印画紙の上の星座毛皮刺青それ以外

天気がいいから外に出よう。やらなきゃいけない、と思い込んでいることはあるのだけれど、どうせ家にいてもやるとは限らない。だったら日向を歩く方がいい。

 休日の渋谷は人が多く、人混みみの中でじっとするのは苦手だけれど、活気がある繁華街というのはとてもいいものだと思う。様々な人々がいる街はどこでも好きになる。

 エレキシ(DJやついいちろう×レキシ)-トロピカル源氏

 この人お笑いが本業なんだよね? すごくセンスよくてクラブミュージック関連の人かと思った(ラムライダーの検索でひっかかって、CDを借りたので)。

 というか、松本伊代のセンチメンタルジャーニーのリミックスがほんと良かったんだ。その動画なかったけどさ。

 ビットチューンにオタク掛け声(コール)を入れたミックスがマジ俺のツボだった。

 アイドルソングは好きだけど、大してアイドルに詳しくないし現場に参加したことがない俺。だから最初はオタク、男ファンの野太いコール文化というのにびっくりしてしまったけど、あれ、ライブ映像とかで見るとめっちゃ胸に来る、ことあるよね。チョコレートかけたポテトチップスのような相性の良さ。 アイドルの歌ってこうやって完成なのかな、なんてファンでもない人間だけど、了解してしまうんだ。

 休日にアイドルソングは、オタクの叫びは、楽しい。

田村ゆかり「14秒後にKISSして♡ 」Short Ver.

 田村ゆかりは本当にすごい。アイドルのお約束なんて関係ないというか、何歳だってアイドルが成立できるんだって証明してるのかっこいい。いくつになってもいつまでも、甘すぎる衣装で曲で歌詞でいいじゃん。

 プロデュースしてる清竜人もいい。というか、清竜人が女の子に提供した曲全部とても良い。はっちゃけてるのにすごくポップだ。休みの日には、やっぱりポップソングがいい。

 歩いていると、青山のファーマーズマーケットが目に入る。土日に、こどもの城の横でやってるんだよね。一年位前、ここで乾燥しているのではない、ラベンダーを買ったのだが、香りがとても良かった。芳香剤のラベンダーは苦手なんだけど、そのラベンダーは匂いが強いのにすごくリラックスできる香りだったんだ。

 たまにここを通る度に覗いてみるんだけど、売ってるお店には出会わない。

 ほどよい人混みの、青空の下の市場というのは歩くだけでなんか気分が良くなる。少し、値の張る野菜、果物、花、食器。日の光を浴びて並べられたそれらはとてもおいしそうだし、美しい。ただ、垂れ幕で「エビデンスのある野菜を」ってかかれてたんだけど、それ、俺は書かない方がいいと思うんだけど、どうでしょ(そのコピーが間違ってるとかいいたいんじゃなくて)

 久しぶりに、青山ブックセンターに行く。ファッション雑誌を適当に見て、写真のコーナーへ。すぐに目について、手に取る本。

 中平卓馬、氾濫

 1974年のインスタレーション作品の書籍化、ということなのだが、それを目にして、正直これはあまり良くないのでは……と思ってしまった。俺は日本で一番好きな写真家が中平卓馬なのだが、この本ではいまいちぴんと来なかった。ただ、後ろの方に実際のインスタレーションとして並べられた写真も(全体像の撮影なのだが)あって、それを見た時に初めて、あ、いいかもと思った。写真集に収めた、ではなくあくまでインスタレーションとしての全体を映したものだ。

 不思議だ。一部分で良さが分かることもあるし、じっとしてないと分からないこともある。音楽だと、最初の数秒聞くだけでそれがいいものかそうでないのか「独断、偏見」の判断を下せるけれど、美術とか文章だと、たまにそうでないことがある。

 好きな物は一発で分かる。感じる。そう思ってはいるけれど、数年後に、やっぱり気になることだって、自分がその美に感応できることもある。

 欲しくない、いや、彼の本なら何でも欲しいよ、でも、三千円、出せないなあ。だって、俺はコレクターになりたいわけでもなれるわけでもない。でも、欲しい。大体図書館や書店で目にしてしまったけど、それでも欲しい。なのに買わないんだな。

 あと、中平卓馬タブロイド判写真集 

 が売っていて、判型A3で、大きなフリーペーパーみたいなの。だって、16ページしかないんだよ! それで二千円! なのに、すごく良い。撮影は2006、2008年ということで後期のなんだけど、ああ、いい。としか言えない。一目見て、中平卓馬だと分かるんだ。(氾濫は分からなかった)ただ、風景や人が写っているだけなのに感動できるなんて。

中平卓馬『自意識を解体すること、それをすすんで引き受けること、それが私の考えること、その自意識の解体と再生を自らすすんで引き受けること、それが写真家として止む事なく私が考え、引き受けつづけることである』

 文章だけでも素敵だ。買わなかったけど。

 それで、適当に棚に並んだ人たちのをぱらぱらと。写真集って(外国人の)、5000~10000位するからさ、気軽に買えないんだよね。ケチ臭いんだけど、俺、数千円の本を買うのにめっちゃ悩むからね。数年悩んで、それなのに買ってない本だらけだよ。だってさ、一冊買って終わりじゃないし。欲しいのばかりだよ。全部欲しいよ。だけどそんなの無理だし。

 ぼんやり見る、ライアン・マッギンレーやティルマンスの写真集は、何だか俺にも優しい。カメラの前にいる生々しく、優しい人たち。センスが良く、親密感のある写真がそこにはある。彼らの写真にはよくタトゥーを入れた人や裸体が多く出てきて好きだ。俺がとても好きな人はしばしばミニマルな感じだけれど、エモーショナルを情動を親密さを持った彼らの写真は幸福な気分になるんだ。好きな人をすきなように撮るという幸福。

 素肌には刺青か毛皮を。なんて、ヤンキーセンスの俺。で、上品ヤンキーのドルガバの本、読みたかったのにシュリンクされてた。二万円か三万円した。俺がこれを買える日はこないだろう。転生しても買える気がしないぞ。

 で、棚にあるペーパーバックの、ラリークラークの処女作タルサ。これ、俺、彼の中で一番好きな写真集で、家にあるんだ。ペーパーバックなのに定価四千円越えかよ、と思ったら、ネットだと一万超えてる。なんでだ?

 クソガキが撮った、犯罪者達。ラリー・クラークの憧れの人は皆ワルガキとか娼婦。どっかのダメな人。なんだけど、愛情を憧れをもってるなら、それが勲章になるんだ、注射器も拳銃も刺青も裸体も誇らしい。

 棚ごと欲しいのに、結局何も買わないで店を出る。ネットで注文した本、あるし読んでない本もあるし。

 本屋から出ると、小さな魔法から溶けたような気分になる。昼の陽光から、肌寒い温度に変わっていることに気づく。

また、来なきゃな。今度は何か買わなきゃなと思う。小さな無数の魔法がなくっちゃ、明日とか昔とかのこと考えてしまう。今、どうにかしなきゃいけないのにさ。だから今、とりあえず、どうにかするんだ。

 

 

雅夢愛はかげろう

 

 しんみりした曲なんて聞いてないで、ポップソングでも聞きましょうそうしよう。

全次元ノイズ司書、師匠

何をしてるんだろってしょっちゅう思うんだ。でも、じっとしているのは苦手で、退屈ならまだ労働の方がまし嘘です。 全人類が嫌いな労働正社員は全員アンドロイド。俺さ、アンドロイドじゃないんだ残念なことにだから、雑務の最中に頭で音楽鳴る鳴る

セルジュ ゲンズブールのリラ門の切符切り

切符に穴を開けるしごとに病んで拳銃で自分に穴を開けて最後は墓穴の中へ

これがデビュー曲なんて最高

 

Serge Gainsbourg - Le Poinçonneur Des Lilas [1958]

 

そして契約時間から解放されて、ビルから出ると音楽を流すんだ

ゴーゴーバニラズ サマータイムブルー

 

 

素晴らしき景色を 堂々巡りじゃだめです 

未来永劫戸惑うことがないことに愛を

 

 

 それが動画で無くってさ、でもこの曲も最高。

 

きまぐれな未来が 彩るあまねくマジック

とけないまじないが 底抜けに笑いを呼ぶ 

痛快な謎をさがせ

 

テンション上がって、

陰鬱な気分からすぐに覚めて、ジョンスペのベルボトム

 

The Jon Spencer Blues Explosion - Bellbottoms

 

 

あーこの粗雑でセクシーな感じたまらないね PVクソダサでかっこいい!

それでクソダサエレポップ、ヒューマンリーグ流しちゃって 帰りの車内なら、俺もアンドロイド気分

The Human League -- Electric Dreams Official Live Video

 

それで、デパートで値引きシールが張られた紀伊国屋のサンドイッチを買って、甘い物もかって、ピクニック気分で楽しいんだって家に近づく頃には テンションもフラット。感情のさざ波凪。

ざわざわしたいし、落ち着きたくて、ラテンプレイボーイズが流す。

 

Latin Playboys - Mustard

 

彼らの曲を聞くと中南米のアバウトでそこそこ陽気な休日の様子が思い浮かぶんだ中南米について全然知らないけど。この曲三線使ってるのかな? まあ、沖縄も南米みたいだよね全然知らないけど。

それで帰宅して、何かしらやらなきゃなって思って、でも何もしないで寝るんだ

 そして朝になって、少しだけ用事をすませた、そしたらまた外に出たくなってしまって、しょーもないことをして、しょうもない無駄遣いをして帰りの電車、俺の隣にはアメリカーンなあんちゃんが座ってた。赤いスカジャンに黒のジャージ、ソフトモヒカンのださくてかっこいいあんちゃん、何故か紙製の路線図とスマホを両手に持ってる。

 ちょっと気になるけど、電車が動き出して、俺の眼の前の三十代カップルがきゃ-きゃ-はしゃいで、女性のバッグが俺の膝に超当たりまくって、俺の中のデビルマンが目覚めそうになる、

けど、耳元で片寄明人

 

 

 昔の恋も チョコレートでも

 君が好きなものは みんな嫌いだ

 

 ってエモーショナルセンチメンタル百点の叫び声をあげるから

 俺も彼が口にする度、そうだよねって思う

 

 

GREAT3-Oh Baby

 

 そして隣のあんちゃんはまだ路線図とスマホと、そして停車駅の表示をきょろきょろしてるから、センチメンタル中断して声をかけた。

 話を聞くと、彼は間違った電車に乗ってしまったらしい。彼が乗るのは各駅停車でしか止まらない駅なんだ。この電車はハイスピードだから停車駅はもう過ぎている。それ以上は<中学生の英語力>現代の科学力、じゃ解明できない。

 次の駅で降りた方がいいことを告げると、彼はチャーミングな笑顔でお礼をいってくれて、死に化粧したみたいな俺もにっかり。

 それでさ、ちょっとだけいい気分でふんわりした頭でホームに踏み出し二歩三歩、したらゲロ踏みそうになってさ、マジトラップカードやめてくれよ遊戯王。俺、遊戯王知らないし、こんなこと言いたいわけじゃないんだけど、ええと、なんだっけ。

 

 

 

読みたい本や読みたくない本がたまっている

今、時間がないんだ俺
なのにさ、本読まないとやってられないんだ。

他人の意見が他人の熱心でどうでもいい話が必要なんだ

俺は集中力に欠けていて何かしている時に別のことを考えてしまう。

しかも、退屈な時より、素敵な映画や本や、まあ、そういうのを目にしてるのに、それに感性が揺れて別のことを考えてしまう

好きな物は何度でも新しい なんて嘯く

家に置ける本は限りがある。俺は引っ越しが多いから、立派な本棚があるような家じゃないから、いつからか手に入る本は図書館でいいやと考えるようになった

ほんとはさ、お金や友情を無駄遣いしたいんだ、でもないからさ 貧乏人は麦を食えじゃなくて貧乏人は本を読めって言うよ俺、議員先生なら

本を読む、たまゆら、彼も彼女も出現するんだポルノグラフィよりスイートなイマジナリーフレンド達。
それで、俺が好きな人たち、揃いも揃って無愛想でさ、彼らとの対話は読書は面倒だ

かかって来いよわかるやつだけわかればいい勝手にすればいいよとおすましする幻影のチャンピオン。ガイドもない。突き放されて俺はシャドーボクシング

でもさ、こんなに好きなのに、読んだって大して理解できてないのが読書の醍醐味かもしれない。つかめないから知りたくなる。何度でも手を伸ばす。

永遠に新しい会うたびに初恋

なんてことできるような心の余裕なんと蓄えなんてない、だとしたらもっと愛想がいい、ということにしておきたい人たちを思い出すんだ

読書なんてたいしてしたくないけど何か、しゃべってよ 気軽に楽しい話をしてくれよ

なんて面倒な問いに答えてくれる彼ら

借りたい本がない時に図書館ホームページ、検索ボックスにいれるんだ

町山智宏 柳下殻一郎 斎藤環 山形浩生 中島義道 宮崎哲弥

 彼らはたくさん本を書いていて(訳していて)読みやすくて面白いのが多い(違うのもちらほらあるけど)。中高生にも中高年にも喜ばれる本を書ける人達。書きまくれるのも才能なのかもしれないし、何より頼もしい。この中の誰かは何か喋っている。彼らは死んでないんだ! 俺が大好きな死んでしまった、或いは死にかけている(失礼)あの人やこの人。新しい本、書いてくれないんだ。気軽に読める本もさ。

 この並びで行くと、蓮實重彦浅田彰柄谷行人。俺が学生の頃はこの三人が批評評論の王様って勝手に思ってた。評論は批評は惜しみない愛情と悪罵を、ってことを学んだ、気がする。お前ら馬鹿だよ駄目だよ、って言っていたとしてもなんか許せちゃう、としたら彼らが(彼ら、といってもここだけは特定の誰かではなくて)制作者顔負けの機知と知性と熱情を持ち合わせているからかも。

 浅田彰は本を出さないから、すぐに読んでしまった。大好きなのに、書いてくれない。賢しさと寡作であることの関係性なんて考えたくないな。蓮實重彦の映画評を目にする度、この人には映画では絶対かなわないと思ってしまうんだ。かなわない、なんて思っちゃうなんて恥ずかしいことだ。怖気づいてないでがんばれよって思う、でも、そう思える人がいるというのも幸せなことかもしれない。

 

 大好きな人の話、或いは同調の為の読書は安心感があるけれど、闖入者のいない世界というのは感覚が鈍磨する。研ぎ澄まされる、ということと表裏一体の関係性かもしれない。がさがさざわざわしている時間よりも、エゴイストの為の時間が、創作の時間が必要だ。自分と自分に慣れ親しんだノイズが揺籃。

 でも、俺は俺の横っ面をひっぱたいてくれる先生が他人があんちゃんが必要なんだ。よく分かんない人らはいっつもチャーミング。彼らの背中にすすけて見える、ような気がする『動くな、死ね、甦れ! 』或いは『ぼくの小さな恋人たち』

 やんなきゃいけないことがあるのに、またこんな塵芥雑文書き散らしてるし、それにまた読書しなきゃいけないし。読書なんてしたくないよでも、他人の熱情の群れに放言に進言に箴言に、無数のノイズの中にいるとたまに、感性がざわついて気持ちいいんだ、そこで俺はまた何かできそうな気になってくるんだ。勘違いできる。できるんだ。

はなばなの名前は

思考することから目を背けてぐずぐずと。寒いのなんて嫌だから早くあったかくなって欲しい。早く外でシャボン玉吹きたい。

 今まで知人友人に無理やりシャボン玉を吹かせたりしたのだが、一人としてノリがいい人がいなかった。「え、マジかよ」「めんどくせーから黙ってるか」「ヨナ君(仮名)ってこういうとこあるから反応に困るよね」みたいなオーラばんばんだしてんの。

 でも、俺傷つかないもんね、逆に、中途半端に嫌がるからニヤニヤしてきてさ「マジたのしーからやろーぜー」みたいになる。露悪趣味嗜虐趣味。ほんとはそういうのないけどさ、君の嫌がる貌見られるなら努力するよたまには。

 努力、って何のことか、実はよくわかってないけれど。

 たまっていた本の消化、あと読みたい本も読む。図版や写真が多い贅沢な本はどれもこれも好きだ。

鉱物レシピ-結晶づくりと遊びかた
 図書 標本BOOK-お気に入りのものを集めて作るインテリア標本の楽しみ- 
 魔術師のための創作BOOK

 とか言う、本をまとめて借りて読む。物作りとかの本が好きだ。作らないけど。たまにプラモデルが作りたくなる。ガンダムとか日本の城とか作りたい。でも出来上がった完成品はいらないんだな、これが。

 たまに、鉱物鉱石標本とかの本を読む。大して詳しくないけれど、つまり読むたびに発見があって面白い。綺麗な石は好きだが、硝子ケースに収まっている姿が美しい。あと、鉱石は名前がいいよね。

 水晶文旦、という名前がとても好きなのだが、これは鉱石ではないし文旦は特に好みではない、けれど名前がとても美しい。水晶で果実を作りたい。来世はキリストになって(石をパンにできるから)おいしいパン屋かアーティファクトを作る工匠になりたい当然来世などないけれど。

 たまっていた映画の返却期限が近くなってきて消化。

 

 ヘンリー・ゲルツァーラー ポップ・アートに愛された男

1960年代のニューヨークで隆盛を極め、今も世界中の人々を魅了し続けるポップ・アート。
メトロポリタン美術館の現代美術キュレーター、ヘンリー・ゲルツァーラーと
名だたる巨匠たちの目を通して、ポップ・アートのすべてが明らかになる。

 

 という少し大げさな説明文が、映画を見て大げさではないことを知る。すべてが明らかって何だよ、って感じがするけどともかく、出演者作品が豪華すぎる。

ウォーホル、ロイ・リキテンスタインジャスパー・ジョーンズ、デイヴィッド・ホックニーフランク・ステラロバート・ラウシェンバーグ、ヴィレム・デ・クーニング……この三倍以上の出演! しかも抽象表現主義の作家も出る。個人的にはポップ・アートとミニアル・アート(抽象表現主義)は同列というか、重なる面がある。或いはその運動を語るときにはどちらも論じるべきものだと思っているので、視野の広さに満足。

 既製品でもスペシフィック・オブジェクトでも、そこには人為が手業があるのだ。だから、あんな物が美しく見えてしまう(こともある)のだ。

 ジョージ・シーガルのモデルを務めた、そうで、シーガルは石膏像で人体を作った人なのだが、なんか俺好きなんだよね。実際の作品は見たことないし、見たらそんなに大したことないかもしれないけどさ。頼りない石膏像の(アーテイストにとって)親しい人達、ってなんか惹かれる。

 あ、グリンバーグも出てたなあ。また彼の本読まなきゃな……

 とにかく出演者だけでも豪華。ドキュメンタリー映画で豪華、ってのはそれだけでもポイント高い。

 

グレート・ミュージアム ハプスブルク家からの招待状

伝統ある美術館にも押し寄せるグローバル化の波――120年目の大いなる転換はどんな結末を迎えるのか?
館長、学芸員、修復家、美術史家、運搬係、清掃員。個性的なスタッフたちがつむぐ小さなドラマは、組織のなかで働く苦労や、芸術を扱う仕事が持つ困難さを切実に描き出す。
美術館のブランド戦略をめぐって紛糾する会議。収支バランスを問うてばかりの経営陣。下っ端扱いを嘆くサービス係。完璧主義の修復家。芸術とビジネスとが同居する場で巻き起こるのは、どれも普遍的でありながらユニークな問題ばかり。

 とかいう説明文が映画の説明としては十分すぎる。でも、それを知っていても、実際見て楽しい。黙々と仕事をする人たちと色んなあけすけな不満を口にするスタッフ。まるで自分も参加しているというか、のぞき見をしているような気分だ。効果音がないのも良い。人の仕事ぶりと生活を、そしてもちろん美術館を淡々と映す堅実で誠実な作り。

 

 成瀬巳喜男監督、林芙美子原作『放浪記』をまた見る。

主演は高峰秀子加東大介の顔を見て、あ、またこの人出てる。と思った。俺は人の顔をよく忘れるのだが、この人は漫画のキャラみたいな顔で(失礼)忘れられないし、ちょくちょく有名な映画出てるんだよね。

 とにかく生きていくんだ、っていう投げやりでも前向きでもない、図太くてか弱くたくましい。そんな女性像を高峰が演じているんだが、まあ、この人は演技がうまい。小汚い、はすっぱな役なのだけれど、顔の良い男に弱く、惚れた間はとたんに顔が輝く様がいじらしくも美しい。

 相手役の一人、宝田明のクズの二枚目っぷりがとてもいいと思った。女に迷惑をかけて逆切れをする肺病やみ。あまりにも高すぎる自己評価とプライドに周りの評価がいつまでも追いつかない。一生自分を愛して苦しむ二枚目。漫画に出そうな昭和の文学青年。とかいうベタな役。

 高峰の、林芙美子の、強くなくても生き抜く覚悟というか、愛されるような生き方をしてはきていないのだけれども、拗ねたような甘えたような態度でとにかく踏ん張っている姿は胸に来る。彼女の言葉、詩、

 

花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき

 

 でも、美しい時があるなら美しさを知ってしまったならばそれでいいのだと思うのだ。そんな居直りがないと、とにかく、辛いだけだ。

 見終わって、満足感と疲労感に襲われて、でも現実の俺は迎えたくない明日が来るわけで、俺も色んな物の処理をしなければならなくて、図書館で借りたプリキュアの歴代オープニングが入ったCDをパソコンに入れる。

 プリキュアは有名なので知ってはいるが、見たことはない。俺、曲が良ければ見たことがないアニメやプレイしたことがないゲームのCDを借りたり買ったりするんだよね。

 で、聞いてみた。良かった。なんか昭和アニメの主題歌の中に作品名が入る奴って覚えやすくていいのが多いと思うんだけど。良作率高いと思うんだけど。

魔女っ子メグちゃん OP

 アニメのオープニングだけ見ることがあるんだけど、このオープニングはほんとヤバイと思うんだけど。曲も作画も構成も素晴らしすぎる。ぐるぐる動く画にコミカルだったりスリリングだったりチャーミングだったりする展開に曲もボーカルも最高! なんでこんなにできがいいの? って思っちゃう。アニメに詳しくないんだけど、俺にとって一番すごいアニメのオープニングだ。あ、本編は見たことないです。

 ふたりはプリキュア OP「DANZEN!ふたりはプリキュア五條真由美

 この有名な曲、見てる人が元気になるすごくいい曲だと思う。小さな女の子が「大きくなったらプリキュアになりたい」って言うのが分かるわー みたいな浅い感想が出る位、曲だけでも魅力いっぱい。

 で、歴代のオープニング曲は良い曲が多いんだけどさ、『放浪記』見た後でプリキュアメドレーは、いやあ、おっさんにはきついっす!!! プリキュアが戦う闇の組織(?)みたいに浄化されちゃうよマジ。

 俺的にはこっちの方が身近プリキュア感あるかなー大人向けプリキュアかなー(は?)

空中戦 / 女王蜂

 

 夢見る少女が大人になっても 忘れないでね あの時あの気持ち

  って、プリキュアの後に聞くと染みるー

  染みて、しみったれちゃうよまた。ぐずぐずしちゃう。プリキュアでも聞きますかね。浄化されない程度にさ。

真夜中が友人じゃないって知ってるよ

 外に出ようとしていたのに、雪がちらついていた。寒いから家から出たくないけれど家にはいたくない。ぐずぐずと考えていて、厚着をして外に出ると、案外寒くない。雨よりも、はらはらと落ちる雪の方が冷たさは感じないのが不思議だ。

 繁華街に出る、とはいえ行きたい場所なんてなくて、でも、外に出るのは歩きながら音楽を聞くのは好きなんだ。ipodと一緒になって口ずさむ、スパンクハッピーの夏の天才。息継ぎを、ブレスをする度、吐いた息が白くなり、消える。

 

2018グローバル・グリーン キャンペーン(音楽:SPANK HAPPY「夏の天才」15秒バージョン

 

 あてどもない徹夜のドライブ 知らない森で目隠し

 悩むものに悲しむ人に あやめ ゼラニウム アマリリス

 

 この曲はほんと詩もメロディーも最高だと思うんだ。あとデパートのイメージソング(伊勢丹)というのもぴったりすぎる。ハウスミュージックは貴方のお気に入りのデパートの恋人。ということにしよう。

 

黄昏のBay City

 俺が生まれる前に生まれたシティポップ。ベイシティってよく分からないんだ。でも、冬の日に合っている、ような気がする。

 

 若さは多分 見えないナイフ もつれあって 心が切れた

 馬鹿ね今頃 愛が痛いと あなただけがこの傷口 ふさげる人よ

 

 雑なドラムマシンの音と大げさな歌詞。なのに、ボーカルの歌唱力がすごくてポップスの中に沈んでしまうんだ。

 

 「誘惑について」PIZZICATO V

 田島貴男ヴォーカルのピチカートはソウルミュージックというよりも、最高のアダルトミュージック。アヴァン・ポップス。という感じがする。少し、体調が悪い時に少し、調子に乗りたい時に少し、アルコールの回った時に。

 本屋で並んだ古本を見ると、また、読みたくなってしまう人たちの名前が浮かぶ。セリーヌル・クレジオボルヘス。俺は彼らの大ファンというわけでもないのだがでも、彼らの小説は上等だ。最高だ。

 セリーヌの小説の『夜の果てへの旅』の冒頭は最高だ。

 

ことの起こりはこうだ。いいだしっぺは僕じゃない。とんでもない。

 

 第一次世界大戦中の彼。ほら、この冒頭だけで面倒に巻き込まれる予感が伝わる。最高だ。そして、主人公が気を許すことができた相手との別れを選択する場面で言うんだ。

 

 

僕らが一生通じて探し求めるのは、たぶんこれなのだ、ただこれだけなのだ。つまり生命の実感を味わうための身を切るような悲しみ。

 

 真冬にこそ読みたい小説だ。でも、この本たしか800ページある。長い本なんて面倒じゃないか。俺さ、読みたい本と読みたくもない本がたまってるんだ。

 散財して、帰宅して、少し、何かしようとしてできなくて寝る。翌日も洗濯だけしてぼんやり。そしてまた外に出る。

 人にあげる花束を買う。花束を買う、というのは良いことだ。誰かに何かをあげたり、無駄遣いをしていると、自分がまだましなことをしているかのように思える。何でかは分からないし、あまり考えたくないけれど。

 

 でも、俺が花屋で買い物をすると「領収書はいかがしますか」と聞くのはやめてくれ。いいじゃんか、俺が自宅用に買ったって。ある花屋なんて「近くで撮影ですか?」って聞かれた。ADにでも見えたのだろうか? これについてはよく分からない。

 花束を買うと、形が崩れるのが気になるし、電車内で本を読むことなんてできなくて、自然と花束を覗き込む。俺は注意力散漫というか、ほんと色々と雑でじっとしていられないので、何かを観察するという行為が苦手なのだが、それでも瞳に映る花々はそれぞれの顔というものがあり、興味深くも美しい。じっと見ると様々な色と形。虫を引き寄せる園の中で俺の視線も迷子。

 支払いが多い生活。考える、生み出すよりも吐き出すことが多い生活。どうしようもない。わりとすぐに落ち込むし、小さなことで立ち直るのだけれど、明日とか来週とか来月のことなんて考えたくないと思う。

 考えたくないのに、早く色々なことをしなければ片づけなければと思う。

 テクノとかロックって不良の音楽で、俺は聞かないんだけれど、クラシックに関しては「バッハほんと好き、他の人らは、まあ、うん好き」程度の感性しか持ち合わせていなくて、でも、何も聞きたくない時はクラシックを流す時がしばしば。

 最近ドビュッシーフォーレを聞いていた。なんか自分のクラシックの趣味って分かりやすいなーと思う。丁寧な、規則正しい、或いはメロディアスなピアノ曲。室内管弦楽とか小品集、とかそういうのも疲れずに聞けるから好きだ。おかゆばかり食べてるじじいかよ。

 オルガン曲は全部好きだけど、メタル曲聞いた時みたく疲れるから大変だ。ロックマンの曲の方が耳に優しいと思うよ(個人差があります)

 

 民族音楽、というのに明るくないし大して詳しくないのだが、ガムランは好きでたまに聞く。曲名がない、或いは覚えられない、覚える意味がない。というのがとても良い。クラシックも似たような感じというか、あのそっけない題名が覚えられないのだが、それ以上の体系化の拒否、といったものがそこにあるように思えて、すごく良い。複雑な音がして、俺はそれを覚えられないし忘れてしまうし、でも、気持ちいいんだ。

 ガムラン。聞く度に新しいんだ。最高だ。

 ポップミュージックとか、ロックとか、そういう不良の音楽はダメだ。あんなの毎日聞いてたらきっと、社会性が生まれちゃうよ帰属意識が生まれちゃうよだから、音楽なんて聞かないで、雑音みたいなのがいい。美しい雑音が。それ以外はもう、いらない。

 

 

 

Suchmos "STAY TUNE"

 

 サチモスいいですね。最近毎日聞いてます。この曲聞くと、外に出たくなる。どっか行きたくなる。行きたい場所なんてないのに。バリ島に行くには、お金がないのに。

 

セリーヌ読んでるやつ もう Good night

 

 何だか、夜をどうするか夜に逃げ込めないか毎日が真夜中だけならいいのにとか考えちゃう。ダメだ。そんなんじゃダメなのに。

 

 

STUTS - 夜を使いはたして feat. PUNPEE

 

 ほんといい曲。でも、こういうのばかり聞いてたら勤労意欲がなくなる。え? それって俺だけ?

 好きな曲を聞いて働きたいなんて生きたいなんてすごいね。俺は疲れたからひとねむりをして、でも、布団だってほんとは好きじゃない。

早くその瞳を砂糖漬けにして

好きなものに手を出している気分になる 色々なものに触れて考えている気分になる

でも実際はそうでもなかったりする 好みは思考範囲は似通い、アクセス先はファミレスのバイキングなのに、あたかも自分自身で考えているかのような選び出しているかのような

そんな時は誰かに会うのがいい 他人の生き方に考えに触れると何かが生まれる、かのようだ

でも会える人がいないなら、本屋に行こう 沢山の人の生きざまが主張が思想がかっこつけが並んでいる
Amazonのサジェスト機能は便利だ、でも、自分の気づかない、思いがけない本に出会えるのは、様々な本が雑多に並ぶ本屋だと思うんだ

六本木の青山ブックセンターがまた閉店した

一度目の閉店の後で多くの人の声で復活して、でも、また閉店してしまった 色々なマニアックな本や値の張る本が揃っていた、大好きな本屋だった。会社が、店員が本が好きなんだって思える本屋なんだ

その跡地に本屋ができた その店は入場料金千五百円がかかる そして店内で本を選んで買えるシステムだ。

青山ブックセンターには小さい頃から通っていて、大好きだった 学校をサボり、行くところが無いから何時間も立ち読みをした。多少、お金ができたら、ふらっとよって、様々な本に魅力されたまに、買った

だから同じ場所にできた違う毛色の本屋が好きにはなれそうにない

でも その店の売上はいいらしい。本は売っても本屋はたいして儲けられない。一冊万引きされたら同じ本を何冊も売らないと赤字だ。

だからバーのチャージのように、客単価が上がる方式は考え方としては正しい。せっかく入場料金を払ったからと、店内での購入に繋がる

ただ、並んでいる本は一般的に手に入る本で珍しさとかセレクトを売りにはしていないようだ。

それ言っちゃっていいの?と思ったが、いいのだろう。それで今のところ成功しているのだから

六本木のTSUTAYAには書店があるけれど、その品揃えに驚いた。よみたい本が見当たらないのだ。その話をした人、三人ではあるが、納得していたので俺の偏見ではないと思う。

ただ、その書店は六本木ヒルズの外れにあり、内装がとても洒落ていて、同じ階にはカフェもあるのだ。
そう、分かってるんだ。店の狙いから外れた、マーケットから外れた人間の文句なんだ。

そういった場所での本の役割は(ネットでの)共有や共感という側面が強い。本は、インテリアとして消費される。

でも誰が何をどう消費しようと勝手だ。ちゃんとお金を払ってサービスを受けているんだ。当たり前だが本を読んで楽しんでる。文句はお門違い。

何より、普通の本屋が潰れていく時代の新しいビジネスモデルなのだ。

でも、俺は悲しい。好きだった本屋がどんどん潰れていく。君は、なんだかんだいってもさ、皆に必要とされてるって信じて疑わなかったのにな。急にさ、いなくなるなんて。 もしかしたらこの先、無料で様々な本の背表紙を閲覧するのすら贅沢な行為になったりして

こんなのは俺の感傷で、本も本屋も同じ形でいられることはない。俺は何の力にもなれないけれど、でもあの時の君が好きだって、そう思うんだ。

目について、ルドゥーテの薔薇の本を買う。立派な大型本ではない、コンパクトな本。そりゃ、本音を言えば立派なのが欲しい。でも小さな本を帰りの電車で開くと、ほら、手のひらが花園。

自分がどうにもならなくても、俺の大好きなあれやこれは消えないのかなって忘れ去られたりしないのかなって、なんとなく思っていて、でも、それも分からない

俺は自分が死んだ後のことについて興味が薄いけど、俺が好きだったあれやこれが、誰かに愛されているんだって考えると、まあ、悪くない。悪くないんだ。
でも、とりあえず俺ができるのはせいぜい好きだって、そう言うことくらいなのかもしれない。

 

 書いた後、ざっと読み返して、恥ずかしくなった。今更、こんなこと言ってどうするんだよって思った、でも、俺の勢いで書いてる雑記なんて大体こんなもんじゃんかと思い直して、これも書き散らして、また新しいことを口にするんだ。そうしたら恥ずかしくても平気だ。

皆テクノと労働が嫌いなのにさ

自分の書いた雑記を見返すと、まあ、誤字脱字てにをはの間違い意味の通らない、繋がりが明瞭ではない文の多さにわくわくして、いや、くらくらしてくる。常用ではない表現やらわざとそういう文を書いている時もあるのだが、まあ、ひどい。毎回ほぼ見返さずに、ばっと書いているのだから仕方がない点はあるのだが、それにしてもこんなに文章が乱れたまま投稿しているのは自分位かもしれないと思うと、俺って雑だなあとしみじみ思う。

 でも、気にしないで書くのがいい。友達とおしゃべり、みたいに放言を重ねるのがしたいなら、すればいい。したんだ、今は。

 

 最近異様にカーッと、テンションが乱気流の中でダンス。そうそう、その原因ってきっと、一日に何時間も労働とテクノの片割れになることからきているんだと思うんだよね。正気じゃないよね。俺は機械じゃない、って訴えたくなるよね。

 きっと雇用主シャチョウサンコンポーザーテクノミュージシャン、達は死神なんだと思うよ。あいつらみんな鎌を持ってるんだ。あいつら金と音楽を人質にとって、鎌をちらつかせて、そんで、人の命を刈り取るのが趣味なんだよ。俺が賃金とか電子音なしでは暮らせないからって、あいつら、金とか電子音で俺を苦しめるんだ。ずるいよね。みんなの愛憎の元だ。お金と電子音。

 

 

精神医学でいう「ハームリダクション」 猛毒をさけるために弱い毒を使う
依存症で言うと、ヘロイン中毒の患者に中毒性の弱いメサドンという合成鎮痛薬を与える。ヘロインほどじゃないけどそこそこ聞くので我慢しやすくなって、それを機に依存から脱することが出来る

つまりさ、弱い毒で強い毒を置き換えるんだ。 

 雇用と電子音なしでは生きられない大人のみんな。もっとさあ、若い毒を体内に入れるべきだよ。君が恥ずかしがる、あれやこれつまり日本語のロック。クラブミュージックなんて成功者のセミナーなんて君の生活をよりよくしてしまう可能性があるからよしなよ。そんなのにひたってると悪魔に陰口言われちゃうよ「あいつらしゃべーな」って。

 生活の為の言葉よりも、心地良すぎるミュージックよりも、今、大きな声で歌いたい口ずさみたい歌がある。口に出すと気持ちいいんだ、ニホンゴノロックそれも、こっぱずしければこっぱずかしいほど君は良い気分。

 

 

 

 スネオヘアー NO1 

芸人が資生堂のワックスでオサレになるんだぜバンド、のスネオヘアーのセルフカバー。当時学生だった時の俺が聞いてもなんだか青い歌詞だけれど、でも人身事故のことを考えている時にたまたまipodで聞いたら、すごく前向きな気持ちになったんだ(すげーなこの文章)。

 

 僕はまだ終わらない 始まってもないのさ

 アワナビーナンバワーン インディス世界

 アワナビーナンバワーン インディス社会

 

 世界一になりたいだなんて思ったことない。でも、悪くないよきっとなれてもなれたくても。

 

プルオーバー keytalk が大好きなんだけど、動画がなかった。たしかメンバーが、ベタなの作ろうと思って作った、って言ってた。で、人気になったらしい。

 指先がふれたら それだけでいいのに

 君には言えないような 未来想像してる 

 とか歌うかわいい曲。こんなの歌うと、まるで自分もそういう人みたいな気がしてくるね。その時は!

 キートーク首勝作詞作曲の、夢アドのファンタスティックパレードもとてもいい。キートークでカバーしてほしい。

かわいいだけじゃだめなんですか?

 ってコピーのかわいい女の子たちが歌う勢いまかせのロックが痺れる!

 https://www.youtube.com/watch?v=_ioaEaqnNPU

 

夢みるアドレセンス 『ファンタスティックパレード』

 

 

髭 - ブラッディ―マリー、気をつけろ!【MUSIC VIDEO(Short Ver)】

 

 カートコバーン大好きなヴォーカルに「もう一回殺してくれ 来週」とか何度も歌われるなんて最高だね。

 

ASIAN KUNG-FU GENERATION/藤沢ルーザー

同じアルバム内の、江ノ島エスカー という曲が大好きなのだが、動画なっかった。でもこの曲もいいですね。この曲が入ったアルバムは能天気で少し寂しくて彼らの魅力が一番つまっているように思うのだけれども。

Chara - ラブラドール

 ラッドウィンプスのボーカルが作詞作曲、なのにめっちゃチャラの曲になってる! 

 愛してって言ってくれ 僕を 愛してって言ってくれ 

 ってきゅんきゅんくる。

 

プラスティック・トゥリー バンビ

 ボーカルが亡くなったお父さんに贈った歌。なのに、すごくポップで疾走感があって、歌詞がとても良い。

淡い甘い記憶で僕は 案外悲しいだけじゃないかもね

それはとてもまぶしい日々で いつまでも覚めなければいいのにね

 

 ああ、どうでもいいことをしてると、口に出していると気が晴れる! 

 では、盛り上がる曲でお別れしましょう!! みんな大好きクラブミュージック、 DÉ DÉ MOUSE @ 横浜 ☆ rock you up

針刺しユニコーンに恋文を預けるよ

数十分ごとに考えが両極に揺れ、これはまずいと実感していることなのだが、解決はしない。休むこと、休ませることは必要だけれど、俺は休むのがとても苦手。その代わり惰眠が好きだ。

 病院に行く羽目になり、病院に行くたびに具合が悪くなる。以前そのことを正直に医者に告げると、少し驚かれて、患者の俺が驚くのだった。どれだけ、何を話せばいいのか分からない。金を払っているのだから喋る権利はあるはずなのだが、分からない。金を払っているからって反社会的行為をしたいとまではいかない、というかここで反社会的行為とか法律に抵触するとかそういう言葉が出てくるのがまずい、飛躍しているとか認知のゆがみだとか、そういう言葉が浮かんでも胸に単語を沈めようとしてもいごこちが悪い。病院に行くと具合が悪くなる。でも、放置したら引きこもる羽目になるから行くべきだ病院に分かってるんだ分かってる、けど。

 アメリカのtRPGのロール、職業みたいなのとして「コーポレイト・ゾンビ」という単語があって、何だか好きで覚えている。それが記載されているルールブックは売り払ってしまった。売らなきゃよかった。どうせ数百円にしかならないのだから。でも数百円が欲しかった。

 ゲーム内のファンタジー、近未来の設定でも会社に通うだけのゾンビ、みたいな揶揄されちゃうなんて。日本風に言うと鬱屈した社畜といったところだろうか? 楽しいゲームの中でもリアル嗜好のアメリカは最高(そのルールブックの刊行は十年以上前だ)。

 図書館で借りたCDがどうしても見つからなくて、買い求める羽目になる。多分家にあるはずだが、どうしても見つからない。十年以上図書館で毎月何十冊も本を借りていて、しかし今まではきちんと返していたのに、と少しへこむ。家がヤバくても、借りた物は返してきたのにな。

って、久しぶりに野暮用で掃除をする羽目になり(最低な表現だ)、ふと玄関を見ると普段は履かないドクターマーチンの上にタロットカードと二本しか入ってないクレヨンの空き箱があるんだけど……いくら自分のこととはいえ、ずっとこれが視界に入らないとはちょっとやばいんじゃないかと思った。靴の上にクレヨンと半裸で獅子を抱くエンペラー。ここは幼稚園児の家なのかな?

 ふと、最近ユニコーンのことを毎日考えていることに気づく。年に何度か、ユニコーンがペガサスが欲しくなる。勿論本物はいないからおもちゃやぬいぐるみで我慢しなければならないのだが、ユニコーンやペガサスは乙女な感じの物が大半で、男向けのおっさん向けの物がないので困る。バイコーンのフィギュアやぬいぐるみなんて売ってねーから。

ユニコーンはゆめかわいい清純一角獣。バイコーンは二つ角がある悪のけだもの)

 で、駿河屋でなくしたCDと一緒にユニコーンのぬいぐるみも注文してしまった。家の中はいつまでたってもメルヘンにならない。家主がユニコーン世界の住人ではないから。招き入れるユニコーン君も、何日でごみの一部になるのだろう?

 タイピングしていたら、パソコンの横に多数置いてあるキリストが床に落ちて金具が外れた。俺は色々と雑なので、大好きな、買ったキリストの扱いも雑だ。十字架から取れたキリストを接着剤でつけると、金具が変色して少しキュートだ。面倒なので接着剤はつけたりつかなかったり。何度も何体も落としてるんだキリストを俺。そしてロリポップのように、机の横にキリストが何人も並んでいると落ち着くのだ。

 疲れていると、歩きながら長く目を閉じてしまう。瞬きをする間隔がゆっくりになるといった感じだろうか。ナルコレプシーではないし『マイプライベート・アイダホ』、リヴァー・フェニックスになれるわけもないのだが、あの映画、気恥ずかしくて胸に来て好きだ。また見たいな。

 再読、というものが多くて困る。見たものだって多くを忘れるのだ。この雑記で見た物を意識して引用して書き残すと、自分でもその再読率の多さにちょっと驚く。自分でも好きで読んでいるからこそ、なのだが、自分の好きな物が変わっていないのだと、所詮同じものばかりなのだと思うような甘い閉塞感、真綿で首を締めているような感覚を覚えるのだ。

 それでも好きな物があるだけ有難い。これで好きな物すらなかったら、俺は出来損ないの機械どころか部品にすらなれないだろう。

 そんな考えが浮かんで嫌になって、ただ読みたくもない本を読む電車内、目の前のつり革を掴む手がやけに黒々としていて、それがタトゥーだと気づいた。その人は手の甲にも指の関節にも文字を入れていた。

 ユニコーンもいいけれど、また身体に針を刺さなくっちゃなあとしみじみ思う。金欠を理由にずっとサボってるんだ。タトゥー入れるために少しは働こう、なんてしていた二十代の俺は偉かった(は?)。でも、三十代の俺は結構読書してるんだ。だからそれもまた、悪くないのかもしれない。

 ミニマルアート関連の著作は意外と少ない。なのに、売ってしまった本もある。再読する 千葉成夫 『ミニマル・アート』

119P

ミニマル・アートという運動は存在しなかった。存在したのは、まず、ミニマル・アートという言葉であり、それをめぐって
書かれたいくつかの批評文である。しかしそれとても、ミニマル・アートという名で呼ぶことのできる作品なり潮流をとらえようと
して後から追いかけて書かれたものであることもあり、運動を組織するためのものでもなかったし、適切な時点で潮流をすくいあげた
というものとも少しちがっていた。むしろ、はじめから、様式というよりはひとつの造形精神のありかたを指して使われていた、
といったほうがよい。

184P ソル・ルウィット モジュール床構造体 1966 彩色された木で作られた
ソル・ルウィットの場合は、物体なり平面から遠心的にひろがりが展開するのではなくて、ある空間にグリッドの構造体が置かれる
ことによってそこに求心的なひろがりが生まれる。内側に向かって凝縮しようとするふつうの彫刻をおもいうかべてみればわかる
ように、求心性は普通は空間を凝縮させる。つまりある量塊の物体に彫刻としての強度を与えうるものである。しかしここではそう
はなっていない。その理由の中空という構造にあることはいうまでもない(中略)
ルウィットの関心が空間を彫刻のように凝縮させることにはないところに、もとめられる。ルウィットのグリッドは、空間を
いったん求心方向によびこみ、ついでにまた遠心方向にひろげる、そういう作用をもたらす。この両方向の同時的な動きが
生んでいるひろがりは、平面的ということはもちろんできないが、さりとて彫刻的でもない。このグリッドは、たとえていうと
2.5次元くらいのところにある。

 

この人の文章は好きだ。評論家、批評家の存在って、しみじみとありがたい、とか思うことも多いのだが、同時にじゃあてめえで作品作れやとかてめえの思想とか我田引水マジいらねーから、とかてめーで血を流さないで矢面に立たないでなんで平気なんだろうと気分が悪くなることもしばしば。批評家に求められるのは対象との距離とポエジー、だと思うのだが、それらも前述の悪罵も俺の勝手な注文でしかないこと位自覚している。

 言葉にならない、批評がおいつかない、意味をなさない作品こそ素晴らしい、と思う俺。だけれど、批評家の評論家の情熱や考察や丁寧さには頭が下がることがあるのだ。ラブレターにすらならないのに。それとも幾人かはラブレターにはなると、思ってるのだろうか? 銀幕のスタアへの恋文を綴り、夢の恋で満足する少年少女のように? でも、それにしては度合いが違うかもしれない。彼らが成しているのはきっと狂信の体系化。

 彼らの熱心さ。智の美術の思考の体系化、アーカイブ化、ということにむやみやたらな拒否反応が出ることもあるのだが、しかし俺はそれをガイドと補助線として思考をしているはずなのだ。

 自分で何かを考える際(作る、ではなく)やはり簡易なアクセスと筋道を立てるということは良いことだと基本なのだと思う。優等生の優等生さに文句を言う、なんて馬鹿げている、とは思うのだけれども。

 俺の読んだこと、感銘を受けたこと。それを昔はノートに書き記していたけれど、今ならブログ内検索ができる。たまに、自分が過去に読んだ本やら人のことを思い出したくて、俺は多少意識して引用をしているのだ。文字通り、この雑記が備忘録、メモ帖代わりになるから。

 本当に、自分が様々なことを忘れて行くことを思い知らされる。そして、好きな本でもどうでもいい本でも、感想ですら記録し続けると、俺は読書を嫌いになるかもしれないとも思う。

 でも、忘れたくないこともあって、書くこと、雑記に残すことは残り香のごとき微かな痕跡になる。一番は人に教えることだと思う。準備をしなければならないし、自分でかみ砕いて理解しなければ人には伝えられない。

 お勉強動画制作やら読書会、というのがきっといい手段なのだと思うが、俺のキャパシティがそこまで及ぶのかが問題だ。せいぜい気晴らしの、雑記が丁度いいのかもしれない。きちんと体系化するのが、形にして残すのが記憶には一番、なのに俺はその手前でぐずぐずしている。

 忘れたいとか忘れたくないとか、眠りたいとかねむるのが怖いとか、しょっちゅう思う。今の慰めは、美術やゲームというよりかは、誰かの告白とか、ユニコーンなのだ。ゆめかわいい。身体がバグったら病院へ行こう。病院に行ってダメージを受けたら、幻獣に会おう。そうやって暮らしているんだってよ誰かは。

 眠るのが怖いのに、様々な物を片付けていないのに、俺は目を閉じなければならないのだ。そんな俺に君に、隣にユニコーンが虎がハチドリが恋人がイマジナリーフレンドがいたなら。

 でも、それらを作るのは買うのは、そして捨てるのはわりと簡単なことだ。簡単に思い出し忘れる。すてきなことだと思う。