凡庸で緩慢な自死

抗不安剤と躁鬱の薬を飲んで寝たきり、返せない借金に怯えて、たまにどうにかして肉体労働。でも、身体も頭も言うことをきかない。仕事の予定を入れるのも怖くなって、夜も寝られなかったり三時とかに起きてしまったり

こんな惨めな事をずっと繰り返し書いている。でも、もう少し突っ込んだことを書こうと思う

 初めてなりたいと思ったのは、画家だった。でも、自分には写実的に描く才能も美大に行く金もないし、早々に諦め、普通の大学に行った。映画もアパレルもバンドも興味があった。大好きだった。若い俺には目に見える物は色んな物がキラキラしてみえた。世界には知らない物が沢山あって、沢山俺は感動して、わくわくしてたまらなかった。

 でも、俺はいじめられっ子で、恐ろしいことに幼稚園小学校中学校高校と苛められた経験がある。軽いのからそうでないのまであったが、集団行動というものがどうしても苦手で怖くて仕方が無くなってしまった。

 そんな俺でもできる創作行為、一人で出来てあまりお金もかからないこと、小説を書くこと。

 今みたいにスマホが普及していない時代に学生だった俺は、学校をさぼって時間つぶしの手段は読書だった。お金が無いから、岩波や新潮の100円で投げ売りされている世界の文豪の本を片っ端から読んだ。

「読んだ」ことと「理解する」ことには大きな隔たりがある。でも、ガキなりに小説を読むというレッスンをずっと続けていたのだと思う。

 若い頃から小説家で食べていけないのは理解していた。しかもマジで大好きなのがジャン・ジュネ川端康成ユルスナールアルベール・カミュサルトル’(小説)という数十年前に生まれた人か?というラインナップ。でも、俺は彼らの乱暴で繊細で突き放した視線で描かれる物語が大好きだった。

 ずっと、小説を書いていた。色々応募はしたけれど、結果はあまりふるうわなかった。というか、文芸誌自体を読んでいなかった。古い人らの作品の方が好きだったから。

 文学賞に応募した作品は、他の賞に応募してはいけないというきまりがあるらしい。だから、俺のnoteにアップされている作品は何年も前に落ちた(雑誌を読んでいないから、落ちたかどうかは分からないけれど、連絡が来ないと言うのはそういうことなのだろう)ものをアップしたものばかり。

 ずっと続けていて、自分では良く書けたと思っていても、誰かにそうではないと評価されたら、まあそういうことなのだ

 それでもいいと思っていた。でも、俺はもうすぐ40になる。それなのに、メンタルの病気は悪化して、おまけに年収以上の借金をかかえてしまった。

 本当に、愚かな末路だなと思う。思いっきり仕事を頑張れば、巻き返せないことはないだろう。でも、病気と薬の副作用で年々仕事が続けられなくなったし、年齢ではじかれることも多くなった。

 肉体労働も、休みは薬飲んで寝たきりになってしまって体力低下で厳しくなってきている。

 そろそろ自殺しようかと、わりと本格的に考え始めてきてきた。
前々からある思い、でもそれがどんどん強くなってきている。

 ごくまれに、褒めてくれる人もいた。少しだけ、交流もあった。俺の個人的な、「俺にとっては」面白い小説たち。

 次の構想はあるけれど、それよりも支払いの恐怖と働けないという事実でメンタルがいかれてしまった。俺も拳銃があったら大好きなゴッホ展を見た後自殺したのに。こんな中学生みたいな文章を書く位、追い詰められて、文章を書かないから精神的にも貧弱になってきてしまっている。

 生活を立て直すのは困難だ。恥ではあるが、死にたい、ということだけでもこの場所に残しておくのもまだ気晴らしになるかもしれない。

 ずっと、神様が、超越的な存在がいて欲しいなって思っていた。でも、自分は無神論者なのでそれを感じることはできなかった。でも、信仰に似た何かを求めていた。それらを小説の中で、現実にはいなさそうな傲慢で輝かしくて繊細でびくびくした人たちに託した。そして、俺以外誰にも看取られずに、ひっそりと埋葬していった。

 物語の登場人物たちに役割を与えて、埋葬する。それが俺の生きる為のリハビリテーションだった。でも、疲れた。

 借金は、俺の能力では返せないかもしれない。それにもし返せたとしても何年後だろう。その時、俺はもう、本当に駄目になっているんだと思う。

 十年近く使っている、ずっと小説を書いているパソコンも最近色んなエラーやガタがきまくっている。十年も使えば故障寸前も当然だ。

 今は、生きている。でも、数ヶ月後は、数日後は壊れてしまうかもしれない。それを買い替える金もない。薬を飲んんで過眠か寝るか、役に立たない日雇いおじさんとして怯えて吐き気をこらえながら現場に行くだけ(薬を飲むと眠気が酷いのであまり飲めない)

 こんなに悲惨な末路だなんて。ギャンブルと躁鬱と孤独で、俺は自分の人生を壊した。正確が真逆な兄にお金の相談をしたら、自業自得とか色々いわれたし、まあ、そう言われても仕方がないとも思う。

 でも、俺は美術とか小説好きだった。

 けどさ、疲れた。少し前にも似たようなことを書いていて、恥ずかしい。誰かの素晴らしい作品についてずっとひとりごとをいっていたのに、最後は緩やかな自殺についての凡庸な記録になってしまった。

 まだ、死んではいない。でも、今も涙が止まらなくて、明日の電車に飛び込みたい、けどさ、人身事故ってスゲー迷惑だよね。俺も遅刻したら時給惹かれるっておびえてた。そう言うのじゃない方法がいいな。

 好きって言葉、口に出すといいと思うからもう一度、俺、自分の小説が好きです。