世界で君が頑張ってなくても好きって

久しく日記を書いていなかった。新しい短期の仕事で色々とあった。これから先も分からないのだ。自分が生きていることが不思議な気持ちになる。幸福や不幸を感じられることに、ふと、感慨深く、他人の興味深い生活に触れているような感覚になる。

 しかしこれは自分の人生。何度も嫌な波が訪れるけれど、修正せねばと見たいものを見なければと思う。

雑記。たまってるなー

 

 成瀬巳喜男監督『娘・妻・母』また見る。還暦を迎える母親を、大人になり家庭を持つ子供達が祝う。しかしお金の問題で、家族に亀裂が走る。出演者、高峰秀子 原節子 草笛光子 森雅之 宝田明 仲代達矢等々本当に豪華。都合の良いお金の無心、母親の押し付け合い、所詮は皆他人。それぞれの生活が

あるのは分かるけれど、見ていて胸が痛い。ただ、家族だって他人、というテーマと同じように、血が繋がっていてもいなくても親愛があるというのを、娘妻母役の三人が示してくれている。利己的でお金に困る描写が多いのだが、脚本に説得力がある上にメリハリがあり納得させてしまう監督は見事。

成瀬巳喜男は本当に庶民、人々の悩みや生活を描くのが上手いなあ。グチグチして嫌になるシーンも、彼の映画ならさらりと見られるのは、構図の美しさ、テンポの良さ、基本抑えた演技(描写)だけど、見せるところはきちんと見せるといった職人芸があってこそか。オッサンになって彼の凄さにさらに気づく

話の流れで『ナニワ金融道』(教頭先生の回)でぼろ泣きした、と言ったらドン引きされる。FF6のロックを最初は全然好きじゃなかったが、お調子者のふりをして、死んだ恋人を蘇らせようと保管しているエピソードを知り胸キュン。ナニワもロックの同人誌もないので、朝田先生のとても素敵な本で脳を浄化す

どんな理由があるにしろ、死体を(できればきちんとした状態で)保管しているって、ポイント高いよな。何のポイントかは、わたくしめには分かりませんが。

死者蘇生系のエピソードって、大抵悲しい結末を迎えるんだけど、たまに例外もある。大好きな人は蘇らないって物語に慣れていると、死なないことに、永遠の生命愛情に俺の脳がバグる。あ、今シューマン聞いてるんですが、死者蘇生の話題にとても相性が良いですね(?)

科学者が愛した人のクローンを100人作る。全員にランダムで武器を与えて殺し合いをさせて、最後に残った一人に、ネタばらし。科学者は自分を殺してくれと頼む(お金も貰える)
 どんな決断を下したのかは分からない、最後の一人のクローン君をケアするセラピーシミュレーションゲームがやりたい。

『名画を見上げる 美しき天井画 天井装飾の世界』読む。その名の通りの一冊、大型本で全体と細部の写真が載っていて迫力満点。本書は、宗教(教会、モスク)文化(劇場、美術館、カジノ)権力(宮殿)政治(市庁舎、議事堂)という四つの章でまとめられている。美しい天井画や建築と共に

その成り立ちも解説されているのがありがたい。教会で人々が見上げる(聖人等の絵画の題材に見下ろされる)一方で、モスクでの装飾に具体的なモチーフが排除されている(偶像崇拝の禁止、神以外崇めるな)といった対比も面白い。一定の距離を保った場所にある作品というものの魅力を伝えてくれる一冊。

なんで子ヤギは歩く時に常にぴょんぴょんしてるんだろう? 昔テレビで、トトロのメイの動きが、ピンボールの玉の動きを逆再生してるみたいで不規則で魅力的と紹介していたと思う。不規則ぴょんぴょんはかわいい。アニメ詳しくないが、プロメアもとても良かった。動くのを見るだけでも楽しい。

眠れない日が続いている。日々が怖いと眠れないし落ち着かない。音楽をとても小さい音量で流しっぱにしているが、ネクロノミコンをもぐもぐする音声あったらとても良いと思う。朝起きたら人皮の聖書になっていたら怖いから、新宿で芍薬の花を買えば良かった。

夏だから毛皮が欲しい。動物園にいない方の麒麟の毛皮が欲しい。きらきらふわふわしてそうだ。麒麟の毛皮を着て安いビジネスホテルの硬いベッドの上で干からびたい。

昔片眼に模造宝石を入れられる人を書いたので、眼球摘出について調べていた。(昔は?)眼球と眼窩の筋繊維を鋏でぶちぶち切るらしくって、とても怖い。ゲームだと隻眼盲目キャラは強いのが多い。それもいいが、自分は身体を改造された、きらきら駄目人間が書きたかった。今ならもっと上手く書けるかな?

恵比寿の今井キラ個展見に行く。フリルと花の組合せの作品が多くて、うっとりする。かわいい。スマホの画面で見ても素敵だけど、大きなサイズの原画の微妙な濃淡が、一枚の絵なのに雄弁な童話の世界の様にロマンチックで素晴らしい。本買いました。複製原画も欲しい。

 今井キラは生きてる中で今一番好きなイラストレーターかもくらい、魅力的で、見ていて幸せな気分になる。花、フリル、少女の秘められたひそやかな世界。

木下恵介監督『お嬢さん乾杯!』また見る。貧困から成り上がった壮年の佐野周二。嫌々行ったお見合いで元華族原節子に一目惚れ。身分違いのラブコメ木下恵介の演出は大げさなのが多くて苦手、と思いつつも、テンポも構図も良いし話も王道で分かりやすくてほんと上手い映画。没落華族役の原節子

が、はまり役過ぎる。この映画は1949年のなので、元華族という設定がマッチしていたはずだ。ショパンの幻想即興曲が流れるのだが、年代のせいか?レコード(ピアノ弾いた人)のせい?、演奏がかなり下手に聞こえた。
関係ないが喫茶店ルノアールショパンみたく当時はとてもモダンな象徴だったのかな

『モンス・デジデリオ画集』読む。題材にキリスト教、聖書の場面を用いるのに、主役は人(神、聖人)ではなくて建物であるかのような奇妙な画。しかも、倒壊する建築物の絵画だ。ボスに近しい細密的幻想悪夢も感じるが、それよりも彼の画は乾いている。人間も神も屹立、或いは倒壊する建築物の装飾なのか

ギーガーの自伝的エッセイ付きの画集『ネクロノミコン』見る。彼の作品をまとめてきちんと読んだのは初めて。作品も魅力的だが、彼の自伝的エッセイが興味深い。様々な病的なことや不安、トラブルが続いても、かく。それしかないんだって。本人は健康でいたい的なコメントしていた(メンタル病んだ

人が自分の作品を好むけど、そういう人らのよく分からないのに絡まれるのはこりごり!みたいにハッキリと言えるのは、制作者の健康の為に大切なことなのかも。健康って、何かを作るのにとても大切なのだ。何度もトラブルが起きても、他者や作品を大切にして楽しむことを忘れないようにと自戒。

『映画と演劇 ポスターデザインワークの50年 知られざる仕事師の全仕事』小笠原正勝 読む。本当に大好きな、昔の映画のポスターのあれもこれもそれも、一人の人が担当していたとは! 有名な映画があり過ぎて、見ていて本当に楽しい。映画の魅力を伝える為のポスターは、予告編の様な魅力大!

市川雷蔵主演映画『斬る』見る。剣3部作の一弾。天才剣士が辿る悲劇の人生。時代劇、チャンバラ映画苦手だ。でもこれは71分と短いし雷蔵だしと気軽に見たら、とても濃密な設定でテンポも速い作品だった。チョイ役の人達にも見せ場がある。前半後半での雷蔵の顔つきの違いを見られるのも楽しい。

市川崑監督『あの手この手』見る。恐妻家の大学教授。夫婦仲はギクシャク。家出した姪のじゃじゃ馬娘が転がり込んできて、静な家が引っかき回されるホームコメディ。1952年のモノクロ映画で、画質がかなりよくない。しかし市川崑が得意の登場人物のユーモラスで洒落た掛け合いが面白い。

ウィリアム・バロウズ/アレン・ギンズバーグ『麻薬書簡 再現版』また読む。この本(再現版ではない?)を初めて読んだのは十代の頃。十代男子の将来なりたい職業トップ3は、キリスト、カート・コバーン、ヤクザ(電⚪調べ)なのだが、望んだ職業に就ける人はわずかで、大抵殺人鬼として糊口を凌ぐ

若い頃は、アウトロー的な物に憧れを抱いていた。でも、色々あると、その夢も陰る。カッコイイアウトローなんてごく一部。アウトローやヤバイ奴の作品で凄いのもごく一部。でも、バロウズのは今でも好きだ。彼の出鱈目気まぐれに付き合わなくても、日記(形式)の文章だけで十分に良いのだ。

昔、大江某の初期作品が好きだった。でも、ある時気づいた。彼の小説に出てくるヤバイ奴や犯罪者からは犯罪者の匂いがしない。これは小説の瑕疵になるかどうかは、好みの問題だ。犯罪小説家が犯罪者である必要はない。上手く騙せれば良いのだ。でもさ、バロウズはメチャクチャやって、それを描いてる

それが下品でユーモラスで楽しそうで的確で性欲に似た親愛たまーに切なくって、要するにポエジーが、自己中心的な厄介者の、アウトローの詩が見えるんだ。アウトローは自分の体験を大切にし過ぎる。どんな犯罪行為も人生だって、他人にとっては読み捨てられる娯楽だ。なら、バロウズみたいなのが良いな

おとぎ話を集めた本を読む。内容は良いが、アンデルセンの説明文に、容姿が醜く失恋を繰り返して貧困に苦しんで、って書かれてあってモヤモヤ。読んだのは最近の本だが、こういうの昔から書かれていた。アンデルセンの切ない童話は好きなのだが一々容姿が醜く失恋とか書くのは失礼過ぎて止めて欲しい

水の女 溟(くら)き水より』また読む。ラファエル前派や世紀末の画家が描いた、水の女達。彼女たちが持つ死や妖しさをコンパクトな画集で気軽に眺める事ができる。命を奪われる(死に行く)ことが、豊かなロマンテシズムに結びつけられるのは何故だろう。美しい死霊のような死体のような。あり得ない美

『幻獣とモンスター 神話と幻想世界の動物たち』読む。本書はアッシリア時代からの古い図版を集め、人々が神話のモンスターをどのように想像したのかを記す。メジャーなのが多くページも少ないが、図版がエッチングや古いであろう物ばかりでとても雰囲気が良い。馴染み深い幻獣の原型みたい。

最初にあるイェイツの引用もとても素敵だ。

「世界は不思議で魅力的なものに満ちている。研ぎ澄まされた感性をもつ者が訪れるまで、それらは静かに隠れているのだ」

高峰三枝子主演、清水宏監督『信子』見る。九州の田舎から東京の女学校に赴任してきた信子。訛りをひやかされながらも懸命に務めるが、問題児の学生の親は学校の有力な後援者で、誰も彼女を注意できないのだが……
1940年の映画なので、音と映像がとても悪く、日本映画なのにイヤホンに日本語字幕で

見る。内容はシンプルな人情物と言っていいかもしれないが、昔の女学校の言葉使いの丁寧さや画質は悪くてもテンポや構図が良く楽しく見られる。後半、問題児の女の子が先生に『私は悪い娘です』みたいな台詞を言うのだが、そういうの好きな人なら見て後悔しないはず。

『すぐわかる 画家別 幻想美術の見かた』また読む。有名どころから、この人の画集あるのかな?みたいな人まで幅広く網羅。幻想美術、というものに共通点が見られるとしても、厳密に定義するのは難しい。しかし、作者が見たものを見られる、というのは素晴らしいこと。誰かが作り上げた世界は美しい

清水宏監督『按摩と女』見る。戦前の映画。目の見えない按摩が温泉宿へ。そこで出会った女性は、何か妙な影があるようで……
大きな事件が起きるわけではなく、淡々と人々の生活を撮る。しかし、凡庸ではなく、風景も交流もさらりと見せる。井伏鱒二に近しい資質を感じた。温泉宿は人々の交流がある

けれど、そこに留まる人は少なく流動的だ。同監督の『簪』に近しい設定。東京から来た訳ありげな高峰三枝子、彼女を思う按摩。彼は目が見えないから、両者がふと同じ画面に映ると、緊張感のようないけないものを見てしまっているような、わずかな背徳感を覚えた。

ウィリアム・バロウズ『ゴースト』読む。絶滅していく霊的な存在へ哀切を込めて。マダガスカル島の聖なる存在ゴーストと海賊ミッション船長の冒険譚。本書の内容は訳者山形浩生の愛のあるあとがきを読むと良い。次々と現れて消えていく、自分の好きな事ばかり語るバロウズ。メガネザルはかわいい

人間は疫病で死ね。バロウズの書いている物語が幻想文学とは言い難いのは、思いついたもの、言いたいことを好き勝手に繋ぎ合わせている点だと思う。しかし、それでも読めるのは、彼の見る(ドラッグによる)ヴィジョン、その鮮明さ不条理な連なりが[時には]よく見えるからか。92ページしかないのも良い

ラーゲルクヴィスト『バラバ』読む。ゴルゴダの丘でイエスの代わりに助かった極悪人バラバ。人も神も信じない男の魂の遍歴。
1950年の作品で著者はキリスト教の教えを受けているとのことだが、必ずしもキリスト教(教徒)が良くは描かれていないと言うところが肝要なテーマのように感じられた

正直なところを言えば、信仰のある人間の文章にはどうしても理解できない物がある。俺にとっては、神は外部だと確信しているから。しかし、信仰の光により惑い、彷徨う極悪人の姿からは目が離せない。解決なんて無い。輝かしさも、ここにいない神だけの物。『教』にはない。明滅する、人生、目隠し。

ウィリアム・バロウズ『映画:ブレードランナー』読む。ややこしいのだが、有名な映画のブレードランナーとは、ほぼ無関係な内容らしい。

2014年のニューヨーク。人工爆発免疫低下、個人医療非合法化、アングラ医師たちへ非合法な医薬品を運ぶブレードランナー
バロウズなのにとても読みやすいのは

それなりに筋があるし、近未来的な設定にリアリティがあるからか。それと、この小説は脚本のような書き方もされているので、是非バロウズのこの本バージョンのブレードランナーを見たい。映画の『ブレードランナー』は見たことが無い。
アメリカの映画って、友達と一緒に見たいのだ。

絶交してしまったが、昔仲の良い友人が二人いて、たまたま一緒に映画を見た。俺のチョイスで『裸のランチ』を共に見た友人は、途中から寝たから覚えていないと言っていた。映画の途中で寝る人間が信じられないのだが、今思うと裸のランチを見ながら寝ている方が作者に失礼がないようにも思える。

もう一人の友人は、俺が見たことがないスパイダーマンが見たい!と言ったのに、超有名で皆見てるから、ということで『恋の門』を見た。その友人も途中で寝ていた。原作の泥臭いぶつかり合いがとても好きだったので、映画は好きになれなかった。俺は寝ないで最後まで見たけど。

アメリカの人気映画?的な存在?の、スターウォーズもマーベルのヒーロー物もハリー・ポッターダークナイト?も見たことがない。シリーズが多いし、俺はとても集中力がなくて面倒くさがり。友達となら少しずつ見られるような気がするのだが、生憎ハリー・ポッターを一から一緒に見てくれる人がいない

そういえば、二十代の頃、引っ越しをして、親に勝手にDVDを借りられて、怒られた。親曰く『こんなのを見ているからお前は暗いんだ!』
映画はアラン・レネ二十四時間の情事』。十代の頃は、父にキエルケゴールと澁澤龍彦の本をこんなの下らない物を読むなと言われた。母には中上健次と昼顔に苦い顔

でも、当時から友人も金も少ないから、百円の文庫本を片っ端から読んでいただけで、そんなに好きでもなかった。
アランレネは初期の作品は大好きだったが、少しずつ違和感を覚え、遺作は低予算で頑張ってるなあと性格の悪い、寂しい感想がわいた。

十代の頃からずっと、好きな物もほとんど変わらなくて似たような生活。中年のオッサンになっても変わらないのは、たまにぞっとする。死にたくなる位に、自分が生きているのが不思議でほんわかふわふわする位に。
珍しくずっと働いていて、明日は肉体労働。早めに寝ようと思っていたのにな。

上村松園の自伝的エッセイ『青眉抄』読む。十代で初めて彼女の絵を見た時、興味をひかない上手い絵だ、等と感じたように思う。でも、おっさんになり、山種美術館で本物の作品をしっかり見ると、ようやく彼女の作品の魅力に気がついた。このエッセイで、松園の激しさを持ち勝ち気な性格を知った。

遊女亀遊、という作品は、当時幕府の役人も恐れていた外国人が客に来て、大和魂を見せ自害した遊女が描かれている。行為の賛否はともかく、勇ましさは胸を打つものがある。また、自分を女で一つで育てた愛情深い母への思慕。豊かな感情や思いが、絵に現れていると言うのは短絡的だが、その絵は温かい

ウィリアム・バロウズ『内なるネコ』読む。偏屈作家のねこちゃん大好き本として内田百閒『ノラや』を連想した。でも、バロウズの方がずっと自己中心的で妄想や攻撃性偏見罵りが強い。そのせいか、好みの動物への温かな眼差しや素直な態度、描写に切なさを覚えた。皆、好きな物の前では哀れになるのか

ヴァレリー・シュール=エルメル『幻想版画 ゴヤからルドンまでの奇怪コレクション』読む。文学からインスピレーションを得た、幻想的で不気味な悪夢の数々。大きなサイズで見ごたえがある。挿絵というよりも作品を見て、見えてきた幻想の具現化、共有といった感じだろうか。他人の悪夢は楽しい。

ホウ・シャオシェン監督『冬冬(トントン)の夏休み』見る。母が入院して、幼い兄妹は夏を田舎で過ごすことになる。構図マジ小津リスペクトーって思うけど、見ているうちに気にならなくなる。ほのぼのとした話と思いきや、かなり生臭い話ややりきれない大人同士のいざこざも描写。映像は綺麗

だけれど、田舎の閉塞感や偏屈さもひょうげんしている。それでも、色々と解決への示唆もあるし、見終わって嫌な気持ちが残る訳でもない。人々の生活は清濁併せ持ち、少年の『夏休み』であっても、そう。監督のそのままの事実を見ようとする、たしかで温かな眼差しに救われる。

https://youtu.be/1d3003igO6Q
最近全く新しいアイドルソング聞いてなくて、sora tob sakanaの解散今更知ってショック。アルバム『deep blue』聞く。捨て曲無しの素晴らしいアルバム。特に、彼女らを知ったきっかけの『魔法の言葉』って曲が本当良い。つたないボーカルとエレクトロの優しい世界。解散悲しい

白洲正子『なんでもないもの』読む。骨董に関するエッセイをまとめた一冊。読んでいて楽しいのは、彼女が自分を素人と言い続けていること。偽物を掴むのも、手放したり高い物を買えなくても、彼女は骨董と生きている。使う、触る、買う、売る。見る。真偽鑑定とかコレクションの楽しさもあるだろう

しかし、彼女のように永遠にアマチュア(アマトゥール:熱愛者)、数奇者であると言う方が楽しそうだ。お茶に関する門外漢からの苦言は、俺も思うところがある。俺も勿論門外漢だし、道、と名がつくものに言及するのは幾ら言葉があっても足りない気がしてしまう。感覚的な好きと、敬意について思う

久しぶりに小説が書けた。ぎこちなく、一部はうまくいっているような、手探りで沼地を歩いているような。俺は単純なので、体調気分が良くないと思った物が書けないし、すぐに精神がぐらつき、影響される。好きな物を好きでいられますように。脳内環境作り大切。鳳凰麒麟とても欲しい。

定期的に物を売りながら、倉庫のような狭くてヤバイ家に住んでいるのだが、ハマースレイの食器がとても欲しくて困る。優雅で上品。余白とリアルな植物画控え目な金縁本当好き。琳派の鈴木其一位好き。似てる、いや似てない。買えない、1つ買ってしまって、貧乏人が揃えても仕方ないのに欲しすぎる。

奥村土牛の自伝的エッセイ『牛のあゆみ』読む。画風から勝手にすごく真面目でいい人なんだろうなあと思っていたが、想像以上謙虚で真面目な人だった。性格ひん曲がってる人の言葉が大好きだけど、謙虚な人の言葉はよみやすくすんなりと身に染みる。挟まっていたしおりがカワイイ。

 

 一月の間の雑記の一部だけれど、自分が思った、感じた物とは思えないような。日々、というか数分で気分が変わる俺はもう楽になりたいと思いながらも、とりあえずは前を向こうとしているらしい。

 最近、やっと新しい小説を書き始め、新たな悩みを覚えつつも、どこか心地良い。誰にも読まれないような、小説。でも、俺は出来はともかく、自分の書く小説が一番好きな小説だ。バイキングで好きな物をとって作ったパフェ。綺麗に盛り付けられるか、味と組み合わせは良いか、似たような悩みを繰り返す。

 色々あって疲れたんだ。でも、新しい問題は色々とある。ずっとおわらない。でも、たまにはお疲れ様俺って。

 世界でいちばん頑張っている君へ ってハルコの歌がとても好きで、春香さんのカヴァーもキャラにあっていてどちらも大好き。

 まあ、でもその曲は俺の柄ではないので、世界で君が頑張ってなくても好きって言いたい歌いたい。

悪意を憎しみを罪悪感を親愛を信じて。

画を描き始めて、少し気持ちが上向きになった。かと思いきや、当たり前だがその場で勢いで描いたのではなく、もう少しデッサンや構図を工夫して良い画を描こうとして、数日筆が止まっている。

 それに、仕事も生活もうまく行ってない。

 先日誕生日を迎えた。おっさんだなあとしみじみと思う。色んなことが今くいかないまま、歳をとり、様々な物が駄目になって行くことを考えると、憂鬱でしかない。

 小説は、自分ではそれなりに手ごたえがある物が書けているけれど、お金にはならない。画は描き始めて楽しいが、形になるには何年も必要だろう。

 自死や自暴自棄や本格的な逃避が、二十代の頃よりずっと身近に感じられてくる。

 ほんの少しの救いは、文章を、芸術を、若い頃よりかは理解できたような気がする。同じ映画や絵画や小説を読んでも、今の自分の方が美点を見つけられている実感がある。小説も、自分の書きたいことが書けてきているように思う。

 でも、実生活が酷い有様なら、もう駄目だ。当たり前の話だが、それなりに精神的にも人並みの生活を、「幸福!!!」を、土台にしなければ人生は、創作は難しい。

 何度も、大丈夫だと自分を騙し騙し生きてきたけれど、駄目かもしれないと思い、しかしまた、大丈夫だと薬や他人、他人の作った物に頼るのだ。

 そうやって、何かを、妄想を綺麗な形に作らねばと、虚妄に秩序を与えて良く編集しなければと思いつつ、気晴らし、憂さ晴らし、筆は進まない。

 雑記

肉体労働終わりに渋谷でアルコール。ipod再生すると、スパンクハッピーの麻酔が流れ出して最高に哀しくて幸せなんだ。数分間は数十分は。

ねえ、からだも こころも 何にも感じなくなってるのはなぜ

木村泰司『印象派という革命』今の日本だと人気がある印象派だが、フランスの絵画の歴史の中での立場を歴史と共に解説。古典⇨ロココ主義⇨新古典主義ロマン主義バルビゾン派クールベやマネの出現⇨権威から酷評された印象派展。画家の経済状況等も書かれており、新しい絵画の歴史が分かる

アマプラでゴッホドキュメンタリー映画見ようとしたら、耳切って頭おかしい、みたいな導入でばぐった脳がフリーズしたので停止した。ゴッホを病人扱いするのは、それが事実でも頭おかしくなるから止めて欲しい。現実からめを背けるにも体力とかねが必要で、中年でも中学生のような思想のまま

岡本かの子『鮨』また読む。とても好きな短編。食べ物を口に入れるのがどうしてもできない少年のために、母親が清潔な道具を揃え、色のついた上等な食材を薔薇色の手に乗せ、不格好に握る。身体が良くなった息子は、父に甘やかされ放蕩を覚え母を失望させる。優しさと虚しさがさらりと描かれている。

ドキュメンタリー映画ゴッホ 真実の手紙』をまともに見るのがつらくて、大好きな『コオリオニ』をながらみすることでしのごうとしたら、大好きな佐伯さんを描いてた。筋張って神経質で繊細な本物とは勿論似てないのだが、ファンのフィルターを通したらこう見えるという一例

映画でゴッホ
最も効き目の高い薬はやはり愛と家庭なのだ
って語ってるの、きついな。

犯罪自慢や酷い話をする人の、瞳がきらきらと輝くのを見ると、虚しくなるしわくわくする。

親愛や信仰のごとき真剣さを人や作品から見いだすとき、満たされて、しかしそれも長くは続かないと思う。我が儘な俺!

成瀬巳喜男の設計 美術監督は回想する』成瀬作品を始めとして多くの東宝映画の美術監督をしていた中古智へ、今は失われた「撮影所の映画」について、そして成瀬巳喜男の映画について、蓮實重彦がインタビューをする。めっちゃ読み応えがあり面白い。え、これセットだったの?と 初めて知る

のは単純に面白いけれど、それに加えて成瀬巳喜男の狭い家、こぢんまりとした六畳間、ひなびた町(セットも)といったこだわりをどうやって成立させるかを、美術監督が苦労して作り上げる姿は貴重な記録だ。映画にお金をかけられる時代の幸福な制作記。勿論映画への愛と知識溢れる蓮實のインタビュー

が素晴らしいし、中古が、『乱れる』のラストで具体的にカメラがどう動いてと説明をしながら、高峰の演技、カメラ、演出が素晴らしいと語る場面は、映画を見た震えが蘇った。成瀬巳喜男本人が雄弁に語る姿(本)は知らないので、身近な人物の熱のある話はとても有難い。

 もしかしたら、今の三十代の俺が一番好きな日本の映画監督は、成瀬巳喜男かもしれない。成瀬巳喜男高峰秀子とセットになっているかもしれないけれど。二十代の頃は成瀬巳喜男のすごさをいまいち分かっていなかった気がする。派手さはないが、実に素晴らしいのだ。余計な物をそぎ落とした、しかし人の生き方を捉える力。構図の美しさ、控えめさも、雄弁ではないことも大きな魅力だ。

『ファン・ゴッホ 巡りゆく日本の夢』読む。ゴッホ日本画についての本。定価6000円(図書館で借りた)で大判紙質発色よし!なので豊富な図版が見られるのが嬉しいし、中身もしっかりとした堅実な内容。手紙引用、当時のパリの日本ブーム、ゴッホが日本への興味が薄れた後も配色や構図の親近性。

何もできない。この先も嫌なことばかり。寝たり雑務をこなしたり。でも気分は晴れず、家にあるラリー・クラークの写真集タルサを見返す。どうしようもない奴らの生活。どうしようもないやつらに憧れていた、若い頃のラリー・クラーク。この世界に浸るには年をとりすぎたのにさ、やっぱ好きなんだ。

マルグリット・ユルスナール『青の物語』また読む。20ページにも満たない表題作がとても好きだ。宝石を狙う強欲で愚かな商人たちが迎えるのは、慰め、輝き、いや、多くの者が不孝な結末へとあっけなく落ちる。しかし、小さな光を見つける者もいる。読書の度、酷薄さと不可思議に魅せられてしまう

新刊で、知らない外国の作家の本を読んだ。自死を決めた人が集まる廃村にきた主人公がそこで暮らすこと決め、そこに来た色々な人と話をする、といった内容。久しぶりに本当に合わなかった。主人公なんで廃村で暮らせるの(食料他)みたいなリアリティ、苦しみ皆無。生きている人間ではなく

作者(物語)に都合の良い登場人物のモノローグ。げんなりする。様々な人間がそれぞれの価値観で生きている、ということを無視したら離乳食のような物語になる。消化しやすいのが悪ではないが、自死を覚悟した様々な人達が訪れる、という設定なのに主人公は洒落者チート主人公の言葉で皆いい気分!みたいなのキツいな。

渋谷Bunkamura古代エジプト展見る。この時期の美術館はどこもガラガラだったのだが、結構人がいた。プリミティブなデザインが面白いし、箱と身体が一体化したような像等奇妙な形でめをひく。赤(臙脂)、緑(ターコイズブルー)が多く使われる印象。動物の(頭部や姿で現れる)神々も可愛らしい。

宗教、人間にとって死の克服、人生の救いというのは大きな命題で、それぞれの宗教(地域)によってアプローチが似ていたり独特だったりするのが面白い。今の日本で神様や超常的な者を信じる人はやや少数だと思うが、ゲームやアニメなどの中で、神様はペット(気まぐれな猫のように)のようにして生きている

ギャラリーで、何でも骨董談!という題で販売をしていた。入口に古伊万里岸田劉生、そういう系統かと思いきや、すがきしお、瀧口しゅうぞう、高松次郎の絵があり、マイセン、シェリー等のティートリオ、エミール・ガレと混沌というかバラエティ豊かで面白かった。

練習中でしかないのだが、自分で画を描いている中でエル・グレコの絵画をみると、色と聖人や天使が溶け合い広がるような印象を受けた(だから等身、身体が縦に伸びる)。ドラマチックな構図の美しさもあるが、人が象徴化されてイメージが色として純化されるような、神秘的な魅力を感じる。

西村賢太『瓦礫の死角』読む。貫太物の続きで、いつもと同じ。いつもと同じく、じっとりと湿り不快で面白い。ただ、著者の生活や健康に関する文章を目にして気分が落ちる。私小説の若くて愚かで傲慢な十代の『貫太』、年老いた『貫太』も、他人事ではない。ただ、人生も小説もおそらく続くと思わねば

気まぐれに、ネットに一作だけアップしている自分の小説を、読みやすいように改行だけする。数年前に書いた物で、読みにくい上に内容も酷いなあと思うが、それしか書けないのだった。酷い話しか書けない(実際はそこまで思ってないが)。酷い人間が出てこないなんて、がっかりするだろ。優しい物語って?

川端康成『みずうみ』再読。新しい版の新潮文庫の、ストーカーという単語を使った無理矢理な褒め言葉が面白い。ストーカー、というよりもありもしない美しい女性の影を追っているのだから、ストーキングによる、相手を手に入れることでの自己実現とは少しずれていると思った。重なる点もあるけど。

ストーカー小説として読むとつまらないと思う。人々の感情がゆらぎ、移り行き、一部分では呼応しているような様を見るのが楽しみだと思った。川端康成の小説が非常に優れている(と思う)し好きなのは、人の感情を表現するのが巧みで、つまり人の感激屋で冷淡な様が四季のように豊かに語られること

が恐ろしく良いのだ。打算計算狡猾で生きる者も無垢のような幼稚さや親愛が顔を出すのも、矛盾しない。或いは、ある人物は一時やってのける。加えて着物や空や蛍といった美しさや身体の醜さを、さらりと描いて配置する。醜さも美しさも案配よく的確に構成するのが一等上手い。大好きな作家だ。

川端康成『新文章讀本』また読む。川端康成の文章、作家論。捉えどころのない、魅力的な小説を書く作家が、真面目な先生のような言葉で紹介をするのが奇妙でほんの少し退屈で、しかし面白い。泉鏡花横光利一にやや贔屓している(その魅力を引用し伝えている)けれど、鏡花や里見諄の文を褒めつつ

彼らの文が一歩誤れば美文調に落ちる危険にも言及している。谷崎も褒めつつ、初期の華麗な文に通俗性を感じる等、批評が鋭く面白い。基本的に多くの作家を褒めている(引用して美点を完結に述べている)のも良いと思う。この本では三島由紀夫が登場しなかったのはなぜだろう。後、太宰治が出るが、

褒めるというよりかは、半ばで急逝してしまったことをさらりと書いている。大衆的な作家さえ美点を見つけ褒めてるのに、太宰治を嫌う(評価しない?)のが面白い。鏡花は非常に評価していて、林芙美子岡本かの子もそうだった。美文調に堕する、というのを戒めていた自身の、ふらつきのような

めまいのような、しかし確かな文を思う。当たり前だが、感覚的な美点が多く見いだせる自身の小説を、批評眼を持つ川端は墨絵のようにおぼろげに、しっかりと、上手く配置していたのだろう。ここで、美文調や悪文について思いを巡らせる。俺が一番好きな作家はジャン・ジュネ川端康成。ジュネは

悪文と言うに相応しい。しかし魅力が勝るからいいのだ。エゴイストのポエジーがそこかしこにある。小説というよりかは、散文や詩集や語りかけが混交しているようだ。森茉莉のエッセイも少し近い所にある(彼女の小説は苦手)。本当の悪文は読むと嫌になり語りたくもない物だが、正直ジュネを初めて

読んだときは迷子になっていて、途方に暮れ、しかし気になり何度も読んだ。川端康成の小説も分かりやすいように見えて、一つの作品を数年後に再読すると、愛情や冷淡さや無関心にぞっとするし心地良い。人を迷子にする文は、悪文や作家の名文の中にある。いつでも迷子になりたい俺は、それを探る。

 

 悪文と言うのは、誉め言葉にはならない。俺が耽美という文字を見て、実際の作品を見てがっかりするのは川端康成の言う否定的な意味合いでの美文調のものばかりだからだろう。

 でも、俺はそういう物が好きで、自分の小説も悪文、美文調に堕しているのか、と思いつつもそこをどうにかくぐりぬけた物を書きたいと思う。ジュネのように、エゴイスティックで、読むほうはたまったものではないが、しかしポエジーに愛情に憎しみに彩られている文。

 小説にはポエジーが必要だ。マラルメボードレールランボーヴァレリーのごとき音の文の快感を孕んだ文章、小説があるとしたなら、それはとても誇るべき美点ではないのだろうか。

 誰にも読まれない、悪文まがいの小説を書いて、このまま自死を夢想するなんて、愚かだと思う。

 でも、俺の救いは結局、小説や美術しかないのだ。小説や美術が俺のことなんて眼中になくても。

 ひび、生活が辛く精神的にまいりながら、日々を浪費している。素晴らしい、それなりに素晴らしい、まあ、すばらしい物に触れることを恐れている。

 それでも、まだ、かけますように。自分の悪意を憎しみを罪悪感を親愛を信じて。

アクリル絵の具で描いた記録

メンタルとしては、色んなことが重なりとてもぼろぼろで、しかしもうすぐ誕生日を迎える。毎年誕生日位は自分の喜ぶことをしようと思っているが、仕事探しやらキチガイクレーマーやらその他問題で気が休まらない。

 そんな折、アクリルで画を描き始めてみた。百円ショップで材料を揃えた。

 以下、ここ最近、だいたい20日間で描いたアクリルの画の記録を出す。アクリルに触れたのは初めて。始めた理由は、百円ショップで売っていたから(あと、水彩はなんか苦手だから。修正が難しいので)。

 俺は、小さい頃は画家になりたかった。美大に行って勉強して、油絵を描きたかった。でも、実際は学費や自分のデッサン力の無さに、諦めることになる。特に石膏像デッサンが苦手だし嫌いだった。しかも、石膏デッサンにおいて、俺とはレベルが違う、上手い人が沢山いることを知った。

 ああ、俺は画家には向いていないんだ、そう思った

 でも、好きな物は他にもあって、今の俺は小説を書き続けている。お金になっていないが、十数年続けているので、自分で自分の書いた小説が好きだと言える。それはとても幸福なことだと思う。

 しかし、俺しか読まない小説を書き続けていると、さすがに疲れてきた。生活もうまくいってないし、十分頑張ったし、幕引きの準備が、二十代の頃とは違い、とてもリアルに俺にせまってきた。

 あっけない、むなしい幕引き。好きな物を書いた。それだけが、俺の慰撫。

 でも、ふと、二十年ぶり? 位に画を描いてみたのだ。たまに、書こう描こうと思いながら、見ないふりをしていたのだが、アクリル一回目。

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 へたー!! 幼稚園児が描いたのかな? でも、とても楽しかったんだ。色を塗る、というのが楽しくってたまらなかった。同時に、百円の筆があまりにも使えないので、世界堂で筆を買って、二回目

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 あれ? 思ったより描けてる? アクリルを使うのも狐を描くのもほぼ初めてというか、まともな画を描いてこなかった。自分は劣るから、諦めていたのだ。

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 これが四回目くらいかな? 大体の画にはモデル(写真、画像)がある。一応歴史に残っている名画やら、ネットで見られるプロやアマチュアの上手い人の画は沢山見てきた。だからなんとなく構図や処理の仕方は分かる。でも、影のつけ方、身体デッサンはボロボロ。それでも、何も考えずに色を乗せるのが楽しくて仕方ない。

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  相変わらず背景が雑! 誤魔化し方も下手! でも、虎の子供は初めて描いたにしてはそれなりに上手く描けているような。

 

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 キツネは勿論こんな色ではないが、好きな色でぬっていいってことに気付き始める。6,7回目くらいかな?

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 大好きなユニコーンを始めて描いてみて、あれ?思ってたよりかは上手く描けているのでは? と思った。背景が相変わらず適当だし、右の白い装飾的な(リアルとはいえない、模様の花)花は、もっと描くべきだと思った。

 少しずつ、自分の描きたいものが分かってきた。ファンタジックな、昔の絵本や小説の挿絵の世界。リアルな描写も必要だが、それ以上に構図とイマージュが求められる美しい世界。俺が憧れている画家やイラストレーターの世界。

 

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 十回目くらいかな? 蓮が、雑。しかも一番細かい筆がぼさぼさになって早くも使い物にならなくなる。ショックだ。貧乏な俺には材料費も馬鹿にならない。後、人間は難しい。それにこの一番楽な正面顔だって、影のつけ方は悩む。リアル寄りにしたいのだったらもっと描くべきだし、シンプルでいいなら、他の画材でいいのでは? と思ってくる。

 描いてみて、自分は画が描けないのではなく、自分は画が描けないと思い込んで諦めていたことに気付かされる。自分は画が下手だからと言い訳をして描かずにいた。その代わりに小説を書き始めたのだから後悔はないが、自分に「写実的にかける能力(物をとらえる能力)がないから駄目」という呪いをかけていたのは、よくなかったと思った

 ふつーだ。普通。練習すれば、「普通に」画がかける。またはこの先、かけるようになるだろう。頑張ったらふつうにできるよ! ってさ、怠け者のおれには嫌なんだなー。でも、一応十数年小説を書いてきて、やはり積み重ねでしか得られないものがあるってことは、身に染みて分かっているんだ。

 小説は二十代からむやみやたらな自信があったが、画をかくことについては無かった。

 ただ、画をかくのは初心者だから、間違っても雑でもいいのだと思うと、挑戦する気が起きる。

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 これが11回目? 一番新しいやつ。相変わらず細かい所が雑だし、背景!もう少し配置をよくできるだろ!!(というか、描きながらその場のノリでかき足してる)。でも、自分がやりたいものが少しずつ見えてきた気がした。

 同時にああ、俺は沢山勉強しなきゃなって思った。当たり前なんだけどね!!!

 この百均スケッチブックの一枚の画をしあげるのに三~五時間くらいかかっていると思う。色々と慣れていないせいもあるとは思うが、もっときちんとした画を描くとなると、やばいな。気軽に色を乗せてたのしーではいかなくなる。

 でも、画を描くことで逃げ道が増えた気がする。何かを作っていると、それが誰かの役にたたなくても、俺にとっては救いになる。

 というかね、俺がきちんと働いていたなら、液タブ? パソコンやタブレットでおえかきしたい。アクリルもしたいし、デジタルおえかきもしたい。

 何かをしたいって、とても前向きなことだ。お金の問題で難しいけれど、その気持ちは忘れてはいけない

 毎日、色んな不安やトラブルで、家の色んなの処分で終わろうかとも思っていた。でも、それでも踏みとどまる力をくれたのは、自分で描くことだった。

 何でもいい、どんな状況でも作りたいものがあるならきっと。

 綱渡り人生。もう脱落したいとおもってるのにな、苦しくって、たまに幸福な夢を見るんだ。夢に触れるには、努力しなくっちゃな。めんどくせ。でも、きっと、それが俺の幻のような幸福

恍惚と不安

色々あった。状況はかなりよくない、のだけれど、珍しく気持ちが軽くなることがある。画を描き始めたからだ。十数年ぶりに画を描き始めた。というか、三十代で初めてアクリル画(油絵を描きたかったが、値段的に安く済みそうだから)を描いてみた。

 一発目。花を描いた。さすがに、下手だなあ、でも面白いなあと思った。無心で色を乗せ続けるというのは、やはり楽しいし、気持ちよかった。文章、小説を書くのとは違う快楽があった。

 小説を書くのって、かなり頭を使う。俺が小説を書くのが遅いのかもしれないが、色々と頭を使って文章を書いては直して、という物の繰り返し(それでも誤字脱字、間違った表現や勘違いが沢山!)。自分の書きたい物、テーマについて、ずっと考え続け、慎重にパズルを組み立てていく感じ。

 そういう意味では絵画だって同じだと思うが、俺は絵画は趣味でいい、下手でいい。そう開き直って、ようやく筆をとることができた。小説は十数年書き続けている。だから、自分の好きな物を書けているという自信がある。

 ただ、画に関しては沢山見てはいても、俺よりうまい人は山ほどいるし、どうしても比べてしまうし、この年で、しかも生活がやばくて立て直さねばならないのに始めるのか。そうずっと思っていた。

 でも、アクリルで七枚描いた。画像はネットで上げられている自然やら一部のモデルとかを参考に、わりと適当に自由に描いた。楽しかった。昨日描いた画は、5,6時間ぶっ続けで描いていた。へとへとになりすぎてやばかったが、それでもすごく楽しかった。

 アクリルが俺に向いているんだと思う。水彩のより重ね塗り、修正がとても楽。油画より扱いやすい。厚塗りや、色を重ねるのがとっても楽しいし、俺に向いていた。

 デッサン力やパースの理解、ものを描く積み重ね、そういう物が無い俺でも、「まあまあ」の画が描けたのだ。それは自己満足ではあるけれど、自分は画が描けないからやめよう(写実的な画やパースが取れない)という呪いを解くことができた。

 何かを作って楽しいって思えるって、幸福なことだ。

 仕事がだめになって、生活はかなりまずい。これから先、生きていける気がしない。なのに、画を描き始めて、へろへろになって、幸福なんだ。とっても不安で辛いのに、画をかくと楽しくって、訳が分からない。

 選ばれし者の恍惚と不安と二つ我にあり なんて十代の頃から、うわあと引いてたのにな。まあ、選ばれた、とか思っていないから違うか。恍惚と不安。いつまでも綱渡り芸人人生。

泥に咲く徒花を

色々トラブルやらやることで頭がいっぱいいっぱい。本当は家で休みたい。なのに、無実なのに嫌がらせを受けていて、家でも気が休まらない。家賃を払って、家にいるのに、いきなり嫌がらせをされる。さすがに参ってきているが、少し、前に進んでいることがあって、そのおかげで少しだけ救われている。それは、画を描くこと。

 学生の頃は浪人してもいいし、教室に通って美大に行きたかった。でも、主に金銭面で無理だったし、俺より「写実的に」うまくかける人山ほどいると思った。画を描くことはすきだった、でも、いつしか画を描くことは諦めてしまった。

 その代わりに文章を書くようになった。文章は十数年書いているから、こういう推敲もしない見直しもしないかき散らしの記録はともかく、自分の小説は好きだと言える。自分の好きな物があるから、それを書いているから。

 優れた人は沢山いる、でも俺は俺の書いた小説が一番好きだ。これは長く続けている制作者なら、そういうものだと思う。そうでもなければ、こんな孤独で誰も見ない物を書き続けるなんてできやしない。小説を書くことはとても面倒で嫌だけど、一番おれを豊かに自由にしてくれる。

 それは、他の表現だってそうだと思う。音楽だって映画だって関わってみたい。でも、今の所自分で出来そうとか、やりたいと強く思っているのは、画を描くことだ。

 十代の後半で早々に諦めてしまってから、数年に一度、らくがきをする。でも、それで終わり。続かないし、色んな人の優れた物を見続けているから、自分の稚拙な作品にがっかりする。

 続けていないから、当たり前のことなのに。

 でも、意を決して、百円ショップとウエマツと世界堂でアクリル絵の具を描くための道具を沢山購入した。最初は千円位で収まると思いきや、気づけば5,6000円を超えていた……しかも出費は抑えているし続けるなら絶対増えるし。貧乏な俺にこれはきつい

 でも、小さなしょぼいスケッチブックに色を乗せたら、下手なのに、とても楽しかった。久しぶりに小説を書くこと以外で深く集中できた。

自分の為のらくがき、絵画。それはとても幸福なことだ。

 最初は百円ショップの絵筆を使っていたけど、世界堂でちゃんとしたアクリル用の絵筆を使うと、当たり前だが描きやすさが違い過ぎて驚いた。初期投資すら恐れる俺が馬鹿なのだが、その位追い詰められてもいた。

 今も分からないが、多くのものを処分して、どこかに行かねばならないとしたら、絵具なんて買っている場合ではない。

 でも、その出費が、俺に豊かな時間を与えてくれた。やりたいことが増えた。最近は特に、イラストレーターのバルビエやハリー・クラークやアラステアやカイ・ニールセンの画を見てうっとりしている。日本だと特に山本タカトや今井キラや甲秀樹が好きだ。

 だったら、いっそ液タブ?IPADの方が安く済むのでは?とも思う。

 ただ、アクリル絵の具(ほんとは油彩がいいけど、アクリルも楽で良い)の色を乗せて重ねる感じは、デジタルでは出せないと思う。俺は、美しくって洗練されたイラストに憧れるし大好きだが、わりと素朴であったり筆致が分かるような作品も大好きなんだ。だから、今自分がアクリルで画を何枚か描けていて、うまいとはいえないものの、楽しい。嬉しいんだ。十数年前の借金を、少し返済してるような感じ。

 辛い時は、トラブルがある時はどうしてもそのことで頭を支配される。無実なのに嫌がらせをうけているならなおさらだ(色んなとこに相談はしていますが)。でも、好きな物が無ければ前を向けない。小説は勿論続けるが、書き終えたばかりで充電期間が必要だ。そんな時に何か、好きな物を描けたら。花や動物や幻獣や天使や悪魔。俺が好きな身近で遠い友達。彼らのことを考えて、うまく描くことが出来たなら。

 色々と精神的にもよろしくない。だから、後悔しないようにしたいなって、思っているんだ。美しいとか楽しいとかかわいいとか奇妙だとか、そういう物を考え作り出す時間が増えますように。

俺の瞳には映らない君のことばかり考えているんだ。

また、トラブルが起きて、しかも職探しもして金の心配もしていて、通院もしているから、俺の頭は少し壊れた。

 さすがにこんなに嫌なことが重なると言うのは単純にきついし、前向きに使用考えないようにしようと思っても限度がある。

 でも、ネットで調べながら少しずつ知識を得て、何かあった時の対応は学んだ。相談する人には相談をして、今後はそういう対策をすることにした。

 少し、気分が楽になったが、でも今もいつ爆発するか分からない爆弾が近くにあるような物で、心の平穏はない。

 それと、俺は十年以上小説を書いていて、たまに新人賞に応募しているが、なにもない。というか、応募雑誌を読んだことがない(書いている選考委員の本は読んだ物もあるが)。理由は単純で、昔の人の本の方が面白いと思うし、好きだから。

だったら自分で同人誌でも作れって話だが、文学フリマ? という物は、参加した人と会って話したことがあるが、ちょっと俺の感じとは違うような気がする。俺が出ても、多分、一、二冊売れるかな? だと思うし、

 また、新人賞に応募する小説は過去に発表や応募していない物、と書かれているから、応募して落ちたのを本にして売ると言うのも、そこまでやりたいとは思えない。売れないだろうし。

ああいう場所は同行の士を作る場でもあるとは思うのだが、多分、俺はエゴイスティックで、仲良しサークルに入れないと思う。

 つまり、もう、駄目ってことだ。一人で書いて、満足して、おわり。

 ただ、俺は自分の書いている小説が好きで(作っている人はみんなそうだと思う)、十年以上書いているのだから、少しずつだが、良くなっている気がする。よくなっているというか、自分が書きたいものが書けるような、表現や世界や流れが、編集が良くなっている気がする。それだけは大きな救いだ。

 でも、今、俺はお金が無く友達もほとんどおらず(というか、友達って、どういう状態なのか、説明に困る)、作品も認められず(というか自らほぼ出してない)、住んでいる場所では大きなトラブルで無実なのに嫌な眼に会い続けている。

 はっきり言って、自分としては最悪な状況だ。

 20代なら、乗り切れたかもしれない。でも、30代も後半に近づくと、やっぱ、もう誤魔化すのもきつくなってきた。

十代二十代の頃は、現実逃避にニルヴァーナのリチウムやベルベットのヘロインを繰り返し聞いていた。三十代になって、それがバッハやグレゴリオ聖歌に変わった。

 音楽は、ロックスターはやんちゃな人は、天使は、俺に優しい。彼らは俺を知らなないし、一方的な愛情だけど。

 俺はこれからも一方的な愛情だけで生きていくのかな。生きていけるのかな。

 色々と他にもかけない問題があって、これからの自分の人生について考えている。いっそ、ほとんどの物を処分して、美術からも離れて暮らす物いいのかな、なんて突飛な思い付きも浮かぶ。パソコンさえあれば、小説は書きたくなったら書けるしね。

 辛くって寂しくって心細くってたまらなくって、それでも生きて行かなきゃって当たり前のことで、何日も愚かな悩みを繰り返し反芻。

 きれいなものが、手に入らないものが好きで、ずっと憧れていた。小説の中でなら、その断片やその欠片を口に入れた人らと会話ができるような気がしていた。俺が小説を書くのは、ありえない人らとの対話の為なのかもしれない。

 ずっと、本を読んでギリギリの生活、たまに小説を書くというのを十年以上繰り返してきた。もうそろそろ、変えなければならないのか。答えは出ない。でも、俺は、俺の瞳には映らない君のことばかり考えているんだ。

 

 

雑記

『西洋アンティーク・ボードゲーム 19世紀に愛された遊びの世界』読む。昔の紙のすごろく、なのだが、画がとても素晴らしい! また、単純に遊び目的の物から、地理を学ぶ教育的な物やバンホーテン社の宣伝のためのものまで幅広い。遊ばずとも、画が良いのでポストカードになっても良さそう!

マラルメの詩集を読み返していた。壮大で美麗で、いつ読んでも圧倒されてしまうのだ。
『花』という詩の一節、
野性の血潮の光に潤(ひた)る花!

という部分だけでもうっとりとしてしまう。彼の詩に触れると、時間や瞬間を想起する。生々しい何者かが、神秘が現れる。それは、恐ろしく、幸福な事だ。

シシリー・メアリー・バーカーの、妖精の本をまた読む。とても可愛らしい植物と妖精は、どのページを見ても楽しい。彼女は植物がとても好きだったはずだ。だから、もしかしたら妖精も見えていたのかな、なんて夢みたいなことを考えてしまう。見えない物を見るために、目を見開いて。

三島由紀夫著『谷崎潤一郎川端康成』読む。三島が両者について語った様々な文書をまとめた一冊。谷崎はともかく、三島の川端への文章は昔読んだ物も多く懐かしい。二人の師弟とも友人とも言えない関係、二人の奇妙な親愛らしきものが、とても好きだ。川端の文章は、語れない。それが魅力だと今も思う

川端康成と書』読む。川端康成が集めた書、文人との交友録等が収められた一冊。自分は美術や陶磁器の善し悪しのこだわりはあるが、書については、よく分からないかもしれない。でも、川端が『仏界』と揮毫したこの書は、厳しさを感じて魅力的だと思った。仏界も魔界も入りがたい、そう思うのだ。

手塚治虫の未完の漫画『ルードウィヒ・B』二冊数年ぶりに読む。あー面白い続きが読みたいと思う。ただ、当時も今も、俺はバッハ以外のクラシックの良さが分からない駄目な耳のまま。あとがきで手塚はベートーベンと自分は似ていると書いている。なるほど、そうかもしれない。溢れる生きるエネルギー

目を見開いて

色々とあった。色々とボロボロになった。いつものことじゃあないか、誰でも大なり小なりそうじゃあないか、とは思うけれど、ちょっと、自分の中では様々な問題が重なり、駄目になるかな、と思ってしまった。

 でも、今日小説のなおしを終えて(本当はまだまだ不安だけど)ポストに出した。少し、気分がすっきりした。前に進んだような、気が抜けたような。

 俺が元気に、色々出来る時間って限られていて、色々やらねばと思いながらも、できずに病魔に依存する日々。でも、とりあえず小説はかけたんだ。それが何かを生み出さないとしても、俺にとっては大切な作品だ。

 小説の中で画を描く少年を登場させ、俺もまた、画が描きたくなってきた。小さい頃の夢は画家だった。でも、すぐに諦め、今はずっと小説を書いている。

 俺はそんなに器用でもお金に余裕があるわけでもないので、教室に通って道具を揃えて、なんて夢のまた夢だ。それに、本を読んで、書いて。それだけでせいいっぱい。

 でも、画を描けないまま死ぬことを考えたら、やっぱり描いた方が良いよな。

 最近、たまに前向きになった時、友達が欲しいなって思う。でも、俺が好きな美術や文学の話なんて、誰も求めていなかった。好きな話を楽しそうにする人たちが羨ましかった。

 だから、俺は小説の中で芸術家を登場させる。

 誰かと、会話をしているような、そんな幻覚をみられるから。

 それに、色々とやばいな、って自覚が強くなってから、多少は美術にもっと向き合えているような気がしないでもない。知れば知る程、自分の無知や記憶の欠落などに気付く。でも、それだからこそ立ち向かう意義がある。

 花を神を天使をけだものを宝石を思う。俺の人生、そういうので飾れたら。

雑記。

先日買ったハマースレイの水仙ティーカップで、ウェッジウッドのイングリッシュブレックファスト飲む。カップは縁が波打っていて、薄く唇に優しく、紅茶はとても飲みやすいのにコクがあり、幸せな気分。いつも飲んでる、百個で400円のリ⭕トンに戻れなくなるな

 

 

サントリー美術館 美を結ぶ開く 展行く。古くからの技法や西洋文化を取り入れた作品が展示されていて、見所たっぷり。丁寧なキャプションも理解を深める。伝統的な技巧も西洋や中国の文化を取り入れた物も、様々な作品は奇妙であったりモダンであったりして、今も古びない

 素晴らしい陶磁器を見ると、俺も作りたいなあ絵付けをしたいなあ、なんて思う。無理だけど。

バグルスのファーストはほんと好き好き大好き愛してるって言わなきゃ殺すって話なんだけど、セカンドもいいよな。最初は正直ファースト大好きだから、うーんって思ってた。でも、聞くうちに魅力に気づく。力強さがプラス。永遠の未来のサウンドがあるー

小説を書いていると、他の人の創作物、特に小説が読めなくなる。他人のよいものを受け取るって、パワーがいる。でも、誰かの作品見てないと、自分がスカスカだと思う。久しぶりにクリフォード・コフィンの写真集を見る。昔のヴォーグの写真。古典絵画のようなエレガンスな構図とキュートさにうっとり

狭い家の中に本や雑誌が多すぎる。金も気力も無いし、まとめて処分しようかと、昔のナショナルジオグラフィックめくったら、カラフルなインドのゾウのお祭りについて書いてあった。こういうの、切り抜いたりネットで見たりするより、一冊の中にあるから好きなんだ。本が好きなんだ。捨てられないんだ。

映画『君の名前で僕を呼んで』今更見る。とても評判が良い作品で、みたらその通りの優等生的な良作だった。根性ひん曲がった俺は、登場人物ほぼ全員善人、シンプルな筋(なぜ恋に落ちたかもう少し描写しても?)が気になった。でも、後半の主人公の若さ爆発のはしゃぎっぷりが美しくも切ない。良い役者

agnes b.STYLISTE』読む。アニエスベー自らがアートディレクションを手がけたメモリアルブック。40年の歩みと制作の秘密を、貴重な写真やスケッチとともに振り返る。とのことで、アニエスベーについてあまり詳しくない俺が見ても楽しめた。お茶目で優しくてロックな人柄が生み出す、楽しい洋服たち。

谷崎潤一郎『陰翳礼讃・刺青』また読む。彼の作品は、好きで嫌い。神経質助平ジジイの同族嫌悪だと思う。でも、美意識が、美文があるのは素晴らしいことだ。
『私は、われわれがすでに失いつつある陰翳の世界を、せめて文学の領域へでも呼び返してみたい。文学という殿堂の檐を深くし、壁を暗くし、見えすぎるものを闇に押し込め、無用の室内装飾を剥ぎ取ってみたい。それも軒並みとは言わない、1軒ぐらいそういう家があってもよかろう』

村上華岳 京都画壇の画家たち』見る。山種美術館の展示をまとめた一冊。ここで、俺は村上華岳の『裸婦図』の現物を見て、本当に凄いと思った。有名だから何度も本では目にしたけれど、現物の肉感、神秘性、女性とも仏とも言えないような魅力に絵の前から動けなかった。やっぱり、美術館行こう!

裸婦図、もそうだが、雪舟もそうだった。印刷では分からなかった。現物を見て、打ちのめされるという幸福。すごい人間が作品があるんだって、それだけで、本当に俺は救われるんだ。

市川圭子『アンティークショップレース 16世紀から20世紀の美しく繊細な手仕事』読む。レースはとても時間も技術も必要なもので、素朴な物から細密な花々まで、物語の一部分を見ているような、華やかで豊かな気持ちになる。色褪せたもの、再現がむずかしいものもあり、デザイン、歴史としても貴重な本

小さい頃、幼稚園で読んだ気がした絵本。『三びきのやぎのがらがらどん』カワイイ絵柄で、古本で安かったから買ったけど、なかなか暴力的な話だった。でも、昔話ってそうじゃなくっちゃなーとも思う。絵本の世界も恐くて魅力的だ。

めっちゃかっこいいな。花柄の物は大抵好き。大人になったらギャルソンの服、沢山着られると思ってたけど、学生時代が一番服に金を使っていた。ほんとはさ、全身に花の青刺入れたいんだけどさ、数年前に百合を入れたっきり。沢山花のことを考えたい。そういう時間をふやさなきゃな

『世界のクラウンジュエル』読む。その名の通り世界のクラウンがページに大きく印刷されていてとても美しい。王錫やティアラや、その年代ごとのジュエリーの紹介もあり、うっとりしてしまう幸福な一冊。自分のために用語を引用

ロココ:フランス語のロカイユ(小石や貝殻による装飾)に由来する言葉で、転じて貝殻モチーフの装飾品などをさすようになり(中略)ジュエリーでもパステル調にリボンやブーケなど曲線を多用した女性らしい優美なモチーフが好まれた

アンピール:帝政という意味で、19世紀はじめのフランス、ナポレオン帝政時代のスタイルをいう。装飾過剰なロココの反動で、比較的シンプルなデザインが好まれ(中略)古代ギリシア・ローマやエジプト遠征の影響によるエジプト様式のリヴァイヴァルが流行した。

なんか、体力無くて読めなかった『ダブル3巻』野田彩子読む。映画に出て、一気に人気者になった多家良。彼の危うくもしなやかな足取り、成長が見られる。相変わらず演者の顔の説得力が上手くて、気になってしまう不思議な人気俳優、が存在しているのだ。次号は友仁にスポットライトが当たるといいなあ

林芙美子原作、成瀬巳喜男監督『めし』また見る。周囲の反対を押し切って結婚した夫婦、しかし今では倦怠期。そこにワガママな姪が転がり込んできて、夫婦の生活に波紋が広がる。原節子が、日本家屋に立っているとスタイル良すぎて、しかしすぐ慣れるんだけども。小さな哀しみや退屈の繰り返し、

そうだとしても、日常を、連れ添う人を愛するという、胸に来る映画。原節子の決断、特に最後のナレーションは反発したくなる人もいるかもしれないが、添い遂げる人の幸せが自分の幸せという生き方も、本人が納得しているなら素敵なものかなと思う。おっさんになってから見ると、成瀬の日常映画はくる

過日、肉体労働者(俺)は、電車の移動中に谷崎潤一郎の食についての本を読んでいて、ほんと、くずだなあ、でもやっぱり文章は嫌悪と魅力があるなあと思った。
最近、所得がヤバすぎる自分が、似合いのマズいものばかり食べていることに危機感を覚えるようになってきた。

本や美術品(美術館で見る)なら、どうにかなるし、それに使うなら食費は抑えざるを得ないけれど、たまに、そこまで値が張らなくても良いものを口にすると、ああ、しっかりしなきゃなと思う。感覚が死んだままじゃあ、何も生み出せない。息を吹き込む為には、幸福な食事も必要だって、分かってんだけどな

谷崎潤一郎文学の着物を見る』また読む。谷崎の作品に登場する華やかな着物を再現。ぱらぱらと見ているだけで楽しい一冊。当時の流行や、流入した西洋文化も、文学に、色彩に影響を与えた。化学染料が本格的に輸入され、鮮やかな青がうまれる。それが新橋の芸者が好んだ、新橋色、だなんて洒落ている

『魔術師 谷崎潤一郎妖美幻想傑作集』読む。初期の耽美、怪奇、私生活的な小品を集めた一冊。俺が好きな川端康成泉鏡花と大きく違うのは、彼が傲慢で欲望に忠実な所か。嗜虐も被虐も、ご主人(谷崎自身)に捧げられる供物。若い傲慢さと不快さを美しい調べで魅せる、軽やかな小悪魔揃い

ピーター・スタンフォード『天使と人の文化史』読む。天使が見える人の話が冒頭にあり、読むのをやめようかと思ったが、聖書、学問(天使学!)、芸術の中で登場する天使の役割、その変遷を辿る一冊。中でも、この本では天使の役割は守護天使、神(知覚できない神秘)と人間の間にある存在として

肯定的に、日常の一部のように語られている。本文の中に、ある調査ではイギリスで礼拝に参加したことがない21%と無神論者を自称する7%が天使を信じているという。俺も、存在を信じていないのに天使がいたらな、と思う。それに、様々な作品に登場する天使達は、守護ではなくても輝きを与えてくれるのだ

『美しいアンティーク生物画の本 クラゲ・ウニ・ヒトデ篇』読む。18-20世紀に刊行された出版物から、テーマの物を集めた一冊。海の生き物って、よく見るとグロテスクな印象を受ける物もあるが、この本に収められている絵には、華美な装飾物のような美しさがある。俺にとっては本物よりも絵の方が好き

数年前に渋谷で見た『印象派への旅 海運王の夢 バレルコレクション』の図録買う。会場で本物見た後に図録を見るとね、なんだけども、改めて図録を見ると当時の思い出が蘇り良かった。海や人々の生活に近しいモチーフの絵画。空間の広がりや温もりを感じて、気分が楽になる 。

若冲の描いた生き物たち』読む。若冲の画に、描かれた動植物(空想、その時代の日本では見られなかったものも指摘)の写真をつけて詳しく解説。若冲の突飛で素晴らしい画に、丁寧な解説がついて理解が深まる。若冲本は沢山出ているけど、その中でもトップクラスに読み応えがある良書。

渋谷Bunkamuraミュージアムで、ロベール・ドアノー写真展見る。歌と踊りと、倦怠と喜び。一般人も有名人も変わらない。昔の日本人が憧れた巴里の時間がそこにはあった

 

 色々ある。これからの不安も大きい。でも、前を向いて。俺の好きな本の題名、目を見開いて。