうでもよくなるから。

 書くこと、生きることだ。大げさかもしれないが、単に他の物を持っていないのだ。小説を書いている時、俺は豊かだ。誰かに、誰かの作品に触れている時もきっと。

 だから辛くとも意味が無くても虚しくても質が低くても描かねばならない。書くことで救われる、錯覚ができる。

 俺は敗北するけれどそれは今日ではないって嘯いて。

柩を飾ろう

 最近は週六で働いている。短期の仕事ももうすぐ終わりだから、新しい仕事も探している。体力やメンタル面で不調を感じる。寝られない、夜中や早朝に起きてしまう。疲れがとれない。怒りやすくなったり突然わいた不安で頭が支配されたり。

 少しお薬を減らすように挑戦している。薬を飲んでいると感情面、精神的には安定するがやる気が失せてしまう。仕事中というか、仕事は当たり前だが値段分はきちんとこなす。でもそれでせいいっぱいで楽しいことをしようとか自分の好きなことをしようとする気が失せた。

 こんなからっぽのままで生きられるのだろうか。

 というか、楽しくないからやめた方がいい。借金返済最低限の収入を得て生活安定、不安を削る。それが一番だと思うがそれのことで頭が支配されている。

 前から漫画アプリで漫画を読んでいることはあったが、或る時スイッチが入ってひたすら読みまくっていた。漫画は大好きだったはずなのに、新しい物を読むことがなくなっていた。好きな漫画家の作品や軽く読めるものだけをただ読むだけ。

 でも、知らない人のもとにかく片っ端から読み続けた。

 あ、俺漫画好きだ、漫画面白い! と思える位に回復していたことに気付いた。借金将来生活の不安から、漫画を面白いと思える心さえ失っていたことに自分で気づいて本当に恐ろしいなと思った。

 一日で数万負けが当たり前。そんなギャンブル漬けの生活をを十ヶ月近く続けていた。それ以前、俺はほぼギャンブルをしなかった。数千円かけることすらもったいないと思っていた。

 でも、俺は弱かった。弱っていた。少しのお金で生活を安定して、画や小説をかいて生活をしたかったのに、その結果は借金の為にメンタルの薬を飲みながら不安と戦い働く日々。

 たまに、もう駄目だとか逃げ出したい、死にたい「ギャンブル」で一発逆転を狙いたい。そういう思いがよぎる。きっともうこういう思考は一生消えないんだなと思う。

 でも、誰かの豊かな作品に触れている時にはそういう不安や依存や衝動がやわらぐ。ギャンブルで生活が壊れ苦しんでいるが、俺は否定しない。自分の人生をこれから楽しまなくっちゃ。それに、俺にはギャンブルよりも病気よりも大切な物があったんだ。

 久しぶりにレイハラカミをずっと聞いていて、この人が死んだなんて信じられないけれど、彼の音楽はずっと残る。ありがたい。好きな物を好きだと言える感じられる喜び。

 ハービー ハンコックを数年ぶり? に聞いてああ、気持ちいいなあって思った。楽しまないと自分の生活を。ビル エヴァンス。セロニアス モンク。デューク エリントン。ジャズ、特にピアニストが好きだった。俺がそれを忘れていても音楽を聞けば素晴らしさや感動は瞬時に蘇る。

 カンディンスキーの本を読んでいて、抽象画好きだなあって気持ちを思い出す。大学に入ってミニマルアートや抽象表現主義を知った。あの頃の俺は自分が画を描きたいなんて思えなかった。下手だから向いていないと思って諦めていた。

 三十過ぎてようやく画を練習すること、描くことを再開したが、負債と仕事探してそれどころではなくなった。

 でも、何も作れない生活はむなしい。俺は小説を書く以外はほぼ何も能力がないし、他の人が持ち合わせてたり努力して手に入れた物を持っていない。 

 精神的に追い詰められて、書くことを失ってお金の為に労働に耐える日々。もしかしたら、色んな人にとっては当たり前の日々。

 そんな日々の中で楽しみもなくしてしまったなら。何も楽しいと思えなくなったなら。

 今も体調もメンタルもよろしくない。いつ駄目になるのか分からない。でも、俺は誰かの作品が、自分が作品を作ることが好きだって思い出せてきた。

 こんな単純なことを、俺はすぐに忘れる。

 俺の好きな物は、ほぼお金にならなかった。支払いだけに心を削られる日々。

 でも、俺も生活を立て直してものづくりを再開したい。何かするにはやはりお金がかかる。そして新しいことをしなければ俺は駄目になっていくだけだ。

 借金抱えて金を限界まで借りて勝負して終わったら死ぬってもありだと思うしそういう考えがちらつく。でも俺はそういうヒリヒリした躁の世界よりも制作の方が楽しかったはずなんだ。自分の作品と誰かの作品が大好きで楽しくって仕方なかったはずなんだ。

 この先はずっと不安だ。俺の未来が明るいなんて全く思えない。どんどん精神的肉体的金銭的に悪くなっていく。しかたがない。俺はボロボロになって駄目になるだろう。でもそれは今じゃない。

 灰になる前に、楽しいことが増えたらな。それをできるのは自分自身しかない。その楽しみが不安やギャンブルや人への依存ではなく、何かを作ることでうめられたら。

 俺を埋葬するとして、棺桶に飾るのは自分の、誰かの作品や言葉がいいな。