繰り返す日々

 色々と小さな変化が起きている。こういう時こそ、あまりふわふわした気持ちにならないように自戒したいと思う。

 

 読んだ本の感想というか、自分の為のメモを。

 

 回りの悪い頭でようやくジュネの『薔薇の奇跡』を読み終わる。

 

小説は博愛主義的な報告をするものではない。それどころか残酷なことにみちていて、それなしに美は存在しない。このことを讃えよう。監獄の中で犯罪者に関する規則は厳格で精密である。美に奉仕する特別な正義の掟に従えば、規則がそんなふうであるのは正しいことだ。(387P)

 

 傲慢で美しい彼の文章が俺は好きだ。そして、そういう人間が生きてきたという事実が俺に光を与えてくれる。

 

 最近読んだ本では、内澤旬子『世界屠畜紀行』と高野秀行・清水克行『辺境の怪書、歴史の驚書、ハードボイルド読書合戦』が面白かった。内澤、高野両氏の本は割りと読んでいて、興味深い内容が多いし、楽しい。

 

 感想を長々と書くというよりも、単純に『読書合戦』の中の気になる場所だけ、自分の為に引用したい(本当はもっと引用したい楽しい場所が多いのだが、きりがないので)

 

イスラム神秘主義スーフィー 清貧を良しとし、修行や思索によって神に近づき、最終的には無我と恍惚の境地において神と一体化することを目指す人々。名称は修行者が羊毛(スーフ)の衣をまとっていたことに由来すると言われているが、諸説ある。

 

彼らの修行場(ザーウィア) 旅人や巡礼者は無料でこの施設に寝泊まりし、食事も与えられた。多くの場合、これらの修行場は土地の有力者の寄付により運営されていた。

 

 現実逃避に昔クリアしたゲームをまたプレイ。あくまで俺の話しだけれど、読書って再読すると何らかの発見があったりするのだが、ゲームは少ないような気がする。それはゲームには楽しさがあるからのような気がする。とても雑に言うと読書は格闘や侵入。ゲームは遊び。その違いがある。もちろん、どっちも大好きだし、どちらかだけだと辛い。

 

 PSVITAを買ったので、そのゲームを遊び散らしていた。でも、クリアしたゲームの方が少ない。最近のゲーム(数年前に発売されたのだけど!)が悪いのではなく、俺の集中力がさらに悪くなったのだ。

 

 DSのDQ5とVITAのP4Gをプレイしている。どちらも(P4はプレステ2で)何回もクリアしているから、目新しさはないのだが、でも面白く、退屈だ。それでも、ある瞬間には物語の世界の人々の言葉にぐっときているのだから(さっき書いたのと矛盾するようだが)、やはりいいゲームだなあと思う。

 

 最近細かい出費やら散財が増えてしまっている。そのことにげんなりしてしまいつつ、その程度の無駄遣いは当然のことだ、と思っている。生きるためにちゃんとお金稼がなきゃなとバカガキのような思いが浮かぶ。お金がないと、お金のことを考える時間が増えてとても不毛だ。俺は一生金と芸術に振り回されるのだ。それを選んだんだ。多分。

 

 生活に色々と変化があるのは当然で、心はざわつくけれど、もう少し気持ちを落ち着けて、向き合えたらいいな。

 

 

薔薇の死体の中へようこそ

気分は上がったり下がったり。沼の上を踊る枯葉の様だ。少しでも安定させるには、雑文を描かねば、等と。

 

 

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スイミィスイミィ「SECRET EYES」

 

RAM RIDER×田村ゆかり とかほんと好き。ただこれが会場限定のCDなのが本当にいやだ。欲しいのに!

 

欲しいのに手に入らないと言えば、

https://www.youtube.com/watch?v=rWTiJCR4m_8&list=RDqDa8Q3hUDIY&index=9

F.F.C./ アイラミツキ (short ver.)

 

これ、「LIGHTSAVER」のCDのカップリング限定なのに、そのCDが売り切れでこの曲のフルバージョンが聞けない……つらい…

 

 テクノポップを聞いていると、やっぱ元気出る。電子音はいつも俺に優しい。

 

 優しい映画、『ブエノスアイレス』のドキュメンタリー版『ブエノスアイレス 摂氏零度』を見る。

 

 特に新しい発見があるわけでもなく、でも楽しい時間を過ごす。気恥ずかしくも楽しい恋、恋人たち。

 

 ダグラス・サークの『心のともしび』を見る。

 

あらすじは 

 

大金持ちの道楽息子・ボブ(ロック・ハドソン)は湖でモーターボートの事故を起こすが、近所のフィリップス医師の自宅から借りた人工呼吸器のおかげで九死に一生を得る。しかし、人工呼吸器を貸し出したためにフィリップス医師は持病の発作で亡くなってしまう。 入院先の病院から抜け出したボブは偶然フィリップス医師の妻ヘレン(ジェーン・ワイマン)と出会い、 フィリップス医師の死が自分のせいであることを知る。 自責の念にかられたボブは何とか和解したいとヘレンに迫るが、そのためにヘレンは事故に遭い、失明してしまう。

 

 とかだが、こんなのは読まなくていいし、どうでもいい。本当に、この人位にメロドラマをうまく撮れる人っているのだろうか? とか思うくらい、ひどい脚本、凡庸でご都合主義な展開がほとんど気にならないで、最後まで見通してしまう!

 

 人間の情感を撮るのがとてもうまい。その上、衣装やセットがとても美しい。カメラワークや、構図もばっちり。文句を言う部分がない! 愚かな恋をしてしまう人々がこんなにも美しいなんて! 人間が美しいなんて思ってしまうなんて!

 ハリウッド映画万歳アメリカ万歳!ってな気分になる。

 

 新しい刺激を欲しながら、でも見知ったものに甘える、或いは、もう、自分が好きなのは過去の人々の中ばかりなのだろうか。まさか、そんなわけはないのに。草生した地下墓地を、棺の中で眠る聖者を、まだ俺は愛そうと、俺は虚しい陶酔に身を投げようとする。それらはかぐわしく、そしてすぐに霧散する。

 

 ジャン・ジュネの『薔薇の奇跡』を再読。ジュネの文章はつまり恋文であり詩であるから、いつでも楽しいし、ぞくぞくする。喉元に性器に口づけするように刃を押し付ける盗人、悪漢。ひどいことをされたい、ひどいことをしてやりたい好きな人にはきっと。美しい物には賛美を頌歌を。美しいと言えないとしたら、もう、口がないのと同じ。

 

 500ページを越える分量なのでまだ半分しか読めてないのだが、特に好きな個所を抜粋する。

 

 

 相手に苦痛を与える為に戦うのはこっけいなことに思えた。相手を辱めればこちらの気は済んだかもしれないが、たとえ相手を支配することになっても、相手はちっとも恥に思わなかっただろう。というのも、勝利者はほとんど栄光など手にしないのだ。ただ戦うという行為が尊いのだ。 (123P)

 

 僕は鷲、軍艦、軍艦の碇、蛇、スミレ、星、月、太陽を刺青した男たちを見た。その種の紋章を首まで、いやもっと上までいっぱいに刻んでいるのもいたこうした図柄が新たな騎士道にしたがって彼らの上体を飾った。(281P)

 

 いつ読んでも、ジュネの言葉は馬鹿らしく愚かで美しくぞくぞくする。彼が本気で美を理解して(つまり彼は自分の美意識を持っているということだ)それを愛しているからなのだと思う。本気で何かを愛するなんて、こっけいで常人には務まらないだろう。でも、彼はそれをしてしまうのだ愚かにも輝かしくも。

 

 ただ、いつでも、『私の美の世界』に『甘い蜜の部屋』にいられるわけではない。俺は金持ちのホテル暮らしなんじゃない。ルームサーヴィスなんて頼める身分じゃない。支払いは時間は待ってくれない。

 

それでも、酔えますように。安酒でよっぱらって、いろんなことがどうでもよくなって、ジャンクフードと携帯ゲーム機が友人だとしても、それでも美しいと言える日は多いにこしたほうがいいきっと。

 

 

好き好き好きって、いいでしょ?

小説を書く、というのは当たり前だが一人でする作業だ。その上、俺は引きこもり気味というか、一人で家にいる率が高い。気が病んで、やむなくそうすることもしばしば。

 

 最近小説を書いて腑抜け。仕事を探してはいるが、見つからない。そんな時に、以前トラブルがあった知り合いから、また執拗な攻撃と人格否定のメールが山ほど送られてきた。俺が何しても、何を言っても俺を否定してゴミクズのように扱う。涙も吐き気もあっても、俺は許されないのだ。

 

 自分は犯罪者ではない、相手にした悪い行いは、謝った。それでもなお続く攻撃に、まいってしまった。身体が動かなくなって、ベッドの上でメールを無視したり、一日に六時間以上メールの応酬をしたりしていた。

 

 頭と心と体が、ダメになってきた。それでも相手は俺を攻撃し続けるのだ。アドレスを変えても無駄。俺が悪いのか……? 判断力は低下する。

 

 でもそんなときに、俺は友人に恥を忍んで相談をした。友人は長々とした話を聞いてくれて、冷静なアドバイスをくれたうえで、「○○は悪くないよ」と言ってくれた。ポジティブで暖かいメッセージを沢山俺にくれた。

 

 それで、俺の折れていた心が、すっと軽くなる感覚があった。一人きりでいると、認識や感覚が研ぎ澄まされることがあるだろう。それと同時に、認識が歪んでしまうこともあるだろう。

 

 俺は大抵一人でいる。そうでしか生きられないのかもしれないし、俺はいわゆる人の(社会の)役に立つ、というような能力の人間ではないのだ。

 

 でも、その人は俺を肯定して、力強い言葉を、優しさをくれた。本当にありがたい。

 

その人が教えてくれた、エディ・スリマンを迎えた、セリーヌのショーを見る。

 

http://www.celine.com/ja-jp/show/

 

 ロックでクールでセクシーで上品で、最高だった。その友人と盛り上がった。美しいものを見て、同じく美しいと言えることはなんて素敵なんだろう。

 

好きな物を好きと言えること。好きなことから逃げないこと。

 

 体調や気分が落ちていると、俺はすぐに頭がパニックになったり、鬱のとりこになる。でも、なんどでも、美しいものに救われてきた。そして、大切の人からの善意に。

 

 いろんなものにありがとう。

 

 明日にはまた別の問題が持ち上がっていても、でも、また、何かを好きになっていたいな

 

SUKI・・・っていいでしょ? 田村ゆかり - YouTube

SUKI・・・っていいでしょ? 田村ゆかり

 

 好き好き好きって、いいでしょ?

ナイトメアサバイバル或いは僕はくたばりたくない

小説を書き上げて、腑抜けになる。この雑記でもそうなのだが、俺は本当に誤字脱字やらが多い。普段はほぼ推敲や読み直しをしない。自分の書いたものを何度も見返すのは多少面白いが、苦痛。でもそれから解放されると、変な気分になる。俺に何か能力があるとするならば文章を書くこと位で、しかしそれで俺の生活が変わるわけでもない。でも、書かずにはいられない。俺の感情の、日々を彩った残骸たち。墓標。

 

 花屋の花束にわれもこうが並んでいて、あの赤茶色の細長いのを見るとなぜだか秋を思う。ボルドー色に近い=秋、とかいう単純な想起だろうか? 個人的には黄色のミモザも秋ってイメージがあるが。

 

 図書館で鉱石の本をたくさん借りて読んでいる。鉱石、たのしいな、欲しいな。ついでに澁澤龍彦の『犬狼都市』を借りて再読する。シンプルな小品、といった作だが、澁澤の小説の中では一番好きかもしれない。

 

 

 

「婚約指輪が送られてきたというのに、お前は手に取ってみようともしないで、今までどこを歩きまわっていたのだね」と父親が咎めるように言うのを聞き流して、麗子は、肩からさっさと重い二連銃をはずし、革のジャンパーをぬぐと、射ちおとしてきた五六羽の小鳥の、まだなまあたたかい骸を、ひとかたまりにして、テーブルの上にどさりと投げ出した。マニキュアの紅の上に死んだ小鳥の血が点々と凝(こご)って、蛍光灯の明かりの下に、娘の爪はむしろ黒かった。

 

 

 冒頭の一段落を引用してみたが、薫り高く、わくわくする書き出しだと思う。幻想文学とか、こういうディレッタントというか、かっこつけ文学が流行らなくなって久しい、というか、そもそもそんなものはごく一部の金持ちや貧民の趣味人の楽しみでしかなかったからかもしれない。

 

 でも、俺が一等好きなのは、そういう金持ちや持たざる者の傲岸で間抜けなエレガンスなんだ。

 

 ふと、俺も大人の為の童話……豪奢で優雅で本として所有したい鉱物のような小品。奢灞都館みたいなのを自分の手で監修して出版してみたいなあ、と思うが資金面で確実に頓挫する未来しか見えない。

 

 そういうのは働き者に許された権利なのだ、残念なことに。

 

 俺はゲーム実況が好きで、家ではよく垂れ流しているのだが、童話や詩の朗読チャンネルみたいなのがあればなあとたまに感じていた。いや、探せばきっとあるだろう。でもその人の声が自分の好みかはまた別の問題だ。

 

 無いなら作ればいい、と暇人は思ったが、それより働き口を見つけねばならない……一生涯休職中、求職中。酷い有様だ。俺はノマドでも『綱渡り芸人』でもない。屍人のごとき遊民。

 

 頭のことは常に別のことばかり。

 

 だから気分転換に現実逃避に死の朗読を あ、詩の朗読でもしたり童話を朗読の配信をしてみようかなと思いがわいて、でもこんな無駄な雑記を書いたうえでそれもするなんて、ほんと金持ちの道楽レベルだ。

 

 でも、何かしら新しいことはしたいなと思っている。

 

 もう一つ頭にあるのは、アイドルポップスの作詞をすること。勿論アイドルをプロデュースする能力もなければ楽譜も読めない。何をしたいのかと言えばつまり、スパンクハッピーピチカートファイヴの真似事をしたい、というようなことで、でもそれには俺がエレガント、或いはゴージャスな「ふり」をしなければならない。「ふり」だけならば金で解決できることだが、俺には金がない。でも、歌詞だけなら、短い詩だけなら大丈夫かもしれない。誤魔化せるかもしれない(才があるならば)。

 

 エレガントについて、断片的な歌詞を頭の中で弄ぶことがある。頭の中に物語の場面が浮かび上がることがある。短編小説というよりもむしろ、ハウスミュージックに合わせたい詩、言葉が。使い捨てられたいキュートで豪華なエレガンスが。

 

 家で寝すぎている位なら、現実へのリハビリテーションとして作詞か詩の朗読はいいかもしれない。というか、数年前俺がかなりやばかった時、身体を動かさねばという目的で、公民館の前でラジオ体操の後でボリス・ヴィアンの『ぼくはくたばりたくない』を朗読するという健康法を行っていたことを思い出した。

 

 とにかく、声を出すのは身体にいいらしい。

 

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ALI PROJECT - 薔薇色翠星歌劇団 (Bara-iro Suisei Kageki-dan)

 

アリプロジェクトの中でもとても好きな曲。

 

わたしはPoete 祈りのペンで  ひとりぼっちで 詩う

 

 これを聞いていると、自分の都合のよい解釈で、一人きりでする詩の朗読って素敵なことのような錯覚をしてしまう。

 

 でも、意味のないことを馬鹿らしいことを愛のことをエレガンスのことを愛さねば、きっと退屈で死んでしまう。少し、健康になりたいと思う。

 

魔法使いはいつ夢から覚めちゃうの?

気分が落ち込んで仕方がないというか、体調も悪くって、しかし家の中で腐っていても仕方がない。新宿のNEWoMANでやっていたマジックザギャザリング25th展に行ってきた。

 

 正直、このマジック展に行ってみたのyoutube動画を二本も見ていたのだ。内容はだいたい分かるのだ。しかも、当たり前だが、展示はカードを並べている感じだし。カードはカードショップでみられるし。

 

 ところで、このマジックというゲームは、俺が小学生の頃にめちゃくちゃはまって、当時はウルザブロック、というのが最新のエキスパッションで、だからそのあたりのカードは今見ても本当にわくわくする。

 

 というか、引退して何年もたつのに(途中一度復活した)まだいろんな人の動画やショップページを見たりしているという……そして最近数年ぶりにパックを十個くらいかったが、全て爆死した! これ、ほんと金持ちの遊びなんだよね。カードは高いし、内容も少し難しいし(すぐ慣れるけど)カード屋さんもプレイヤーは平均年齢2.30代って言ってたし。

 

 本当は大好きなゲームなんだ。でも、遊ぶには仲が良い友達(同じくらいの腕前と言うか、同じフォーマットのデッキを持った人)というエベレスト級の問題がそびえたっている。当然俺は一人でカードを眺めるだけー みんなどうやって友達ゲットしてるんだろうか……ポケモンGOとかでつかまえてるのだろうか……

 

 そんでもって、とにかく家にいるのが嫌だったので、MTG展に行った。したら、整理券をもらって、一時間後に再入場と言うことになった。中は大分込んでいて、正直いつもの俺だとそれだけでサヨナラしたくなるレベルだったが、なんとかこらえた。

 

 中でオタクが小声で熱く語っている声がそこかしこで聞こえた。ちょっとうらやましかったし、発言の細かい間違いは訂正したくなってしまった(友達がいないオタクあるあるー。って、そんなことをするくらい無粋ではない)。あーやっぱ友達とわいわいきたかったなー

 

でもなーみんなカードゲームって、ガキのあそびって思ってるもん。別に間違いじゃないけどさ。スマホゲーはみんながしているからオッケー。でも、ガチで何万、何十万、それ以上もカードゲームにつぎ込むのは「キモイ」って思われるんだよね。趣味は平等なのにね、寂しいことです。

 

 でも、マジックは本当にすごいんだよね。(他のカードゲームを貶める意図はない)絵柄もシステムも、フレーヴァーテキストも本当に質が高い。そして原画も展示されていて、有名な

等の原画を見る機会があって、やはり生の油彩、水彩画は筆致が印刷とは別の迫力がありとても素敵だ。

 

特に大好きなレベッカとニールセンの原画は家に欲しいレベルだった。あーこんな時に俺がお金持ちだったら、なんて思ってしまう。でも、見るだけでも十分楽しめるんだけどね。

 

後、マジックのアニメーションも見ることが出来た。森本晃司らが二作品のアニメを発表していて、時間が数分間で、長いマジックの歴史を考えるとどうしても映画の予告編みたいな内容になってしまっているのだが、それでも結構見どころがあり面白かった。マジックのウェザーライトサーガか兄弟戦争のアニメ見たいなー

 

 それで、来場者にはセラの天使のプロモをもらえて、入場料500円。マジでいい展示だったー。久しぶりに行った展示だったし、行って良かったなー

 

 帰宅して、オスカー・ワイルドの『幸福の王子』を読む。読む前から泣くかもしれないと思ったら、やはり泣いてしまった。本当に胸が痛くなる。『フランダースの犬』とか『ロミオの青い空』とか、『人魚姫』とか、こういう童話にほんと弱いんだ。

 

 こういう主人公がひたむきなファンタジーを目にすると、少し、自分の中にも硝子片のような輝きがあるような気がしてくるのだ。

 

 マジックザギャザリングと言うゲームは、自分がとても力のある魔導士になって、カードを操り相手と戦うゲームだ。小学生の俺は、大切なカードを操って、まるで魔導士みたいだった。

 

 いつ、みんな魔法から醒めてしまうのだろう?

 

 それが死であるならばいいのにな。

 

 魔法の為に、この酷い体にファンタジーを流し込んでいく。自分の身体が幻想とチョコレートで駆動している、と考えると、まあ、悪くはないのかもしれない。

泥に咲くのは睡蓮と死体

酷く気分が悪い。

こういった書き出しにも飽き飽きしてしまっているのだが、沼の中から抜け出せずにいる。浅い汚泥の中でもがいている気分だ。いつ、これから解放されるのだろう?

何かを飲んだり、目隠しをして誤魔化すのがほとほと嫌になってきた。

金がないのに(自分としては)散財をしてしまう。

でも、無駄遣いをできない人生なんて、狂ってる。

 

ふと、自分がタトゥーを何年も入れていないことを想起する。

大好きなんだ、針を刺されるのも刺されている最中になんだか飽きてきてしまって暇になるのも、出来上がったモノクロのアレゴリーも。

 

 ただ、何をするにもお金がかかるというのは本当に問題だ。

 働くのが好きか、他人からお金をだまし取るのが好きならよかった。

 あ、この二つは同じことか。

 

 フォーレのピアノ四重奏というのを聞いているのだが、なんか好きだ(クラシック知識がまるでないのだ)。というか、クラシックばかり聞いているのは、自分としてはやばい兆候かもしれない。俺にとってのクラシック音楽は(大好きなバッハは)風や雨などの自然の音に近く、完成されていて穏やかな物だからだ。(なので俺はうるさいテクノやロックが好きなくせに、仰々しいクラシックは苦手なのだ)

 

 どうせ死んでしまうのだから、やることを済ませてからがいい、なんて思ってはいるものの、薬やアルコールの力を借りて鬱々と、うつらうつらとしたまま眠りにつく日々。

 

 そんなホームレス予備軍の日々の中で、自分が好きなのはエレガンスだなあと改めて思う。エレガンス。それは滑稽で美しい美意識。それをするには寝ているだけではだめだ。無駄遣いをしてたまに悪口を言って上品でなければならない。愚かでなければならない。愚かであって、美しくなければならない。

 

 最近俺は鏡をあまり見ないようにしている。鏡は、見なければならない。そんなことは分かっているけれど、自分の様々なことを忘れたい、けどそんなのは無理なんだ。俺はこれまでの俺で作られていて、様々などうでもよい傷と美を捨てられずに後生大事にしているのだ。

 

 最近人間関係で酷く嫌な体験をして、それが未だ尾を引いている。それについて書いた雑記は、色々とフェイクを入れながら書いたのに、自己嫌悪で消してしまった。

 

 自分の人と会話する能力のなさに(うわべだけは、その場を取り繕うのは得意なのだが)げんなりする。何度も同じような失敗を繰り返しつづけるという低級地獄。

 

俺が動物や花が大好きなのは、人間関係が苦手だからかもしれないと思うと、またげんなり。人が嫌いなんじゃないんだ。ただ、コミュニケーションがこんなにも難しいなんて、いや、みんなが、こんなにも神様とかエレガンスとかゲームとかについて考えていないなんて!

 

 結局俺は小学生のまま身体だけは老いて、置き去りになっている。いや、自分でそこにとどまることを選んだのだ。

 

 クローゼットにある、昔、好きなブランドの服がなんとなくしっくりこない。三十過ぎれば誰もが経験することかもしれない。

 

 いつまで俺はこんなどうでもいい言葉を吐き続けることができるのだろう、という経過をここでしているのかもしれない。疲れた。

 

 

 

イマジナリーゴッドを大切に

体調が悪い、ということばかり馬鹿の一つ覚えのように書いているし、いい加減自分でも芸がないと思うのだが、そうだから仕方がない。

 

 一応、小説を書き上げてはみたものの、出来があまり満足できるものではなく、腑抜け。頭の中が空っぽで、何かを入れてはみたいのだが、ここ数日は寝てばかりいた。

 

 日銭稼ぎをしなければならないのだけれども、色々な物がどうでもよくなっているのはいいことなのか悪いことなのか。少し、建設的な生活をしてからまた何かを書き上げるのがいいとは分かっていても、そううまいことはいかない。

 

 バッハの音楽の捧げものとかいうアルバムを繰り返し聞いている。落ち着きたい時は、大好きなうるさいテクノや陰気なロックではなく、バッハが一番だ。

 

 部屋を暗くして、身体を丸めて錠剤とアルコールとバッハ。ひどい話。ひどく、つまらない話。こんなのよりも映画の話しの方がまだましだ。

 

鈴木清順『全てが狂ってる』を見る。鈴木清順のカメラやら構図やらテンポの良さやらは相変わらず良いのだが、自分史上一番、清順映画で脚本が酷かった。ベストセラー三文小説みたいなのを見せつけられる(しかし映像はいいし、主演の男も中々はまっているし、若いお嬢さん役の吉永小百合も河合らしい)という、悲劇。清順だから、脚本があんまりでも、最後まで見ることができてしまうという……

 

 ミヒャエル・ハネケの『ベニーズビデオ』をなぜだかまた見てしまう。

 

物質的に恵まれた家庭で育った少年ベニーは、
スタンガンで屠殺される豚の映像に魅せられていた。
ある日、彼は家に招いた見知らぬ少女を衝撃的に殺害してしまう。
しかも、その模様をビデオカメラに収めていた。
そのビデオ・テープを目撃した両親が選択した道は・・・。

 

 

 ハネケの映画にケチなんてつけられないのだが、(つまり彼は映画の才能が有りセンスが良くて性格が悪くてシャレを理解していてクソ真面目なのだ)何だかそんなに面白くはなかった。

 

 それはこの映画の主題が古びているのかもしれないというか、単に俺が主人公の心情を理解してしまえるからだと思う。衝動的で好奇心旺盛な馬鹿。これをサイコパスや共感性やらの欠如という言葉で片づけたくはないのだが、うまい言葉がみつからない。

 

 うまい言葉がみつからない、というそのもどかしさをハネケは頻繁に描いているから好きだ。

 

 先日新宿の紀伊國屋書店の並びにある鉱物やで鉱物をずっと見ていた。じっと見ているのに飽きない。安いのは2000円くらいでも買えるので、買うかどうか本当に悩んだ。しかし家にはガラクタが山ほどあるのだ。

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 色々あったが、アメジストの鉱石がとてもよかった。綺麗に加工されているよりも、岩とくっついている感じのがとても良い。いいなあ、綺麗な物を眺めてくらしていたい。

 

 そう、思っていても実際は現実から逃れるために惰眠を繰り返すだけだ。

 そろそろ俺の頭と体に耐久年数がきたんじゃないか? そう思いながら最近暮らしていて、ヤバイ、という思いと共に、思考停止になったり、逆にやれることをどんどん片づけなければという躁状態にも陥っている。

 

 躁鬱の揺さぶりで、自分の身体が自分の物ではない気がしてしまう。のだけれど、明らかにこれは俺の所有物で、俺が責任を負わねばならないのだ。

 

 長い間悪いことを考えすぎた。そろそろまた、空元気を出してやっていかねばならないのかもしれない。惰眠よりもロマンティックの方がいい。でも、ロマンティックはシャボンよりも脆い夢。ずっと夢を見るには? ロマンティックの代償って?

 

 ふと、ミンサガのラスト、邪神サルーインにディスティニーストーンを捧げる場面を想起した。酷い有様も現状も、俺の選んで行った結果。ありもしない神様に、ありもしない言葉を捧げる人生。

 

 愚かな言葉を書き連ねることで、なんとかロマンスについて考えることができている。ベニーズビデオ、よりかはfriends を大切に。

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